2016年05月07日

今さら老人力

2016年5月頃 今さら老人力
早いもので洋楽カラオケに参加してから約半年。そこでは外国語で歌うことになっている。私のように英語で歌いたいけれど歌えない人にとっては、とても有難い決まりだ。どっちでもいいよと言われたら英語では歌えない。本当は歌いたいのにね。

英語で歌って意味わかる? と聞かれたことがある。殆ど分からないが、歌う曲については調べるので少しは分かる。なぜ洋カラ? と聞かれれば英語が好きだからと答えたいが言えない。出来ないのに好きだと言えば変な人と思われる。しかし、書くときは何も気にしない。だから下手でも書くのが大好きだ。

カラオケを始めたのは65歳のときだった。それまではカラオケ嫌いと思われていた。そんな私が殻を破ってカラオケを始めたのは、チャンスに恵まれたからだ。2005年頃のことだが老人クラブのヒヨコ英語教室で知り合ったAさんから下手同士でカラオケ行かないかと誘われた。

これがカラオケを始めた切っ掛けとなる。Aさんは高齢者のカラオケクラブに入ったが、初心者なので練習をしたいと言う。だけど一人で行くのは嫌だから練習仲間を探していたようだ。もう一人はBさんと聞いて安心した。

オンチは充分承知の上で選ばれたのだ。そういうことならやってみたい。オマケに秘密にしようと言うのだから有難い。誰にも知られることなく伸び伸びと歌えそうだ。あれから10年たったが依然としてオンチのままだ。直らないし克服もできない。楽しく付き合って行くしかない。Aさんともね。

隠し事が多くて恐縮だが、若いころから英語で何か歌いたいと密かに夢を抱いていた。これは純粋に夢であって本当に歌えるとは思っていなかった。こんな状態でも「洋カラ参加者募集」の誘いがあると心は揺れる。思い切って参加することにした。オンチで英語もろくろく出来ない私にとっては唯一のチャンスだからね。

半年たっても散々だが恥ずかしさよりも歌いたい思いの方が勝っていた。恥は隅っこに追いやられ、真ん中にはその思いがデンと居座っている感じだ。高齢になると羞恥心は薄れるから有難い。昔提唱された老人力が今になって付いて来たのだ。何をやってもノロマな私だが、この頃はゆったりした気分を楽しんでいる。
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2016年02月13日

寅さんってこんなもんか

2016年2月頃 寅さんってこんなもんか
洋楽カラオケ(洋カラ)を始めて3ヶ月たったが、依然として足踏み状態が続いている。思ったより百倍も難しかった。諦めても良さそうなものだが、他にやりたいことも出来ることもない。ただ外に出て歌っている限り我が身は安全、健康が保たれるのだ。

不本意ながら先天的音楽機能不全である。他の機能も万全ではない。スポーツ、ゲーム、金勘定等、何をやってもハンディが大き過ぎて楽じゃない。何事も人並みには出来ないのだから嫌になる。カラオケだって出来ないものの一つに過ぎない。

映画「男はつらいよ」の寅さんが大好きだ。天真爛漫、呑気そうで羨ましい。いつもマドンナに惚れて悩んでいる。一見マドンナさえ居なければ幸せと思える。だがそれは物事の一面に過ぎない。もし寅さんに女性の悩みが無かったら彼の人生は真っ暗だ。

インチキ商品は売れるだろうか。嘘がバレて商品に関する苦情が殺到するのではないか。テキ屋稼業に未来はあるのかとか悩みは尽きない。しかし寅さんは女性に惚れて幸せ、尽くして幸せ、そして捨てられても幸せなのだ。そうでなければ48回(「男はつらいよ」の作品数)も振られるはずがない。

顔で笑って心で泣いて、ひたすらマドンナの幸せを願いキレイに別れる。これぞ男と自画自賛して喜んでいるのだ。私も寅さんと同様に片思いしている。女性ではなくカラオケにね。実は密かに自画自賛しているのだが、それは書かないルール。寅さんみたいに笑い者にはなりたくないからね。

ところで私の母は歌が上手で詩吟の先生もしていた。私にもその血が流れている筈だが現状は厳しい、なかなか伴奏に合わせて歌えない。前回のカラオケ会では、伴奏に遅れて困ったので、一生懸命練習したら、今度は早すぎて伴奏の方が追い付かなくなってしまった。歌っていると、なにやら会場がざわつき出した。

笑い声も聞こえる。私は一生懸命だが周りはそうでもないようだ。この光景はどこかで見た様な気がする。そうだ、映画「男はつらいよ」の寅さんだ。彼はマドンナの為を思って一生懸命尽くしているのに、周りの者はどうせ振られるのにと冷ややかに笑っている。長いあいだ寅さんに憧れていたのにガッカリした。なんだ寅さんって、こんなもんだったのか。憧れて損した。

