2019年09月28日

無意味な課題

毎日書いて歌って、とても楽しい。イソップ寓話のキリギリスみたいに、厳しい冬がきたら生きて行けないかも知れない。それも他人事の様に感じてのんびり楽しく暮らしている。

洋楽が好きだが英語で歌う以上、避けて通れないのが発音である。しかし、それ以前の問題がある。正しい発音を知らなければ避けることも出来ないのだ。ところでカラオケでは、ほとんどの場合、英文の上にカタカナが書いてある。

書いてある以上、この通りに歌いなさいとの意味にもとれる。現にカタカナどおりに歌っているのを聞いたことがある。正直言って面白かった。私より年上の高齢者数人で初心者カラオケをしたときのことである。確か「きよしこの夜」だったと思う。

昔流行った「ジャンバラヤ」のこと。グッバイ・ジョーはともかく、この後に続くミー・ガッタ・ゴー(me gotta go)とカナが振ってある。しかし、ミー・ガッタ・ゴーと歌う人はいない。こんな例は数え切れないほどあるが、英語をカタカナに置き換えることは出来ないから仕方がない。外国でも似たようなことやってるだろうか。

音痴だから発音は苦手、活舌が悪く日本語も上手く話せないから英語については言うまでもない。ただ耳は口ほど悪くないと思っていたのに、聴力検査で異常と診断され、補聴器を使うように勧められた。何もかも滅茶苦茶だが割と楽しく歌っている。

発音とか一人前のこと言っているけれど、洋楽カラオケを始めて4年もたつのに、ようやくリズムというか、文字が緑色に変わることに合わせて歌える様になった程度だ。だけど文字色の変化に追いつけなかったり、追い越したりしていた時はつらかった。

伴奏に付いて行けるようになると凄く楽しい。あとは音程が好くなって伴奏に合わせて歌える様になれば更に楽しくなるだろう。私にとっては命尽きるまでの永遠の課題である。

皆さんが普通にやってることが、私にとっては課題となる。ある意味で有難い。優しくて無意味な課題が、現実にある厳しくて根本的な課題を押し退けてくれる。お陰でノンビリ生きられる。
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2019年09月21日

中学では「のど自慢」(カラオケクラブに感謝)

音痴なのに所属するシニア団体のカラオケクラブに参加している。ところで、前回のブログで小学生は唱歌より流行歌が好きと書いたが、中学に入ると、その傾向はますます強くなった。当時の中学は自習が多かった。先生も生活に追われて大変だから授業に出れないこともある。そんな時は自習だ。

クラスの学級委員が、「自習は何をやりますか?」とか聞く。皆口々にのど自慢とか言う。何回もやっているので、いつも同じだ、一人ずつ交代で教壇に立って歌う。まるでカラオケクラブのようだ。好んで歌うのが流行歌、「青い山脈」とか「湯の町エレジー」とかね。上手い人も下手な人も自分なりに楽しむ。

なぜか音痴などと言う言葉はなかった。そういう細かいことを気にしていなかったのだ。今の時代、表立っての差別が減った反面、小さな違いに敏感になっている。音痴がその対象になったのはカラオケ・マシンの普及のせいだと思っている。合唱の授業では重要なことも、自習時間ののど自慢では誰も気にしない。同じ歌でもそれぞれ違っている方が面白い。

誰の歌が上手いか覚えていないが、ユガワ君の落語とヒラタ君の浪曲は別格だった。ユガワ君は学校一の秀才で後に東大に入った。彼は全く勉強しないように見えるが試験をすれば何でも一番だ。家にもよく遊びに行ったが、本立で目立つのはズラリと並んだ落語全集、「無線と実験」「ラジオ技術」等、趣味の本。教科書は粗末に扱われているようだ。鞄に入れたままかな?

ヒラタ君は豪快な感じの男子で、広沢虎造の浪曲「清水次郎長伝」が得意だった。中学生なのにラジオで聴く虎造と同じような声だった。この二人だけが別格で、歌などは誰が上手かったか、ぜんぜん覚えていない。何分昔のことだからね。

音痴とは「先天的音楽機能不全」。不治の病みたいに扱われているが病ではない。背が高いか低いかと同じで、身体はちゃんと動いているし、頭だってそれなりに回っている。世の中が精密になって、小さな違いが大きく見えるようになっただけ。

だが歌が上手くなりたいなら自覚しなければならない。不治なんだから上手くはならないが、少しはマシになる。私自身10年間も何となく音痴と思っていただけで、気にしていなかった。4年前から「先天的音楽機能不全」と言うことを知り、気になった来た。

全く知る必要なかったのにね。それでも知って好かったと思っている。どんな時でも自分を嫌いになれない幸せ者である。だが、私は人間としての機能が全体的に劣っている人。何をやっても上手くできない。だから何をやっても恥ずかしい。

結局、趣味を続ける決め手は恥ずかしさと面白さをを天秤に掛け、面白さが重ければ続けている。もう一つ大切なのは趣味を続けられる環境である。だから、こんな私でも楽しく歌わせてくれる、カラオケクラブに感謝している。
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2019年09月14日

ガンバレ音痴!

