2019年03月23日

君はわが運命(You Are My Destiny)

ポール・アンカの「君はわが運命」は易しそうと思っていたが、歌ってみると難しかった。実は私って本当は凄いんだ。多くの成功体験を持っている。ただの音痴じゃないんだよ。

禁を破って自分の歌に関して初めて書いてみた。タイトルは「音痴のカラオケ」、そもそも書き手は音楽について書く資格がない。それなのに書く。自己評価はどうしても甘くなる。

先日、カラオケ会で「君はわが運命」を歌ったが、おおむね良好、苦手なサビの部分も無難にこなす。ところが、終わりのア〜〜〜と言う高い声を出すところで躓き、思わすエッヘヘ〜〜とか笑ってしまった。どんな状況でも笑うことは楽しい。

ところで、カラオケ画面では歌詞の文字色が歌の進行に応じて変化する。それで色の変化について行くことが最初の目標となった。日本語だと比較的早く慣れることが出来るが英語だと難しい。発音が苦手で口が回らないから特に難しく感じた。

苦節三年、ようやく色の変化に応じて歌える様になった。次の課題は音程である。練習方法はいろいろあるらしいが、私が得た情報の中で一番簡単そうなのは、自分の歌を録音して聴くこと。本当はこれだけはやりたくなかったけれど、仕方がなかった。

現実を知れば、人前で歌う気がしなくなるので自分の歌だけは聞かない方がいいと思っていた。しかしカラオケ会に入って3年たったから、如何に自分が下手かを再確認しても止める心配はなくなった。それで嫌々ながらだが、やってみることにした。

聴いてみて驚いた。ここまで下手とは知らなかった。オマケに声が悪いのだ。我々音痴を慰める言葉として「楽しければいいじゃない」と「いい声しているよ」と言うのがある。人の優しさには感謝するが、愚かな私はそのまま信じていたのだ。長いことね。

ともかく、これからは音程に気をつけたい。何かを変えれば何かが変になるけれど、それは気にしないことにする。自分の歌を聴いて分かったけれど、元々変だから今更気にしても仕方がない。分かっただけでも収穫だ。耳は口ほど悪くはなかった。

来年80歳になる私は、書くことと歌うことは健康維持の二本の柱、決して疎かにはできない。音痴でも歌い、駄文でも書く、与えられた場所でも花を咲かすことは出来ないが、楽しむことは出来る。健康であれば気の持ちようは、好きなようにコントロール出来る。これが唯一の得意技。
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2019年03月16日

ジャニー・ギター(大砂塵)

「あの歌この歌」とか書いているが音痴だから無理だ。代りに好きな歌にまつわる思い出や映画などを書いている。自分のブログだから書き放題だがリスクもある。それは誰にも読まれないこと。危なくはないけれど、けっこう虚しいし寂しい。

映画を観て主題歌が好きになることが多いのだが、ペギー・リーの「ジャニー・ギター」の場合は逆だった。歌が好きなので映画を観たくなったのだ。原題は「ジャニー・ギター」だが内容が分かり難いと考えたのか、日本ではタイトルを「大砂塵」とした。この映画は1954年に公開されたが、当時は西部劇が大好きだったのに、なぜか観た記憶がない。

好きな歌が大砂塵の主題歌であることを知った時、ビデオレンタルに行ったが無かった。それが最近になって2回もテレビで放映された。両方観たが極めてユニークな映画だ。こんな西部劇は観たことない! これからもないだろう。

先ず、ネーミングが笑っちゃう。ジャニー・ギターとダンシング・キッドとはね。ギター弾きのジャニーがギターを背負った馬上姿はいいとしても、ダンシング・キッドって何だろう? 

