2019年08月10日

誰か「波止場のママ」を知らないか

1958年、私が18歳のとき、音痴は大したことではなかった。カラオケがないから、庶民は自分流で勝手に歌うことが許されていた。よく友人同士で気晴らしに歌った。上手な人は感心されるが、下手でも気にすることもなく一緒に楽しんだ。それぞれが勝手に歌って何の問題もなかった。楽しかったなぁ。

私たち10代の有職少年は、自由時間に友達同士で同じ歌を歌って楽しんだ。その時の一番人気は「波止場のママ」、”こんな酒場の片隅で♪”で始まる曲だった。少年たちの憧れは外国に繋がる海、そして波止場のママ、そんな時代があったのだ。

職場は男ばかりで女性との接点は食堂とか売店でしかない。とても愛想の好い売店の少女をデートに誘ったら断られた。こんな状況では女性と話したければ酒場に行くしかない。そこには「男でしょ貴方は海の男でしょ」と励ましてくれるママが居る。酒場では海の男の気分になって、景気よく飲んで売店の少女を忘れた。懐は寒くなったけれど、酔って心は温かくなる。

次に洗濯屋の少女に思いを寄せたが振り向いてもくれなかった。こんな時は酒場のママに会いたくなる。「うぶなのね貴方はわりとうぶなのね」と、優しい言葉をかけてくれる。そして雪国と言う素敵なカクテルを作るから飲んで忘れなさいと言ってくれた。カクテルは高かった、何時も飲んでいるトリスの十倍もした。

退屈したのでママの顔を見に行った。今度は振られた話はしない。ジッとママの顔を見つめていたら、ママはつぶやいた「つもる苦労を白粉に 隠す私じゃもう駄目ね」。海の男の気分でママを励ました。「生きなくちゃ貴方は強く生きなくちゃ」。

その夜、ママは珍しく酔っていいた。「アタシのどこが嫌なんだ。生きようと死のうとアタシの勝手だ」とか何回も同じことを言っては絡んできた。酔っていても勘定は正確、トリスのストレート、シングル1杯とハイボール2杯で340円。今までで一番安かった。

波止場のママ 唄:鶴美幸 作詞:森くにのり 作曲:下川博省 
1957年4月発売
1. こんな酒場の片隅で 寝てるふりして泣くなんて 男でしょ貴方は海の男でしょ 浮気な女の名なりとも波止場のママに聞かせてね
2. 捨てて気取ったその手紙 しわを伸ばしてどうするの うぶなのね貴方はわりとうぶなのね 昔の誰かを見るようで 波止場のママも泣けてきた
3. つもる苦労を白粉に 隠す私じゃもう駄目ね 生きなくちゃ貴方は強く生きなくちゃ 呑むのはいいけどぐれるのが 波止場のママはこわいのよ

どこのカラオケ店にもない。探し探し続けても未だに見つからない「波止場のママ」。誰か波止場のママを知らないか。
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2019年07月27日

懐メロ:ライフルと愛馬

ハイヌーンは「真昼の決闘」、ローハイドは「ローハイド」、それぞれ歌を聴けば映画のタイトルが分かる。しかし「ライフルと愛馬」を聴いてもバンバン撃ちまくる西部劇「リオ・ブラボー」を連想できない。この歌からは恋人を思いながらライフルと馬だけを頼りに、夕暮れの荒野を行くカウボーイの姿が見えるだけである。

60年も前のことだが「リオ・ブラボー」を観に行った。しかし、内容は全く覚えていない。もちろん「ライフルと愛馬」が歌われたことも忘れた。と言うか、最初から頭に入っていなかったのである。

切符売りの少女に観賞を妨げられたのだ。「リオ・ブラボー」が封切になったころは、家業の手伝いをしていたが、仕事がなくて列車の清掃に行ったりしていた。それも時々だから懐は寒い。その日はポケットに百円玉と50円玉を一つずつ持って家をでた。

薄汚れたジャンパーに作業ズボンと言う、貧乏丸出しの格好で渋谷駅近くの映画館に行った。百円の入場料を払って観客席に向かって歩いていたら、後ろから走ってくる気配を感じた。まさか私を追って来たとは思わない。映画は始まっているので自然に足早となる。ところが突然腕をとられた。切符売りの少女が料金不足の容疑で私を捕まえに来たのである。

