2020年01月04日

去年音痴と気づいた

自分が音痴と分かるのに70年以上ももかかってしまった。先ず幼児の時、歌うと大人が「調子はずれだね〜」と楽しそうに笑ったが、褒められたと思い調子に乗って歌い続けた。小学校の学芸会ではクラス別合唱の時には先生から口パクを要求されたが、大人の歌が好きで子供の歌などに興味なかったので、歌わなくてよいことを喜んだ。

中学では通知表の成績で音楽が最低評価の「1」だった。評価が最高から最低まであるのは、学校で私一人と聞いて得意になっていた。音楽の「1」を勲章のように感じていたのだ。

17歳のとき同じ年の友人がバイオリンを習うと言うので、ピアノを習うことにした。1年たったら友人は何とかなったが、私はバイエル(初心者教材)半ばだった。ピアノを持っていないからダメだったと思った。歌が下手なことは分かっているので楽器をいろいろ買ってやってみた。何一つモノにはならなかった。

40歳の時、カラオケで歌うように強要され、初めてのカラオケ体験をした。その後、酔っぱらった同僚に「お前は下手なくせにどうして歌うんだ」とシツコク絡まれてカラオケ嫌いになった。彼は人を苛めて喜ぶ人ではない。酔って理性を失い、心ならずも本当のことを口走ってしまったのだ。普段は親切で優しい人である。

65歳のとき偶然に導かれてカラオケを始めた。そのころのカラオケ会は酒を飲みながらだったので、酔った勢いで10年も歌い続けた。75歳で初めての洋楽カラオケに挑戦、散々だったが初めてだから当たり前と思っていた。それでも音痴とは何かを勉強したら、音痴かな? と自分を疑った。

それから3年、何とか伴奏に合わせてと言うか、色の変化について行けるようになった。さあ、これからは歌らしくしないとね、と思った。その第一歩として、自分の歌を録音して聴いてみた。

これだけは勧められてもやるまいと思っていた。言うまでもなく聴いたらガッカリして、カラオケを止めたくなるだろうと予想したからだ。予想をはるかに下回る結果に、ガッカリ以上のショックだったが、不思議なことに頑張ろうと思った。

音痴の勉強で分かったことは音痴には運動性と感受性の二種類がある。私は間違いなく感受性と判断した。つまり先天的だから直らないのだ。少しでも直れば大したものだと思うようになった。

新しい目標が出来た。1年前の自分より上手くなることである。ちなみに運動性音痴は音感はあるので、訓練すれば直ぐに歌えるようになる。羨ましいけど、私には困った時には、助けてくれる運がついている。こちらの方が有難い。
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posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 音痴の気持ち
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