ビリー・ザ・キッドは西部開拓時代の強盗、「駅馬車」のリンゴ・キッドは無法者。そして、この映画のダンシング・キッドは銀行強盗にしろ駅馬車強盗にしろダンスのイメージが湧いてこない。真面目なのかふざけているのかサッパリ分からない。

若い時、日本でも流行っていたペギー・リーの「ジャニー・ギター」が好きだった。彼女はソフト・アンド・クールな歌声で知られていた。「ゴールデン・イヤリングス」も好きだが、残念ながらカラオケ店にはなさそうだ。

「大砂塵」の音楽は洋画ファンなら誰もが知っているヴィクター・ヤングが担当。なんと「ジャニー・ギター」の作詞者はペギー・リーその人である。そんな訳で少年時代に観そこなった「大砂塵」をぜひ観たいと願っていたら、テレビが叶えてくれた。

ユニークその2は、決闘をする主役のガンファイターが二人とも女性であること。酒場の女主人ヴィエンナ(ジョーン・クロフォード)と駅馬車襲撃で殺された犠牲者の娘エマである。

逃げるウエディングドレスのような白い衣装のヴィエンナと、馬で追う黒ずくめのエマ&喪服集団が思いもよらぬ異様なシーンを展開している。この映画の男は添え物に過ぎないから名前もギターとダンスで好かったのかも知れない。

「大砂塵」はヴィクター・ヤングの音楽で始まり、ペギー・リーの歌で終わる異色の西部劇。美しいメロディーと女の闘いとのギャップが異様で興味深い。この時代の西部劇としては珍しく善玉と悪玉の区別がハッキリしない。マッカーシズムによる赤狩り旋風を暗に揶揄する内容との説もある。

小林旭の「渡り鳥シリーズ」も、この映画を引き継いだような感じがする。「小林旭 ジャニー・ギター」で検索するといろいろ出てきて面白い。やはりペギー・リーの歌が一番いいと思う。私も歌いたいのだが、音痴としては遠慮したい気分もある。少人数でやる友達同士のカラオケではコソコソ歌っているけどね(笑)。

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2019年03月09日

A子さんの思い出(越後獅子の唄)

歌はいろいろなことを思い出させてくれる。歌から連想されることも多い。前回のブログで、6畳一間に6人家族と言う超過密状態の我が家にA子さんが転がり込んだこと、そして三人で寝たことを書いた。それがA子さんと恋人、そして私と誤解を与えたような気がして気がかりだ。補足説明をしたいと思う。

結婚を反対されて家を出たが、恋人の学生さんは友人の部屋に身を寄せ、A子さんは親戚である我が家に来た。清い交際であることを御両親に知ってもらう為と思う。

話は戻るが、学生さんは書生としてA家に同居していた。A子さんの父親は強面の請負師だが、彼女も気の強い点では負けてはいない。父親に抗議して学生と一緒に家を出てしまった。

一方、我が家は一つの布団に二人ずつ寝ているのに三人目が来てしまったので大変だった。A子さんは学生の援助もするので昼も夜も働いて、帰って来るのは夜中だ。学生は書生の職を失ったが、彼女は彼が勉学に専念することを望んだ。

初めは夜中に帰ったら最短距離で寝れるように玄関に近い次兄側に寝た。狭くて足の踏み場もないからね。その頃、次兄は既に中学生、穏やかな気持ちではなかった思う。一つの布団に三人だからピッタリくっつかないと寝れないのだ。

結局、A子さんは私の横に移った。幼い子供と思い込んでるようだが、一緒に映画を観たときから2年もたっている。私だって意識する。しかし犬を腕力で引き離した一件を見て彼女の怖さを知っていた。自分を抑えることが出来たのは恐怖心からだと思う。

A子さんは私の横で寝たことは覚えていないと思う。あれから67年たっているのに私は覚えている。「越後獅子の歌」のせいだ。聴いたり歌ったりするごとに思い出す。彼女にとっては迷惑な歌だが、私にとっては懐かしい歌である。

音痴だから新しく歌を覚えるのが苦手だ。懐メロばかり歌ってたら思いもよらぬ収穫があった。歌にまつわる昔のことを次々と芋づる式に思い出すのだ。こうなったら止められない。在職中は過去を振り返るなんて、老人がすることだと忌み嫌っていた。考えはめまぐるしく変わり続ける。まだ若いのかな?

