2020年01月25日

羽田発7時50分 そして北へ!

意外にもこの歌は10代の女性に人気があるらしい。カラオケに詳しいAさんの情報によると、フランク永井の歌う「羽田発7時50分」をよく歌う人は60歳以上の高齢者。およそ70%はそうだが、細かく分けて女性だけに限ると20%が10代と言う。意外な結果に喜んだりビックリしたりした。ご自身が生まれた半世紀以上も前の歌が好きとは。まさに名曲扱いである。

ひょっとしてお爺ちゃん対策かもしれない。気分をよくさせてお年玉の増額を狙うとか。しかし、それだったら他にもっと簡単な方法がある筈だ。陳腐な例で恐縮だが肩を叩くとか揉むとかね。殆ど聴いたことのない歌を覚えるのは大変なことだ。好きでなければ出来ないことである。

そう思うのは私が音痴だからだろう。普通は2,3回聞けば覚えるそうだ。私の百分の1、か千分の1程度の労力で歌えるようになるらしい。普通の子供にとっては案外簡単なのかも知れない。いずれにしろ私の知らない世界のことである。

ところで羽田はとても懐かしい。中卒以来8年間も職を転々として漸く就いた定職だから思い入れも人一倍だ。そこには懐かしい思い出がある。航空管制官になるために運輸省航空保安職員訓練所に入所した。先ず、新規採用者の氏名を呼ばれたが、私は最後に呼ばれた。多分、採用したい順だと思う。それでも何とか採用されたのは運がついていたからだ。

研修が終わり終了式のときは、トップで呼ばれた。多分成績順と思う。私は暗記が得意だが、仕事やゲームや運動で大切な頭の回転が人並み外れて悪い。迅速確実に実行しなければならない仕事には向いていないノロマでなのだ。

コンピュータに例えると、演算機能が極めて悪く記憶機能だけの頭なのだ。だから、覚えるのも遅いし忘れるのも遅い。職を転々とした私は自分の弱点をよく知っている。下積みの仕事の訓練とはマニュアルを暗記すること。だから私は訓練中は出来る人だが、現場に行くと途端に出来ない人になってしまうのだ。

訓練所の寮には羽田の管制官も入っている。お風呂では一緒になるが、仲間同士で「出来ないヤツが来たら追い出してやる。訓練所の成績がよくても駄目なヤツが多いんだよ」とか、大声で話している。まるで自分が言われているような気がした。自信のない人は来ない方が良いと知らせてくれたのかも知れない。

この一言で目が覚めた。羽田とか忙しい空港には絶対に行ってはならないと考えた。やっとありついた定職だから定年まで勤めたい。どこの空港が一番私に優しいか調べたら、結論として新設して間もない帯広空港がいいと考えた。そして北へ!
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2020年01月11日

啄木と「錆びたナイフ」

音痴だから音楽については語らない。毎回カラオケ会に出ている人が、音楽について語れば上手い人と思われるだろう。そして私の歌を聴きたくてカラオケ会に来るかもしれない。それが恐ろしいから語れない。黙っていて腹に溜まった、ホンの一部をここに書き出している。こっそりと屁をするようにねヾ(^-^;) ゴメン

音痴のオッサンが「錆びたナイフ」を歌うシーンが一種のギャグになっている時代があった。オッサンが抑揚のないのっぺりした感じで歌うのが何となく可笑しいので笑ってしまった。考えてみればよそ事ではない、そのオッサンの30年後の姿こそ私なのだ。「錆びたナイフ」は易しいようで難しい歌だ。

この歌は意外に奥が深いから大好きだ。第一に映画が好かった。若さ溢れる石原裕次郎と小林旭の共演。しかも原作は兄の石原慎太郎が、裕次郎の主演を前提に書いたものである。従って裕次郎の魅力がたっぷり味わえる映画になっている。

おまけに、裕次郎が歌った主題歌「錆びたナイフ」(作詞:萩原四朗、作曲:上原賢六)は、184万枚を売り上げる大ヒットとなってしまった。しかも歌詞は意外なことに、石川啄木の短歌を再構成したものと言われている。

