2018年12月29日

何かと手こずる「16トン」


小学6年の思い出は知恵遅れの同級生K君のこと。彼は授業中に教室内を自由に歩き回っていたが、先生も注意もしないし生徒も気にしていなかった。ところで、私もK君と同じように、教室ならぬカラオケ会で自由に歌って楽しんでいる。

ある日、K君は授業中にストーブをいじって顔面に大火傷した。そして学校に来なくなった。彼は皆に好かれていたが、それだけではダメだ。なぜ思い出したかと言うと「16トン」を歌って、またもや失敗してしまったからだ。普通学級に居たK君みたいな私だ。これでいいのだろうか?

私なりの成功・失敗の尺度はある。「成功」と言っても大したことではない。普通の人が無意識でやっていることだ。つまり、カラオケ画面の字幕の色の変化に合わせて歌える様になることである。洋カラ始めて3年たって何とか出来るようになった。そう思って歌ってみたら、久しぶりにズレてしまってガッカリした。

原因は一杯の焼酎、酒の勢いで「16トン」と決め、歌う番が回ってきたころには酔いも回っていた。足がもつれたように口が回らなかったが、教訓を得た。酔えば口は遅くなる。そんなことを考えていたら、半年前の小樽・札幌合同カラオケ例会でも歌いそこねたことを思い出した。何かと相性の悪い16トンだが、失敗したから僅かながら成功の種を蒔けたと思う。

話は戻るが、歌い出しは手拍子とってくれる方もいて気分が良かった。やがて手拍子が止まり、緑色の字幕の変化が先に行ってしまった。つまり遅れだしたのだ。追いつく前にカラオケマシンが機嫌を損ねて止まってしまった。これはジョークでなく事実であることを念のために申し添える。威張ることじゃあないけどね。

温かい配慮により、もう一回歌う機会を与えられた。今度こそ失敗しないぞと思って歌ったが、やはりズレてしまった。酒は弱いけれど好きだ。目の前に酒を置いて順番が来るまで我慢するのは拷問みたいなものだ。こんな場合に限るけれど、酒を取るか歌を取るかと言えば酒をとる。次は音程かなとか、更に難しいことに取り組もうとしている矢先に、まったく困った酒だ。

音程より、更に難しいのが発音なのに、愚かな私はワザワザ英語で歌いたがる。完全な日本語脳の持ち主なので発音は手に負えない程むずかしい。音程以上の難問である。纏めると洋カラは出来ないことの塊だ。不可能への挑戦と言いたいのはやまやまだが、私にとっては途方もない時間つぶしである。負け惜しみじゃないけれど健康には良いんだよ。お陰様で悩み無し!

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2018年12月22日

霧笛が俺を呼んでいる

カラオケ会で「霧笛が俺を呼んでいる」を歌った。解説とか話したいことは山ほどあるけれど、音痴は音楽を語れない。日本語が読めない外国人が、源氏物語を語るような感じかな。それとも幼児が哲学を語る感じかも知れない。当事者の私にはサッパリ分からない。と言うことで書いている。

話すと書くとでは大違い。口で語られれば嫌でも聞こえる。書いたものは嫌なら読まなくてすむ。選択権は完全に受け手にある。そんなつもりで書いているが、幾らかの人が読んでくれるから有難い。お陰でモチベーションを維持できる。

下手な洋楽を歌いたがるのは洋画が好きだったから。昔「第三の男」と言う英国映画を観た。10年くらい後に、それを真似したような邦画が上映された。「霧笛が俺を呼んでいる」である。最初は何じゃこれと思い。次第に「第三の男」のパクリじゃないかと感じてきた。最後には凄く面白い、または観たいと思った。 以下、「第三」と「霧笛」に短縮する。

「第三」のホリー(ジョゼフ・コットン )は売れない作家、「霧笛」の杉(赤木圭一郎)は航海士との違いはある。ホリーも杉も久しぶりに友人に会いに行こうとすると死んでいる。いずれも謎の死である。二本の映画は、このような滅多にない状況で始まる。

