2018年06月16日

片隅の三人カラオケ 

2015年4月頃 片隅の三人カラオケ 
知り合った時は若者だったが、お爺さんになったら3人でカラオケをしている。月日のたつのは早いものだ。もともとは昔話を楽しんでいたのだが、10年もすると話のタネも尽きてしまった。ランチの代わりのカラオケである。

そもそもこの三人は、カラオケとか遊ぶことには全く縁がなかった「片隅の仲間」だ。スポーツと遊びが盛んな職場では、三人とも真面目一方で目立たない存在だった。ひょっとして、面白くない人として目立っていたのかも知れない。

M君とN君は根っから真面目で、仕事も普通に出来る人。一方私は必要に迫られて真面目なフリをしていた。どんな職場でも不真面目で仕事の出来ない人間の居場所はない。仕事が苦手な私は、不本意ながら真面目にしていた。

M君は真面目以外を全く認めない人だった。偽物の私から見れば面白くない人だ。そのかわり面倒見が好くて信頼できる人。N君も同じようなタイプだが、たまに隠れて悪いこともする。他人の駐車場に無断で駐車するとかね。お金はなるべく使いたくない人なのだ。

M君はその真面目さが認められて20人の部下を持つ身に昇進した。あの真面目一方で遊び知らずの彼がカラオケをやり始めたと聞いて驚いた。管理職になったらカラオケくらい付き合えなければと真面目に考えて一生懸命練習したようだ。

と言うことで片隅の三人カラオケでも微妙な格差がある。1番M君、2番私、3番N君という序列ができたのだ。N君は歌手の名も曲名もほとんど知らない。「砂山の砂が…、とか言うのあったよな」とか聞くので、私が「錆びたナイフ」と入れる。つまり、カラオケについては無関心なのだ。付き合ってくれているのだと思う。

M君はとても楽しそうに歌う。妙に鼻にかけた声を出したり、ゼスチャーもオーバーでマイクも激しく動いている。真面目な人柄とのギャップが大き過ぎて可笑しかった。軽い違和感を覚えたけれど、三人で楽しんでいることに比べれば取るに足らないことだ。

気分が好くなり身振り手振りを入れて楽しく歌えば、周りも楽しくなり盛り上がる。ただし、これは格好良くて上手い人の場合。私の場合は往年の東海林太郎のように直立不動で歌うべきだが体が勝手に動いてしまう。困ったものだ。

毎週土曜更新、またの訪問をお待ちしています!
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2018年01月06日

初夢は片隅の人

2018年01月06日 初夢は片隅の人
15年前のことだが中島公園をキーワードにして検索をしたら、目ぼしいサイトは何も無い。ラッキーと思い空き部屋に入るような気分で中島公園に関するHP(ホームページ)を開設した。そこに入ってジッと待っていれば何か好いことが起こりそうな気がした。能力が低い私は競争が苦手で誰も手を付けない片隅が大好きなのだ。

静かに待っていたら5年後に北海道新聞から取材があり、それから3年したら道新コラム「朝の食卓」の執筆を頼まれた。札幌もとっくに百年を過ぎ、ようやく歴史を考えるようになった。歴史に注目すれば札幌の老舗公園である中島公園が必然的に浮上する。つられて「中島パフェ」も浮き上がる。ジッと待つ8年間は長かった。

推測だが、道新ではコラム執筆者20人の中に中島公園関係者を含めたいと考えた。そのような状況の中で検索トップの「中島パフェ」が、担当記者の目を引いたのかも知れない。今では公共部門や企業サイトに押されて沈み始めている。しかし中島公園が世間に注目されるようになった結果なので仕方がない。私は大好きな片隅に戻るだけだ。

ともかく、2年ばかりHP「中島パフェ」の管理人として新聞にコラムを執筆する幸運に恵まれた。望外の結果に喜びすぎて脱線し、カラオケの事まで書いてしまった。思い出しても恥ずかしい。顧みれば人様の目に関しては、まったく無頓着だった。

