2019年01月12日

得意になると笑われる

私の身近では音痴で、しかも同類同士で愚痴りたいと言う人は居ない。仕方がないのでネットで探すことにした。ネット上には有名な「ハゲの会」があるから「音痴の会」もあると思ったのだ。それをキーワードにしてグーグル検索をしたら、私の「音痴のカラオケ そのまま楽しもう!」がトップで表示された。

ただし私のパソコンではね。パーソナライズド検索というらしい。情報の受け手にとっては便利だが、発信者としては迷惑千番な機能である。今までぬか喜びさせられていたことが分かってガッカリした。全く罪作りな新機能である。

結局、「音痴の会」の様なものは見つからなかった。ハゲ同士は語り合えるのに音痴には語り合うチャンスもない。人種差別からハゲ差別に至るまで、いろいろな場面で話し合いが行われ、表立った差別は減る傾向にある。しかし音痴は公の場所で議論されることも無いから、見えない差別が生き続けている。

音痴との闘いは自分との闘いである。一方、相手のある闘いには必勝法がある。例えば私はQPとの闘いに、この必勝法を駆使し大勝利を得た。そして憧れのノンビリ生活を手に入れた。必勝法と言っても大したことではない「挨拶・お世辞・絶対服従」の励行である。しかし勝利への道のりは長い。3年もかかった。

長い付き合いの同居人QPは分かり易い人だ。「ダメダメ、あんたが悪い」の一点張りだから、闘いは「僕が悪かった」の一言で、好きな時に止められる。おまけに騙しやすい。3年たったある日突然、私が主人でQPは奴隷になっていることに気がついた。

QPが進んで挨拶をして、お世辞を言うようになった。私の態度が好くなったので真似しているつもりかも知れない。服従についてはサービスを受ける一方だから、確認するチャンスがない。三度の食事から掃除、洗濯とか何でも進んでやってくれるのだ。

一方、音痴との闘いを始めて3年たったが、目に見える進歩はない。自分との闘いはまるでコンニャクと豆腐の叩き合いみたいで、歯ごたえも手応えもない。一見、泥沼状態で動けないように見えるが、薄日は射している。それは何かと言うには、ちょっと早すぎる。ここは我慢だ。この程度で得意になると笑われる。
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 音痴の気持ち
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