ここにホンの一部分を紹介。
石原裕次郎「錆びたナイフ」では、
砂山の 砂を 指で掘ってたら まっかに錆びた 
ジャックナイフが 出て来たよ
となっている。

一方、石川啄木の「一握の砂」では、
いたく錆びし ピストル出でぬ 砂山の 砂を指もて 掘りてありしに
と歌っている。

これに続く十首の短歌が一連のドラマを構成している。作詞者が錆びたピストルを、錆びたナイフと言い換えたそうだ。

今考えると錆びたピストルはリアリティ欠けるかも知れないが、明治時代は現代ほど銃の管理が厳しいとも思えない。終戦直後も警察の目が届かない感じがあった。私も見知らぬ男に、珍しいものを見せてやると言われて、拳銃を見せられた記憶がある。念のため申し添えるが、その時代に精巧なモデルガンなどない。

B級映画と思われがちな日活無国籍アクションだが、「錆びたナイフ」はとても好かったし。歌詞も石川啄木の影響を受けてると知って興味津々、その主題歌をますます好きになってしまった。
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2019年12月28日

ダイナマイトが150トン

小心者の私にとっては、意地と度胸の世界は夢。せめて3分間だけ現実を忘れたい。「ダイナマイトが150トン」の柄ではないが、歌えば楽しい。独りよがりで申し訳ないヾ(^-^;) ゴメン

12月18日はシニアネット・カラオケクラブの忘年会、いつもと違って酒が出た。その勢いで歌った。ダイナマイトがヨ〜、ダイナマイトが150トン、チクショウ、恥なんて、ぶっ飛ばせ!

1958年11月にダイナマイトが150トンが発表。それから20年以上たった1981年、甲斐バンドで歌われた。歌詞の一部は著作者の承諾を得て、ロックミュージシャン:甲斐よしひろにより改変。更に10年後、THE BLUE HARTSの真島昌利がカバーした。

小林旭:異色のロックは、今なお若い世代に受け継げられている。浮き沈みはあるが半世紀も人気を保っている。名曲中の迷曲なのに、なぜかカラオケクラブでは歌われてない。私の夢はカラオケクラブ全員で声をそろえて歌うこと。50歳は若返る!?

ダイナマイトの3番は次のように勇ましい。
命もかけりゃ 意地も張る 男と男の約束だ いくぜ兄弟 カンシャク玉だ ダイナマイトがヨー ダイナマイトが150トン…… …… 
  
ところで、ダイナマイト発売の2年前にアメリカで「16トン」が大ヒットした。この曲から着想を得てダイナマイトがが作詞されたと言われている。二つの曲に共通しているのは、虐げられた者の意地と度胸と思う。一寸の虫にも五分の魂。

If you see me comin', better step aside
A lotta men didn't, a lotta men died
One fist of iron, the other of steel
If the right one don't a-get you, then the left one will

英語はほとんど分からないが、次ような意味と思っている。「俺が行くのを見たら道を開けた方がいい。そうしない多くの奴が死んだ。片方の拳は鉄、もう一つは鋼のように出来ている。右手でダメなら左手でヤル」。こんな感じでいいのだろうか?

大好きなダイナマイトだが、違和感をもっている部分もある。カックン、ショックだダムの月、意味が分からないので文中では …… …… とした。ネットで調べると「特に意味はない」そうだ。「見当識障害」とか分からない言葉も出てきて益々分からなくなった。

後になって、甲斐よしひろ氏もカックン、ショックだダムの月の部分を改変していることを知った。私も彼と同じくらい若い感性を持っているのかも知れない。来年は80歳になるのに自惚れが強くて困る。だけど放っておいても大丈夫。お仕舞は近いから。

ダイナマイトが150トン 作詞:関沢新一
16トン 作詞作曲:マール・ロバート・トラヴィス
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2019年12月14日

「学生時代」の思い出

子供のころは献金用に十円玉を握ってキリスト教会に行った。そして、祈りを捧げ讃美歌を歌った。兄が信者だったせいだと思う。教会の人は親切だし居心地が良かった。信者でもないのに17歳くらいまでは、気が向いたら教会に行ったりしていた。