突然のことでビックリした。少女は「50円しか払わなかったでしょ」と、血相変えて腕を取って離さない。驚きながらも、そうかな〜と思いながら確認のためポケットに手を入れて硬貨を出して見た。50円だから、百円払ったことに間違いない。

そのことを言う間もなく、少女は私の手から50円玉を取り上げた。余りにも手早かったので驚いた。呆気に取られているうちに去って行った。まるで強盗に遭ったような気分だ。先手必勝、理不尽にも私は「50円誤魔化し少年」になってしまった。

映画館の少女に、その日の全財産を取られた。悔しくてたまらない。せっかく楽しみにしていたリオ・ブラボーだが、椅子に座って悔しがっていただけだ。事件は私が50円取られた時点で終わっている。何も言えない状態に陥ったことに気づいた。

そんな古いことをよく覚えていると呆れているかもしれない。思い出すには訳がある。洋楽カラオケ会に参加したものの歌える曲がない。「ライフルと愛馬」を聞いたとき、これならユックリしていて歌えるかも知れないと思った。こんなことっが切っ掛けで、この歌が「リオ・ブラボー」の中で歌われていることを知ったのである。

タイトルだけしか記憶にない映画を今になって観たくなった。さっそくビデオレンタルで借りた。映画の中で印象的なシーンはディーン・マーチンが「ライフルと愛馬」を寝転んで歌う姿。そしてリッキー・ネルソンの軽やかな「お帰りシンディ」へと続く。

音痴だから真の歌好きにはなれないのかも知れない。そのせいか懐メロが大好きだ。歌っていると歌にまつわる色々なことを思い出す。不幸な出来事もあるが、決して嫌ではない。すべてが懐かしい。懐かしさでメロメロになるから懐メロと言うのかな。
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2019年07月13日

悲しき少年兵

英語の苦手な私でも歌いながら情景が浮かんでくることもある。それはジョニー・ディアフィールドが歌う「悲しき少年兵」。もちろん自分なりに分かるだけ。ひょっとして誤解しているかも知れない。それなのに書きたくなるから困ったものだ。

ジャックは17歳になったら海兵隊を志願することに決め、同級生たちの前で決意表明をした。
「お前たちは学校で歴史を学べ。俺は海兵隊で歴史を作る」
「V国の自由と民主主義を守るために行くのね。素敵だわ」
とベティイはつぶやいた。歌詞にはないが、命を賭けた仕事に就く以上、それなりの動機付けが必要と思う。それで勝手に付け加えさせてもらった。

歌詞の1番、アメリカ西海岸の軍港
海には航空母艦、巡洋艦、駆逐艦が浮かぶ。しかし、この日の主役は戦地V国に向かう海兵隊である。軍楽隊が演奏する「海兵隊賛歌」をバックに行進する隊員の中には胸を張って歩く、あの少年がいた。肩をいからす海兵隊式である。誇り高きマリンコ(Marine Corps)になったのだ。

見送りの人々の歓声の中から、あの少女の声が聞こえてきた。「愛しい人よ、さようなら」。少年に聞こえるささやくような少女の声。軍楽隊の演奏は「錨を上げて」に変わり、船は出航した。

歌詞の2番、太平洋
出航して1時間たった。一人でデッキに出てみると、空は青く雲は白く海は静かだ。ふと我に返ると、少女のことが心配になってきた。離れていたら心変わりをするのではないか?

少女の写真を見ながら涙がホロリ、一人で泣いていた。何故か、港で聞いたささやく様な少女の声が聞こえて来る。「愛しい人よ、さようなら」。繰り返し聞こえて来る。

歌詞の3番 帰港
戦場に正義はなく、ただ破壊するだけだけだった。国に帰ったら、奨学金をもらって大学に行き、卒業したら職を得て、あの少女と結婚すると言う夢を描いていた。アメリカでは若者が軍に志願する理由のトップは「奨学金」と「医療保険」だそうだ。

船は入港し、港は出迎えの人々で溢れていた。群衆の中に少女が居ないか一生懸命探したが見つからない。夢は夢、やっぱりそうかと思った。戦地では裏切りと混乱は嫌と言うほど見て来た。少年の心は既に中年男の様になっていた。心変わりなんて、あって当たり前と諦めていたのである。

