2020年08月01日

港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ

「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」は阿木燿子作詞で1975年のヒット曲。ある男が好きな女を探して歩く、セリフだけの曲。探しに行く先々で話を聞くたびに、女の素性が浮かび上がってくる感じが面白い。状況を自分なりに考えてみた。事実無根、冗談半分をお許しください。茶色の文字は歌詞からの引用。

ワルイなあ 他をあたってくれよ
夜の街で働くオトコは意外に優しい。ここにゃ沢山いるからねエとは言ったものの、傷心の男を気遣っている。
…アンタ あの娘の何なのさ
そのオトコにしてみれば、決して無関心ではいられない。

マリのお客をとったってサ
仁義を欠いちゃ いられやしないよ
オンナの嫉妬がアリアリだ。多分、ヨーコは優しくて美しく、モテる女性。お客を取られては自尊心を傷つけられるし、収入にも影響する。怒る気持ちはよく分かる。そのオンナだって取られたのかも知れない。モテ過ぎるヨーコに罪があるのだろうか。

ハマから流れて来た娘だね 
ジルバがとっても上手くってよお
エイトビートで激しく踊る横浜ジルバ、通称ハマジル。横浜から横須賀、更に佐世保まで流れて来た港のヨーコ。ネイビーの街にはハマジルがよく似合う。上手に踊る娘も多い。港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ、そしてサセボ。

あんまり何も云わない娘だったけど 
仔猫と話していたっけねエ
ジルバを激しく踊る、無口なヨーコ。動と静、その振幅が大きいのがヨーコの魅力。港のヨーコは踊りまくって、孤独感を吹き飛ばす! 港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ〜♪♪

客がどこかをさわったって 店をとびだして いっちまった
ウブなネンネじゃあるまいし どうにかしてるよ あの娘

「おかしいのは、貴方です。酒場の女がアバズレばかりなら、誰も行きません。純情な娘も居るから店は繁盛するのです。それに、ヨーコは今時珍しい親孝行。兄が三人もいるのに、病に伏した両親の面倒を一人で見てるのです。分かりましたか!」
…アンタ あの娘の何なのさ
「お兄さんだ」
「しっかりせい! アホゥ」
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2020年07月25日

ブルーハワイ

私にとって歌は思い出、いつでもどこでも歌は思い出とともにある。Night and you and Blue Hawaii 夜ごと、君と ブルーハワイとでも言うのかな。とてもロマンチックだ。

だが、私が行ったのは老人福祉センター・ヒヨコ英語教室(仮称)御一行の団体旅行だ。あの頃、60代前半のメンバーは、若かった。その後の人生は、急坂を転げ落ちるように過ぎ去った。

2004年4月22日〜27日、ヒヨコ英語教室、恒例の修学研修旅行に参加した。場所は米国ハワイ州オアフ島。4月22日の午後、千歳空港に集合して、成田経由でホノルル空港には現地時間の9時ごろ到着した。先生を含め総勢16名の参加である。
  
ホノルル到着後、最初のイベントはホノルル市長室訪問。
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市長秘書と市の教育委員にご挨拶。そこで記念撮影。22日は時差もあり43時間に及ぶ、長い一日の最後は買物を楽しんだ。
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23日午前、訪れたホーリー・ネイティビィティ小中学校では、全校生徒による歌と踊りの歓迎を受けた。そして、南国風味のとても美味しいジュースを頂いた。思いもよらぬおもてなしに感動。
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午後はワイキキ公立小学校へ移動する。そこで授業参観させていただいた。研修旅行といっても内容は、観光旅行だろうと思って参加したので、心から感謝。二度と出来ない経験と思う。全員が学校からTシャツを頂き大喜び。女性たちはさっそく着こんだ。
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24日午前・午後オアフ島周遊観光、花木野鳥の多い島だ。夜はディナー・クルーズ、船上から見る夕陽がとても綺麗だった。
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このとき私は63歳、今年は80歳、時がたつのが早過ぎる。子供の頃、「憧れのハワイ航路」は叶わぬ夢だった。まさか自分が行くとは想像もしなかった。現在、世界中に行き渡る航空網は、温暖化の原因となり、コロナウイルスを世界中にばらまいている。海外旅行は「一生に一度の夢」の方が、環境にいいと思う。