学生経験のない私には、この歌の歌詞は夢の世界であって現実ではない。恋や愛の歌もそうだが、浮世離れした夢の世界を歌うのは大好きだ。もう一つ「学生時代」が好きな理由は青山学院については思い出がいっぱいあるからだ。

子供時代に住んでいた渋谷区金王町は青山学院城下町と言ってもいいような町だった。終戦後のアオガクは子供の遊び場でもあった。巨大な敷地なので近道として通り抜ける人も多かった。

小学生のころは半ズボンの制服を着たアオガク初等部生徒とよく喧嘩した。中学生になると、カラフルなシャツにジーンズの私服姿で通学する中等部の生徒が格好良すぎて羨んだ。近所は商人と職人ばかりだが、多かれ少なかれアオガク関係の仕事をしていた。小金を持つ商人は子供をアオガクに入れたがっていた。

恥ずかしながら、私が一番好きな歌詞は、ローソの灯に輝く 十字架をみつめて 白い指をくみながら うつむいていた友 その美しい横顔 姉のように慕い いつまでも変らずにと 願った幸せ(作詞:平岡精二)の部分だ。その美しい横顔 姉のように慕いの部分が私が先輩を慕う気持ちに重なる。

先輩と出会ったのは、黒髪豊かな色白の少年のころだった。職場は霞が関ビルにあり、宿舎は皇居近くの竹橋にあった。ルームメイトは6人いたが、仕事は24時間交代制。勤務や外出で居ない人が多く、部屋が狭いとは感じなかった。

外出から帰ると室内は先輩一人だった。無口だが制服姿が凛々しい憧れの先輩だ。「只今帰りました」と挨拶をすると、セーラー服を着た先輩は静かに近づいて来た。そしてオデコにキス。最初はドッキリ、次にジワジワと喜びが込み上げてきた。

あのとき先輩は18歳、海へ! 憧れの艦隊勤務を命ぜられた。私は17歳、東京通信隊で地味な陸上勤務。無口な先輩の別れの挨拶は、私にとっては青春時代の淡い想い出として心に残る。あれから62年たった。
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2019年11月09日

忘れられない「女を忘れろ」

かっての仕事の先輩から「女を忘れろ」は似合わないから歌うなと言われた。冷静に考えると居直るしかない。短足でハゲ、おまけに音痴の老人に似合う曲などあるのだろうか?

仕方がないから、何も考えずに好きな曲を歌うことにしている。「女をわすれろ:作詞:野村俊夫」のどこが好きかと言えば全てだが、あえて言えば歌詞が大好きだ。私の心の故郷である。

ダイス転がせ ドラムを叩け
やけにしんみり する夜だ
思い出すのは若いころ、港町のスタンドバーによく行ったこと。一緒に行くのは一つ年上のMさん。彼はダイスの名人、左手のジッポーのライターで、粋にくわえたピースに火を点ける。そして右手でダイスを振る。その仕草のカッコウいいこと、惚れ惚れする。

忘れろ 忘れろ 鼻で笑ってヨ
あきらめ切るのが 男だろ 
Mさんは「世の中半分は女だ。鼻で笑って諦めろ」と言うけれど、私の周りは男ばかりだ。お店に行かなければ女性と話すことさえ出来ない。デートする相手もいないのだから振られることもない。こんな状態は、男だからこそ諦めきれない!

呑んでくだ巻け グラスを砕け
男ごごろは 馬鹿なもの
歌詞には思い出がいっぱい詰まっている。米兵がバーで大暴れして巻き添えを食って米海軍憲兵に捕まった。米兵は歌詞のように呑んでくだを巻き、グラスを砕いた。

もちろん、それだけじゃない。店中メチャクチャにした。不思議なことに怖くはなかった。何だか映画のワンシーンを見ているような気がした。私も酔っぱらっていたからね。

忘れろ 忘れろ 女なんかはヨ
あの娘にゃあの娘の 恋がある
荒れてみたいぜ 荒れさせろ
米兵は振られて諦めきれないのだろう。一人でフラフラ歩いていたのを同行のMさんが声をかけたのだ。あんなに荒れたの初めて見たし、これからもないだろう。まさに歌詞のとおりだ。彼女には彼女の恋があるんだ。忘れなきゃあダメだよ。そのせいで私とMさんは米兵と一緒に憲兵に捕まった。歌うたびに思いだす。