第三のホリーの旧友、ハリー(オーソン・ウェルズ)は粗悪ペニシリンの売り捌きで儲けているが自動車事故で死亡。杉の旧友、浜崎 (葉山良二)は麻薬の売人だが自殺した。両方とも、かっての親友が悪の道に染まり謎の死を遂げるという筋書きだ。しかし、事実は両人とも当局の追及を逃れるため死んだふりしていたと言うのだ。違う映画なのに全く同じ筋書きとはやりすぎだ。

死んだふりの悪玉にも、それぞれに恋人がいる。ギャングは何故か女にもてる。ハリーの恋人は芯の強いアンナ(アリダ・ヴァリ)、そして浜崎の恋人は優しい美也子(芦川いづみ)。ホリーはアンナに、杉は美也子に出会い、恋心を抱くところまで一緒である。霧笛はまるで第三のコピーみたいだ。

ハリーの所属する粗悪ペニシリン販売組織は英軍憲兵のキャロウェイ少佐(トレヴァー・ハワード)が追及し、浜崎の所属する麻薬組織の捜査は森本刑事(西村晃)の担当。「ホリー、アンナ、キャロウェイ」「杉、美也子、森本」の二つのグループが真相究明に当たるところまで、二本の映画はそっくりだ。そこまでやっていいのなら、私にも誰かの真似して書きたいものがある。それは「臼淵磐物語」、知る人ぞ知る人物である。

他にも似たところはいろいろある。二本の映画はそっくりだが、観た印象はまるで違う。骨だけ同じで外見が全く違う二人の人間を並べたようなものだ。だから映画は面白い。ところで芦川いづみと吉永小百合は、特に光っていた。このような美しい女性が綺麗な言葉で語るシーンはもう観られないかも知れない。

映画「霧笛が俺を呼んでいる」を観たのは二十歳頃だ。何をやっても上手く行かず職を転々としていた時期である。気分転換には日活の無国籍アクションが一番だった。

書くために二本の映画をレンタルビデオで改めて鑑賞し、そしてカラオケ会で歌った。思い出のシーンをバックに歌うのも楽しい。若者の私がそのまま化石となって歌った。音痴も年も忘れて3分間の夢を楽しむ。それを許してもらえることが嬉しい。

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2018年06月09日

トム・ドゥーリー

英語の歌詞を理解することは、私にとっては難しい。歌う曲は意味が分かった方が気分がいいので、勉強して分かるようにする。しばらくすると忘れるけどね。

勉強と言っても歌詞の意味とその背景を知りたいだけのこと。「トム・ドゥーリー」では次のフレーズが繰り返し歌われる。Hang down your head, Tom Dooley Hang down your head and cry 何となく哀れな感じだ。

訳詞を読むと、トムは縛り首にされて明日は死ぬ身と書いてある。ある女性を殺した罪で刑が執行されるのだ。歌詞が美しいメロディーに乗せられて淡々と流れる。トムは元南軍の兵士だが、その女性の他にも恋人がいた。

トムは犯行を否定したものの「自分は罰を受けるに値する」と吐露した。これが1886年に起きた殺人事件の顛末である。多くの謎を残したまま忘れ去られそうになったが、曲のヒットでよみがえる。真犯人はトムのもう一人の恋人という説も何となく肯ける。二人の女性を愛してしまったトムは、この世では生きて行けない。歌は天国へ旅立つトムへのレクイエムのような気がする。

ところで、私が歌うカラオケ環境では「トム・ドゥーリー」の歌手名はStandardsとなっていた。そして冒頭のセリフもなく、曲も歌い易いようにまとめられていた。

何ヶ月かして又、歌おうとしたらモニターに従来のStandardsの他に、歌手名がキングストン・トリオの「トム・ドゥーリー」が追加されていた。思い切って歌ってみると歌詞が少し違っていた。私は変化に対応できない人なので恥ずかしながら中途で断念した。

