2020年06月13日

聞いたが聴いてない

ある日、地下鉄に乗ってデパートに行った。車内はガラガラだし、デパートは臨時閉店、おまけに地下通路の人通りは疎らで行き交う人々は、皆、風邪をひいたのかマスクをしている。5月なのに変だ。まるでSFの世界である。この世の終わりかなと思った。

もし、去年のゴールデンウイーク(GW)から突然、1年後に瞬間移動したら、誰もがこう思うだろう。賑わいのGWが、突然、閑散としたGWになったのだから、戸惑い、ビックリする。

現実には4ヵ月かけて徐々に変化した。それでも、飛行機も飛ばない分断された世界に違和感を覚えている。しかし、密閉、密集、密着を禁止された状況には慣れてしまった。元々孤独だからね。変わったことと言えばカラオケに行かなくなっただけだ。

約15年前にカラオケを始めてから、こんなに長い間、カラオケに行かないのは初めてだ。月に2,3回は行っていたのに、ひと月もすると行かないことに慣れてしまった。あれほど好きで、このブログ「音痴のカラオケ」を開設したくらいなのに不思議だ。

歌いたいなら一人でも歌えるはずだが、2,3回、一人で歌ったら厭きてしまった。カラオケボックスに行かないと、歌う気がしないのだ。それでも聴くのは大好きだ。

音楽を毎日のように聞きだしたのは、自分専用のトランジスターラジオを持ったときからだ。あれから60年たった。それに比べるとカラオケはたった15年だ。カラオケに行かない生活には慣れたが、歌を聴かずにはいられない。

カラオケ無しの生活に慣れたことより、もっと不思議なことがある。60年間も聞いていたのに、何故まともに歌えないのだろう。多分、何となく聞いて、身を入れて聴いたことがないからだ。

カラオケをやって好かったことは、歌う気持ちになって、身を入れえて聴くようになったことだ。聴くことがいっそう楽しくなった。ちゃんと歌えるようにはならなかったけれど、収穫は充分あった。

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2020年05月30日

歌えなくて幸い

口が痛くて歌えない。飯は食えるが、右側が痛いので、左だけで噛まなければならない。カラオケは出来ないし、美味しさが口いっぱいに広がる喜びも失った。でも生きることもノンビリ暮らすことも出来る。贅沢な機能の一部を失ったに過ぎない。

口腔内科で舌癌の疑いがあると言って、舌の組織を取って検査した。癌でないことが分かったが、舌が痛くて食事をするのも楽じゃない。固い肉でも左歯で噛めるが、ジュースを飲んでも、患部に染みて痛い。楽に飲食できる方法を探っている。

左側だけで食べるのは意外に難しい。左側の歯を使って噛んでも、口の中の食べ物が右側に広がり痛くなる。鼻をかんでも痛いし、話すときも痛い。なまじ食欲がある分しんどい。

もちろん、痛くて歌えない。幸か不幸かカラオケ会はコロナ禍で中止が続いている。自分本位の考えで恐縮だが、これは良いことと思っている。と言うのは、私は音痴のくせに自己流で練習している。もちろん、カラオケ会に備えてのことだ。

普通は練習して上手くなるが、私はならない。練習することにより悪い所が、悪いまま固まって行くような気がする。下手な横好きとは、そうものと思っているけど諦めない。余の辞書に不可能……。

口が痛くて歌えないから一生懸命聴いている。聴くのは元々好きだから楽しい。今では調子外れでで歌うよりも、歌手の歌を注意深く聴いている方が、良いのではないかと思っている。

痛いから薬を塗っているが治らない。良くなった気がしないけれど、以前に比べると楽そうに見えると言われた。食べ方が早くなったとも言われた。客観的評価では快復しつつあるようだ。

カラオケ会が再開される頃には治ると思う。一生懸命聴いていれば上手くなるような気がする。後になってコロナ禍のお陰で音痴が治っちゃった。と言うことになるかも知れない。歌っていない今はそう思っている。先のことは分からないから人生は面白い。とりあえず、口が痛くて歌えないのは良いことと思っている。
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2020年04月11日

静かな生活

4月7日、ついに首相が緊急事態宣言。感染爆発か、収束に向かうかの瀬戸際状態が続いている。働いている人は大変だと思う。こんな時こそ気晴らしが必要である。しかし、ライブバーとカラオケはご法度。私は無職で地下鉄に乗る必要さえない、恵まれた人。万が一にも感染して、人様に迷惑をかけてはいけない。この2ヶ月間は引きこもり、静かな暮らしをしている。