25日午前はダイアモンドヘッド登山。
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午後はワイキキ・ビーチで海水浴を楽しんだ。
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そして自由行動、夜はフラダンスがあった。そこで聴くブルー・ハワイは格別だった。一度しか行ったことがないが、聴くごとに思い出している。私にとっては一生一度の夢。

26日(月)13時10分ホノルル空港出発、航空便のハワイ航路は満席だったので、16名はへとへとになって千歳に到着した。

ホーリー・ネイティビィティ小中学校で歓迎セレモニー、ワイキキ小学校での授業参観など、有意義な研修旅行だった。

今でもブルーハワイを聴くとき、そして歌うときも、楽しかったハワイ旅行を思い出す。16年前の私達は若かった。それがあっという間に80歳とは驚きだ。16年とは、生まれたばかりの赤ちゃんが高校に入るまでの時間だなんて、信じられない!

毎週土曜更新、またの訪問をお待ちしています!
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2020年06月27日

風に吹かれて

半世紀前に流行ったクイズを紹介。豚と猿とお母さんが屁をたれた。どれが一番臭かったか三つの内のどれ? 答えは後段。

2017年、ボブ・ディランが、ノーベル賞を受賞した。何故か文学賞だった。音楽賞も歌唱賞もないからかな? 彼はノーベル賞の受賞講演を次のように締めくくった。「私は今一度、ホメロスに戻っていく。『ミューズ(芸術の女神)よ、私の中に入って、物語を語ってくれ』と言ったホメロスに」。

風に吹かれて、作詞・作曲・歌、ボブ・ディランの歌詞の中には、いろいろな問いかけがあるが答えはない。問いは英語で、答えは風の中では、さっぱり分からない。まるで、「オイラは知らないから風に聞いてくれ」と言われたような感じだ。知識もなく英語も出来ないけれど、この歌は大好きだから、いろいろ考えた。

How many times must the cannon balls fly. Before they're forever banned? と問われた私は真剣に考えた。(cannon ball:砲弾)

砲弾の飛ばし合いは製造した時に始まる。砲弾が何発必要と予算要求をする。認められて砲弾を受領すると、使わなければならない。年度末までに余すと、無駄遣いとして、次年度からは砲弾予算は削られる。軍隊も一つの役所である。

もっと恐ろしいのは軍需産業。真の民主主義国なら砲弾要求を国会で止められる。一つだけ条件がある。それは相手も民主主義国家であること。一生懸命考えたが相変わらず間が抜けている。そんな両国が戦争するはずがない。やっぱり風に聞こう。

How many times can a man turn his head. Pretending he just doesn't see? この問は私にとっては、とても厳しい。

顔をそむけないで、正面から見つめるばかりでは、のんびり静かに生きたいのに、戦いの人生になってしまう。大切なのは、自分と反対の意見、あるいは現実にも顔をそむけないことと思う。

「人はあと何回顔をそむけ、見ないフリをするのだろうか?」との問いと思うけれど、見ないふりだけは許して欲しい。トイレの電灯を点け放したからと言って、いちいち文句を言われちゃ、やりきれない。そんな時は、見てないふりをしてほしい。

How many deaths will it take till he knows. That too many people have died? どれだけ死んだら分かるんだ、との問いに対する答えは、映画「猿の惑星」の中にあった。冒頭のクイズの答えもここにある。それは映画が大ヒットした結果の一つである。(猿の惑星→さるのわくせい→猿のは臭せい)

