2019年10月26日

音痴なのに洋カラ

思い起こせば4年前、私は後期高齢者になった。この歳になって歌って踊って暮らせれば、これに勝る幸せはない。残念ながら、そうは出来ない事情がある。私だけじゃないけどね。

4年前の今頃、札幌シニアネットのカラオケクラブから全会員宛のメールが流れた。クラブ活動の一環として「洋楽カラオケ」例会を開くとの知らせである。「洋楽の好きな人なら誰でも歓迎」と書いてあった。大好きだから、歌えないのに参加してしまった。

洋楽好きは映画から始まった。10歳の時に洋画が好きになり毎週観に行った。そして「駅馬車」「黄色いリボン」「テキサスの黄色いバラ」などの映画音楽が好きになり、その後のテレビドラマでは、「ローハイド」と「ガンスモーク」の主題歌が好きになった。

初参加に備え、自分なりに練習して洋カラの会で歌ってみたら、ぜんぜん歌えないので戸惑った。伴奏に合わせることが出来ないのだ。止めればいいのに止められない。何とかして合わせようとするのだが、出来ないから焦る。そしてメチャクチャになった。こんな筈はないと思って、家で猛練習して、次回も参加した。

こんなことを繰り返して苦節3年、ようやくリズムと言うか、文字色の変化に合わせて口がまわるようになった。ようやく楽しくなりかけて来た。更なる上達のため自分の歌を録音して聴いたらビックリした。こんなはずじゃなかった! 穴があったら入りたい。そして、重い音痴と自覚した。直すにはどうしたらいいか? 先ず最初に音痴について勉強をした。

結論として私の音痴は直らないと理解した。音痴には運動性と感受性の2種類があり、運動性音痴の人は正常な音感があるので訓練すれば直ぐに歌えるようになる。一方、感受性音痴の場合は音程がずれていると判断できないので矯正は難しい。

しかし正しい音階を何度も聞くことにより改善できるそうだ。人並みは無理としても、繰り返せば自分なりの改善は望めそうだ。

洋カラに通って4年にもなるが、だんだん楽しくなって来た。一番好かったのは好い環境に恵まれたことである。日本には洋楽が大好きで歌いたい人は少なくない。しかし音痴では、いくら好きでも歌わせてもらえる場所がない。またもや幸運に恵まれた。

私を知っている人はアンタが洋カラをやるとは思わなかったという。当然である。私だってそう思わなかった。大袈裟に言えば針の穴を通過したたような気分だ。狭き門より入った程度かな? とにかく、休まず洋カラの会に参加している。思わぬことが起こるから人生は面白い。たとえ無理やり起こしてもね(笑)。
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posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 音痴の洋カラ

2019年10月19日

私の音痴遍歴

振り返ってみると音痴な人生だったなぁと思う。歌が好きだから子供の時から歌っていた。大人は「サブちゃんは調子っぱずれ」と言って笑っていた。皆楽しそうだったから私も楽しかった。

中学では「のど自慢」を楽しんだ。一人ずつ教壇に上がって流行歌などを歌った。同じ歌でも人によって歌い方が違うから面白かった。皆が音痴とかには無関心だった。

中卒後職を転々とした9年間は、安定した職を得ることで頭がいっぱい。娯楽は映画と音楽鑑賞、それに読書。定職についてもその傾向は続き、歌おうとか考えたこともなかった。

40代の時、初めてカラオケで歌ったら、お前は歌うなと叱られた。かなりしつこくね。それ以来カラオケで歌わなくなった。65歳になって、偶然に導かれてカラオケを始めた。

何となく音痴と思っているだけだった。「好きになったカラオケ」とか道新コラムに書いたくらいだから、ぜんぜん気にはしていなかった。こんな時代が10年も続いた。

後期高齢者になって洋楽カラオケを始めた。初めての洋カラである。歌えなかったが、最初はこんなもんだろうと気にしていなかった。そして1年以上たってから初めて音痴と自覚した。薄々感づいていたのでショックはない。

音痴を自覚するとカラオケを止めるか続けるか決めなければならない。10年以上楽しんで来たことを止めるのは容易ではない。続けるなら音痴を直さなければならない。

調べてみたら、音痴には直る音痴と直らないのと2種類あることが分かった。簡単に言えば直る人は音楽脳はあるけど訓練しなかった人、私の様に生まれつきの人は直らないことが分かった。

背が低い人が高くなりたいと思ってもなれない。だからと言って解決法がないわけではない。例えばオランダ人は背が高いそうだ。オランダで背が低い人でも日本にくれば普通に見える。それと同じように下手同士でカラオケに行くと目立たない。これは80代の高齢者3人と10年以上もやっている。気楽で楽しい。