闇を蹴とばせ 月みてわめけ
どうせあの娘にゃ 判らない
バーで大暴れなんかしないで、誰も居ない原っぱで月を見てわめけばいいのにね。日本人ならそうするよ。だからこの歌は好かれるのだ。アメリカでは絶対にヒットしないと思うよ。

忘れろ 忘れろ 何も言わずにヨ
夜通し歩いて あきらめろ
俺にゃあの娘は 用なしさ
私なら夜通し歩いて諦める。嫌われたのに好きにさせる方法なんか無い。来年で80歳にもなるのに、振ってくれる相手さえ出会ったことがない。淋しい人生だが、ドラマと空想で補ってきた。それでも生きることは素晴らしい。負け惜しみじゃあないよ。ほどほど健康で少しの金があればそれで十分である。
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2019年09月07日

「好きだった」かな?

人は好きだが付き合いは苦手だ。思い返せば歌は人、必ず人との思い出と繋がっている。歌は世につれ世は人につれ。

大勢の少年が大きな部屋に住み込んで働いていた。白鳥春樹君は私と同じ18歳、就職して3年、ようやく遊ぶ余裕が出来た頃だ。プライバシーなど無い。やってることは皆分かる。春樹はダンスばかりしていた。歌って踊るのが大好きだ。彼が大勢の前で一人で歌うときは鶴田浩二の「好きだった」を歌う。

そして、私の顔を正面から見ながら「俺、いい男だろう。鶴田浩二にそっくりだろう」と言う。しかし全然似ていない。どちらかと言うとキリギリスかバッタに似ている。それがダンスホールに行くと、ビシッとお洒落して格好よく踊るから不思議だ。

春樹は朝は歯磨き貸してくれと言い、夕方は靴墨貸してくれと言うが返してくれたことはない。給料は皆同じようなものだが、遊ぶのに遣い過ぎて万年金欠病だ。ある日、「お前をイカス男にしたい。一緒に服を買いに行かないか」と誘われた。

18歳の私は春樹のように格好よくなりたいと思っていたので、渡りに船だ。洋服店でブレザーとズボンを選んでもらい、部屋に帰って着ると春樹は「オ〜!イカスイカス」と言った。

実は二人で部屋を借りていた。売春防止法の影響で廃業した元遊郭なので洒落ていて家賃が安かった。普通の人は敬遠しても私たちは気にしない。職場は間借りを禁止していた。どこを借りようと見つかってはいけない。むしろ隠れ家として最適だ。

新しい服を着て気分良くしていたら、春樹は「何か足りないな〜」と言った、今は秋、私もそんな気がした。春樹が格好良く着こなしている薄いブルーのトレンチコートが目に入った。「気に入ったんなら着ていいよ」と言ってくれた。

それを着て二人で街に行った。踊って飲んで部屋に帰ると。「コート気に入った?」と聞かれた。気に入ってはいたが後になって考えると、私には派手なような気がした。しかし、そのときは春樹のよううに格好よく見えるかなと錯覚していた。

「新しいコート買うから、それで好ければ安く譲ってやるよ」と言われ、喜んで買った。新品の半値くらいと思う。少し得した気分だ。ところが、ある日「デートするので、あのコート貸してくれ」と言われた。あれっ!新しいコート買ってないんだ?

