2020年08月04日

舌切り雀は考える

音痴なのに、耳鼻科医師から補聴器装着を勧められる始末だ。それでも呑気にカラオケを続けている。今はコロナ禍で私の所属するカラオケクラブは休養中だ。

そして今度は舌の手術だ。活舌が悪くなるのは避けられないと、口腔内科医師に告げられている。カラオケをやるには最悪のコンデションだが実感はない。まだ入院前だから、何の心配もしていない。人間の身体は上手く出来ている。

今は退院後のことを考えて楽しんでいる。音痴で耳が悪くて、舌が不自由な人の歌唱法を考えている。本にもネットにも何処にも書いてないから、考え甲斐がある。実行は退院後なのに、考えはクルクルと変わる。だから今は書けない。

きっと、アッと驚くような方法があるはずだ。いろいろ考えるのは楽しい。課題を与えられて自由に考えるのは大好きだ。成果ゼロの無駄な研究は、意外に楽しい。考えるだけだから費用はゼロ円、いつでもどこでも出来るので、入院中でも問題ない。

事情があって8月の更新はお休みです。次の更新は9月以降の予定。またの訪問をお待ちします。
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2020年07月18日

本心

長い間本心を隠していた。いきなりロック・アラウンド・ザ・クロックとブルー・スエード・シューズを歌いたいとか言っても、頭がおかしいんじゃないとか思われるだけ。間違っても本心など言えるわけがない。だから無趣味で真面目な人と思われていた。そして、私もそのように振舞ってきた。

本心を隠したまま人生の幕を閉じるつもりだった。ところが、仕事を離れてしがらみがなくなると、少しずつ本心を明かすようになってきた。徐々に本音で生きられるようになったのである。

顧みれば在職中は冠婚葬祭、日常的な付き合い、全て人並みにやっていたが、嫌々だった。仕事は苦手なので、せめて付き合いぐらいは人並み以上にと心がけていた。これは結構ストレスだ。

退職後は次第に本音で行動することが多くなった。先ず、自己流でやっていたパソコンの勉強をしたいと思った。2003年の春、札幌シニアネット(SSN)入会、さっそくホームページクラブに入り、初めて積極的に人との関りを持った。SSNの活動は「学び合い、教え合い」が基本なので、時には教える方になり、自分の意見を言ったりした。少しだけ本心を明かす習慣がついたのだ。

SSNでHP作成を習って作ったのがウェブサイト「中島パフェ」だった。一生懸命取り組んだので「中島公園の専門家」と間違われた。ラジオ、テレビ出演、新聞・情報誌取材、時には講師、パネラー等、頼まれれば何でも引き受けた。意外な反応に驚き、はしゃぎ過ぎてしまった。

もちろん、恥もいっぱいかいたが、全てはその場かぎりで収まり、後には引かない。ほとんどの場合二度と顔を合わせることもない。正体がバレたのかも知れない。ともかく、いろいろ動いていると隠していた本心が無意識に出てしまう。

職場は固定的社会だったが、退職後は流動的社会を生きているように感じた。家を出て、旅をしている感じだ。15年前からカラオケを始めた。これが私の本心、5年前から洋楽カラオケを始めた。これが本当の本心。今でもロック・アラウンド・ザ・クロックとブルー・スエード・シューズを歌いたいと思っている。

「出来もしないし、似合わないので止めろ。少なくとも俺の前では歌うな」と言う声が、わんさと聞こえるような気がする。でも、ダイジョブ。私は今、流動的社会に居る。旅の恥はかき捨てと言うでではないか。独りよがりが出来るから、人生が楽しいのだ。

ところが、天の声に止められた。3ヵ月くらい舌の痛みが止まらない。歌どころか、食事をするにも不自由だ。本当に世の中は上手く出来ている。無謀なことは、手が届かない何かが止めてくれる。
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2020年04月04日

信じたくない!

