2020年01月18日

音痴のまま楽しもう!

先ず、短いエピソードを紹介する。ある日、P子はピアノとICレコーダーを買ってきた。そして、部屋を閉め切ってピアノに耳を押し付けて、ドレミファソラシドとか歌っている。何か録音しているようだ。真剣な面持ちだ。思い切って聞くと、音痴を直しているのだと言った。私は困ったことになったと思った。認知症!?

話は変わるが、音痴の克服法を勉強して1年と9ヶ月たった。やっぱり音痴を直すのは無理のようだ。復習すると、音痴には運動性(のど音痴)と感受性(耳音痴)の二種類がある。簡単にいうと、のど音痴は音感はあるので簡単に直るのに対し、耳音痴は先天的だから矯正は極めて困難。そして私は耳音痴なのだ。

のど音痴を直す方法はごまんとある。そして直した人もごまんといる。問題は耳音痴の場合である。苦節1年と9ヶ月、私はついに耳音痴克服法を発見した。これで全て解決と思ったが……。

頂上に登ったつもりが、そこは崖っぷちだった。克服法を見つけたものの実行は不可能! 今年80になる私が、落下傘で敵地に降りて戦う、空挺隊の猛訓練を受けるようなものだ。

耳音痴は音程が取れない。つまり、自分の歌う音を想像できないのだ。目をつぶって階段を上り下りするのと同じだから、階段を踏み外すように、音程を踏み外す。次の音が想像できないまま音を出すから音程を踏み外すのだそうだ。想像できないことを想像できるようにするのは、至難の業である。

自分の声を録音して聴くと違和感を覚える。人の声は気道音で耳に伝わり、自分の声は骨導音で聞こえる。易しく言うと、人の声は空気を介して伝わり、自分の声は骨から伝わってくるのかな。音痴の勉強もこの辺りから難しくなって来た。諦めようかな?

音痴を直すことは殆ど諦めた。冒頭のエピソードはP子と私と入れ替えて読めば、現実の私が見えてくる。凝り性の私もそこまでやりたいとは思わない。一日中、部屋にこもり、ピアノとICレコーダーの前で音比べをしている私を見たら、P子の我慢も限界を超えるだろう。長年の夢だったノンビリした静かな暮らしはお仕舞となる。それでは生きる楽しみがない。止めた止めた。

やはり「音痴のカラオケ そのまま楽しもう!」とのタイトルは、このブログにピッタリだ。考えてみれば音痴は楽しい、歌って楽しい、書いて愉しい。音楽のことは、その道の専門家か、音痴にしか書けないのである。威張ってヾ(^-^;) ゴメン
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2019年11月23日

音痴の洋カラ講座?

私って何てパかなんだろう。実は音痴による音痴のための洋カラ講座を書こうと思っていた。ありふれたことを書いても誰も読んでくれないが、誰も書かないことなら、僅かながら読んでもらえることがある。そうなれば書くことが楽しくなってくると考えた。

音痴が直った話はよく聞くが、のど音痴(運動性音痴)の場合が殆どだ。のど音痴とは音程を正しく聞き取れるが、正しい音程を出すことができない人。例えて言えば、泳げない五体満足の人が、水泳訓練を受けて泳げるようになった話である。

一方、片足なくても泳げるかと聞かれれば、現に泳げる人も少なくないから、答えはイエスである。音楽でも同じようなことが言える。感受性が原因の「耳音痴」とは音感に障害を持っている人である。人並みに歌うには大きなハンディキャップを持っている。音程を取ることが極めて苦手な人、これが真の音痴、正式名称は「先天的音楽機能不全」と言う。

自慢じゃないけれど、私は耳音痴。70年以上歌っているのに、人並みにはなれなかったから間違いない。ところで、耳音痴が書いた「カラオケ講座」は読んだことも聞いたこともない。洋楽カラオケなら絶対に無い! と信じている。だから「音痴の洋カラ講座」を書きたいと思い、モジモジしている。