人間が支配する地球は核戦争で消滅する。戦争後の地球は猿が支配している。チンパンジー、オランウータン、ゴリラ等だ。一部の生き残った人間は猿の奴隷になってしまった。

この映画が上映されて半世紀、核戦争の不安は未だに消えていない。最近では核軍縮の話題さえ聞こえてこない。依然として、答えは風の中で舞っている。

歌詞では、問いに対する答えとして次のように書かれている。The answer, my friend, is blowin' in the wind.The answer is blowin' in the wind.
訳はいろいろあるけれど、「友よ答えは風にふかれている。答えは風にふかれている」ぐらいの感じかなと思っている。

歌は下手だし英語は苦手だ。それなのに歌っている。今回のコロナ禍で受難のカラオケ界、私への懲罰かも知れない。巻き込んで(^-^;) ゴメン

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2020年06月06日

お富さん

映画でもテレビでもドラマは大好きだ。つまらなくても最後まで観る。アッと言うような面白い結末があるかも知れない。お富さんと与三郎は、それぞれ日陰の身でありながら惹かれ合っている。死に苦しみに遭いながら、何故か気が合う。

春日八郎の歌う「お富さん」は、もともと歌舞伎から来ているので、短い歌詞に与三郎の気持ちが纏まれている。この歌は、アッと驚く場面から始まる。死に損ないの与三郎が、死んだはずのお富さんに、バッタリ会ってしまう。♪死んだ筈だよ お富さん 生きていたとは お釈迦さまでも 知らぬ仏の お富さん♪ 

大店のドラ息子与三郎(切られの与三)が、木更津でやくざの親分の妾である、お富さんと深い中になってしまう。それがバレて、与三郎は親分らに滅多切りにされ、簀巻きされて海に投げ込まれる。それを見たお富さんは海に身を投げるが、何処かの大番頭に助けられ、その男の妾となる。

3年後、与三郎が訪れたのが大番頭だった男の妾宅。そこで死んだと思っていたお富さんに偶然の再会。歌はここから始まる。気になるのは、♪今じゃ呼び名も 切られの与三よ これで一分じゃ お富さん エーサオー すまされめえ♪ 

金一分は約2万円だそうだ。滅多切りにされ簀巻きにされて海に放り込まれた、お詫びにしては安過ぎる。この辺りの事情は歌舞伎になったのだから、知っている人は多いと思うが、私は知らないまま歌っている。

お富さんが流行った頃は中学生。体調を崩す前のことだった。つまり、元気だった時代だから、学校も、アルバイトも、友達と遊ぶことも、全てが懐かしくて楽しかった。

スマホもオンラインゲームない時代は、学校とアルバイトの掛け持ちでも、遊ぶ時間はたっぷりあった。中学では「のど自慢」をして楽しんだ。一番人気の歌は「お富さん」だった。

お富さん  昭和29年(1954年)
作詞:山崎正 作曲:渡久地政信   歌唱:春日八郎

粋な黒塀 見越しの松に
仇な姿の 洗い髪
死んだ筈だよ お富さん
生きていたとは お釈迦さまでも
知らぬ仏の お富さん
エーサオー 玄冶店(げんやだな)

過ぎた昔を 恨むじゃないが
風も沁みるよ 傷の跡
久しぶりだな お富さん
今じゃ呼び名も 切られの与三よ
これで一分じゃ お富さん
エーサオー すまされめえ

かけちゃいけない 他人の花に
情けかけたが 身のさだめ
愚痴はよそうぜ お富さん
せめて今夜は さしつさされつ
飲んで明かそよ お富さん
エーサオー 茶わん酒

逢えばなつかし 語るも夢さ
誰が弾くやら 明烏(あけがらす)
ついてくる気か お富さん
命みじかく 渡る浮世は
雨もつらいぜ お富さん
エーサオー 地獄雨
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2020年05月23日

さすらい

音痴だから音楽そのものから受ける感動は、普通の人と比べて少ないと思う。恥ずかしながら、コンサートホールで、交響曲の名演を聴いて涙が出たことがない。しかし、歌の場合は話は別、歌詞には人並み以上に感動する。