そう言えば、歯磨粉も靴墨も、その他諸々、貸してくれと言われたが、持っていなかったのだろう。服を選んでくれてから、トレンチコートを売るまで、全ては彼が描いたシナリオかな? 疑惑だらけの春樹だが、何故か金魚の糞のように付いて歩いて遊んでいた。遊びたいのに遊べない。昔も今も変わらない。

鶴田浩二の「好きだった」を書くつもりだったが、何故か春樹の話になってしまった。好きだったのか、そうでもなかったのか、よく分からない不思議な人。性格の違いが魅力だったかもしれない。器用に遊べない自分はつまらない人と思っていたからね。

好きだった 作詞:宮川哲夫 作曲:吉田正
唄:鶴田浩二  1956年の発売
好きだった 好きだった
嘘じゃなかった 好きだった
で始まり、
せめて恨まず いておくれ
逢えるあしたは ないけれど
で終わる切ない歌。
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2019年08月31日

勘違いのユード・ビー

音痴だから音楽については語れない。初めて読む方もおられるかも知れないので、繰り返し書いている。とにかく腹の中は音楽のことでいっぱいだ。漏れそうなので書いている。話すのは電車の中で漏らすようなものだが、書くのは太平洋の真ん中で漏らすのと同じ。だから話してはいけない、書くのはかろうじてセーフ。

1943年にコール・ポーターが作詞作曲した名曲、「You’d Be So Nice To Come Home To」はカタカナで書くと長すぎるので、ここではユード・ビーと省略して書くことにした。歌はハスキー・ヴォイスのヘレン・メリルだが、クリフォード・ブラウンのトランペット・ソロも素晴らしい。

ところで、小・中学生の頃は洋画が大好きで、渋谷のテアトルSSに通っていた。古い洋画を40円で観れるのだ。少なくとも百本以上は観た筈だが殆ど覚えていない。しかしユード・ビーのお陰でコール・ポーターの自伝映画「夜も昼も」を思い出した。なぜか戦地でピアノを演奏するシーンが浮かんできた。

真偽のほどは不明だが、映画でのコール・ポーターはフランス外人部隊として参戦したことになっている。これで何とか私の記憶と繋がった。私にとってはユード・ビーも懐メロだが、古い歌は忘れたことを思い出させてくれるので有難い。

ユード・ビーは第二次世界大戦という時代背景を抜きにしては語れない。私が特に好きなのは次のフレーズだ。
Under stars chilled by the winter
Under an August moon burnin'above

このフレーズを聴くたびに、戦場で戦う兵士の姿が目に浮かぶ。寒いだろう、暑いだろう、怖いだろう、故郷に帰りたいだろうとか考えてしまう。ところがこれが大間違い。音痴は歌だけでなく英語へと範囲は限りなく広がっている。

私の考えを確認するために、ネットで検索していたら、ユード・ビーの正確な和訳にたどりついた。以下は、"You'd be so nice to come home to 歌詞 正確な和訳 高知学芸塾"、ジャズの世界へご招待より引用。

『映画の中で男性がこの歌を歌いながら女性を口説いているシーンで使われたのをヘレンメリルが歌ってヒットしたのです。この詩はもとは男が、「君キャワイイねえ!君最高!君は理想の人だ!君は天国だ!」とべた褒めしている歌なんです』。女性を口説いている歌とは知らなかった。愚かにも勘違いして感動!

興味がございましたら、"You'd be so nice to come home to 歌詞 正確な和訳 高知学芸塾"で検索して、参照元にアクセスしてみてください。私には難しかった。

   <<お知らせ>>
道新「さっぽろ10区」に「中島公園便り」執筆
管理人は北海道新聞「さっぽろ10区(トーク)」に連載される、
「中島公園便り」を担当することになりました。
「さっぽろ10区」は毎週火・金に配達されます。
1ヶ月半に一度、1年で8回書く予定です。
初回掲載は9月3日(火)です。是非お読み下さい。sinnbunnmei2.jpg

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2019年08月24日

「悲しき雨音」に再会

私は音痴だから歌とか音楽そのものついては語れない。ただ、歌にまつわるいろいろな思い出がある。例えば、「あじさいの雨」を歌えば、大昔、こいさんと呼ばれた年上のAさんを思い出す。同じように「くちなしの花」なら"遺稿くちなしの花"の宅島徳光海軍中尉を思い出す。私にとって歌は思い出、懐メロが全てだ。

ザ・カスケーズの「悲しき雨音」を聴けば思い出すのはプランタンデパートである。プランタンは1980年代に副都心を目指す新さっぽろに華やかにオープンした。その近くを歩いていると、アップテンポな素晴らしい音楽が聞こえて来た。その頃私は40歳を過ぎた中年だったが、若者向きの曲が好きだった。