「さて、衣納を担いで田舎に帰るか。大学は止めてカウボーイになろう」。このまま書き続けていると三千頭の牛を連れてミズーリまで行く話になりそうだ。切りがないので、これでお仕舞。

書いているうちに空想の部分が次第に大きく膨らんできた。空想をしていると楽しいし、金もかからない。しかも私は時間のブルジョア、時間なんか使いきれないほど持っている。今はね。

Lonely Soldier Boy 歌:Johnny Deerfiled
1961年日本で大ヒット、アメリカでは話題にもならなかったそうだ。ストーリーが分かり易く、歌っていると英語が分かるような気がしてくるので有難い。錯覚とは思うけど……。
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2019年06月29日

こいさんのラブコール

「英語で歌って意味わかる」と聞かれて狼狽えた。しかし、もう困らない。「こいさんのラブコール」があるではないか。なんで泣きはるのかサッパリ分からない。大阪のこいさんと思っていたのに「さいなら東京の町」と言う。幸せの町とは一体どこか? 

分からないことばかりなのに大好きな曲だ。英語の歌だって同じと思ったらスッキリした。それより音痴なのに洋楽カラオケをやることこそ問題だ。洋楽をやる人は歌の上手い人に限られる。このことに気づくのが遅すぎた。オシッコはすでに出ちゃっているので、途中では止められない。心に在る本当の気持ちを伝えたいのに、上品に書くことが出来なくてゴメン。

ところで上品な船場言葉は大阪の商人達の間で広まり、独自の穏やかな言葉として発展したそうだ。今は使われないが歌にはよく出て来る。例えば「こいさん」。因みに4人姉妹の場合、長女いとさん、次女なかいとさん、三女こいさん、四女こいこいさん、なんとなく響きがいい。歌の意味は分からないけど、こいさんが美しいメロディーにのって泣いてはる感じがする。

話は変わるが、15年以上続いている4人カラオケ会では、歌ってない三人は大抵雑談をしている。
「Aさんは、こいさんと呼ばれていたんですね」
「そうよ。三人姉妹の一番下だからね」
「モテたでしょう」
「板前なんかにモテたってしょうがないじゃない」

何ちゅうことを言うんだろう。腕のいい板さんがそろっているから料亭は大繁盛。だから学生のこいさんでも車を買ってもらえたのだ。大衆車として知られるパブリカが発売されたのが1961年。それ以前の話だから、買えるのは外車しかなかったそうだ。

60年も前のことだから、二十歳の娘さんが免許を取って運転するのは珍しかった。Aさんが「女性ドライバー誕生」との見出しで地元の新聞に写真とともに載ったという話も頷ける。

こいさんのラブ・コール 唄:フランク永井
作詞:石浜恒夫 作曲:大野正雄 1958年7月ビクター発売
フランク永井の代表曲のひとつで、その頃私は西日本方面をうろうろしていた。田舎のダンスホールでブルースを踊るとき、流行っていた「こいさんのラブコール」がよくかかった。
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2019年06月15日

前向きに「ローハイド」

音痴で英語も出来ない。それなのに洋カラをやってるの? 無駄じゃない。試しに、無駄の代わりに「ガンパっている」を入れてみた。音痴で英語も出来ない。それなのに洋カラをやってるの? ガンパっているじゃない。これで良しシッカリ前を向いている。

ローハイドが初めてテレビ放映されたのは、私が19歳の頃だ。家業の経師屋が忙しくなったので、退職して家の仕事を手伝っていた。ところが直ぐに仕事は減り、生活は苦しくなった。娯楽はテレビだけと言うありさまだ。その後さらに運に見放され、1年くらいで再び家を出た。何時ものように働いて食うためにね。

生活苦当時、欠かさず観たのが「ガンスモーク」と「ローハイド」。ガンマンよりも、まともな職であるカウボーイの方が好きだ。ズボンの上から着用する革製のズボンカバー姿が格好いい。馬上で鞭を打ち、約3000頭の牛を運ぶのだから凄いと思う。

