2019年09月21日

中学では「のど自慢」(カラオケクラブに感謝)

音痴なのに所属するシニア団体のカラオケクラブに参加している。ところで、前回のブログで小学生は唱歌より流行歌が好きと書いたが、中学に入ると、その傾向はますます強くなった。当時の中学は自習が多かった。先生も生活に追われて大変だから授業に出れないこともある。そんな時は自習だ。

クラスの学級委員が、「自習は何をやりますか?」とか聞く。皆口々にのど自慢とか言う。何回もやっているので、いつも同じだ、一人ずつ交代で教壇に立って歌う。まるでカラオケクラブのようだ。好んで歌うのが流行歌、「青い山脈」とか「湯の町エレジー」とかね。上手い人も下手な人も自分なりに楽しむ。

なぜか音痴などと言う言葉はなかった。そういう細かいことを気にしていなかったのだ。今の時代、表立っての差別が減った反面、小さな違いに敏感になっている。音痴がその対象になったのはカラオケ・マシンの普及のせいだと思っている。合唱の授業では重要なことも、自習時間ののど自慢では誰も気にしない。同じ歌でもそれぞれ違っている方が面白い。

誰の歌が上手いか覚えていないが、ユガワ君の落語とヒラタ君の浪曲は別格だった。ユガワ君は学校一の秀才で後に東大に入った。彼は全く勉強しないように見えるが試験をすれば何でも一番だ。家にもよく遊びに行ったが、本立で目立つのはズラリと並んだ落語全集、「無線と実験」「ラジオ技術」等、趣味の本。教科書は粗末に扱われているようだ。鞄に入れたままかな?

ヒラタ君は豪快な感じの男子で、広沢虎造の浪曲「清水次郎長伝」が得意だった。中学生なのにラジオで聴く虎造と同じような声だった。この二人だけが別格で、歌などは誰が上手かったか、ぜんぜん覚えていない。何分昔のことだからね。

音痴とは「先天的音楽機能不全」。不治の病みたいに扱われているが病ではない。背が高いか低いかと同じで、身体はちゃんと動いているし、頭だってそれなりに回っている。世の中が精密になって、小さな違いが大きく見えるようになっただけ。

だが歌が上手くなりたいなら自覚しなければならない。不治なんだから上手くはならないが、少しはマシになる。私自身10年間も何となく音痴と思っていただけで、気にしていなかった。4年前から「先天的音楽機能不全」と言うことを知り、気になった来た。

全く知る必要なかったのにね。それでも知って好かったと思っている。どんな時でも自分を嫌いになれない幸せ者である。だが、私は人間としての機能が全体的に劣っている人。何をやっても上手くできない。だから何をやっても恥ずかしい。

結局、趣味を続ける決め手は恥ずかしさと面白さをを天秤に掛け、面白さが重ければ続けている。もう一つ大切なのは趣味を続けられる環境である。だから、こんな私でも楽しく歌わせてくれる、カラオケクラブに感謝している。
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posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 音痴の気持ち
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