2月13日から4月30日まではカラオケには行かない予定だ。所属する札幌シニアネット(SSN)のクラブ活動が3月に引き続き4月も自粛することになった。世界中に蔓延している。新コロナウイルスの感染が収まりそうもないのだ。

今年で80歳になるが、喘息・肺炎・痛風持ちだから罹ればイチコロである。今年の誕生日はとても楽しみにしていた。若いころは80まで生きられるとは夢にも思わなかった。それが実現しそうなのだから、こんな嬉しいことはない。

歌は苦手なのでカラオケを始めたのは65歳になってからだった。年を取ったら上手いか下手かより、楽しいかメンドクサイかで物事を決めるようになった。2ヶ月間もカラオケに行かないのは初めてだ。最初は家で歌の練習をしようと思ったが、三日と続かなかった。65歳になるまで歌う習慣がなかったからだと思う。

その代わり、毎日、歌いたい歌を聴いている。長い間、あらゆるジャンルの歌を聴き続けて来たので、聴く習慣はできていたのだ。変わったことは歌いたい歌を繰り返して聴くようになったことである。聴き方が丁寧になったと思う。この点がカラオケを趣味としてから、大きく違ったことである。

バックグランドミュージックとして聞くことがなくなった。何十年と長い間、そんな風に聞いていたが、いざ歌ってみると何も歌えなかった。そんなことに70歳くらいで、やっと気が付いた。沢山聞いて好かった点は好きな歌がいっぱいあること。歌えたらいいな、と思うようになった。

最近ガックリきたことは、室内で合唱をやったらコロナウイルスが感染し易いとか聞いたことである。ハーモニーのある合唱は、自分が出来ないだけに素晴らしいと思っていた。美しい人が綺麗な声で歌う合唱ほど素晴らしいものはないと思っていた。唾がバンバン飛んで感染の元などと信じたくない!

ところで、このブログは開設して2年たってしまった。あまり読まれていない感じだが、後1年は続けたいと思う。運を天に任せてもう一年。石の上にも三年居れば暖まる。
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2020年03月14日

音痴なのに何故?

音痴なのに札幌シニアネット(SSN)のカラオケクラブが主催する月例会に参加して楽しんでいる。このところ新型コロナウイルスの為、例会中止が続いている。なぜか、人前でないと歌う気がしない。まさか私がと、我ながら呆れている。

外出を自粛しているが、音痴なのに何でカラオケやってるんだろうと考え込んでしまった。他に得意なこともある筈だと思ったが、なにも無い。何をやっても駄目なのだ。特に仕事は辛かった。ダメだからやらない、では済まないからね。

例えて言えば私は、性能の悪い車のようなものだ。スピードは出ないし、ハンドルもブレーキの効きも悪い。オマケによく故障する。生まれつきポンコツで誰も乗りたくない車、それが私。困ったことに、車と運転手がセットで決して別れられない。

1940年、不良品にも関わらず、人としてこの世へと出荷されてしまった。虚弱で、運動が苦手で頭の回転が悪くては、世の中に出ても使い道がない。自分を性能の悪い車の様に感じている。

私のような人間はお金持ちの家で生まれれば好いのだ。そうしたら、いつもニコニコして機嫌のよい、優しい人になりたい。そして、自分に向いた仕事を真面目にコツコツやって行きたい。そうすれば、人に好かれるしバカにされることもない。

空想ならいろいろ考えられるが現実は厳しかった。体力のない私は、何とか頑張って肉体労働から脱出することに成功した。しかし、転職先はノロマに務まる様な生易しい仕事ではなかった。ともかく、定年退職を目標ににして全力を尽くした。

退職したら苦手な仕事から解放されてホッとした。ボランティア活動やアルバイトもしたが、念願の趣味をやりたくなった。しかし、これと言った得意なものがない。考えることが好きなのでブログを開設し、音楽を聴くのが好きなのでカラオケを始めた。

心から好きなら一人で歌い、日記でも書いていればいいのだが、自己顕示欲だけは人一倍強くなっていた。自由になってタガが緩み、抑えていたものが噴出したのだと思う。何事も程好くとは行かないから困る。下手なのにカラオケ会で歌い、それをこのブログ「音痴のカラオケ」に書いて楽しんでいる。読んでくれる人は、とても少ないけれど、ゼロではなく程々だ。

終わりに、音痴なのになぜ歌うかと言うと、子供のころから音楽に憧れていたからだ。働き盛りの中年の頃にオンチは歌うなと強く言われてカラオケ嫌いになった。定年退職後数年して偶然に導かれてカラオケを楽しむようになった。簡単に言えば下手の横好きだが、会の雰囲気が好いので楽しませてもらっている。
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2020年02月15日

音痴のままでも楽しめる

カラオケをやり始めたのは65歳の時だが、約10年間は歌と酒をセットにして楽しんでいた。ほろ酔い気分で歌うのがカラオケ会と思っていたのだ。そんな気持ちだから、何となく音痴とは思っていたが全く気にしてはいなかった。

