2019年11月30日

SSNカラオケクラブで

今の世の中、誰もが伴奏つきで歌を楽しめるようになった。私は札幌シニアネット(SSN)のカラオケクラブに参加している。上手な人ばかりだが、音痴の私も臆することなく歌うことを楽しんでいる。とても有難いことと感謝している。

カラオケ会には15年くらいは通っていたが、何となく音痴かなとは思っていた。1年前くらいのことだが、自分の歌を録音して聴いてビックリした。音痴と思っていたが、これほど酷いとは思わなかった。まさに青天の霹靂である!

さっそく対策を考えた。その時参考になったのが、小学校時代、同級だった二人の知恵遅れの生徒、カワムラ君とハラ君である。性格は正反対だが、二人ともクラスの皆から愛されていた。音痴が直らないなら、彼らのように好かれる音痴になろうと考えた。

カワムラ君は授業中でも教室の中を歩き回り、愛嬌を振りまいている。一方ハラ君は椅子に座りっぱなし、休み時間でも座って字を書いている。細かい字でノートにビッシリと書く。「勉強してるの」と声をかけると、こちらを向いてニコッとするだけ、一言も発しない。その仕草がとても可愛かったことが忘れられない。

上手い人の中でただ一人の音痴である私は、普通学級に通う障がい者のようなものだ。しかし、カワムラ君の様に愛想を振りまくことは苦手だ。ハラ君のように行動しようと決心した。人生はドラマで私は俳優と仮定した。役は真面目な音痴、舞台はカラオケ会とすれば、ハラ君ならどうするだろう? 

ハラ君なら真面目に一生懸命歌うだろう。彼はいつも知っている限りの文字を丁寧に書いていた。人様の歌は静かに聴くだろう。何も言わないが話しかけられればニッコリ笑顔を見せるだろう。だけどハラ君は独自の世界を持っている。遅まきながら70年後に気が付いた。誰もが自分しか感じない世界を持っている。

私は元々話好きだが、聴力が衰えて医師から補聴器の装着を勧められている。静かな環境ならともかく、カラオケ店のような場所での会話は成り立たなくなっている。半分くらいしか聞き取れないのだ。話しかけてもらうのは嬉しいけれど、ニッコリ笑って「ええそうですね」と言うことしか出来ない。本当は話したいのにね。

まともな会話は出来ないが話しかけてもらうと嬉しい。だけど私に同情して「俺も音痴だよ」とか言わないでね。答えは「ええそうですね」としか言えないのだから(笑)。
タグ:SSN
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | カラオケを楽しむ

2019年11月23日

音痴の洋カラ講座?

私って何てパかなんだろう。実は音痴による音痴のための洋カラ講座を書こうと思っていた。ありふれたことを書いても誰も読んでくれないが、誰も書かないことなら、僅かながら読んでもらえることがある。そうなれば書くことが楽しくなってくると考えた。

音痴が直った話はよく聞くが、のど音痴(運動性音痴)の場合が殆どだ。のど音痴とは音程を正しく聞き取れるが、正しい音程を出すことができない人。例えて言えば、泳げない五体満足の人が、水泳訓練を受けて泳げるようになった話である。

一方、片足なくても泳げるかと聞かれれば、現に泳げる人も少なくないから、答えはイエスである。音楽でも同じようなことが言える。感受性が原因の「耳音痴」とは音感に障害を持っている人である。人並みに歌うには大きなハンディキャップを持っている。音程を取ることが極めて苦手な人、これが真の音痴、正式名称は「先天的音楽機能不全」と言う。

自慢じゃないけれど、私は耳音痴。70年以上歌っているのに、人並みにはなれなかったから間違いない。ところで、耳音痴が書いた「カラオケ講座」は読んだことも聞いたこともない。洋楽カラオケなら絶対に無い! と信じている。だから「音痴の洋カラ講座」を書きたいと思い、モジモジしている。

対象は言うまでもなく耳音痴の人、書く為には成功談を語らなければならない。改善方法をネットで調べたら、答えがあった。音感が乏しい人でも普通に歌えるようになれる、トレーニング方法を見つけた。でも、何だか金もかかりそうだし詰まらなそうだ。

その方法とは次のとおり。
@「直接耳にピアノを当てて、ドレミファソラシドを聞いてみる。そのボイスレコーダーをナンタラカンタラして」とか書いてある。
A歌をドレミファソラシドで歌うこと。