もう一つは正確に歌おうと心がけること。背の低い人でも姿勢を正しくすれば3センチくらいは高く見せられる。少しでも進歩すれば楽しい。3センチは、音痴という微妙な世界では大きい。
大きいよねっ! ウン、大きい。だから頑張り甲斐がある。
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2019年10月12日

お前は歌うな(後編)

前編よりの続き
40代のころ初めてカラオケで歌ったが泥酔した同僚から絡まれた。「お前は下手だから歌えと言われても歌うな」としつこく言い続けるのだ。首を振るな、腰くねらすな、気分出すな、その他もろもろ、よくもこんなに覚えていたものだと呆れた。

酔っ払っているから、同じことをなんども繰り返えす。延々と何時間も続き、家に帰ったら午前2時を回っていた。絡んだ同僚は地元の合唱団で歌っていた。職場は全国各地から転勤して来た人ばかりなのに、彼一人が地元の人だった。近所の手前、私の様な非常識な同僚がいることが恥ずかしかったのかも知れない。

 酔って自分を失って無意識に出てきた言葉が「お前は歌うな」だ。世の中でこれほど真実な叫びはない。40前後の分別盛りだから自分を失った時以外本音は出さない。以後、私は二十数年間にわたり人前で歌ったことがない。彼は礼儀正しい、親切な人だ。転勤のときも最後まで面倒をみてくれた。別な土地で再会したときも、自宅に呼んで歓待してくれた。

彼は自分の言ったことを覚えているだろうか。これは永遠の謎と思っていた。お互いに触れたことがなかったのだ。私の歌が彼の心を深く傷つけたことを知ってから歌うのを止めた。

実は彼とは親しくなかった。他所から来た近所の人として、同僚二人を自宅に招いたのだ。この泥酔事件後から親しくなったような気がする。と言うよりも、私は敬遠してたのに彼の方が、なんやかやと親切になったのである。なぜだろう?

この謎は65歳になってカラオケを始めた時に解けた。再び歌うことになり、忌まわしいカラオケ禁止事件を思い出した。これが切っ掛けとなった。私の推測だが、泥酔した彼自身は何も覚えていないと思う。翌日奥さんに叱られたのだ。

彼は一言一句、正確に奥さんから聞かされた。夜中に2時間も同じことを繰り返せば、隣室でもはっきり聞こえて記憶にも残る。彼は自分が喋った一部始終を、素面になってから聞かされたのだ。多分、こんなところと思う。いずれにしろ今になれば懐かしい。
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 音痴の気持ち

2019年10月05日

お前は歌うな(前編)

今では考えられないことだが、少年時代はデタラメ歌って楽しんでいた。リズムとか音程は特に意識しなかった。それらは音楽を勉強する生徒が身に付けるものと思っていた。ところがカラオケ・マシンが出来てからは状況が変わった。昔は好かったなぁ。

カラオケ時代になって、私は歌を禁じられてしまった。酔っ払いの言うことだから理屈もへったくれもない。ただ「お前は歌うな」の繰り返しで禁止されてしまった。ことの起こりは、およそ35年前、地方都市のカラオケができる舞台もある店でのこと。酔いがまわった頃、誰が言うでもなく交代で歌おうということになった。
  
 私はカラオケなどやったことが無いので、嫌だといったら、お節介な同僚が出て来て「オレが一緒に歌ってあげる」とか言って、私をグイグイ舞台に引っ張り上げた。ところが、舞台に上がってみると、気が変わり、3番まで気持ちよく歌ってしまった。

実はこれが大失敗。私を連れて一緒に舞台に上がった同僚は、多分自分が歌いたかったのだ。私が歌い出して戸惑ったところで、代わるつもりだったのだろう。音痴でカラオケも初めてなので、どんな風に歌ったかも覚えていない。酔って気分が好かっただけ。これが後で問題を引き起こすとは夢にも思わなかった。

それから、およそ半年後、男3人で友人の家で飲んでいた。自宅に誘ってくれた友人が突然絡んできた。彼は飲み過ぎていて泥酔していた。いつもと違って蛇のようにしつこい。

 「お前はなぁ〜、下手なくせになぜ歌うんだ!」
 「順番だから歌えと言うから、仕方なく…」
 「お前はなっ!歌えと言われても歌ったらダメなんだ」

はじめは何を言ってるのかサッパリ分からなかった。ここに書いたのは、高齢になってカラオケをするようになってから思い出したこと。自分なりに思い出して、整理したつもりだ。 
愚痴は長々と続くので中断、後編に続く。
posted by 中波三郎 at 05:13| Comment(0) | 音痴の気持ち