ところで「音痴のカラオケ」も当時の中島公園同様片隅の存在だ。検索しても該当サイトは現れない。音痴への悪口はいっぱい出て来たけどね。しかし何もなければ競争もないので、力が弱くても参入する余地がある。とりあえず、「音痴のカラオケ」のタグを設定した。そして運が向いて来るのを静かに待つことにした。

人が10人いれば優秀な人が1人ダメな人が1人、残りの8人が普通の人だそうだ。ならば音痴の隠れカラオケファンは百万人はいるはずだ。日本人の10人に1人は音痴として千三百万人が音痴、それでもカラオケをやりたい人が一割として百三十万人。私の様に音痴でもカラオケをしている人が一割いるとしても、百万人以上が隠れカラオケファンである。その内の1%がこのブログを読んでくれるとすると、一万ヒット? 
初夢は捕らぬ狸の皮算用

2010年6月23日北海道新聞「朝の食卓」掲載、
タイトルは「好きになったカラオケ」、『 』内本文コピー
『自分はカラオケ嫌いと思っていたが、偶然歌ったことがきっかけで、大好きなことが分かった。そもそも歌うことが嫌いな人などいないからカラオケ嫌いは周囲の人によって作られるのだと思う。

30年ほど前、場末のカラオケパブで、職場の懇親会があった。経験のない私は歌わないつもりだったが、おせっかいな人のせいで舞台に立つはめになった。「僕が応援してあげよう」とか言って、私の手をぐいぐい引くのだ。ところが、歌いだすと気が変わり、3番までしっかりと歌ってしまった。 

後日、上司から注意された。「おまえは下手なんだから歌うな」と繰り返し言うのだ。こうしてカラオケ嫌いになったが、それが最近、仲間内のカラオケ会に偶然参加したことがきっかけで変わった。最初はもちろん断ったが、2人がかりで両腕をとられステージまで強制連行されたのだ。 30年前と同じ状況で、またもや伴奏が始まると歌う気になってしまった。

ただ、結果は大きく違い、初めて歌う私を歓迎する温かい気持ちが伝わってきた。 誘われるままに次の例会にも出て歌うと「うまくなったね」と言われうれしくなった。カラオケは好きになるも嫌いになるも、周り次第だと思った。好きな歌を人前で歌うことは、やっぱり楽しい。(HP中島パフェ運営・札幌)』

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ホームページ「中島パフェ」もよろしくお願い致します。

(「空白の22年間」より転載)

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2017年12月16日

適度なストレス

2017年12月16日 適度なストレス
楽しむ為に頑張るなんて矛盾している。しかし頑張らなくては楽しめない。在職中はカラオケ嫌いと言うよりも、歌えない人として知られていた。長い間、自分でもそう思って来たが、二つの出来事がキッカケとなりカラオケを楽しむようになった。

第一のキッカケは親しくしているAさんに誘われたこと。下手同士でカラオケをやろうと言うのだ。もう一人の下手な人はお年寄りのBさんだが、しばらくして病気で亡くなられた。代わりに二人のお爺さんが仲間に加わった。4人グループだが私が一番若い。人は入れ替わったが12年も続いている。次は誰の番かなとか言いながら楽しんでいる。

Aさんは毎回、ジョッキ1杯のビールを御馳走してくれる。その上いろいろな割引サービスを利用して、当初は会費を150円ぐらいに抑えてくれた。歌が下手なお陰で大サービスを受けてしまった。まったく何が役に立つか分からない。

第二のキッカケは約10年前のこと。地元のコミュニティFMラジオ番組で中島公園の話をする機会があったが、放送時間が1時間もある。一人じゃもたないと思って元プロ歌手のCさんに応援を頼んだ。そして取材のつもりでCさんが主宰するカラオケ例会に参加した。

歌いたいから参加したと誤解されて半強制的にステージに立たされた。これが縁で例会にも参加するようになった。この二つの偶然がなければカラオケをやることはなかったと思う。チャンスに恵まれ老人力に背を押され、いつの間にかカラオケが趣味になっていた。