人のことは分かっても、自分のこととなるとなかなか分からない。多分自分を見ることができないからだろう。鏡でみれば左右反対だし、写真で見ても平面だ。自分の匂いは分からないし、声だって分かり難い。しかも、鏡の中の自分とは話したこともない。

なぜこんなことを長々と書くかと言うと、客観的兆候が数えきれないほど、あったにも関わらず、自分が極めて直しにくい耳音痴(感受性音痴)であることが分からなかったからだ。

中学を出て就職したが、自由時間に少年同士で皆一緒に流行歌を歌って楽しんだ。仕事に余裕が出来るとA君がバイオリンを習うと言った。私はなんであんな音を出すのも大変のものを習うんだろうと、腹の中で笑いながらピアノを習うことにした。

1年後、彼は職場の演芸会でグループ演奏、初心者ながら何とか弾いていた。一方私は何の進歩もなく、ただレッスン料金だけを払うお客さんに過ぎなかった。ここで気づいいてもいいはずなのに、ピアノは一週間に一度触れるだけだがバイオリンは毎日好きなだけ練習できるからなと、単に選択の誤りと思っていた。

ひょっとして音痴かなと思ったのは75歳のときだった。酒を飲まないで歌うようになってから、そう思うようになった。そのころ何も知らずに洋楽カラオケを始めた。音痴の自覚症状のない私だが、全然歌えないと音痴かなとの疑いが芽生える。

最初は初めてだから歌えなくて当然と思ったが、1年たっても出来ないままだ。これはただ事ではない、音痴に違いないと思った。先ず、知ることが先決と考えた。ただ、音痴の勉強をするだけでは詰まらないので、ブログ「音痴のカラオケ」を開設した

勉強した結果、音痴には直り易い「のど音痴」と直り難い「耳音痴」があることが分かった。残念ながら私は耳音痴、直すことはほとんど不可能だ。それでタイトルを「音痴のカラオケ そのまま楽しもう!」に変更、現在に至っている。意外にも音痴のままでも楽しめる。そのまま楽しんで(^-^;) ゴメン
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2019年12月07日

カレンダー

早いもので、同世代の3人でカラオケに行くようになって10年以上たった。共通点と言えば、いつまでたっても、そのまんまということだ。上手くはならないが楽しい。1ヶ月に1回、キチンと行っていたが、12月は3人の都合がつかず中止になってしまった。

カラオケは3人で休みなしの3時間だから相当なものだ。私の身体の中に月に1回、歌いまくるリズムが出来上がっていて、脳に染み付いているのだ。この欲求は簡単には収まらない。

ダメ元でP子に「カラオケ行く?」と聞いてみると、意外にもあっさりとOKした。実は二人で行ったことはない。この時は気軽にOKは、気軽にNOに通ずるとは思っていなかった。

「この日がいいね」と言うので、予定表を兼ねているカレンダーの12月7日欄にフタカラと書き込んだ。お互いにカレンダーを見ながら、それぞれの予定をたてる習慣になっている。

さて、今日はいよいよ初めてのフタカラだなと思って、カレンダーを見ると、フタカラの字に重ねて、二本の線が引いてあることに気が付いた。

「何ですか。この二本線は?」
「Yさんから電話があって食事に誘われたので、消したの」
「約束破るなら、ひと言いって下さい」
「あら! アンタが黙って書いたんじゃない」
「予定を書き入れるのはいいけれど、消すときはひと言断るのが普通でしょう」
「書くのも、消すのも同じじゃない!」

一度「同じ」と言ったら、いくら説明しても、決してひっくり返ることは無い。不本意ながら、黙ってしまった。

「アンタこの人、知ってる。落語家なのよ」とテレビを見ながら。
「………」
「手が震える病気になったんだって、鳩に豆やろうとして、手のひらに豆のっけたら、手が震えて豆が左右に動くもんだから、鳩が困ってしまったんだって、アハハハハ〜」
「………」
「面白いよね。アハハハハ〜」
仕方がないから私もアッハッハ。いつもこの手で騙されている。
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2019年11月30日

SSNカラオケクラブで

今の世の中、誰もが伴奏つきで歌を楽しめるようになった。私は札幌シニアネット(SSN)のカラオケクラブに参加している。上手な人ばかりだが、音痴の私も臆することなく歌うことを楽しんでいる。とても有難いことと感謝している。

カラオケ会には15年くらいは通っていたが、何となく音痴かなとは思っていた。1年前くらいのことだが、自分の歌を録音して聴いてビックリした。音痴と思っていたが、これほど酷いとは思わなかった。まさに青天の霹靂である!