「悲しき雨音」が発売された頃、私は22歳だがタイトルもザ・カスケーズも知らなかった。流行った曲なのでメロディーは、どかかで耳に入っていたのだと思う。青空の下でのコンボバンドの演奏が凄く素晴らしく感じた。その曲のタイトルを知りたくなったが、そのことは直ぐに忘れてしまった。

それから35年後に後期高齢者になった。所属のシニア団体に洋楽のカラオケ会ができた。何も歌えないのに参加したくなった。ともかく歌える歌が無いのでCDやネットで探していたら、プランタンの前で聞いた、あのメロディーに出会った。そして、青空の下で聞いた素晴らしい曲が「悲しき雨音」とのタイトルであることを初めて知ったのだ。青空の様な明るい歌と思っていたが雨だった。

洋楽を歌うのは初めて、しかも音痴で英語も苦手、音感が鈍いから発音も悪い。なんとか私でも歌えそうな易しい曲はないかと、一生懸命探したが見つからなかった。それなら好きな曲でも歌うかと思い、「悲しき雨音」がその一つとなった。その他「ローハイド」「16トン」「ロック・アラウンド・ザ・クロック」。並べてみると自分でも変だと思う、似合わない曲ばかりだ。

私は「心身異質障害者」、性同一性障害と同様に世間では理解されにくい。ハゲの短足老人という外見なのに、心の中はロマンチックな想いで溢れている。歌えば本人は幸せでも周囲を不快にする困り者。しかし、不治の病なので治せない。結局、周りに慣れてもらうのが唯一の解決策である。こんな調子では知らぬ場所では歌えないので、慣れた場所で歌わせてもらっている。

私にとって「悲しき雨音」は珍しい歌。チョコっと聞いてタイトルも分からないのに好きになった。街中で出会って一目惚れ、それから35年もたって曲名を知った。長い間の潜在的願いが突然叶ったのである。ところで"心身異質障害"とは、自分を正当化するための造語だからGoogleで検索すると次のように表示される。
"心身異質障害"との一致はありません。
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2019年08月10日

誰か「波止場のママ」を知らないか

1958年、私が18歳のとき、音痴は大したことではなかった。カラオケがないから、庶民は自分流で勝手に歌うことが許されていた。よく友人同士で気晴らしに歌った。上手な人は感心されるが、下手でも気にすることもなく一緒に楽しんだ。それぞれが勝手に歌って何の問題もなかった。楽しかったなぁ。

私たち10代の有職少年は、自由時間に友達同士で同じ歌を歌って楽しんだ。その時の一番人気は「波止場のママ」、”こんな酒場の片隅で♪”で始まる曲だった。少年たちの憧れは外国に繋がる海、そして波止場のママ、そんな時代があったのだ。

職場は男ばかりで女性との接点は食堂とか売店でしかない。とても愛想の好い売店の少女をデートに誘ったら断られた。こんな状況では女性と話したければ酒場に行くしかない。そこには「男でしょ貴方は海の男でしょ」と励ましてくれるママが居る。酒場では海の男の気分になって、景気よく飲んで売店の少女を忘れた。懐は寒くなったけれど、酔って心は温かくなる。

次に洗濯屋の少女に思いを寄せたが振り向いてもくれなかった。こんな時は酒場のママに会いたくなる。「うぶなのね貴方はわりとうぶなのね」と、優しい言葉をかけてくれる。そして雪国と言う素敵なカクテルを作るから飲んで忘れなさいと言ってくれた。カクテルは高かった、何時も飲んでいるトリスの十倍もした。

退屈したのでママの顔を見に行った。今度は振られた話はしない。ジッとママの顔を見つめていたら、ママはつぶやいた「つもる苦労を白粉に 隠す私じゃもう駄目ね」。海の男の気分でママを励ました。「生きなくちゃ貴方は強く生きなくちゃ」。

その夜、ママは珍しく酔っていいた。「アタシのどこが嫌なんだ。生きようと死のうとアタシの勝手だ」とか何回も同じことを言っては絡んできた。酔っていても勘定は正確、トリスのストレート、シングル1杯とハイボール2杯で340円。今までで一番安かった。

