2020年01月25日

羽田発7時50分 そして北へ!

意外にもこの歌は10代の女性に人気があるらしい。カラオケに詳しいAさんの情報によると、フランク永井の歌う「羽田発7時50分」をよく歌う人は60歳以上の高齢者。およそ70%はそうだが、細かく分けて女性だけに限ると20%が10代と言う。意外な結果に喜んだりビックリしたりした。ご自身が生まれた半世紀以上も前の歌が好きとは。まさに名曲扱いである。

ひょっとしてお爺ちゃん対策かもしれない。気分をよくさせてお年玉の増額を狙うとか。しかし、それだったら他にもっと簡単な方法がある筈だ。陳腐な例で恐縮だが肩を叩くとか揉むとかね。殆ど聴いたことのない歌を覚えるのは大変なことだ。好きでなければ出来ないことである。

そう思うのは私が音痴だからだろう。普通は2,3回聞けば覚えるそうだ。私の百分の1、か千分の1程度の労力で歌えるようになるらしい。普通の子供にとっては案外簡単なのかも知れない。いずれにしろ私の知らない世界のことである。

ところで羽田はとても懐かしい。中卒以来8年間も職を転々として漸く就いた定職だから思い入れも人一倍だ。そこには懐かしい思い出がある。航空管制官になるために運輸省航空保安職員訓練所に入所した。先ず、新規採用者の氏名を呼ばれたが、私は最後に呼ばれた。多分、採用したい順だと思う。それでも何とか採用されたのは運がついていたからだ。

研修が終わり終了式のときは、トップで呼ばれた。多分成績順と思う。私は暗記が得意だが、仕事やゲームや運動で大切な頭の回転が人並み外れて悪い。迅速確実に実行しなければならない仕事には向いていないノロマでなのだ。

コンピュータに例えると、演算機能が極めて悪く記憶機能だけの頭なのだ。だから、覚えるのも遅いし忘れるのも遅い。職を転々とした私は自分の弱点をよく知っている。下積みの仕事の訓練とはマニュアルを暗記すること。だから私は訓練中は出来る人だが、現場に行くと途端に出来ない人になってしまうのだ。

訓練所の寮には羽田の管制官も入っている。お風呂では一緒になるが、仲間同士で「出来ないヤツが来たら追い出してやる。訓練所の成績がよくても駄目なヤツが多いんだよ」とか、大声で話している。まるで自分が言われているような気がした。自信のない人は来ない方が良いと知らせてくれたのかも知れない。

この一言で目が覚めた。羽田とか忙しい空港には絶対に行ってはならないと考えた。やっとありついた定職だから定年まで勤めたい。どこの空港が一番私に優しいか調べたら、結論として新設して間もない帯広空港がいいと考えた。そして北へ!
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | あの歌この歌

2020年01月18日

音痴のまま楽しもう!

先ず、短いエピソードを紹介する。ある日、P子はピアノとICレコーダーを買ってきた。そして、部屋を閉め切ってピアノに耳を押し付けて、ドレミファソラシドとか歌っている。何か録音しているようだ。真剣な面持ちだ。思い切って聞くと、音痴を直しているのだと言った。私は困ったことになったと思った。認知症!?

話は変わるが、音痴の克服法を勉強して1年と9ヶ月たった。やっぱり音痴を直すのは無理のようだ。復習すると、音痴には運動性(のど音痴)と感受性(耳音痴)の二種類がある。簡単にいうと、のど音痴は音感はあるので簡単に直るのに対し、耳音痴は先天的だから矯正は極めて困難。そして私は耳音痴なのだ。

のど音痴を直す方法はごまんとある。そして直した人もごまんといる。問題は耳音痴の場合である。苦節1年と9ヶ月、私はついに耳音痴克服法を発見した。これで全て解決と思ったが……。

頂上に登ったつもりが、そこは崖っぷちだった。克服法を見つけたものの実行は不可能! 今年80になる私が、落下傘で敵地に降りて戦う、空挺隊の猛訓練を受けるようなものだ。

耳音痴は音程が取れない。つまり、自分の歌う音を想像できないのだ。目をつぶって階段を上り下りするのと同じだから、階段を踏み外すように、音程を踏み外す。次の音が想像できないまま音を出すから音程を踏み外すのだそうだ。想像できないことを想像できるようにするのは、至難の業である。

自分の声を録音して聴くと違和感を覚える。人の声は気道音で耳に伝わり、自分の声は骨導音で聞こえる。易しく言うと、人の声は空気を介して伝わり、自分の声は骨から伝わってくるのかな。音痴の勉強もこの辺りから難しくなって来た。諦めようかな?