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2015年12月12日

初めての洋カラ

2015年12月頃 初めての洋カラ
2016年の目標は英語の歌を覚えること。と言っても習うのではなく、自分で勝手に練習して適当に歌うだけ。それには理由がある。音痴で英語力も無い、オマケに口が回らない。ここを直せば好くなるとか言われても直せないのだ。

若い時は英語が大好きだった。ただ好きなだけで学校で習ったわけではない。子供の私は勉強嫌いの英語ファン。普通の子がプロ野球選手に憧れるようなものだった。1946年に建設されたワシントンハイツ(合衆国空軍ワシントンハイツ団地)の風景を外から見てアメリカに憧れたのだ。緑の芝生に洒落た家、カラフルな自家用車、まるで夢の世界である。

2015年の秋、洋楽カラオケの会が立ち上げられると聞いた。こんな機会は一生に一度しか回って来ないので是非参加したいと思った。英語の歌と言うのは格好いいセリフの塊だから歌えれば気分が好いかもしれない。何も知らないまま夢だけが膨らんだ。

Yowkaraの案内メールが流された。そこには「洋楽に興味のある方なら、どなたでも大歓迎」と書いてある。あるある大いにある。オンチでも結構とは書いてなかったが遠慮なく参加させてもらった。やはり歌うのは難しかった。それなのに何故か歌いたい想いだけが募って来た。

半世紀も前のことだが、英語も多少関連する職に就くと、大好きだった英語が次第に嫌いになり、大嫌いになった。向いていなかったのだ。しかし退職して15年もたつと英語が懐かしくなってきた。英語で話したり歌ったり出来れば楽しいと思う。話すのは無理なので歌うことにした。これも無理な独り相撲だが。

カラオケを始めたのは65歳になってからだった。若い時は下手な歌を歌えば恥をかくだけだが、高齢者になると健康にいいと言ってくれる人もいる。好きだから歌っているだけだが、その流れにはシッカリと乗せてもらっている。

それから10年後、恐れ多くも洋カラに挑戦。普通ならリングに上がった途端にバタッと倒れノックアウトだが私は後期高齢者、人間機能的には既に死んでいる。何をやっても「ジイサンだからしょうがない」と周りが諦めてくれる。高齢化の流れがグイグイ私の背中を押してくれたのである。

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2002年10月05日

ヒヨコ英語教室

2002年10月頃 ヒヨコ英語教室
退職したばかりの頃だが暇つぶしに市内の老人福祉施設に行った。「12月25日はクリスマス演芸会です。男性は黒いスーツに蝶ネクタイをして下さい」と先生は言った。

ここは高齢者対象の「ヒヨコ英語教室」。五つある教室が合同で大ホールを借りきりイベントをやるそうだ。私にとっては初めての舞台である。これはエライことになったと思った。

小学校の学芸会以来、舞台などに上がったことがない。蝶ネクタイまでするのだから嫌にる。普段は教室の片隅で大人しくしているのだが、こんなことを言われては黙っていられない。間髪入れず異議を唱えた。

「あの〜、蝶ネクタイは持っていませんが」 
私にとっては精一杯の抵抗だ。
「ご心配いりません。百円ショップで売ってます」
と、軽くかわされてしまった。

教室には分別のありそうなシニアが28人もいる。私が口火を切れば「嫌だ。嫌よ」の大合唱が起こると期待したのだが、そうは問屋が卸さない。思わぬ方向にどんどん進んで行ったのだ。

「蝶ネクタイは私が纏めて買ってきましょう。一人ひとり行くのも脳がないですからね」と仰る方が現れた。これも確かに分別だが事態は思わぬ方向に、どんどん進んで行った。

「女性は白いブラウスに黒のスカートがいいと思いますが」
「胸に赤いバラをつけるのはどうでしょう」
「男性もつけてもいいですか?」

一体どうしたことだ! ここでは私の所属していた社会とは全く違う常識が支配している。変わらなければならないのは私なのか? 信じたくはないが そうらしい。

こうしてクリスマス演芸会は始まった。意外にも皆さんは活き活きととして楽しそうだった。よく考えてみれば当たり前、好きな人しか参加しないのだ。嫌々来たのは私だけらしい。退職したばかりなので、無断欠席とか柔軟な対応が出来なかった。

結局これがカラオケを始める切っ掛けとなった。練習の為いつも隣で歌っていたAさんが3年後にカラオケに誘ってくれたのだ。もちろん私のオンチは充分知った上なので喜んで誘いにのった。英語の勉強は名ばかりで殆ど雑談と歌のヒヨコ英語教室だったが、私に新しい趣味を与えてくれる切っ掛けになった。
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