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2019年03月02日

越後獅子の唄 美空ひばり

生まれてから22歳までの間、私の存在を示す物証は戸籍謄本と1枚の写真しかない。だから記憶をたどって一生懸命に思い出している。歌はその手掛かりになるので大好きだ。古い歌を歌うと面白いように記憶が蘇えって来る。

1951年、話題の正月公開映画は「とんぼ返り道中」だった。私にとっては思い出深い映画である。7歳年上のA子さんに連れて行ってもらったのだ。多分私は小学4年くらいだった。映画の内容は覚えていないが、A子さんのことは鮮明に覚えている。

従姉妹のA子さんは母子4人で満州から引き揚げて来て隣に住んでいた。父親はシベリヤに抑留されていた。母親は優しすぎるので長女のA子さんが父親代わりをしていた。気の強いしっかりした人だった。彼女は家の前の道路で犬が交尾をしているのを見ると、怒ってバケツの水をぶっ掛けた。それでも止めないと二匹の犬を腕力で引き離した。見ていた私はビックリした。

そんなA子さんが大好きだったので、映画に誘われると喜んでついて行った。「とんぼ返り道中」の内容は忘れたが、主題歌の「越後獅子の唄 美空ひばり」については、よく覚えている。流行っていたからだと思う。A子さん一家は父親がシベリヤから帰って、しばらくすると大田区に家を新築して引っ越して行った。

越後獅子の唄を聴いても歌っても必ずA子さんを思い出す。彼女と最後に会ったのは55年前のことだった。喧嘩していた親子は仲直りしたようだ。結婚して実家の一隅に家を建て、夫となった元学生さんと暮らしていた。

話しは戻るが、A子さんは年下の学生さんと恋仲になり、親に結婚を反対されて家出した。そして狭い我が家に来た。今では考えられないが、親子6人が6畳一間に重なる様にして寝ていて、そこにA子さんが来たのだ。私は一つの布団に三人で寝ることになってしまった。住宅難の当時としても異常な状態だった。

ところで、ライブダム・カラオケの映像だが、越後獅子のでんぐり返しが下手過ぎる。幼い子供の練習とは言え、もうちょっと上手くないとね、プロなんだから。私は音痴で音楽については語れない。それで動画について、ちょっと触れてみた。歌詞に「芸がまずいと叱られて〜♪」とあるが当然のお叱りである。
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2019年02月16日

荒野の決闘(My Darling Clementine)

音痴なのに歌が大好きだ。背景にある思い出や、物語が好きだから懐メロばかり歌っている。歌が好きと言うよりも昔を懐かしんでいるのかも知れない。一人で歌えばいいのに人前で歌いたくなるから困ったものだ。長い人生で下手は歌うなと叱られたのは1回だけ。30年たったら、ショボンとした思いは忘れてしまった。

先ず『荒野の決闘(My Darling Clementine)』について簡単に説明。「1946年のアメリカ映画。ジョン・フォード監督による西部劇映画の古典的な作品である。主演はヘンリー・フォンダ。OK牧場の決闘を題材としている。詩情溢れる西部劇の傑作として名高い。……アクション映画というよりも、ドラマとしての色彩が強い(Wikipedia)」。

この映画の登場人物、ワイアット・アープと言えば西部劇の英雄である。時代劇の国定忠治や鯉名の銀平よりも名が知られたヒーローだ。そしてアープが淡い恋心を抱いたのが、クレメンタイン・カーターである。その役を演じるのはキャシー・ダウンズ。彼女はファッション雑誌、ヴォーグのカバーモデルとして活動した美貌の人、として当時は知られていた。

Oh, My Darling Clementineを歌う時は、いつも- いとしのクレメインタイン (荒野の決闘)の場面が心に浮かぶ。そこには西部開拓時代の様子が風情豊かに描かれている。特にラストシーンが素晴らしい。問題が解決し落ち着きを取り戻したアープは、クレメンタインの頬にキスをし、握手をして馬に乗る。「実にいい名前だ。クレメンタイン」と告げ、何処かに去って行く。