対象は言うまでもなく耳音痴の人、書く為には成功談を語らなければならない。改善方法をネットで調べたら、答えがあった。音感が乏しい人でも普通に歌えるようになれる、トレーニング方法を見つけた。でも、何だか金もかかりそうだし詰まらなそうだ。

その方法とは次のとおり。
@「直接耳にピアノを当てて、ドレミファソラシドを聞いてみる。そのボイスレコーダーをナンタラカンタラして」とか書いてある。
A歌をドレミファソラシドで歌うこと。

結局自分一人では出来ないことが分かった。ピアノはないし、楽譜には馴染めない。と言う次第で、正しい方法で耳音痴を克服することは諦めた。だからと言って全てを諦めた訳ではない。

独自に開発する手がある。ナポレオンは「余の辞書に不可能という文字はない」と言ったが、私の辞書にも不可能はない。そこにはただ、出来ることと挑戦することがあるだけ。今までだって、諦めずにいろいろやって、周囲の人々に笑ってもらったもんだ。

新しい目標が出来て喜んでいる。初めて成功の果実を味わえるかも知れない。まず自分で克服して、最終的には全ての耳音痴に克服法を伝授したい。歌って暮せばラッキーカムカム。
「音痴の洋カラ講座」只今準備中!?
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2019年11月02日

出来が好い私

こんな話を聞いたことがある。もし10人の社会なら、一人が出来る人で、一人が出来ない人、そして残りの8人は普通の人。ならば私は出来ない人。アート、ゲーム、スポーツ、何一つ出来ない。アートのセンスはないし、ゲームをやれば必ず負ける。

勝ち負けでケリをつけるゲームは、楽しみたくても楽しめない。その点カラオケは勝ち負けがないから有難い。しかし、何となく音痴と思っているから気後れがする。ところが、ある日突然、重症の音痴と分かってからは、やる気がモリモリ湧いて来た。

切っ掛けは自分の歌を録音して聴いたこと。凄く下手で、ただ事ではない。さっそくネットで調べると自分は「大脳の先天的音楽機能不全(平凡社『音楽大辞典』)」であることが分かった。何となく音痴とは思っていたが、これでスッキリした。10年以上もカラオケやってるのに何故進歩しないのか不思議でならなかったのだ。

先天的じゃあ仕方がない。生まれつきなんだから上手くなるはずがない。学齢前なら大変だが、既に退職、来年は80歳である。少しでも改善されれば奇跡だ。高齢者に関する音楽機能改善例として学術資料に載ってもいいかな、とか思ってしまった(笑)。

勉強から空想へと大きく脱線したが、私は低学歴、低体力、おまけに気も小さい、と何一つ好いところがない。一生懸命になると周りが見えなくなる欠点もある。これは性格だから自分の為になる場合がある。短所は長所とも言われている。

3年前は下手と言うよりもメチャクチャ歌って、カラオケ会の皆様に迷惑をかけたと思っている。その代わり自分が重症の音痴と知ると、皆さんの歌に敬意をもつようになった。それでは今はどうかと言うと、これから3年たたないと分からない。今も一生懸命、わき目もふらずに歌っている。相変わらず周りは見えていない。

私も人並みに恥を知る人間だが、恥ずかしい気持ちと、歌いたい気持ちのバランスをとりながら楽しんでいる。幸いなことに、一生懸命のときは恥をかく余裕がない。かくべき恥がぶっ飛んでしまうのだ。お陰でバランスは常に歌いたい方に傾いている。私って何と都合よく出来ているのだろう! 
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2019年10月19日

私の音痴遍歴

振り返ってみると音痴な人生だったなぁと思う。歌が好きだから子供の時から歌っていた。大人は「サブちゃんは調子っぱずれ」と言って笑っていた。皆楽しそうだったから私も楽しかった。

中学では「のど自慢」を楽しんだ。一人ずつ教壇に上がって流行歌などを歌った。同じ歌でも人によって歌い方が違うから面白かった。皆が音痴とかには無関心だった。

中卒後職を転々とした9年間は、安定した職を得ることで頭がいっぱい。娯楽は映画と音楽鑑賞、それに読書。定職についてもその傾向は続き、歌おうとか考えたこともなかった。