波止場のママ 唄:鶴美幸 作詞:森くにのり 作曲:下川博省 
1957年4月発売
1. こんな酒場の片隅で 寝てるふりして泣くなんて 男でしょ貴方は海の男でしょ 浮気な女の名なりとも波止場のママに聞かせてね
2. 捨てて気取ったその手紙 しわを伸ばしてどうするの うぶなのね貴方はわりとうぶなのね 昔の誰かを見るようで 波止場のママも泣けてきた
3. つもる苦労を白粉に 隠す私じゃもう駄目ね 生きなくちゃ貴方は強く生きなくちゃ 呑むのはいいけどぐれるのが 波止場のママはこわいのよ

どこのカラオケ店にもない。探し探し続けても未だに見つからない「波止場のママ」。誰か波止場のママを知らないか。
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2019年07月27日

懐メロ:ライフルと愛馬

ハイヌーンは「真昼の決闘」、ローハイドは「ローハイド」、それぞれ歌を聴けば映画のタイトルが分かる。しかし「ライフルと愛馬」を聴いてもバンバン撃ちまくる西部劇「リオ・ブラボー」を連想できない。この歌からは恋人を思いながらライフルと馬だけを頼りに、夕暮れの荒野を行くカウボーイの姿が見えるだけである。

60年も前のことだが「リオ・ブラボー」を観に行った。しかし、内容は全く覚えていない。もちろん「ライフルと愛馬」が歌われたことも忘れた。と言うか、最初から頭に入っていなかったのである。

切符売りの少女に観賞を妨げられたのだ。「リオ・ブラボー」が封切になったころは、家業の手伝いをしていたが、仕事がなくて列車の清掃に行ったりしていた。それも時々だから懐は寒い。その日はポケットに百円玉と50円玉を一つずつ持って家をでた。

薄汚れたジャンパーに作業ズボンと言う、貧乏丸出しの格好で渋谷駅近くの映画館に行った。百円の入場料を払って観客席に向かって歩いていたら、後ろから走ってくる気配を感じた。まさか私を追って来たとは思わない。映画は始まっているので自然に足早となる。ところが突然腕をとられた。切符売りの少女が料金不足の容疑で私を捕まえに来たのである。

突然のことでビックリした。少女は「50円しか払わなかったでしょ」と、血相変えて腕を取って離さない。驚きながらも、そうかな〜と思いながら確認のためポケットに手を入れて硬貨を出して見た。50円だから、百円払ったことに間違いない。

そのことを言う間もなく、少女は私の手から50円玉を取り上げた。余りにも手早かったので驚いた。呆気に取られているうちに去って行った。まるで強盗に遭ったような気分だ。先手必勝、理不尽にも私は「50円誤魔化し少年」になってしまった。

映画館の少女に、その日の全財産を取られた。悔しくてたまらない。せっかく楽しみにしていたリオ・ブラボーだが、椅子に座って悔しがっていただけだ。事件は私が50円取られた時点で終わっている。何も言えない状態に陥ったことに気づいた。

そんな古いことをよく覚えていると呆れているかもしれない。思い出すには訳がある。洋楽カラオケ会に参加したものの歌える曲がない。「ライフルと愛馬」を聞いたとき、これならユックリしていて歌えるかも知れないと思った。こんなことっが切っ掛けで、この歌が「リオ・ブラボー」の中で歌われていることを知ったのである。

タイトルだけしか記憶にない映画を今になって観たくなった。さっそくビデオレンタルで借りた。映画の中で印象的なシーンはディーン・マーチンが「ライフルと愛馬」を寝転んで歌う姿。そしてリッキー・ネルソンの軽やかな「お帰りシンディ」へと続く。

音痴だから真の歌好きにはなれないのかも知れない。そのせいか懐メロが大好きだ。歌っていると歌にまつわる色々なことを思い出す。不幸な出来事もあるが、決して嫌ではない。すべてが懐かしい。懐かしさでメロメロになるから懐メロと言うのかな。
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