歌うごとにこの情景が目に浮かぶ。ところがその後、私が観た『OK牧場の決闘(1957年)』にも『ワイアット・アープ(1964年)』にもクレメンタインは出ていない。言うまでもなく両方ともアープをヒーローとした作品である。

最近になってクレメンタイン・カーターは架空の人物と知ってガッカリした。そもそも『荒野の決闘』は『Frontier Marshal』のリメイクだそうだ。クレメンタインも役名こそ違うが同様の人物も出ていると言う。1939年の作品で日本未公開だから邦題はない。

オリジナルの詩では黒人女性と思われる恋人が泥酔して溺死して幽霊となる、という内容のもあるそうだ。どれもこれも架空の話のような気がする。そんなことだから、私としては『荒野の決闘』のクレメンタイン・カーターも実在と思いたい。その方が歌っていて気持ちがいいのだ。

ワイアット・アープを扱った映画は数多くあるがクレメンタイン・カーターのような人物が出てくるのは、『Frontier Marshal』と、そのリメイクである『荒野の決闘』だけらしい。曲に対応する詩は「雪山賛歌」等、いろいろあるが、英語の歌はこんな感じが多い →  Oh My Darling, Clementine 、映画『荒野の決闘』とは雰囲気が余りにも違う。残念!
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2019年02月02日

ハイヌーン(真昼の決闘)

私は音痴だから音楽を語れない。ただそれにまつわる思い出はある。映画「真昼の決闘」のテーマソングはハイヌーン。この映画は主役より脇役の悪玉の方が格好いい。最初に観たのは中学生の時、その後の再上映、最近はビデオで観た。

小学高学年の頃から映画は観ていたので、中学に入ったら豆評論家みたいな気分になっていた。洋画専門で邦画は観ない。愚かな私は邦画は貧乏くさいと思っていた。新聞配達で稼いだ貴重な金だから外国の夢のような世界を見たかった。それに邦画は夜の校庭で開催される無料映画会でも観れたのだ。

同じクラスに洋画の大好きなY君が転校してきた。彼はパリッとした歯医者の息子で、私は薄汚れた貧乏人だが直ぐに仲良くなった。と言うか他に洋画を日常的に観ている生徒などいなかったのだ。年を取って3秒前のことも忘れるようになったが、洋画のことは今でも覚えている。多分、Y君も同様と思う。

さっそく、二人で観にいったのは異色の西部劇として話題になった「真昼の決闘」である。異色とはありふれたものと違うこと。中学生の私はもの凄く迫力のある決闘シーンを期待した。しかし決闘は最後にちょっとあっただけだ。私たちは「大したことなかったね」とか言いながら映写室を出たところで警察に捕まった。

ロビーで中年男二人に声を掛けられた。「お前ら中学生じゃないか?」と威圧的だ。頷くと「学校さぼったのか」と畳みかけて来た。私服警官の職務質問と分かり怯えてしまった。Y君は黙って下を向いている。蚊の鳴くような声で「日曜が運動会だったので代休です」と答えた。学校はどこだ、住所氏名はと聞かれた。

帰りは黙り勝ちでとぼとぼ歩き、映画の話どころではなかった。Y君は家に電話を掛けられて両親に知られることを凄く心配していた。遊びに行ったことがあるが、子供部屋を与えられ裕福な暮らしをしていた。一方、私は6畳大のバラックに親子6人だ。職務質問は二人の家庭環境の違いを思い知るできごとだった。

私はひたすら学校のことを心配していた。今までだって叱られてばかりだったのに、警察沙汰を起こせば先生に目を付けられる。先生には絶対に知られたくなかった。それなのに、嘘ついてバレることを恐れて住所氏名学校名をあっさりと言ってしまった。

凄く心配したが、学校では朝礼で一般的な注意があっただけで済んでしまった。当事者である私たちには、何のお咎めも無かった。多分警官は事実関係を確認しただけで氏名は知らさなかったのだと思う。その後、Y君とは疎遠になってしまった。