「さすらい」とはさすらうこと。故郷を出て他の土地をさまよい歩くことを言うそうだ。ならば、生まれてから定職に就くまでの23年間は、まさにさすらいの人生だった。暇に任せて思い出し、数えてみたら21か所をさまよっていた。

平均1年の滞在では友達も出来ない。そんな人生を23年も続けていると自分だけの世界に閉じこもるようになる。定職に就いた後も付き合いは苦手だ。遊んでくれる人も居ないので、映画を観たり本を読んだりして楽しみ、足りなければ空想で補った。

さすらいの旅人の私は、映画の小林旭のように強きをくじき弱きを助けながらの旅ではない。ただ、「さすらい」の歌詞にあるように、どうせ死ぬまで ひとりひとりぼっちさ♪ と思うだけ。そして、歌うたびに いつになったら この淋しさが♪  消える日があろ 今日も今日も旅ゆく♪ と、さすらいの旅人の気分で生きて来た。

この歌の持つ孤独感が好きだ。歌のルーツを探ってみると、「ギハロの浜辺」という題名で、敗戦後、フィリピンの捕虜収容所で歌われていたと言う。作詞者は第十六師団(京都)の将兵と書いてあったが、その中の何方かの作詞と思う。

第16師団は敗戦の色濃い絶望的な1944年8月、レイテ島に移駐。10月、圧倒的な兵力の米軍がレイテ島に上陸。その結果、第16師団は壊滅した。13,000名で臨んだレイテ決戦の生還者は僅か620名と悲惨な結末を残して終わった。

「ギハロの浜辺」は、奇跡的に生き延びたフィリピン抑留の兵士たちの間で歌われていた。それを持ち帰った復員兵から、いくつかの変遷を経て、大ヒットした小林旭が歌う「さすらい」へと育って行った。原曲は異国情緒豊かでロマンチックな歌詞だった。戦争が激化する前に作られたと推測する。

作詞:西沢爽 補作曲:狛林正一 採譜:植内要
夜がまた来る 思い出つれて
おれを泣かせに 足音もなく
なにをいまさら つらくはないが
旅の灯りが 遠く遠くうるむよ

知らぬ他国を 流れながれて
過ぎてゆくのさ 夜風のように
恋に生きたら 楽しかろうが
どうせ死ぬまで ひとりひとりぼっちさ

あとをふりむきゃ こころ細いよ
それでなくとも 遙かな旅路
いつになったら この淋しさが
消える日があろ 今日も今日も旅ゆく
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2020年05月16日

夜霧に消えたチャコ

キリコとかサチコとか女性の名の付く歌は多い。どれを歌っても私には似合わない。ただし、チャコだけは別だ。「夜霧に消えたチャコ」は大好きだ。これだけは似合わなくても歌いたい。

カラオケ(ライブダム)の画面を見ているだけでも懐かしい。映画の一部を使用したものと思うが、シーンが変わるごとに1950年代の東京の風景が映っているように見えて、とても懐かしい。ガード下とか省線の線路とか女給さん募集の張り紙とか、一つ一つが昔なじみの風景で、今は無い故郷の思い出と重なる。

チャコも思い出の人。本名は知らないので歌に合わせてチャコとする。掘っ立て小屋の様なスタンドバーをマスターと二人でやっていた。歌にあるような可憐な人ではなかった。意地と度胸で生きている不良っぽい人だが、それが魅力になっていた。なぜか、私に会うのを楽しみにしてくれた。

いつも開店したばかりの6時頃行くので誰もいない。マスターも居ないのでチャコと二人になれた。冷房もないので暑い日は、外で夕涼みしながら話した。チャコは余り笑わないで喧嘩の話をするのが好きだった。ビール瓶叩き割って一喝したら逃げてったとか、聞いていても面白い。