結局自分一人では出来ないことが分かった。ピアノはないし、楽譜には馴染めない。と言う次第で、正しい方法で耳音痴を克服することは諦めた。だからと言って全てを諦めた訳ではない。

独自に開発する手がある。ナポレオンは「余の辞書に不可能という文字はない」と言ったが、私の辞書にも不可能はない。そこにはただ、出来ることと挑戦することがあるだけ。今までだって、諦めずにいろいろやって、周囲の人々に笑ってもらったもんだ。

新しい目標が出来て喜んでいる。初めて成功の果実を味わえるかも知れない。まず自分で克服して、最終的には全ての耳音痴に克服法を伝授したい。歌って暮せばラッキーカムカム。
「音痴の洋カラ講座」只今準備中!?
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 音痴とは

2019年11月16日

「ムーンリバー」は私の人生

ムーンリバーと言えば思い出すのが、オードリー・ヘプバーン主演の「ティファニーで朝食を」。宝石店の前でショウウインドウを見ながら、パンとコーヒーの朝食をとるシーンが印象的だった。美人は得だな、何をやっても様になると思った。もう一つは窓辺でギター抱えてムーンリバーを歌うシーンがとても好かった。

ところで、英語で歌って意味分かるのと聞かれると、胸にグサリと突き刺さる。実はよく分からないからだ。例えばムーンリバーの歌詞は馴染みのある単語ばかりが並んでいるのに、初めから終わりまで意味が分からない。

先ず、Moon Riverとは何だろう? ある人は作詞者の故郷、ジョージア州にある川のイメージだと言う。又、渡ることが出来ない憧れのような存在と言う人もいる。海のように幅の広い実在の川の愛称と言う説もある。まだまだ続く。

ムーンリバーは恋心で虹は幸せという説もあり、ますます分からなくなってきた。面白いのは、ムーンリバーとは大河ミシシッピのこと。筏で漂っているのはハックルベリーとトムソーヤという話。従ってマーク・トウェインの「ハックルベリー・フィンの冒険」を読まないと、この歌の本当の意味は分からないと言い切る。

音痴の私は、歌が下手なだけではない。頭も悪いし運動神経も鈍い。ムーンリバーとは自分の人生と思っている。私は人生と二人連れで、この世をを漂っている。夢を見るのも、心を打ち砕くのも私自身だ。今まさに人生と言う大きな川を渡っている最中と思っている。こんなことをノンビリ考える余裕があって幸せだ。

ひもじくもなく苛められてもいない。こんな暮らしが18年も続いている。これも奇跡の一つと思う。幸せはある日突然、棚からボタモチが落ちるようにやって来た。いつまでも居てほしい。

Moon River Lyric:Johnny Mercer 
                  Music: Henry Mancini.1961
Moon River, Wider than a mile:
I’m crossin’ you in style Some day.
Old dream maker,You heart breaker,
Wherever your goin’,I’m goin’ your way:
Two drifters,Off to see the world,
There’s such a lot of world To see.
We’re after the same Rainbow’s end,
Waitin’ round the bend,
My huckleberry friend,Moon River,and me.
続きを読む
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | あの歌この歌

2019年11月09日

忘れられない「女を忘れろ」

かっての仕事の先輩から「女を忘れろ」は似合わないから歌うなと言われた。冷静に考えると居直るしかない。短足でハゲ、おまけに音痴の老人に似合う曲などあるのだろうか?

仕方がないから、何も考えずに好きな曲を歌うことにしている。「女をわすれろ:作詞:野村俊夫」のどこが好きかと言えば全てだが、あえて言えば歌詞が大好きだ。私の心の故郷である。

ダイス転がせ ドラムを叩け
やけにしんみり する夜だ
思い出すのは若いころ、港町のスタンドバーによく行ったこと。一緒に行くのは一つ年上のMさん。彼はダイスの名人、左手のジッポーのライターで、粋にくわえたピースに火を点ける。そして右手でダイスを振る。その仕草のカッコウいいこと、惚れ惚れする。

忘れろ 忘れろ 鼻で笑ってヨ
あきらめ切るのが 男だろ 
Mさんは「世の中半分は女だ。鼻で笑って諦めろ」と言うけれど、私の周りは男ばかりだ。お店に行かなければ女性と話すことさえ出来ない。デートする相手もいないのだから振られることもない。こんな状態は、男だからこそ諦めきれない!