ところで、カラオケほど、安くて気軽に楽しめるものはない。特に昼間はね。しかし、音痴がカラオケに行くのは、決して気軽ではない。それどころか、相当な覚悟が必要である。音痴はカラオケに行かないのが普通なのだ。

65歳からカラオケを始めた言うと、「ああそうかい」と軽く受け流される。まだ一度も「なぜ65歳までやらなかったの?」と聞かれたことがない。説明しなくても分かるようだ。ところで、月3回、15年間カラオケ会に通ったら習慣になってしまった。

残念ながら、新型コロナのせいで2ヶ月半で7回のカラオケ会が中止になった。こんなことは15年間で初めてだ。不本意ながら、カラオケの習慣は崩れてしまった。歌いたくてウズウズしていれば、カラオケ会が再会されたら直ぐに行くだろう。ところが新しい習慣が出来てしまったら、それを壊すのは容易ではない。

2月19日が最後の外出となり、その後は家の中と周辺の暮らしとなった。これが新しい習慣である。家に居るのが更に好きになってしまった。安心で静かでノンビリする。しかも楽しい。

何の苦労もないのだから楽しくて当たり前。音痴など全く気にしなくてもいい世界がここにある。出かけるのは中島公園と周辺の散歩だけ。これだけの暮らしだが何故か楽しい。私も今年で80歳、唯一の社会貢献は感染しないこと。そうすれば人様に感染させることもないし、医療を崩壊から守る一助になるかも知れない。
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2020年01月04日

去年音痴と気づいた

自分が音痴と分かるのに70年以上ももかかってしまった。先ず幼児の時、歌うと大人が「調子はずれだね〜」と楽しそうに笑ったが、褒められたと思い調子に乗って歌い続けた。小学校の学芸会ではクラス別合唱の時には先生から口パクを要求されたが、大人の歌が好きで子供の歌などに興味なかったので、歌わなくてよいことを喜んだ。

中学では通知表の成績で音楽が最低評価の「1」だった。評価が最高から最低まであるのは、学校で私一人と聞いて得意になっていた。音楽の「1」を勲章のように感じていたのだ。

17歳のとき同じ年の友人がバイオリンを習うと言うので、ピアノを習うことにした。1年たったら友人は何とかなったが、私はバイエル(初心者教材)半ばだった。ピアノを持っていないからダメだったと思った。歌が下手なことは分かっているので楽器をいろいろ買ってやってみた。何一つモノにはならなかった。

40歳の時、カラオケで歌うように強要され、初めてのカラオケ体験をした。その後、酔っぱらった同僚に「お前は下手なくせにどうして歌うんだ」とシツコク絡まれてカラオケ嫌いになった。彼は人を苛めて喜ぶ人ではない。酔って理性を失い、心ならずも本当のことを口走ってしまったのだ。普段は親切で優しい人である。

65歳のとき偶然に導かれてカラオケを始めた。そのころのカラオケ会は酒を飲みながらだったので、酔った勢いで10年も歌い続けた。75歳で初めての洋楽カラオケに挑戦、散々だったが初めてだから当たり前と思っていた。それでも音痴とは何かを勉強したら、音痴かな? と自分を疑った。

それから3年、何とか伴奏に合わせてと言うか、色の変化について行けるようになった。さあ、これからは歌らしくしないとね、と思った。その第一歩として、自分の歌を録音して聴いてみた。

これだけは勧められてもやるまいと思っていた。言うまでもなく聴いたらガッカリして、カラオケを止めたくなるだろうと予想したからだ。予想をはるかに下回る結果に、ガッカリ以上のショックだったが、不思議なことに頑張ろうと思った。

音痴の勉強で分かったことは音痴には運動性と感受性の二種類がある。私は間違いなく感受性と判断した。つまり先天的だから直らないのだ。少しでも直れば大したものだと思うようになった。

新しい目標が出来た。1年前の自分より上手くなることである。ちなみに運動性音痴は音感はあるので、訓練すれば直ぐに歌えるようになる。羨ましいけど、私には困った時には、助けてくれる運がついている。こちらの方が有難い。
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2019年12月21日

俺は困ってるぜ〜

2018年4月1日「音痴のカラオケ」を開設した。そして来年は2年目を迎える。開設当時の心境は次のようなものだった。恥ずかしながら、ここに再掲。

「決してヒマつぶしではありません。書いてオンチを克服するつもりです。克服とは『努力をして悩みや解決が難しい状況を乗り越えること』。オンチの悩みは絶対に克服できると信じて、このブログを開設しました。2年計画の第一歩です。そして2年後に目出度く傘寿を迎えます。歌う傘寿の誕生!」