さっそく対策を考えた。その時参考になったのが、小学校時代、同級だった二人の知恵遅れの生徒、カワムラ君とハラ君である。性格は正反対だが、二人ともクラスの皆から愛されていた。音痴が直らないなら、彼らのように好かれる音痴になろうと考えた。

カワムラ君は授業中でも教室の中を歩き回り、愛嬌を振りまいている。一方ハラ君は椅子に座りっぱなし、休み時間でも座って字を書いている。細かい字でノートにビッシリと書く。「勉強してるの」と声をかけると、こちらを向いてニコッとするだけ、一言も発しない。その仕草がとても可愛かったことが忘れられない。

上手い人の中でただ一人の音痴である私は、普通学級に通う障がい者のようなものだ。しかし、カワムラ君の様に愛想を振りまくことは苦手だ。ハラ君のように行動しようと決心した。人生はドラマで私は俳優と仮定した。役は真面目な音痴、舞台はカラオケ会とすれば、ハラ君ならどうするだろう? 

ハラ君なら真面目に一生懸命歌うだろう。彼はいつも知っている限りの文字を丁寧に書いていた。人様の歌は静かに聴くだろう。何も言わないが話しかけられればニッコリ笑顔を見せるだろう。だけどハラ君は独自の世界を持っている。遅まきながら70年後に気が付いた。誰もが自分しか感じない世界を持っている。

私は元々話好きだが、聴力が衰えて医師から補聴器の装着を勧められている。静かな環境ならともかく、カラオケ店のような場所での会話は成り立たなくなっている。半分くらいしか聞き取れないのだ。話しかけてもらうのは嬉しいけれど、ニッコリ笑って「ええそうですね」と言うことしか出来ない。本当は話したいのにね。

まともな会話は出来ないが話しかけてもらうと嬉しい。だけど私に同情して「俺も音痴だよ」とか言わないでね。答えは「ええそうですね」としか言えないのだから(笑)。
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2019年05月25日

夢は夢のままがいい

3年半前から音痴改善を目指してきた。先ず「音痴とは何か」を調べたら、先天的機能障害だから直らないことが分かった。仕方がないので音痴を隠す方法のアレコレを考えた。普通は諦めるが、私は直らないならどうするかを考える。

ところで、片隅が大好きで競争が大嫌いだ。やれば必ず負けるからね。片隅には競争相手が居ないからいい。競争ならビリだが、片隅には0.1%にしろ可能性が残されている。一生懸命やった後は運を天に任せればよい。世の中や周囲の状況が変われば、小さな成功を得られるかも知れない。

背の低い老人は高くすることは出来ないが、曲がった腰を真っすぐにして、高く見せることは出来る。背の高低と同じように音痴は先天的だが、そうでないように見せかけることは可能だ。と言っても知っている人には通用しない。

だが来年は80歳になるから近いうちに周囲の状況も変わるだろう。サ高住、デイサービス、老人ホームとかも身近なものになって来た。時々テレビなどで見るがマージャンとかカラオケが盛んなようだ。

マージャンは忙しそうで楽しめそうもないが、カラオケとか音楽を聴くのは大丈夫かも知れない。それに加齢とともに身体機能が少しずつ壊れて行く。その中で壊れにくいのが口と耳だと思う。

3年前はのど自慢に出ようとか、文化祭のステージに立とうとかデカイことを考えていた。しかし、一生懸命やったら、自分の立ち位置が見えて来た。逆立ちしても不可能だ。そんな考えはアッサリと捨てた。古い夢を捨てれば新しい夢が見えて来る。

私の新しい夢は、「音痴のカラオケ」でブログ・デビュー。難しいけれど音痴を直すことと比べれば簡単だ。そんな夢を抱き始めている。何も考えないことが肝心だ。分かってしまえば、それでお仕舞いとなる。夢は夢のままがいい。知らぬが仏。
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2019年05月11日

音痴のまま楽しもう!