鞭は生皮(きかわ)で出来ている。英語で言えばローハイド、そこから転じてズボンカバーを指す言葉になったそうだ。私の印象ではローハイド=カウボーイである。ドラマでは隊長を補佐する若者ロディを、クリント・イーストウッドが演じていた。ご存じのように、彼はアメリカを代表する映画スターになった。

何を歌っても似合わない私だが、ローハイドは滅茶苦茶似合わないと思う。難し過ぎて歌えないのに歌いたがるから困る。とにかくカウボーイの雰囲気が大好きなのだ。

馬にも乗れないし、鞭も投げ縄も使えない。銃も撃てないし、度胸も力もない。それでも雰囲気だけでも味わいたい。それにはローハイドを歌うのが一番いいと思う。

歌詞にはカウボーイの仕事が織り込まれている。「追い立てろ、先頭に立て、切り離せ、割り込ませ」と言う、英語の掛け声が繰り返される。牛の大群を運ぶ勇壮なカウボーイの姿が目に浮かぶ。イメージはいいのだが私が歌えば不本意ながらぶち壊し。

馬に乗って、牛の群れの中に割り込み、切り離しては追い立てて牛の群れを運ぶ。悪天もスタンピード(牛の大群大暴走)の恐れもある。カウボーイの仕事は波乱・困難に満ちている。ともかくテキサス州のサンアントニオからミズーリ州のセデリアまで3000頭の牛を運ぶのは大変な仕事だ。

そんな思いでローハイドの主題歌が好きになった。下手なんだから一人で歌って楽しめば好いのに、カラオケ会でも歌いたくなるから困ったものだ。恥ずかしながら年に一度は歌いたい。そろそろ好いかなと楽しみににしている。気持ちだけは何時も前向き。
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2019年06月01日

俺は淋しいんだ(渋谷の思い出)

信じてもらえないと思うが、私はモテたことがある。60年くらい前まで遡るが渋谷の片隅でモテちゃった。多分、多分、多分。

1959年にはフランク永井のヒット・メロディを背景にした映画「俺は淋しいんだ」が公開された。その頃私は19歳、淋しい日々を送っていた。何処も務まらず職を転々としていたが、またもや失業して家族が住む渋谷に帰って来た。

アルバイトの身で将来が心配になったが、夕方になると僅かな小遣いを持って飲みに行った。渋谷駅から青山方面に向けて凄く幅の広い道路が造られていた。不思議なことに工事中の道路の真ん中に飲み屋街が出来ている。

道路が完成する前に立ち退かなければならないから安っぽい仮小屋だ。私が通っていたのはスタンドバーJUN、マスターと女給さん、二人で営業している。

女給さんは「岡田英子です」と言った。フルネームで自己紹介をする人は初めてなので好ましく感じ、また行きたいと思った。様子見だからハイボール1杯飲んで300円払って帰った。この次は、もうちょっとお金を持って来ようと考えながら。

次に行ったとき、追加注文をすると、岡田さんは「300円以上飲むと税金が1割取られるから損よ。アイスクリーム食べに行きません」と言った。二人で近くのうどん屋でアイスクリームを買って、外で食べた。二つで60円、懐の寂しい私にとっては有難かった。

岡田さんは私の淋しさと懐具合を知ってるようだった。いつ行っても300円しか遣わせない。訳は分からないが嬉しかった。夕方に行くとマスターは来ていないし、客も居ない。

いつも二人で話をしたり、店を空けて、近くを散歩したりした。私にとっては至福のひと時だ。こんなことが6ヵ月くらい続いたが、ますます生活は苦しくなって来た。岡田さんに「仕事無いから自衛隊に行くんだ」と言ったら「そう」と言っただけだった。

入隊早々家に用事があって電話を掛けたら、母が「岡田さんと言う人から電話来てたよ」と言った。遠く離れていて会いには行けないが嬉しかった。体調を崩し、1年半で自衛隊を依願退職して家に帰った。何をやっても続かないのだ。

岡田さんに会いに行ったが、飲み屋街は撤去され、辺り一帯は幹線道路に変わっていた。私も21歳、何とかして定職に就かなければと頑張っていたら、岡田さんのことは忘れてしまった。