残念ながら訂正しなければならない。「歌う傘寿」の夢は打ち砕かれた。音痴とは何かを知ったのは、うかつにも開設した後だった。それに傘寿をすました方が、私の所属するカラオケクラブに入ってきてしまったのだ。もちろん洋楽カラオケの会にもね。その方はもの凄く上手くて、まるでプロのようだ。

音痴の正式名称は「先天的音楽機能不全」、先天的というところが少し気になったが、何とかなると思った。ネット上には「音痴をこうして直した」と言う話が五万とあるからだ。しかし、その殆どは音痴には2種類あることに触れていない。

 直るのは運動性が原因の「のど音痴」の場合である。もともと音感があるので訓練で比較的簡単に直すことが出来る。それに対して、感受性が原因の「耳音痴」はほとんど先天的なもので克服と言っても容易ではない。努力だけではどうにもならない。

今まで70年近くも、歌に限らず音楽が出来る人になりたかった。楽器は部屋に入り切れないほど買った。何も出来るようにならなかったから全部捨てた。そして、残ったのが肉体の一部であるノド。こればかりは捨てられない。たとえ、粗末なノドでも歌いたい。生きなければならないからね。

「何とか歌っているじゃない」と励ましてくれる気持ちは嬉しいが、私の望みは青空のように、限りなく高いのだ。何とか普通に歌える様になりたいと思っている。身の程知らずの高望みだが、運さえ好ければ大丈夫。

今までだって本当に困ったときは、そのたびに運が助けてくれた。問題は、直面していることが「本当に困った」と、運に判ってもらえるかどうかだ。もしそうでなければ、運は私を見放すだろう。
運よ、俺は困ってるぜ!
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2019年10月12日

お前は歌うな(後編)

前編よりの続き
40代のころ初めてカラオケで歌ったが泥酔した同僚から絡まれた。「お前は下手だから歌えと言われても歌うな」としつこく言い続けるのだ。首を振るな、腰くねらすな、気分出すな、その他もろもろ、よくもこんなに覚えていたものだと呆れた。

酔っ払っているから、同じことをなんども繰り返えす。延々と何時間も続き、家に帰ったら午前2時を回っていた。絡んだ同僚は地元の合唱団で歌っていた。職場は全国各地から転勤して来た人ばかりなのに、彼一人が地元の人だった。近所の手前、私の様な非常識な同僚がいることが恥ずかしかったのかも知れない。

 酔って自分を失って無意識に出てきた言葉が「お前は歌うな」だ。世の中でこれほど真実な叫びはない。40前後の分別盛りだから自分を失った時以外本音は出さない。以後、私は二十数年間にわたり人前で歌ったことがない。彼は礼儀正しい、親切な人だ。転勤のときも最後まで面倒をみてくれた。別な土地で再会したときも、自宅に呼んで歓待してくれた。

彼は自分の言ったことを覚えているだろうか。これは永遠の謎と思っていた。お互いに触れたことがなかったのだ。私の歌が彼の心を深く傷つけたことを知ってから歌うのを止めた。

実は彼とは親しくなかった。他所から来た近所の人として、同僚二人を自宅に招いたのだ。この泥酔事件後から親しくなったような気がする。と言うよりも、私は敬遠してたのに彼の方が、なんやかやと親切になったのである。なぜだろう?

この謎は65歳になってカラオケを始めた時に解けた。再び歌うことになり、忌まわしいカラオケ禁止事件を思い出した。これが切っ掛けとなった。私の推測だが、泥酔した彼自身は何も覚えていないと思う。翌日奥さんに叱られたのだ。

彼は一言一句、正確に奥さんから聞かされた。夜中に2時間も同じことを繰り返せば、隣室でもはっきり聞こえて記憶にも残る。彼は自分が喋った一部始終を、素面になってから聞かされたのだ。多分、こんなところと思う。いずれにしろ今になれば懐かしい。
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2019年10月05日

お前は歌うな(前編)

今では考えられないことだが、少年時代はデタラメ歌って楽しんでいた。リズムとか音程は特に意識しなかった。それらは音楽を勉強する生徒が身に付けるものと思っていた。ところがカラオケ・マシンが出来てからは状況が変わった。昔は好かったなぁ。

カラオケ時代になって、私は歌を禁じられてしまった。酔っ払いの言うことだから理屈もへったくれもない。ただ「お前は歌うな」の繰り返しで禁止されてしまった。ことの起こりは、およそ35年前、地方都市のカラオケができる舞台もある店でのこと。酔いがまわった頃、誰が言うでもなく交代で歌おうということになった。
  