音痴を直すことは殆ど諦めた。冒頭のエピソードはP子と私と入れ替えて読めば、現実の私が見えてくる。凝り性の私もそこまでやりたいとは思わない。一日中、部屋にこもり、ピアノとICレコーダーの前で音比べをしている私を見たら、P子の我慢も限界を超えるだろう。長年の夢だったノンビリした静かな暮らしはお仕舞となる。それでは生きる楽しみがない。止めた止めた。

やはり「音痴のカラオケ そのまま楽しもう!」とのタイトルは、このブログにピッタリだ。考えてみれば音痴は楽しい、歌って楽しい、書いて愉しい。音楽のことは、その道の専門家か、音痴にしか書けないのである。威張ってヾ(^-^;) ゴメン
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 音痴とは

2020年01月11日

啄木と「錆びたナイフ」

音痴だから音楽については語らない。毎回カラオケ会に出ている人が、音楽について語れば上手い人と思われるだろう。そして私の歌を聴きたくてカラオケ会に来るかもしれない。それが恐ろしいから語れない。黙っていて腹に溜まった、ホンの一部をここに書き出している。こっそりと屁をするようにねヾ(^-^;) ゴメン

音痴のオッサンが「錆びたナイフ」を歌うシーンが一種のギャグになっている時代があった。オッサンが抑揚のないのっぺりした感じで歌うのが何となく可笑しいので笑ってしまった。考えてみればよそ事ではない、そのオッサンの30年後の姿こそ私なのだ。「錆びたナイフ」は易しいようで難しい歌だ。

この歌は意外に奥が深いから大好きだ。第一に映画が好かった。若さ溢れる石原裕次郎と小林旭の共演。しかも原作は兄の石原慎太郎が、裕次郎の主演を前提に書いたものである。従って裕次郎の魅力がたっぷり味わえる映画になっている。

おまけに、裕次郎が歌った主題歌「錆びたナイフ」(作詞:萩原四朗、作曲:上原賢六)は、184万枚を売り上げる大ヒットとなってしまった。しかも歌詞は意外なことに、石川啄木の短歌を再構成したものと言われている。

ここにホンの一部分を紹介。
石原裕次郎「錆びたナイフ」では、
砂山の 砂を 指で掘ってたら まっかに錆びた 
ジャックナイフが 出て来たよ
となっている。

一方、石川啄木の「一握の砂」では、
いたく錆びし ピストル出でぬ 砂山の 砂を指もて 掘りてありしに
と歌っている。

これに続く十首の短歌が一連のドラマを構成している。作詞者が錆びたピストルを、錆びたナイフと言い換えたそうだ。

今考えると錆びたピストルはリアリティ欠けるかも知れないが、明治時代は現代ほど銃の管理が厳しいとも思えない。終戦直後も警察の目が届かない感じがあった。私も見知らぬ男に、珍しいものを見せてやると言われて、拳銃を見せられた記憶がある。念のため申し添えるが、その時代に精巧なモデルガンなどない。

B級映画と思われがちな日活無国籍アクションだが、「錆びたナイフ」はとても好かったし。歌詞も石川啄木の影響を受けてると知って興味津々、その主題歌をますます好きになってしまった。
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | あの歌この歌

2020年01月04日

去年音痴と気づいた

自分が音痴と分かるのに70年以上ももかかってしまった。先ず幼児の時、歌うと大人が「調子はずれだね〜」と楽しそうに笑ったが、褒められたと思い調子に乗って歌い続けた。小学校の学芸会ではクラス別合唱の時には先生から口パクを要求されたが、大人の歌が好きで子供の歌などに興味なかったので、歌わなくてよいことを喜んだ。

中学では通知表の成績で音楽が最低評価の「1」だった。評価が最高から最低まであるのは、学校で私一人と聞いて得意になっていた。音楽の「1」を勲章のように感じていたのだ。

17歳のとき同じ年の友人がバイオリンを習うと言うので、ピアノを習うことにした。1年たったら友人は何とかなったが、私はバイエル(初心者教材)半ばだった。ピアノを持っていないからダメだったと思った。歌が下手なことは分かっているので楽器をいろいろ買ってやってみた。何一つモノにはならなかった。

40歳の時、カラオケで歌うように強要され、初めてのカラオケ体験をした。その後、酔っぱらった同僚に「お前は下手なくせにどうして歌うんだ」とシツコク絡まれてカラオケ嫌いになった。彼は人を苛めて喜ぶ人ではない。酔って理性を失い、心ならずも本当のことを口走ってしまったのだ。普段は親切で優しい人である。

65歳のとき偶然に導かれてカラオケを始めた。そのころのカラオケ会は酒を飲みながらだったので、酔った勢いで10年も歌い続けた。75歳で初めての洋楽カラオケに挑戦、散々だったが初めてだから当たり前と思っていた。それでも音痴とは何かを勉強したら、音痴かな? と自分を疑った。

それから3年、何とか伴奏に合わせてと言うか、色の変化について行けるようになった。さあ、これからは歌らしくしないとね、と思った。その第一歩として、自分の歌を録音して聴いてみた。

これだけは勧められてもやるまいと思っていた。言うまでもなく聴いたらガッカリして、カラオケを止めたくなるだろうと予想したからだ。予想をはるかに下回る結果に、ガッカリ以上のショックだったが、不思議なことに頑張ろうと思った。

音痴の勉強で分かったことは音痴には運動性と感受性の二種類がある。私は間違いなく感受性と判断した。つまり先天的だから直らないのだ。少しでも直れば大したものだと思うようになった。

新しい目標が出来た。1年前の自分より上手くなることである。ちなみに運動性音痴は音感はあるので、訓練すれば直ぐに歌えるようになる。羨ましいけど、私には困った時には、助けてくれる運がついている。こちらの方が有難い。
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posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 音痴の気持ち