自分史のつもりでブログを書いているが、過去の記憶が芋づる式に蘇ってくる。「俺は淋しいんだ」を聴くと思い出すのは、スタンドバーJUNと岡田さんのこと。彼女は80歳を過ぎた筈だが記憶の中では若いままだ。気の強い人だったが私には優しかった。

俺は淋しいんだ フランク永井、
作詞:佐伯孝夫,作曲:渡久地政信
渡久地政信が西部劇「真昼の決闘」の主題曲、ハイヌーンからインスピレーションを得て作曲したと言われている。そう言えばダダダン、ダダダンという感じのリズムがそっくりだ。
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2019年05月18日

有楽町で逢いましょう(インド通信)

私にとって歌は思い出、それぞれの土地に結びついている。17歳から22歳の間は東京から九州まで職を転々。金もないし、ラジオで音楽を聞くのが唯一の楽しみだった。「有楽町で逢いましょう」の思い出は、インド通信とホットケーキである。

その歌が出たのは1957年、私は広島県に居た。それから転々として21歳のころから新橋の森ビルにあるPTI通信(Press Trust of India)東京支局で働くことになった。仕事はテレタイプ情報の配達と留守番で凄く楽だった。支局長は日本に来たばかりで日本語が分からない。少しは英語も必要だった。

失業中、自衛隊に入り三ヶ月間の英語訓練を受けた。そして、米軍基地から来るフライトプランを電話で受けながらタイプする仕事に就いた。タイプも英会話も苦手なので落ちこぼれ、依願退職して東京に出た。インド通信はアルバイトだが楽な仕事だ。虚弱体質の私にとっては天の恵みだった。

フランク永井は米軍キャンプでジャズを歌って大好評、私は英語の分からない日本人として米兵に嫌われた。彼等は少しモタつくと他の人と代われと言う、英語でね。私にはギミィアナザと聞こえる。先輩も最初は代わってくれるけど、1ヶ月たったら誰も代わってくれない。その結果、またもや失業者となったのだ。

配達先の一つが当時有楽町にあった朝日新聞外報部、さっそく有楽町で昼食と洒落込んだ。一番安い組み合わせとしてホットケーキとミルクを頼んだ。「あなたと私の合言葉 有楽町で逢いましょう」とか思い出したがが、東京では完全に孤独だった。

インド通信では無保険だが病気に罹るような気もしなかった。そう思えるほど仕事が楽だった。オリンピックを1年後に控えた東京は空前の好景気。ここに居れば何か職が得られるだろうと楽観的になり、何の心配もしなかった。こんな私にも英国の大手通信社に入らないかとの誘いがあったのである。

「君は大学出てないだろう」
とインド通信情報配達先の通信社所長が言った。
「はい、出てませんが」
「英語とタイプが少しできればいいんだが、応募者が大卒ばかりなんだ。大卒の職じゃあないのにね。困ったもんだよ日本は」

私にも一流企業に就職の機会と、大喜びしたがぬか喜びだった。大卒はダメだが、中卒はもっとダメらしい。所長も私が高校も出てないと知ってガッカリ。オリンピックで景気が好かった頃なので、英語が出来て無職の高卒など滅多に居ないのだ。

その時は日本の国家公務員採用試験制度は世界一素晴らしいと思った。学歴の制限がないのだ。例えば、当時の上級試験は大卒程度で実施されるが、中卒でも受けられる。この制度は余り知られていない。私も初めて知ったのは21歳になってからである。何か受かりそうなのを見つけて受験することにした。

有楽町で逢いましょう 1957年7月に発表(私は17歳) 
吉田正 作曲 佐伯孝夫 作詞 フランク永井 歌
そごうデパートの東京店出店のイメージソングとして作られた。
フランク永井の歌声は「低音の魅力」と評され、大ヒット!
個人的思い出としてはホッとケーキとインド通信。

毎週土曜更新、またの訪問をお待ちしています!
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2019年05月04日

OK牧場の決闘(Gunfight at the O.K. Corral)

「霧笛が俺を呼んでいる」にしても「夜霧よ今夜も有難う」にしても、映画の筋書きと歌とは別物の感じだ。その点、「OK牧場の決闘」や「真昼の決闘」は違う。歌そのものがストーリーになっているから、歌っていると映画に登場するヒーローの気分になってしまう。ハゲで短足、自分勝手の弱虫なのに困ったものだ。