大人になってから観ると確かに異色の西部劇だ。保安官が年寄り臭くて悪玉の方が若くて格好いい。悪玉が復習に来るから助けてくれと多くの市民に頼んでも誰も助けてくれない。結局、一人で4人と戦う羽目になる。最後は悪玉4人を夫婦でやっつける。そして新婚旅行に行く。現実から始まり非現実で終わる。これがリアリティのある大人向きの作品に仕上がっているから面白い。

ハイヌーンと言えば「真昼の決闘」、それに関する個人的な思い出を書いてみた。参考の為、フランキー・レインのハイヌーン、及び映画「真昼の決闘」リンクを下に掲載。

フランキー・レイン情報 → High Noon - Frankie Laine


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2019年01月26日

「今は幸せかい」妹の思い出

私のカラオケ好きはノスタルジーから来ているようだ。ひたすら失われた過去に思いを馳せる。だから懐メロが大好きだ。自己満足は他人迷惑だが、思い出を胸に抱きしめて気分よく歌っている。「今は幸せかい」を歌うたびに7歳下の妹を思い出す。 
  
先日、生まれて始めて妹からの電話があった。極めて疎遠で、既に思い出の人になっていた妹から、かかって来たのだ。「地震大丈夫だった?」と聞かれた。札幌の惨状が映像で流れたのを東京の自宅で見たという。最後に会ったのは妹の娘の結婚式だから20年以上前だと思う。声が変わったなと思った。

妹のことは気になっていた。終戦直後の混乱の中で夫に逃げられた母は、3人の子を連れて空襲で妻子を失った養父と再婚した。そして妹が生まれた。三人の兄弟は父の違う妹を可愛がり仲良く暮らしていた。しかし母とは馬が合わなかった。この辺りの事情は家を出るに書いたので、重複を避けるため省略する。

家業の経師屋を手伝っているとき、佐川ミツオ(後に佐川満男)の部屋に仕事で行った。彼がニール・セダカ作曲の「二人の並木道」でデビューした頃である。中学生の妹が珍しく仕事の現場に昼食を持ってやって来た。こんなことは初めてだ。妹はミツオのファンなので部屋を見たかったのだと思う。その部屋の様子はアイドル訪問の記事となり、芸能週刊誌に載った。

ところで、地震の話の後、妹は沈黙した。こちらは大丈夫だと言ったが電話を切ろうとはしない。元気がないし声も沈んでいる。何か変だと思った。何があったのか聞くと、兄に聞いてやっと私の電話番号を知ったとか、答えにならないことを言った。

私は78歳で妹は71歳だ。それなのに妹から電話があったのは初めてだ。私も妹に電話をかけたことがないからお互い様だ。番号も知らないが東京の兄に聞けば直ぐ分かることだ。お互いに電話をかける必要を感じていなかったのだ。

電話で1時間くらい話し、妹が重い病に罹ったことを知った。しかし何故か信じられない。「今は幸せかい」を聴くたびに妹の姿が浮かんでくる。中学生の妹が佐川ミツオ居住マンションの玄関で、目を輝かせて立っている。手には弁当を提げていて、とても可愛らしかった。そこは渋谷に建った日本で初めての分譲マンションだった。当時は「宮益坂アパート」と呼ばれていた。

その後、妹とは身内の結婚式等で何回か会っているが、途中の姿は印象が薄くて覚えていない。なぜか私の頭の中での妹は、中学生のままなのだ。それなのに電話の声は年寄りぽかった。相当悪いのかなと心配になって来た。

歌について個人的な思い出を書いたが、参考の為グーグル検索で佐川満男 今は幸せかい の結果を掲載した。リンクをクリックするといろいろ表示される。カツラを被った佐川満男もある。

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2018年12月29日

何かと手こずる「16トン」


小学6年の思い出は知恵遅れの同級生K君のこと。彼は授業中に教室内を自由に歩き回っていたが、先生も注意もしないし生徒も気にしていなかった。ところで、私もK君と同じように、教室ならぬカラオケ会で自由に歌って楽しんでいる。

ある日、K君は授業中にストーブをいじって顔面に大火傷した。そして学校に来なくなった。彼は皆に好かれていたが、それだけではダメだ。なぜ思い出したかと言うと「16トン」を歌って、またもや失敗してしまったからだ。普通学級に居たK君みたいな私だ。これでいいのだろうか?