音痴だから練習しないと歌えない。せっかく練習をしたのだから、と言う気持ちに押されて歌いたくなるのだ。練習は動機づけとして何よりも大切である。決して上手くなるためではない。ところで、それよりもっと良いことがある。

例会で歌っていると緊張したり、楽しかったり恥ずかしかったりするから刺激になる。これが健康のために良い。毎日ノンビリ暮らしている私には適度なストレスが必要なのだ。

(「空白の22年間」より転載)
posted by 中波三郎 at 21:28| Comment(0) | オンチな暮らし

2017年09月30日

気分が一番大切

2017年09月30日 気分が一番大切
やってはいけない事をしてしまった。それは自分の歌を録音して聞くことである。12年前にカラオケを始めた時、これだけはやらないと決めていた。聞いたらガッカリして歌う気がしなくなると思ったからだ。やっぱりガッカリしたが止める気はしなかった。

12年とは途轍もなく長い時間だ。5歳でフィギュアスケートを始めた少女が世界の頂点に立つまでの時間である。それなのに私の時間は何も残さずにアッと思う間に過ぎ去った。馬齢を重ねるとは正にこのことだ。

ところで、65歳でカラオケを始めて10年たったとき、洋楽カラオケに手をつけた。そして2年たった。結果として好かったと思う。音痴は直らないが言葉は繰り返すことにより口が回るようになる。何となく進歩したような気分になるから有難い。

将棋も玉突きも繰り返して練習したが何の成果もなかった。英語の歌は意味が分からなくても口が回れば、歌えたような気がするから面白い。私にとっては気分が一番大切だ。周囲の人には申し訳ないが聴いてもらえるような歌ではない。それでも人前で歌えば百倍も楽しい。我ながら困った性格だ。自分がこんな人間とは知らなかった。

スポーツや芸能・ゲーム一切できない。いろいろやった結果、自分には生まれつき能力がないのだと諦めた。当然仕事も出来ない。曲がりなりにも英語を使う仕事だった。口が回らない私は繰り返し繰り返し一生懸命練習した。そのせいで本当は怠け者なのに真面目な努力家と誤解された。退職後は化けの皮も少しずつ剥がれ、今は完全脱皮状態である。

当時は仕事だから口が回るようになるまで繰り返すより仕方がなかった。お蔭で繰り返す癖がついた。私にとっては良い癖だ。同じことを何回繰り返しても厭きることがない。そういうものだと思っている。お金もかからないしね。おまけに健康にも良いのだから止められない。

「アンタが英語の歌をね〜」
「ホンの真似事です」
「心配してるんだよ。大丈夫か?」
「訛っていますが何とか」
「そういえばインド人は訛っているな、タンキューとかティンクとかね」
「私の場合は国とか地方は関係ないのです。中波訛りですから」
「中波って何だ?」
中波についてはこちらをClick! →複雑な家族関係

(「空白の22年感」より転載)
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2017年09月09日

ボートは漂っている

2017年09月09日 ボートは漂っている

中島公園の近所に転居して早くも16年たった。夏のレジャーとして人気の高いボートだが苦手なので乗ったことがない。ただテレビに出たときに1回だけ乗る機会があった。たった15分だが嬉しい体験だ。8年前、UHB「トークDE北海道」の「豊平川花火の穴場、中島公園」という番組を収録した時のことである。

よせばいいのに「花火を見るにはボートからが一番ですよ」とか言ってしまった。地元では新住民とか言われていたのに、突然中島公園の達人とか紹介されてテンションが上がってしまったのだ。案内人の立場もわきまえず、いつの間にか想像でものを言っていた。いつもボートに乗って花火を見る人を羨ましく思っていたからだと思う。

リポーターさんに「じゃあボートに乗りましょう」と言われて焦った。ボートに関しては恥ずかしい思い出がある。例の転覆事故以来ボートに乗ったことがない。蚊の鳴くような声で「漕げないのですが」と言ったら「いいですよ。私が漕ぎますから」と、あっさり言ってくれた。有難いけれど情けない。