好きな曲なので何時か歌ってみたい。普通の人には簡単なことでも、オンチでノロマの私にとっては難しい。少々時間が必要だ。何も知らないのに又書いてしまった。何でも書き放題のマイブログにね。書くの大好き ハイ(^-^)/

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2017年05月05日

QK牧場の決闘、16トン、悲しき雨音

2017年05月05日 音痴の名曲迷解説 
SSNカラオケクラブの洋楽カラオケがスタートして1年半たった。最近参加する方々は凄く上手い。早く入っていて好かった。歌の方は相変わらずだが場慣れしたのが何よりだ。それに音痴は治らないけれど繰り返せば口は動くようになる。ささやかな一歩に過ぎないが、私の心の中では月面着陸の第一歩くらいに増幅される。

テレビで歌が上手いと言われている犬が歌っていた。ただウォーとかアォーとか長々と唸っているだけだ。それでも犬は得意顔だ。私も歌っているつもりだが、歌には聞こえないかも知れない。犬のふり見て我がふり直すべきとは思う。しかし、心とは裏腹に歌の解説を書きたくなってしまった。我ながら困った人だ。

QK牧場の決闘
好きな西部劇の主題歌を歌ってみたかった。それは「OK牧場の決闘」Gunfight at the o.k. corral である。しかし難しかった。楽譜が読めないのでCDでフランキー・レーンが歌っているのを聴いて真似しているつもり。真似できるはずがないのにそうしている。他に歌を覚える手段がないから仕方がない。
<思わず気分が出てしまうフレーズ>
Duty calls. My backs against the wall.
格好いいなぁと思う。歌っていると芝居をしているみたいな気分になる。実際には追いつめられる様な状況には陥りたくない。私の本音を言えば義務を負いたくないしドキドキもしたくない。ただノンビリ寝ていたい。

16トン
「16トン」Sixteen tonsは英語の意味が分からない部分もあるが調子がいいから好きなのだ。アメリカの炭坑節かな? 毎日16トン積み込んで何になる。何年やっても借金がかさむばかりだと歌う。やるせないねぇ。数え切れないほど繰り返し口は動くようになったが、なかなか歌にはならない。難しいものだ。まったくやりきれないよ。
<しびれるフレーズ >
If you see me comin', better step aside.
テネシー・アーニー・フォードはここだけ特に小声で歌っている。何となく凄みを感じる。私を見かけた人たちがサーっと道を開けたとしたら、さぞかし気分がいいことだろう。まるで西部劇のワンシーンのようだ。
A lotta men didn't, a lotta men died.
(lottaはlot ofの短縮形)
と続くのだ。凄いなあ。しかし一つ一つの状況は分からない。”知らぬが仏”は英語で”What you don't know never hurts you.”だそうだ。私を傷つけないことだけ分かればそれで充分だ。

悲しき雨音
30年以上前、プランタン・デパートがあった頃の新札幌を歩いている時、ドラムの音で足を止めた。青空の下で演奏されていたのが「悲しき雨音」Rhythm of the rainであることを後で知った。その時は軽快なリズムを刻むその曲が悲しい失恋の歌とは知らなかった。
<可哀そうと思ったフレーズ>
The only girl care about has gone away.
これなら私でも気持ちが分かる。ああ可哀想。
Looking for a brand-new start.
新しい人生を求めてか、いい気なもんだね。人の気も知らないで。男はつらいよ。

「その他に、どうにか口が回って歌えるものが30曲になりました」
「ホントか?」
「凄いでしょう」
「反応は?」
「笑ってくれますよ」
「ユーモアで笑いを誘う歌もいいもんだ」
「真剣に生真面目に歌ってますよ」
「なんだそれ?」
「テレビの犬だって真剣に歌っていました。決して笑ったりしません」
「感動したか?」
「ぜんぜん」
「なにも犬まで持ち出して言い訳することないだろう」
「と申しますと?」
「要するにアンタはドキドキしないで傷つかなけりゃ好いんだろう」
「そうですが、それで?」
「家で寝てればいいじゃないか」
「ダメです。筋肉が萎縮して寝たきりになり来年のサクラも見れなくなります」