呑んでくだ巻け グラスを砕け
男ごごろは 馬鹿なもの
歌詞には思い出がいっぱい詰まっている。米兵がバーで大暴れして巻き添えを食って米海軍憲兵に捕まった。米兵は歌詞のように呑んでくだを巻き、グラスを砕いた。

もちろん、それだけじゃない。店中メチャクチャにした。不思議なことに怖くはなかった。何だか映画のワンシーンを見ているような気がした。私も酔っぱらっていたからね。

忘れろ 忘れろ 女なんかはヨ
あの娘にゃあの娘の 恋がある
荒れてみたいぜ 荒れさせろ
米兵は振られて諦めきれないのだろう。一人でフラフラ歩いていたのを同行のMさんが声をかけたのだ。あんなに荒れたの初めて見たし、これからもないだろう。まさに歌詞のとおりだ。彼女には彼女の恋があるんだ。忘れなきゃあダメだよ。そのせいで私とMさんは米兵と一緒に憲兵に捕まった。歌うたびに思いだす。

闇を蹴とばせ 月みてわめけ
どうせあの娘にゃ 判らない
バーで大暴れなんかしないで、誰も居ない原っぱで月を見てわめけばいいのにね。日本人ならそうするよ。だからこの歌は好かれるのだ。アメリカでは絶対にヒットしないと思うよ。

忘れろ 忘れろ 何も言わずにヨ
夜通し歩いて あきらめろ
俺にゃあの娘は 用なしさ
私なら夜通し歩いて諦める。嫌われたのに好きにさせる方法なんか無い。来年で80歳にもなるのに、振ってくれる相手さえ出会ったことがない。淋しい人生だが、ドラマと空想で補ってきた。それでも生きることは素晴らしい。負け惜しみじゃあないよ。ほどほど健康で少しの金があればそれで十分である。
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | あの歌この歌

2019年11月02日

出来が好い私

こんな話を聞いたことがある。もし10人の社会なら、一人が出来る人で、一人が出来ない人、そして残りの8人は普通の人。ならば私は出来ない人。アート、ゲーム、スポーツ、何一つ出来ない。アートのセンスはないし、ゲームをやれば必ず負ける。

勝ち負けでケリをつけるゲームは、楽しみたくても楽しめない。その点カラオケは勝ち負けがないから有難い。しかし、何となく音痴と思っているから気後れがする。ところが、ある日突然、重症の音痴と分かってからは、やる気がモリモリ湧いて来た。

切っ掛けは自分の歌を録音して聴いたこと。凄く下手で、ただ事ではない。さっそくネットで調べると自分は「大脳の先天的音楽機能不全(平凡社『音楽大辞典』)」であることが分かった。何となく音痴とは思っていたが、これでスッキリした。10年以上もカラオケやってるのに何故進歩しないのか不思議でならなかったのだ。

先天的じゃあ仕方がない。生まれつきなんだから上手くなるはずがない。学齢前なら大変だが、既に退職、来年は80歳である。少しでも改善されれば奇跡だ。高齢者に関する音楽機能改善例として学術資料に載ってもいいかな、とか思ってしまった(笑)。

勉強から空想へと大きく脱線したが、私は低学歴、低体力、おまけに気も小さい、と何一つ好いところがない。一生懸命になると周りが見えなくなる欠点もある。これは性格だから自分の為になる場合がある。短所は長所とも言われている。

3年前は下手と言うよりもメチャクチャ歌って、カラオケ会の皆様に迷惑をかけたと思っている。その代わり自分が重症の音痴と知ると、皆さんの歌に敬意をもつようになった。それでは今はどうかと言うと、これから3年たたないと分からない。今も一生懸命、わき目もふらずに歌っている。相変わらず周りは見えていない。

私も人並みに恥を知る人間だが、恥ずかしい気持ちと、歌いたい気持ちのバランスをとりながら楽しんでいる。幸いなことに、一生懸命のときは恥をかく余裕がない。かくべき恥がぶっ飛んでしまうのだ。お陰でバランスは常に歌いたい方に傾いている。私って何と都合よく出来ているのだろう! 
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 音痴とは