40代の時、初めてカラオケで歌ったら、お前は歌うなと叱られた。かなりしつこくね。それ以来カラオケで歌わなくなった。65歳になって、偶然に導かれてカラオケを始めた。

何となく音痴と思っているだけだった。「好きになったカラオケ」とか道新コラムに書いたくらいだから、ぜんぜん気にはしていなかった。こんな時代が10年も続いた。

後期高齢者になって洋楽カラオケを始めた。初めての洋カラである。歌えなかったが、最初はこんなもんだろうと気にしていなかった。そして1年以上たってから初めて音痴と自覚した。薄々感づいていたのでショックはない。

音痴を自覚するとカラオケを止めるか続けるか決めなければならない。10年以上楽しんで来たことを止めるのは容易ではない。続けるなら音痴を直さなければならない。

調べてみたら、音痴には直る音痴と直らないのと2種類あることが分かった。簡単に言えば直る人は音楽脳はあるけど訓練しなかった人、私の様に生まれつきの人は直らないことが分かった。

背が低い人が高くなりたいと思ってもなれない。だからと言って解決法がないわけではない。例えばオランダ人は背が高いそうだ。オランダで背が低い人でも日本にくれば普通に見える。それと同じように下手同士でカラオケに行くと目立たない。これは80代の高齢者3人と10年以上もやっている。気楽で楽しい。

もう一つは正確に歌おうと心がけること。背の低い人でも姿勢を正しくすれば3センチくらいは高く見せられる。少しでも進歩すれば楽しい。3センチは、音痴という微妙な世界では大きい。
大きいよねっ! ウン、大きい。だから頑張り甲斐がある。
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2019年04月27日

夢のままがいい

カラオケ会で一番弱いのは音痴だから、虐げ・弾圧・迫害されるとか言って脅かす人がいる。それを信じた私は、本当は不真面目なのにマジメを盾にして身を守ることにした。真面目な社員、真面目な奥さん、真面目な子供、弱い立場の人たちは皆やっている。マジメは強者から弱者を守る最強の楯である。

「オンチー、引っ込め〜」と、まだ一度も言われていないから大成功! これに奢ることなく真面目に歌い続けたいと思っている。実際には迫害等の経験は全くない。正確には一度だけあるが37年前のこと。とっくの昔に、時の壁の向こう側になっている。記憶としては残るが心のダメージは完全に消えている。

一緒に歌うのは友好的で優しいシニアの仲間だから、常に人の気持ちを考えてくれる。楽しめば良い、健康に良いとか言って励ましてくれる。こんな快適な状況が10年も続けば、何となく音痴と思う程度で気にもしない。甘やかされると年甲斐もなく、自分のことが分からなくなってくるのだ。

3年半前に洋楽カラオケを始めた時に、初めて普通ではないと気がついた。何となくではなく、極めて重症であることが分かった。普通はここで諦めるのだが、逆にやる気がモリモリ湧いてきた。

一生懸命練習して今よりもマシになりたいと思っている。一方、重症だから止めた方が良いかなと思うこともある。何かを止めれば何かが見つかるからだ。止めれば他も見えて来る。何も出来ないから、何の初心者にもなれるのである。← 威張ってゴメン!

ところで、カラオケマシンへの入力は曲の伴奏と私の声、出力はその二つが合成されたもの。ならばマシンの中で加工も出来る。私の歌を正常な音程に直すことが可能だ。人に心地よい声に直すこともできるだろう。もしそうなったら興味が薄れると思う。

若い時はアメリカに行きたかったが、月給が1万5千円なのに、旅行代金は最低30万円もした。40歳過ぎてアメリカに研修に行け、と言われた時は興味を失っていた。大好きなアメリカは昔の歌や古い映画の中にしかない。夢は夢のままがいい。
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2018年05月19日

オンチいろいろ

2018年5月19日 オンチいろいろ
長い間、何となくオンチと思っていたたが、2年ぐらい前から絶望的な耳オンチではないかと疑い始めた。オンチには喉オンチと耳オンチがあるそうだ。耳オンチは生まれつき音が分からない。そして喉オンチは音は分かるけれど、その音を出せないと言う。

