2019年05月18日

有楽町で逢いましょう(インド通信)

私にとって歌は思い出、それぞれの土地に結びついている。17歳から22歳の間は東京から九州まで職を転々。金もないし、ラジオで音楽を聞くのが唯一の楽しみだった。「有楽町で逢いましょう」の思い出は、インド通信とホットケーキである。

その歌が出たのは1957年、私は広島県に居た。それから転々として21歳のころから新橋の森ビルにあるPTI通信(Press Trust of India)東京支局で働くことになった。仕事はテレタイプ情報の配達と留守番で凄く楽だった。支局長は日本に来たばかりで日本語が分からない。少しは英語も必要だった。

失業中、自衛隊に入り三ヶ月間の英語訓練を受けた。そして、米軍基地から来るフライトプランを電話で受けながらタイプする仕事に就いた。タイプも英会話も苦手なので落ちこぼれ、依願退職して東京に出た。インド通信はアルバイトだが楽な仕事だ。虚弱体質の私にとっては天の恵みだった。

フランク永井は米軍キャンプでジャズを歌って大好評、私は英語の分からない日本人として米兵に嫌われた。彼等は少しモタつくと他の人と代われと言う、英語でね。私にはギミィアナザと聞こえる。先輩も最初は代わってくれるけど、1ヶ月たったら誰も代わってくれない。その結果、またもや失業者となったのだ。

配達先の一つが当時有楽町にあった朝日新聞外報部、さっそく有楽町で昼食と洒落込んだ。一番安い組み合わせとしてホットケーキとミルクを頼んだ。「あなたと私の合言葉 有楽町で逢いましょう」とか思い出したがが、東京では完全に孤独だった。

インド通信では無保険だが病気に罹るような気もしなかった。そう思えるほど仕事が楽だった。オリンピックを1年後に控えた東京は空前の好景気。ここに居れば何か職が得られるだろうと楽観的になり、何の心配もしなかった。こんな私にも英国の大手通信社に入らないかとの誘いがあったのである。

「君は大学出てないだろう」
とインド通信情報配達先の通信社所長が言った。
「はい、出てませんが」
「英語とタイプが少しできればいいんだが、応募者が大卒ばかりなんだ。大卒の職じゃあないのにね。困ったもんだよ日本は」

私にも一流企業に就職の機会と、大喜びしたがぬか喜びだった。大卒はダメだが、中卒はもっとダメらしい。所長も私が高校も出てないと知ってガッカリ。オリンピックで景気が好かった頃なので、英語が出来て無職の高卒など滅多に居ないのだ。

その時は日本の国家公務員採用試験制度は世界一素晴らしいと思った。学歴の制限がないのだ。例えば、当時の上級試験は大卒程度で実施されるが、中卒でも受けられる。この制度は余り知られていない。私も初めて知ったのは21歳になってからである。何か受かりそうなのを見つけて受験することにした。

有楽町で逢いましょう 1957年7月に発表(私は17歳) 
吉田正 作曲 佐伯孝夫 作詞 フランク永井 歌
そごうデパートの東京店出店のイメージソングとして作られた。
フランク永井の歌声は「低音の魅力」と評され、大ヒット!
個人的思い出としてはホッとケーキとインド通信。

毎週土曜更新、またの訪問をお待ちしています!
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | あの歌この歌
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