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15分間だがボートに乗った。 参考 → 花火大会取材協力

本来ならば中島公園の案内役である私が、ボートを漕いで花火鑑賞スポットを案内すべきである。「達人」としてはとても恥ずかしい。私が名乗った訳ではないがカメラの前では否定もできない。煮えきらないまま達人を演じた。人生は芝居のごとしと言う人もいるが。

「芝居をしています」
「アンタがねぇ。嘘だろう」
「三分間のステージです」
「なんだ、カラオケかぁ」
「私にとっては楽しい猿芝居です」
「主役、脇役、悪役、いろいろあるだろう。アンタの役は?」
「子役です」
「ずうずうしい奴だな。年寄のくせに」
「幼児と老人は下手でも許される。自慢じゃないけど老人中の老人、最高齢です」

伴奏を付け、拍手までしてくれるのだから有難い。オマケに金もかからない。みっともないから止めろと言われても止められる訳がない。代りがあれば話は別だ。何かあるかな?

花火大会取材のお陰で半世紀ぶりにボートに乗る機会に恵まれた。乗ってみるとやっぱり楽しい。中島公園が違うアングルから見られるのだ。ボートを漕ぐ練習をして、ボート上から中島公園を撮ってみたい。

そう思っても嫌な記憶が足を引っ張っぱり未だに実現していない。今年こそやるぞと思って8年たった。年を取ると年月が急速に過ぎて行くのに、私のボートはゆっくりと漂っている。進んでいるのか止まっているのかさえ分からない。

(「空白の22年感」より転載)

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2002年10月05日

ヒヨコ英語教室

2002年10月頃 ヒヨコ英語教室
退職したばかりの頃だが暇つぶしに市内の老人福祉施設に行った。「12月25日はクリスマス演芸会です。男性は黒いスーツに蝶ネクタイをして下さい」と先生は言った。

ここは高齢者対象の「ヒヨコ英語教室」。五つある教室が合同で大ホールを借りきりイベントをやるそうだ。私にとっては初めての舞台である。これはエライことになったと思った。

小学校の学芸会以来、舞台などに上がったことがない。蝶ネクタイまでするのだから嫌にる。普段は教室の片隅で大人しくしているのだが、こんなことを言われては黙っていられない。間髪入れず異議を唱えた。

「あの〜、蝶ネクタイは持っていませんが」 
私にとっては精一杯の抵抗だ。
「ご心配いりません。百円ショップで売ってます」
と、軽くかわされてしまった。

教室には分別のありそうなシニアが28人もいる。私が口火を切れば「嫌だ。嫌よ」の大合唱が起こると期待したのだが、そうは問屋が卸さない。思わぬ方向にどんどん進んで行ったのだ。

「蝶ネクタイは私が纏めて買ってきましょう。一人ひとり行くのも脳がないですからね」と仰る方が現れた。これも確かに分別だが事態は思わぬ方向に、どんどん進んで行った。

「女性は白いブラウスに黒のスカートがいいと思いますが」
「胸に赤いバラをつけるのはどうでしょう」
「男性もつけてもいいですか?」

一体どうしたことだ! ここでは私の所属していた社会とは全く違う常識が支配している。変わらなければならないのは私なのか? 信じたくはないが そうらしい。

こうしてクリスマス演芸会は始まった。意外にも皆さんは活き活きととして楽しそうだった。よく考えてみれば当たり前、好きな人しか参加しないのだ。嫌々来たのは私だけらしい。退職したばかりなので、無断欠席とか柔軟な対応が出来なかった。

結局これがカラオケを始める切っ掛けとなった。練習の為いつも隣で歌っていたAさんが3年後にカラオケに誘ってくれたのだ。もちろん私のオンチは充分知った上なので喜んで誘いにのった。英語の勉強は名ばかりで殆ど雑談と歌のヒヨコ英語教室だったが、私に新しい趣味を与えてくれる切っ掛けになった。
posted by 中波三郎 at 19:48| Comment(0) | オンチな暮らし