長い間、普通に歌の下手な人と思っていた。だが3年半前に音痴であることに気付いた。平凡社「音楽大辞典」によると「大脳の先天的音楽機能不全」だそぅだ。少しガッカリしたが、ホッとした気分の方が強かった。音楽機能不全なら仕方がない。音痴の生き甲斐に「パラオンチック」でもあればいいのにと勝手に考えた。

ところでブログのタイトルは「音痴のカラオケ そのまま楽しもう!」。音痴は背が低いのと同じように成長期を過ぎたら手の打ちようがない。歌を楽しみたければ、そのまま楽しむより他はない。そう出来ない人は他の趣味を楽しんだ方がいいと思う。

ところが私は、若い時からいろいろな趣味を次々に手を付けて、どれも出来ないまま老人になってしまった。そのような人ならカラオケが一番だ。なにしろ伴奏は物言わぬマシンなのだ。これはとても有り難いことである。将棋でも碁でも、テニスでも、自分よりも先に相手の方が嫌になるようだ。野球などの団体競技には入れてもらえないから試すチャンスさえない。

カラオケも一人でやるなら好き勝手に楽しめば良い。私も最終的にはそうするつもりだ。しかし、皆と一緒の方が楽しい。ならば仲間のことも考えなければいけない。人に好かれれば一番いいのだが、これもなかなか難しい。だから嫌われないように気をつけなければいけない。その気があれば誰でもできる。

音痴も直る余地はある。例えば背の低い老人は猫背を直せば少し高くなる。腰が曲がっているのを直せば相当高くなる。猫背や曲がった腰は、反対に反らすこと、あるいは正しい姿勢をとる訓練を繰り返せば少しは改善するかも知れない。音楽機能不全そのものは先天的だから直らないが、見かけは直せる。

CD等の正しい歌を聴いて真似をする。それを繰り返すだけでいい。頭を使う必要もないから楽だ。悩みの種は同じ歌手でも時代によって歌い方が違うこと。私にはカラオケの伴奏がどのバージョンか分からない。音痴はホントにつらいよ。

歌手の真似など出来るわけがないが、楽譜も読めないし他に方法がない。加齢により耳も目も悪くなってる。こう書くと人生真っ暗闇みたいだが、生活にゆとりが出来たから趣味のことも考えられるようになったのだ。長い人生で、こんなにゆったりした気分になれたのは初めてだ。

10歳からアルバイトをし、15歳からはフルタイムで働いた。そして、定年退職し仕事から解放されれた。楽をしたいと言う子供時代からの夢は叶い、現実となったのである。何だか昭和貴族になった気分だ。平成は無事にやり過ごしたが、令和は大丈夫だろうか。こればかりは運を天に任せるしかない。
あったかい気づいてみれば尻のした気持ち好すぎて出るに出られず -- 籠の鳥
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2019年03月30日

私はイチロー

米大リーグ、マリナーズのイチロウ選手はこう言った「自分が夢中になれるものが見つかれば、立ちはだかる壁にも向かっていける」。なるほど、私も同じ思いだ。

「夢中になってあれだけかい?」ちょっと待った!それは言わないルール。壁の厚さに変わりはない。イチローが目指したのは世界一の野球選手、私が目指すのは普通に歌える人。彼は引退したが私は現在進行中である。

大きな壁に向かうには自分の立ち位置を把握しなければならない。イチローは走攻守に優れた選手、一方私は真面目なオンチ。カラオケ会では一生懸命歌う。そうすれば失笑を誘うことはあっても叱られることはない。歌は穏やかな気持ちで歌わなければ楽しくない。楽しくなければ続けられない。継続は力である。

歴史をひも解くと、人は成功体験にしがみついて国を滅ぼし、会社を倒産させ、自分の人生を破滅に導いた。私も細やかながら成功体験はある。余りにも平凡でワザワザ書くようなことではないが、これしかないないので何時も書いている。

歌と踊りとは関係のない仕事だが、どの職場でも仕事の出来る人は歌とスポーツが得意だった。音痴の私は運動音痴でもあった。そのため仕事も苦手だからクソ真面目に働いた。お陰で「仕事が出来ない人」というレッテルも張られずに、無事に定年退職まで勤め上げた。これが唯一の成功体験である。

「柳の下にいつも泥鰌はいない」とも言われている。成功体験に足を引っ張られ失敗することもある。一生懸命もいいけれど、その場その場で楽しむことも必要だ。カラオケ会を舞台と考え役を演じて楽しんでいる。そうは見えないかも知れないけどね。

舞台では主役、脇役とかいろいろあるけれど、私が選んだ役は真面目なオンチ役である。これなら魅力的でなくても、稽古をしなくても簡単に出来る。気軽なのがなによりだ。

ところでイチローはインタビューでこう言った「監督は絶対無理です。これには絶対が付きます。人望がない」。この発言といい、冒頭の発言といい、何てイチローと私はよく似ているのだろう。

だが待てよ。ひょっとして似ているのは「立ちはだかる壁」があることと「人望がない」ことだけかも知れない。イチローは苦労はしていない苦心はしているとも言っている。同感である。
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