私なりの成功・失敗の尺度はある。「成功」と言っても大したことではない。普通の人が無意識でやっていることだ。つまり、カラオケ画面の字幕の色の変化に合わせて歌える様になることである。洋カラ始めて3年たって何とか出来るようになった。そう思って歌ってみたら、久しぶりにズレてしまってガッカリした。

原因は一杯の焼酎、酒の勢いで「16トン」と決め、歌う番が回ってきたころには酔いも回っていた。足がもつれたように口が回らなかったが、教訓を得た。酔えば口は遅くなる。そんなことを考えていたら、半年前の小樽・札幌合同カラオケ例会でも歌いそこねたことを思い出した。何かと相性の悪い16トンだが、失敗したから僅かながら成功の種を蒔けたと思う。

話は戻るが、歌い出しは手拍子とってくれる方もいて気分が良かった。やがて手拍子が止まり、緑色の字幕の変化が先に行ってしまった。つまり遅れだしたのだ。追いつく前にカラオケマシンが機嫌を損ねて止まってしまった。これはジョークでなく事実であることを念のために申し添える。威張ることじゃあないけどね。

温かい配慮により、もう一回歌う機会を与えられた。今度こそ失敗しないぞと思って歌ったが、やはりズレてしまった。酒は弱いけれど好きだ。目の前に酒を置いて順番が来るまで我慢するのは拷問みたいなものだ。こんな場合に限るけれど、酒を取るか歌を取るかと言えば酒をとる。次は音程かなとか、更に難しいことに取り組もうとしている矢先に、まったく困った酒だ。

音程より、更に難しいのが発音なのに、愚かな私はワザワザ英語で歌いたがる。完全な日本語脳の持ち主なので発音は手に負えない程むずかしい。音程以上の難問である。纏めると洋カラは出来ないことの塊だ。不可能への挑戦と言いたいのはやまやまだが、私にとっては途方もない時間つぶしである。負け惜しみじゃないけれど健康には良いんだよ。お陰様で悩み無し!

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2018年12月22日

霧笛が俺を呼んでいる

カラオケ会で「霧笛が俺を呼んでいる(赤木圭一郎)」を歌った。解説とか話したいことは山ほどあるけれど、音痴は音楽を語れない。日本語が読めない外国人が、源氏物語を語るような感じかな。それと幼児が哲学を語る感じかも知れない。

話すと書くとでは大違い。口で語られれば嫌でも聞こえる。書いたものは嫌なら読まなくてすむ。選択権は完全に受け手にある。そんなつもりで書いているが、幾らかの人が読んでくれるから有難い。お陰でモチベーションを維持できる。

下手な洋楽を歌いたがるのは洋画が好きだったから。昔「第三の男」と言う英国映画を観た。10年くらい後に、それを真似したような邦画が上映された。「霧笛が俺を呼んでいる」である。最初は何じゃこれと思い。次第に「第三の男」のパクリじゃないかと感じてきた。最後には凄く面白い、または観たいと思った。 以下、「第三」と「霧笛」に短縮する。

「第三」のホリー(ジョゼフ・コットン )は売れない作家、「霧笛」の杉(赤木圭一郎)は航海士との違いはある。ホリーも杉も久しぶりに友人に会いに行こうとすると死んでいる。いずれも謎の死である。二本の映画は、このような滅多にない状況で始まる。