たまたま8時ごろに行ったことがある。チャコは珍しく酔っぱらっていた。アンタ、おどおどしてるからイラつくんだよと、絡んで来た。繰り返し同じことを言っている。悩みがあるらしい。ギターを持った流しがくると、頼まなくていいからねと大きな声で私に言った。

遅くなるとチャコにも流しにも迷惑かなと思って夕方に行くことにした。それで六時の人になってしまった。私は失業中で家の仕事を手伝っている有様だから貧乏丸出しだ。

だからチャコは金を使わないように、気配りをしてくれた。どう考えても客ではなく友達あつかいだった。金も無い、職もないから夢もない。こんなことがなければ淋しいばかりの20歳だった。

だから60年もたった今でも覚えている。私がどん底にいた時に、もう一つのどん底を教えてくれた人。私の知らない厳しくて暴力的な人生を語ってくれた人。ホントかウソかなど問題でない。話していてとても楽しくて慰められた。

これが私の「夜霧に消えたチャコ」の思い出。人には親切にするものだと、つくづく思う出来事だった。された人は何十年も覚えている。私は職を得て遠くに行った。夜霧に消えたような別れだった。会ってお礼をいいたくてもチャコだけじゃあ探しようもない。
チャコチャコ 忘れはしないいつまでも♪ 
あの日の悲しい悲しいまなざしを♪

夜霧に消えたチャコ
宮川哲夫作詞、渡久地政信作曲

俺のこころを知りながら なんでだまって消えたんだ。
チャコチャコ 酒場に咲いた花だけど
あの娘は可憐な可憐な娘だったよ

夢がないのが淋しいと 霧にぬらした白い頬
チャコチャコ 忘れはしないいつまでも
あの日の悲しい悲しいまなざしを

青いネオンが泣いている 紅いネオンも涙ぐむ
チャコチャコ 返っておくれもう一度
俺の切ないせつないこの胸に
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2020年05月02日

「OK牧場の決闘」の英語

札幌のコロナ感染者数が増えると何となく気になって来る。ステイホームが一番良いと言われると、引きこもっていても「やってる感」を覚えるから有難い。闘っている感じがするのだ。

去年までは人の輪に入りなさい。用事を作りなさい。行く所を持ちなさい。とか言われていたが、コロナ禍で逆になってしまった。ジッとして家に居るのが社会の為と言われている。

音痴なのにカラオケが趣味だ。暇なんだから歌の練習でもしたら良さそうなものだが、そうも行かない。つい、録画してある映画を観てしまう。「ハスラー2」「誰も知らない」「アラモ」等。そして、知りもしないことをブログに書いて楽しんでいる。

OK牧場の決闘(作詞:ネッド・ワシントン、作曲:ディミトリ・ティオムキン)について気になるところがあるのだ。カラオケクラブ例会ではライブダムでやっているが、歌詞の表示が気になっている。

There the outlaw bannd Made their final standのMadeについて歌手はMakeと歌っているし、歌詞もMakeになっている。しかし、カラオケ画面はMadeと過去形になっている。これから決闘をやろうというのにMadeでは勢いがない。英語も殆ど知らないのに、気分だけは西部劇のヒーローになり切っている。

私自身はMadeについてはカラオケ画面を作った人の間違いだと思っている。だから歌手の真似をしてMakeで歌いたい。それなのに目の前の画面がMadeになっていると凄く戸惑う。これには参った。画面表示にmade来ると目をつぶったりして、慣れるのに3年かかった。

Oh my dearest one musut I  lay down my gun or takeも同様、「I」については歌手も歌詞もdieになっているから、dieが正しいと思っている。私は凄く歌が下手なのに、この2ヵ所については、歌うごとにカラオケ画面の文字に足を引っ張られて悔しい思いをしていた。そもそも音痴で英語もよく分からないのに、洋楽カラオケをやっているのが間違い、と言われれば返す言葉もない。仕方がないんだ、私にもいろいろ事情がある。
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2020年03月28日