「OK牧場の決闘( Gunfight at the O.K. Corral)」は、1881年10月26日、かつては銀山の町として栄えたトゥームストーンのO.K. コラール付近の路上で起こった銃撃戦についての物語である。

コラールとは馬や牛などを入れる囲い場、牛や馬を一時的に預けたり繋いでおくために用いられる。私のイメージは駐車場である。映画のタイトルは直訳のまま「OKコラールの銃撃戦」がいいと思う。牧場ではないし決闘とも違うのだ。

保安官ワイアット・アープをヒーローとする映画として「荒野の決闘」「OK牧場の決闘」「ワイアット・アープ」の三本を観たが、銃撃戦シーンで一番リアルなのが「ワイアット・アープ」と思う。

と言うのは、実際の銃撃戦はコラール近くの路上で起こり、30秒で終わる。他の2作は銃撃戦場面が長い。娯楽映画として見せ場を作るために創作したのだと思う。実際の事件は保安官が武装解除を求めた際に偶発的に起きたのだと思う。もちろん、アープ家とクラントン家との確執があってのことだが。

この歌はワイアットの気持ちを歌っている。
……my back’s against the wall Have you no kind word to say before I ride away……
……If the Lord is my friend We’ll meet at the end of the gunfight at O.K.Corral……
この辺りがグッと来る、意味は分からないけれど何となく。

それなのに思わず力が入ってしまう。音痴だから変な力がね。普通の人の10倍は変に聞こえると思う。百倍かも知れない。誰も居ない所で一人で大声で歌ったら気持ちいいのに、人前で歌いたくなるから困ったものだ。か細い声で遠慮しながら歌っている。

銃撃戦の結果
ワイアット・アープ
ワイアット・アープ:保安官 無傷
ドク・ホリデイ:アープの友人 大腿部負傷
バージル・アープ:保安官で、アープの兄 右太腿負傷
モーガン・アープ:アープの弟 負傷

アイク・クラントン組
アイク・クラントン: 銃撃戦には不参加(逃走)
ビリー・クラントン:アイクの弟 死亡
フランク・マクローリー:アイクの友人 死亡
トム・マクローリー:フランクの弟 死亡
その他、銃撃戦中に逃走した者もいる。
(銃撃戦の結果はWikipedia情報の要約)
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2019年04月20日

「くちなしの花」と二人の人生

俺の言葉に泣いた奴が一人
俺を恨んでいる奴が一人
それでも本当に俺を忘れないでいてくれる奴が一人
俺が死んだらくちなしの花を飾ってくれる奴が一人
みんな併せてたった一人

宅島徳光が大学ノートに書きつづった恋人への切ない想いが「くちなしの花」。彼はこの花が好きだっただけでなく、戦争末期、口には出して言えない(口なし)の心の記憶としたかったらしい。冒頭の詩はその一節。

宅島徳光略歴:慶應大学卒業、第13期海軍飛行科予備学生、1945年4月9日、一式陸上攻撃機の機長として出撃、任務中殉職、享年24、海軍中尉。
以上は『遺稿くちなしの花 愛する祖国の人へ』宅島徳光著 大光社よりの引用。

大ヒットして1974年のNHK紅白でも歌われた「くちなしの花」の原点は、「遺稿くちなしの花 」にある。宅島中尉の詩に美空ひばりが補筆した「白い勲章 」もあるが、私は遺稿に思いを馳せながら渡哲也の「くちなしの花」を聴く方が好きだ。

映画「やくざの墓場 くちなしの花」では主役を演じた渡哲也の歌「くちなしの花」が要所で流された。渡の役は警察組織と反社会勢力の癒着の構造の中で、もだえ苦しみ暴発する刑事だった。この映画の上映前年には「仁義の墓場」が公開された。渡が演ずるヤクザは29歳の若さで壮絶な人生の幕を自ら閉じた。

戦争中、「遺稿くちなしの花 」を書いて大空に散った宅島中尉。一方は、戦後の破れかぶれの人生に自分で終止符を打った新宿のヤクザ。彼は反省することなく笑って死んだ。全く違う二人の人生を一つにしたのが渡哲也の「くちなしの花」と感じている。私は弱虫で利己主義者だが強い愛、強い心に惹かれる