オンチに関してはいろいろあるので別の説明を読んでみた。音楽用語で音痴とは「大脳の先天的音楽機能不全」のことを指すそうだ。機能不全とは物事の本来の働きが不完全になることと書いてある。程度はいろいろと思うが私は重い方だと思う。

又、オンチには運動性と感受性の2種類があると言う。運動性の場合は正しい音程を聞き取れているのに、発声する際に音程がずれる。この場合は矯正が容易である。感受性オンチは音程がずれていると判断できないので矯正は難しい。しかし正しい音階を何度も聞くことにより改善できるようだ。なるほどそうかと思ったが、私には喉とか耳の方がピンと来る。

少しだけ勉強した結果、自分は矯正の余地のある喉オンチのような気がしてきた。とは言え重症で身体機能が徹底的に衰えている後期高齢者である。何とかして普通に歌える様になりたいが、果たして余命で足りるだろうか。なんとも心もとない。

10歳の頃はカラフルな車で颯爽と走るアメリカ人に憧れたが、20年後には車を買った。夢が実現するスピードが凄く速かった。65歳でカラオケを始めて13年もたつのに、目に見える進歩もなく時間だけが過ぎて行く。にも拘わらず幸せに思っている。何事にも束縛されず自由だからだ。夢なら覚めないで欲しい。

話は変わるが"オンチのカラオケ"で検索すると好いことが書いてあった。「オクターブを下げて歌うと自分の中で響きやすいので如実に効果が出る」そうだ。上手く歌えるということかな?

自分の中で響くとは自分の声を聞きながら歌えることだと思う。それは有り難いことだ。さっそく試したいとは思ったがオクターブとはどのくらいかな? 頭では分かるが耳ではなかなか感じが掴めない。まぁいいか、なるようになるだろう。 

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2018年04月14日

オンチカラオケ大会

2018年4月14日 オンチカラオケ大会
パラリンピックがあるようにパラノド自慢もあっていいように思う。つまり「もう一つの」オリンピックがあるように、「もう一つの」ノド自慢があってもいいと考えるのだ。もともとParalympic はparaplegia(下半身麻痺者)とOlympicsとからの造語だが、今ではparallelと改められ「もう一つのオリンピック」になった。

パラリンピックは福祉からスポーツへと進化した。一方、私はオンチという障害を持ちながらカラオケを楽しんでいる。皆様の暖かい気持ちに支えられて楽しませてもらっているのだ。とても有り難いが、これは福祉に違いない。

自分は先天的音楽機能不全だと思っている。10年以上もカラオケをやって下手なままなのだから病気としか考えられない。それでも続けているのもビョーキだけどね(笑)。

もしパラリンピックの様に福祉から競技へと高めるとするとパラノド自慢になる。これのクラス分けはとても難しい。オンチは大きく分けて運動性(仮オンチ)と感受性(真オンチ)がある。

運動性オンチの人は正常な音感があるのだから訓練すれば直ぐに歌えるようになる。例えて言うとスポーツをしない健常者のようなものである。( )内は私の造語だが確かな音感の有無の差は大きく、この二つを同一視するのは間違いだと思う。

感受性オンチ(真オンチ)の場合は音程がずれていると判断できないので矯正は難しい。しかし正しい音階を何度も聞くことにより改善できるそうだ。とは言え改善の程度は人それぞれだ。クラスを三つくらいに分ける必要がある。松竹梅とか適当にね。

いろいろ考えたが、やはりパラノド自慢は難しい。沢山のオンチが集まって歌っている姿を想像してみたが異様な感じがして楽しめそうもない。念のため"オンチカラオケ大会"で検索してユーチューブ聴いてみたらどこがオンチかさっぱり分からなかった。

それぞれがオンチと自称して大会に出ているのだから、聴く人が聴けば直ぐに分かると思う。それとも近頃話題の虚偽情報か。アクセスを取るためにカラオケ大会にオンチを冠したのだろうか。と疑う私はヤッパリ真オンチとしか言いようがない。

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