 私はカラオケなどやったことが無いので、嫌だといったら、お節介な同僚が出て来て「オレが一緒に歌ってあげる」とか言って、私をグイグイ舞台に引っ張り上げた。ところが、舞台に上がってみると、気が変わり、3番まで気持ちよく歌ってしまった。

実はこれが大失敗。私を連れて一緒に舞台に上がった同僚は、多分自分が歌いたかったのだ。私が歌い出して戸惑ったところで、代わるつもりだったのだろう。音痴でカラオケも初めてなので、どんな風に歌ったかも覚えていない。酔って気分が好かっただけ。これが後で問題を引き起こすとは夢にも思わなかった。

それから、およそ半年後、男3人で友人の家で飲んでいた。自宅に誘ってくれた友人が突然絡んできた。彼は飲み過ぎていて泥酔していた。いつもと違って蛇のようにしつこい。

 「お前はなぁ〜、下手なくせになぜ歌うんだ!」
 「順番だから歌えと言うから、仕方なく…」
 「お前はなっ!歌えと言われても歌ったらダメなんだ」

はじめは何を言ってるのかサッパリ分からなかった。ここに書いたのは、高齢になってカラオケをするようになってから思い出したこと。自分なりに思い出して、整理したつもりだ。 
愚痴は長々と続くので中断、後編に続く。
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2019年09月28日

無意味な課題

毎日書いて歌って、とても楽しい。イソップ寓話のキリギリスみたいに、厳しい冬がきたら生きて行けないかも知れない。それも他人事の様に感じてのんびり楽しく暮らしている。

洋楽が好きだが英語で歌う以上、避けて通れないのが発音である。しかし、それ以前の問題がある。正しい発音を知らなければ避けることも出来ないのだ。ところでカラオケでは、ほとんどの場合、英文の上にカタカナが書いてある。

書いてある以上、この通りに歌いなさいとの意味にもとれる。現にカタカナどおりに歌っているのを聞いたことがある。正直言って面白かった。私より年上の高齢者数人で初心者カラオケをしたときのことである。確か「きよしこの夜」だったと思う。

昔流行った「ジャンバラヤ」のこと。グッバイ・ジョーはともかく、この後に続くミー・ガッタ・ゴー(me gotta go)とカナが振ってある。しかし、ミー・ガッタ・ゴーと歌う人はいない。こんな例は数え切れないほどあるが、英語をカタカナに置き換えることは出来ないから仕方がない。外国でも似たようなことやってるだろうか。

音痴だから発音は苦手、活舌が悪く日本語も上手く話せないから英語については言うまでもない。ただ耳は口ほど悪くないと思っていたのに、聴力検査で異常と診断され、補聴器を使うように勧められた。何もかも滅茶苦茶だが割と楽しく歌っている。

発音とか一人前のこと言っているけれど、洋楽カラオケを始めて4年もたつのに、ようやくリズムというか、文字が緑色に変わることに合わせて歌える様になった程度だ。だけど文字色の変化に追いつけなかったり、追い越したりしていた時はつらかった。

伴奏に付いて行けるようになると凄く楽しい。あとは音程が好くなって伴奏に合わせて歌える様になれば更に楽しくなるだろう。私にとっては命尽きるまでの永遠の課題である。

皆さんが普通にやってることが、私にとっては課題となる。ある意味で有難い。優しくて無意味な課題が、現実にある厳しくて根本的な課題を押し退けてくれる。お陰でノンビリ生きられる。
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2019年09月21日

中学では「のど自慢」(カラオケクラブに感謝)

音痴なのに所属するシニア団体のカラオケクラブに参加している。ところで、前回のブログで小学生は唱歌より流行歌が好きと書いたが、中学に入ると、その傾向はますます強くなった。当時の中学は自習が多かった。先生も生活に追われて大変だから授業に出れないこともある。そんな時は自習だ。

クラスの学級委員が、「自習は何をやりますか?」とか聞く。皆口々にのど自慢とか言う。何回もやっているので、いつも同じだ、一人ずつ交代で教壇に立って歌う。まるでカラオケクラブのようだ。好んで歌うのが流行歌、「青い山脈」とか「湯の町エレジー」とかね。上手い人も下手な人も自分なりに楽しむ。

なぜか音痴などと言う言葉はなかった。そういう細かいことを気にしていなかったのだ。今の時代、表立っての差別が減った反面、小さな違いに敏感になっている。音痴がその対象になったのはカラオケ・マシンの普及のせいだと思っている。合唱の授業では重要なことも、自習時間ののど自慢では誰も気にしない。同じ歌でもそれぞれ違っている方が面白い。

誰の歌が上手いか覚えていないが、ユガワ君の落語とヒラタ君の浪曲は別格だった。ユガワ君は学校一の秀才で後に東大に入った。彼は全く勉強しないように見えるが試験をすれば何でも一番だ。家にもよく遊びに行ったが、本立で目立つのはズラリと並んだ落語全集、「無線と実験」「ラジオ技術」等、趣味の本。教科書は粗末に扱われているようだ。鞄に入れたままかな?