実在のヤクザA夫の生涯を描いた「仁義の墓場」のキャッチコピーは「おれが死ぬ時は カラスだけが泣く! 仁義・組織・盃・掟に牙むいた戦後やくざの語り草」。A夫は29歳で刑務所の屋上から身を投げて死んだ。独房に残された遺書にはこう書いてあった「大笑い三十年のバカ騒ぎ」。

昭和29年1月29日、自ら幕を引いた破滅の人生を彼らしく結んだつもりだろう。くしくも昭和年号と同じ29年だった。この映画は渡哲也の病気療養後の第一作。「病み上がりで本調子ではなかったが、それがかえって幸いしてA夫の不気味な迫力をいやが上にも増大した(Wikipedia)」。

戦時だからこその深い愛、戦後の闇と裏切りの社会が育んだ底知れぬ虚無。戦争さえなければ宅島徳光は愛のままに生き、A夫は底なしの闇にハマり込むこともなく、人として立ち直る機会もあったと思う。歌と映画から口なしの声が聞こえて来る。

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ネットで購入した『遺稿くちなしの花 』。

なき吾子のこよなく愛すくちなしの雨にうたれて咲くぞ寂しき
昭和36年4月 宅島徳次郎(宅島徳光の父)

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2019年04月06日

夜霧よ今夜も有難う 

私にとって映画の旅は、「カラブランカ」方面から「夜霧よ今夜も有難う」方面への旅だった。10歳から15歳くらいまでは洋画しか観なかった。内容なんかどうでもよかった映画の中にある夢の世界が見たかったのだ。終戦直後、「灰燼に帰した東京に忽然と姿を現したワシントンハイツ」の影響を受けたのである。「 」内は秋尾沙戸子 新潮社発行の『ワシントンハイツ』より引用。

10歳から新聞配達のアルバイトを始めたが、賃金は1ヵ月1000円と、相場の半分以下だった。その内の700円を食い扶持として母に取られたが、残りで映画を観た。封切が100円以上の時、渋谷のテアトルSSでは古い洋画を40円でみせていた。「毒薬と老嬢」「夜も昼も」「われら自身のもの」等を、子供には難しいとか一切考えずに映画が替わる毎に観ていた。

17歳の頃から邦画にも目を向けるようになった。時代は日活無国籍アクションの興隆期だった。その後全盛期を迎え、爛熟期に登場したのが「夜霧よ今夜も有難う」である。その頃には私は27歳にもなっていた。何と言ったって無国籍だから洋画のイイところ取り、ファッションとかジャズ、それに煙草の吸い方とかね。

「夜霧」は取りすぎで和製カサブランカと呼ぶ人もいる。リック(ハンフリーボガート)はカサブランカにある「リックス・カフェ・アメリケイン」の主人で、相良(石原裕次郎)は横浜のナイトクラブの経営者だが、それはそれぞれの表の仕事。イルザ(イングリッド・バーグマン)はレジスタンスのリーダーの妻、秋子(浅丘ルリ子)はアジア某国の高官の妻、これが主な登場人物である。

試みにリックと相良の人生を一つに纏めてみた。男の裏の仕事は密出国を援助する「逃がし屋」である。4年前のことだが将来を誓い合った女が突然訳も話さずに何処かに消え去った。それが今になって、前触れもなく突然に現れたと思ったら頼み事だ。それはあまりにも身勝手なことだった。夫が革命の大義を全うするには、出国しなければならないから助けてと言うのだ。

行方知らずの4年は長すぎる。オマケに他所の人の妻になっている。男は今も独身で女への愛も冷めてはいないから悶々とする。妻となった女も悶々、それなりの事情はあるからね。結局、男は夫婦一緒に密出国させる。

男のところを相良と変えてもリックと変えても大丈夫。「カサブランカ」と「夜霧よ今夜も有難う」のストーリーは本当によく似ているから。ところで、「遥かなるアラモ」「OK牧場の決闘」「ハイヌーン」は歌詞から映画が連想できるが、「夜霧」の歌詞からは映画の内容が少しも連想できない。歌は別物のような気がする。
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