ローハイドの英語

私は何を歌っても似合わない人。ローハイド(Rawhide)はメチャクチャ似合わないと、前向きに「ローハイド」に書いたことがある。意味も分からず、ローリン・ローリン、ロンハーイと、声を振り絞って叫んだら、皆さんに笑われる前に、自分が笑ってしまう。

これでは、いくら好きでもお仕舞。人生が逆戻りすれば、味気ない無趣味な暮らしが待っている。だから一生懸命意味を調べたが、いつものように分からない。想像と空想で補うことにした。

私の想像では、ローハイドとはカウボーイ。彼らに鞭とズボンカバーは欠かせない。ズボンの上に革製のズボンカバーを着用して、馬上で鞭を振る姿こそ、格好いいカウボーイである。

西部英語に詳しいEさんに聞くと「raw(生の)とhide(皮)で生皮(きかわ)だそうだ。水分を含んだ鞭は痛いと言う。rawhideには生皮のムチで打つという動詞としての意味もある。そこから派生してズボンカバーのことを指す言葉でもあるそうだ」。だが私は、ローハイドと聞けば鞭もズボンカバーも飛び越して、いきなりカウボーイ。根拠はないが、脳裏にカウボーイ姿が浮かぶのである。

次はローリン(rollin')だが、冒頭で12回も繰り返される。Eさんの話ではrollという動詞には、31通りの意味があるそうだ。「進め進め進め」とか、いろいろ訳はあるが、ここは何も考えないでローリン・ローリン・ローリン、そのままでいいことにした。

意味不明だが、作詞者がrawlins の発音を聴き間違えて rollin' としたと言う話もある。実はカウボーイには詳しくない人が作詞したとか、いろんな噂もあって何が何だか分からない。

ローハイドのサビの部分だが、ライブダム:カラオケに於ける次の英文とカタカナがフランキー・レーンの歌とかけ離れ過ぎている。カタカナが違うのは仕方がないが、英文まで違っている。
(ライブダム:カラオケの表記)
「Move them on hit them up 
ムーブ ゼム オン ヒット ゼム アップ
Cut them out ride them in 
カット ゼム アウト ライドゼム イン」

英語をカタカナで表現出来ないことは分かる。しかし、歌詞では head 'em upなのにカラオケではhit them upになってる。そして、どの歌詞でも 'emと書き、thは省略されている。それなのにカラオケではthemのまま、サビの部分だけでも12ヵ所もある。カタカナ振った人でもリズムに合わせてムーブゼムオン ヒットゼムアップとは歌えないと思う。合計1秒だからね。

音痴で口もまわらない、おまけに英語もよく分からない。それなのにローハイドは大好きなので歌おうとしたら全然歌えない。変だなと思ってフランキー・レーンの歌を何百回も聴いたら、Move them on hit them upとは歌っていないことが分かった。ここだけでなくその他もろもろ。皆さんが既に御存知のことを、今頃になって分かったのだ。何をやってもノロマで(^-^;) ゴメン
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2020年03月07日

意味不明の「ジャンバラヤ」

何時だったか忘れたが気楽で楽しい四人会でハンク・ウィリアムズの「ジャンバラヤ」歌った。
「この歌どういう意味なの」とBさんに聞かれた。
「何だか分からないんですよ」
「そう」
「調子いいから好きです」
「そうだね」

四人会では意味不明でも会話になるから有難い。一年前から一人来なくなっているが、今でも「四人会」。実は「三人会」は別にある。認知症気味なので会名変えると自分が混乱する。

ジャンバラヤは、分かり難い英単語でいっぱいだ。例えば、bayou.Thibodaux, Fontaineaux,gumboとか。それに分かり難い表現もある。"Son of a gun"って何だろう。一つ一つは分かっても、四つ並べると分からない。

英和辞典で調べると、「(親しみをこめて)君、お前、(驚き・失望などを表わして)おやおや, しまった, ちぇっ」だそうだ。歌って楽しければ意味は分からなくていいだろうか?