(「空白の22年間」より転載)
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2015年12月26日

俺はお前に弱いんだ

「オレオレ」と言われて何故か嬉しかった。私は居るのか居ないのか分からない人。ハナちゃん、タロちゃんの世界でも私だけは中波さんと呼ばれ他人行儀だ。何となく寂しい状況が見えて来ると思う。多分面白味がないから親しめないのだろう。

ところで、なぜオレオレかと言うと、カラオケで偶然「俺は待ってるぜ」と「霧笛が俺を読んでいる」を歌ったら”オレオレちゃん”と声がかかったからだ。寂しさを胸に抱いていた私は嬉しくなり、つい調子に乗って「俺は寂しいんだ」もやってしまった。しかし、ここまではイントロの部分、本当に歌いたいのは「俺はお前に弱いんだ」。いつの日かカラオケ会で歌ってみたいと思っている。

「なんでシニアネットのカラオケ会なんだ」
「そこが私にとって最高の舞台だからです」
「他にも行っているのか?」
「はい、4人でね。そこでは私が一番若いのです」
「なんだ、年寄ばかりか」
「そうなんですよ。自然減が寂しいですね」
「しぜんげん?」
「はい、最近お亡くなりになった方も居られます」

ともかくカラオケ会で「俺はお前に弱いんだ」を歌い、あの名セリフを言ってみたいのだ。
「しょうがない娘だな甘えてばかりいて…」
とかね。この考えを先輩に話すと、
「いいじゃないか。ちょっとふざけて言えば笑いが取れるかも」
「このセリフは心を込めて語りたいのです。愛しているから不幸にしたくない。こんな想いを表現できればと思っています」

歌が下手だから笑って楽しんでもらおうと言う発想は先輩も私も同じだが、アプローチの仕方がぜんぜん違う。それに私は大勢の前でふざけたり出来ない性格だ。例えば、映画「男はつらいよ」の寅さんは大真面目で恋を語り愛を語ったり、似合わないことばかりして観客の笑いを誘っている。私の狙いはそこにある。

自慢じゃないが寅さんよりモットモットみったくない。その私が格好つけて、「しょうがない娘だな甘えてばかりいて…」とか、キザなセリフを言えば、それだけで笑いの渦が巻き起こり、場が盛り上がるのではないか。

「それで…、実行したのか?」
「慎重かつ前向きに検討しているところです。笑いを取るのは簡単ではありません」
「まだやってないんだな。そりゃ良かった」
「はい、頑張ります」
「ダメダメ止めときな」
と、先輩は私の名案にいつも水を差す。
「はぁ? なんでですか」
「シーンと静まり返ったらどうするんだ」

笑いの嵐でも感動による静粛でも、どちらでも良いではないか。肝心なのは感動を与えることである。仮に心から感動して胸をときめかせた方が居たとしても、私はそれでいいと思う。笑い・泣き・胸をときめかせてこその人生ではないか。

「ところで、自分より下手な歌を聴いたことあるのか?」
「全然ありません! みんな凄く上手いのですよ」
「それが何を意味するか良く考えるんだな」

良く考えたら分かった。何ということもない。私が一番下手なのだ。しかし分かるまでの道のりは長かった。自分が経験しないことを、頭だけで理解することは難しい。
「分かりました。何もセリフなんかで工夫する必要はないですね。今のままでもかなり可笑しいのに誰も笑いません」
「そこが肝心だ。寒気がして笑えないんだよ」

下手な歌を聴かされるのは辛いことらしい。爺さんが幼児のように真剣に歌っている姿が目に浮んだ。聞いている方は笑うどころか、恥ずかしくて凍り付くかも知れない。「俺はお前に弱いんだ」のセリフなどを入れたら、我慢の限界を超えて爆発するかも知れない。おお怖い。怖い怖い。
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