第三のホリーの旧友、ハリー(オーソン・ウェルズ)は粗悪ペニシリンの売り捌きで儲けているが自動車事故で死亡。杉の旧友、浜崎 (葉山良二)は麻薬の売人だが自殺した。両方とも、かっての親友が悪の道に染まり謎の死を遂げるという筋書きだ。しかし、事実は両人とも当局の追及を逃れるため死んだふりしていたと言うのだ。違う映画なのに全く同じ筋書きとはやりすぎだ。

死んだふりの悪玉にも、それぞれに恋人がいる。ギャングは何故か女にもてる。ハリーの恋人は芯の強いアンナ(アリダ・ヴァリ)、そして浜崎の恋人は優しい美也子(芦川いづみ)。ホリーはアンナに、杉は美也子に出会い、恋心を抱くところまで一緒である。霧笛はまるで第三のコピーみたいだ。

ハリーの所属する粗悪ペニシリン販売組織は英軍憲兵のキャロウェイ少佐(トレヴァー・ハワード)が追及し、浜崎の所属する麻薬組織の捜査は森本刑事(西村晃)の担当。「ホリー、アンナ、キャロウェイ」「杉、美也子、森本」の二つのグループが真相究明に当たるところまで、二本の映画はそっくりだ。そこまでやっていいのなら、私にも誰かの真似して書きたいものがある。それは「臼淵磐物語」、知る人ぞ知る人物である。

他にも似たところはいろいろある。二本の映画はそっくりだが、観た印象はまるで違う。骨だけ同じで外見が全く違う二人の人間を並べたようなものだ。だから映画は面白い。ところで芦川いづみと吉永小百合は、特に光っていた。このような美しい女性が綺麗な言葉で語るシーンはもう観られないかも知れない。

映画「霧笛が俺を呼んでいる」を観たのは二十歳頃だ。何をやっても上手く行かず職を転々としていた時期である。気分転換には日活の無国籍アクションが一番だった。

書くために二本の映画をレンタルビデオで改めて鑑賞し、そしてカラオケ会で歌った。思い出のシーンをバックに歌うのも楽しい。若者の私がそのまま化石となって歌った。音痴も年も忘れて3分間の夢を楽しむ。それを許してもらえることが嬉しい。

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2018年06月09日

トム・ドゥーリー

英語の歌詞を理解することは、私にとっては難しい。歌う曲は意味が分かった方が気分がいいので、勉強して分かるようにする。しばらくすると忘れるけどね。

勉強と言っても歌詞の意味とその背景を知りたいだけのこと。「トム・ドゥーリー」では次のフレーズが繰り返し歌われる。Hang down your head, Tom Dooley Hang down your head and cry 何となく哀れな感じだ。

訳詞を読むと、トムは縛り首にされて明日は死ぬ身と書いてある。ある女性を殺した罪で刑が執行されるのだ。歌詞が美しいメロディーに乗せられて淡々と流れる。トムは元南軍の兵士だが、その女性の他にも恋人がいた。

トムは犯行を否定したものの「自分は罰を受けるに値する」と吐露した。これが1886年に起きた殺人事件の顛末である。多くの謎を残したまま忘れ去られそうになったが、曲のヒットでよみがえる。真犯人はトムのもう一人の恋人という説も何となく肯ける。二人の女性を愛してしまったトムは、この世では生きて行けない。歌は天国へ旅立つトムへのレクイエムのような気がする。

ところで、私が歌うカラオケ環境では「トム・ドゥーリー」の歌手名はStandardsとなっていた。そして冒頭のセリフもなく、曲も歌い易いようにまとめられていた。

何ヶ月かして又、歌おうとしたらモニターに従来のStandardsの他に、歌手名がキングストン・トリオの「トム・ドゥーリー」が追加されていた。思い切って歌ってみると歌詞が少し違っていた。私は変化に対応できない人なので恥ずかしながら中途で断念した。

好きな曲なので何時か歌ってみたい。普通の人には簡単なことでも、オンチでノロマの私にとっては難しい。少々時間が必要だ。何も知らないのに又書いてしまった。何でも書き放題のマイブログにね。書くの大好き ハイ(^-^)/

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