ヒラタ君は豪快な感じの男子で、広沢虎造の浪曲「清水次郎長伝」が得意だった。中学生なのにラジオで聴く虎造と同じような声だった。この二人だけが別格で、歌などは誰が上手かったか、ぜんぜん覚えていない。何分昔のことだからね。

音痴とは「先天的音楽機能不全」。不治の病みたいに扱われているが病ではない。背が高いか低いかと同じで、身体はちゃんと動いているし、頭だってそれなりに回っている。世の中が精密になって、小さな違いが大きく見えるようになっただけ。

だが歌が上手くなりたいなら自覚しなければならない。不治なんだから上手くはならないが、少しはマシになる。私自身10年間も何となく音痴と思っていただけで、気にしていなかった。4年前から「先天的音楽機能不全」と言うことを知り、気になった来た。

全く知る必要なかったのにね。それでも知って好かったと思っている。どんな時でも自分を嫌いになれない幸せ者である。だが、私は人間としての機能が全体的に劣っている人。何をやっても上手くできない。だから何をやっても恥ずかしい。

結局、趣味を続ける決め手は恥ずかしさと面白さをを天秤に掛け、面白さが重ければ続けている。もう一つ大切なのは趣味を続けられる環境である。だから、こんな私でも楽しく歌わせてくれる、カラオケクラブに感謝している。
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2019年09月14日

ガンバレ音痴!

ドラマが面白いのはあり得ない話を本当らしくみせるからだろう。音痴のドラマは可哀そうか邪魔者なのかは、その場の状況による。いっそ「ガンバレ音痴!」とか言われれば、やる気モリモリになるのだが、なりすぎても傍迷惑だ。悩みは尽きない。

いずれにしろドラマなら哀れな脇役だ。私の未来はどうだろう。果たして、人並みに歌うようになれるのだろうか。それを知るには過去を振り返る必要がある。過去から未来を占うのだ

小学校の学芸会では先生から口パクを強制された。その時は歌わないですむなら、練習もしなくていいと喜んだ。つまり音痴の自覚はなかった。授業は嫌いでも流行歌を子供どうしで歌って楽しんでいた。のど自慢全盛の時代で唱歌より流行歌だった。

カラオケなんかやったことないのに、40歳近くなって半強制的に舞台に引っ張り上げられた。その気になって歌ったら、酔っ払いに絡まれた。「お前は音痴だから頼まれても断れ。絶対に歌うな」と、同じことを3時間も言い続けた。へべれけになっているから、これを延々と繰り返すのだ。歌が大好きな私だが、ここまで言われれば歌う気がしなくなる。

ところが、65歳になったら偶然に導かれてカラオケを始めることになった。まさに意外な展開である。2005年の春だった。私は依然として音痴のままだが、まわりの雰囲気が温かかく、楽しいと感じた。自分が楽しければいいじゃない、と言われれば、そんな気がする。健康にいいと聞くと、それもそうだと思う

それから5年たち、70歳に近づいた頃、道新に「好きになったカラオケ」執筆、北海道新聞のコラム朝の食卓に、そのようなタイトルで書いた。音痴でカラオケについて書く人は居ないと思う。恥ずかしながらやってしまった。今考えると何となく音痴と思っていただけなのだ。幼児のように無邪気に歌っていた。年を重ねるだけでは人間が出来たりしない。馬鹿は死ななきゃ直らない。

更に5年、後期高齢者となる。事もあろうに洋楽カラオケ会に参加した。音痴で外国語も出来ないのにね。英語で歌うことは子供のころからの夢だった。夢だから実現はしないとは思うが、試してみたかった。やっぱりダメだったが、会の雰囲気がいいから、もう少し試そうと思っている。もう少し、もう少しでもう4年たった。

2018年4月1日、エイプリルフールにユニークなブログ、「オンチのカラオケ」を開設した。そして1年半になろうとしているが、「音痴なのにガンバってエライね」と褒められたことがない。

音痴は生まれつきだから直らないが、丸出しはいけない。「丸出しにして何が悪い」と胸を張って言えないものが他にもあるよね。その場合も隠そうとして見えてしまうのなら許される。隠してもあるモノはあるが、できるだけ隠すのがナマーと思う。
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