洋楽に詳しい人に聞くと「嫁さんをもらって故郷に連れて行き、皆に紹介する若者の喜びを歌にした。歌詞の中に地元の言葉や風物が混ざっている」そうだ。余計分からなくなってしまったが、食べたり飲んだり騒いだり、楽しい歌のように思っている。

分からなくても、歌っていて一番好きなのがここ。
Thibodaux, Fontaineaux, the place is buzzin',
kinfolk come to see Yvonne by the dozen.
Dress in style and go hog wild, me oh my oh.
Son of a gun, we'll have big fun on the bayou.
(1952年7月 作詞・作曲ハンク・ウィリアムズ)

ジャンバラヤとはクリオール 料理だそうだ。
「クレオール料理 アメリカ合衆国のルイジアナ州ニューオーリンズを中心に食べられている、フランス、スペイン、西アフリカ、ドイツ、イタリア、アイルランドなど、様々な国や地域の食文化の影響を受けた料理。 またはそのスタイル」。
(クレオール料理 世界の食べ物用語辞典より抜粋)
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2020年02月22日

ブルーシャトウの思い出

音痴だから正確な意味では歌を理解していないと思う。私にとっては歌は思い出。ブルーシャトウを聴くと霧の中でうっすら見えるフランスの城、あるいはボルドー地方のワイナリーを連想する。行ったことはないけれど、映画やテレビで見たことがある。

ところが、当時の小学生にかかると、「森と泉に囲まれて静かに眠る」は、「森トンカツ 泉ニンニク かコンニャク まれテンプラ 静かニンジン 眠ルンペン」となるそうだ。ブルーシャトウは小学生にも大人気、この替え歌を皆が歌っていたそうだ。

当時27歳の私は全く知らなかったが、この替え歌を口にすると、何の意味も無いのに何となく楽しい。ルンペンの後、どう続くか分からいのに面白い。生まれるのが20年早すぎた。

ブルーシャトウは1967年3月に発売され、レコード売上150万枚の大ヒット曲、橋本淳作詞、井上忠夫(当時。後に井上大輔)作曲だった。そして、私にとっては新婚時代の歌。

間違いかも知れないが、札幌市南3条西2丁目辺りに三条ビルがあり、高級喫茶ブルーシャトウがあったと記憶している。多分、今のKT三条ビルと思う。1961年の建造となっているので、時代がほぼ一致する。

思い出深い喫茶店なので、三つの出来事を今でも記憶している。まず最初は25歳で札幌に着任したころのこと。初対面の先輩が連れて行ってくれたのが、ブルーシャトウだった。先輩は札幌で最高級の喫茶店と言ったが、まさかと思う。私たちは安月給で、あらゆる最高級とは縁がなかった。

2番目は札幌で知り合った女性と初デート。ともかく先輩に高級と言われているので、その喫茶店にお連れした。「お砂糖幾つ」とか慣れないセリフを言ったら「二つ」と答えてくれた。そこまでは好かったが、袖がコップに触れて、バッシャっと水がこぼれ、慌ててしまった。喫茶店に同伴は初めてなので緊張して手元が狂ったのだ。最初のつもりが最後のデートとなった。

3回目は後に妻となる女性とデートした時だ。その時は同じ失敗をしなかった。ところが、控えめな人と思ったのが大間違い。見事に術中にはまった。今ではすっかり尻の下に敷かれている。しかし、有難い面もある。尻の下に敷かれると、相手が最大限の力を発揮してくれるのだ。ずるくて(^-^;) ゴメン

私の人生で唯一の成功は長生きだ。しかも日々幸せを感じながら生きている。これほど愉しく生きられるとは夢にも思わなかった。好きな曲ブルーシャトウについて書くつもりだったが、気が付いてみれば、思い出の喫茶店に変わってしまった。やっぱり歌はダメだ。日常を語る方が面白い。自己満足だけどね。
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