ドラマが面白いのはあり得ない話を本当らしくみせるからだろう。音痴のドラマは可哀そうか邪魔者なのかは、その場の状況による。いっそ「ガンバレ音痴!」とか言われれば、やる気モリモリになるのだが、なりすぎても傍迷惑だ。悩みは尽きない。

いずれにしろドラマなら哀れな脇役だ。私の未来はどうだろう。果たして、人並みに歌うようになれるのだろうか。それを知るには過去を振り返る必要がある。過去から未来を占うのだ

小学校の学芸会では先生から口パクを強制された。その時は歌わないですむなら、練習もしなくていいと喜んだ。つまり音痴の自覚はなかった。授業は嫌いでも流行歌を子供どうしで歌って楽しんでいた。のど自慢全盛の時代で唱歌より流行歌だった。

カラオケなんかやったことないのに、40歳近くなって半強制的に舞台に引っ張り上げられた。その気になって歌ったら、酔っ払いに絡まれた。「お前は音痴だから頼まれても断れ。絶対に歌うな」と、同じことを3時間も言い続けた。へべれけになっているから、これを延々と繰り返すのだ。歌が大好きな私だが、ここまで言われれば歌う気がしなくなる。

ところが、65歳になったら偶然に導かれてカラオケを始めることになった。まさに意外な展開である。2005年の春だった。私は依然として音痴のままだが、まわりの雰囲気が温かかく、楽しいと感じた。自分が楽しければいいじゃない、と言われれば、そんな気がする。健康にいいと聞くと、それもそうだと思う

それから5年たち、70歳に近づいた頃、道新に「好きになったカラオケ」執筆、北海道新聞のコラム朝の食卓に、そのようなタイトルで書いた。音痴でカラオケについて書く人は居ないと思う。恥ずかしながらやってしまった。今考えると何となく音痴と思っていただけなのだ。幼児のように無邪気に歌っていた。年を重ねるだけでは人間が出来たりしない。馬鹿は死ななきゃ直らない。

更に5年、後期高齢者となる。事もあろうに洋楽カラオケ会に参加した。音痴で外国語も出来ないのにね。英語で歌うことは子供のころからの夢だった。夢だから実現はしないとは思うが、試してみたかった。やっぱりダメだったが、会の雰囲気がいいから、もう少し試そうと思っている。もう少し、もう少しでもう4年たった。

2018年4月1日、エイプリルフールにユニークなブログ、「オンチのカラオケ」を開設した。そして1年半になろうとしているが、「音痴なのにガンバってエライね」と褒められたことがない。

音痴は生まれつきだから直らないが、丸出しはいけない。「丸出しにして何が悪い」と胸を張って言えないものが他にもあるよね。その場合も隠そうとして見えてしまうのなら許される。隠してもあるモノはあるが、できるだけ隠すのがナマーと思う。
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2019年09月07日

「好きだった」かな?

人は好きだが付き合いは苦手だ。思い返せば歌は人、必ず人との思い出と繋がっている。歌は世につれ世は人につれ。

大勢の少年が大きな部屋に住み込んで働いていた。白鳥春樹君は私と同じ18歳、就職して3年、ようやく遊ぶ余裕が出来た頃だ。プライバシーなど無い。やってることは皆分かる。春樹はダンスばかりしていた。歌って踊るのが大好きだ。彼が大勢の前で一人で歌うときは鶴田浩二の「好きだった」を歌う。

そして、私の顔を正面から見ながら「俺、いい男だろう。鶴田浩二にそっくりだろう」と言う。しかし全然似ていない。どちらかと言うとキリギリスかバッタに似ている。それがダンスホールに行くと、ビシッとお洒落して格好よく踊るから不思議だ。

春樹は朝は歯磨き貸してくれと言い、夕方は靴墨貸してくれと言うが返してくれたことはない。給料は皆同じようなものだが、遊ぶのに遣い過ぎて万年金欠病だ。ある日、「お前をイカス男にしたい。一緒に服を買いに行かないか」と誘われた。

18歳の私は春樹のように格好よくなりたいと思っていたので、渡りに船だ。洋服店でブレザーとズボンを選んでもらい、部屋に帰って着ると春樹は「オ〜!イカスイカス」と言った。

実は二人で部屋を借りていた。売春防止法の影響で廃業した元遊郭なので洒落ていて家賃が安かった。普通の人は敬遠しても私たちは気にしない。職場は間借りを禁止していた。どこを借りようと見つかってはいけない。むしろ隠れ家として最適だ。

新しい服を着て気分良くしていたら、春樹は「何か足りないな〜」と言った、今は秋、私もそんな気がした。春樹が格好良く着こなしている薄いブルーのトレンチコートが目に入った。「気に入ったんなら着ていいよ」と言ってくれた。

それを着て二人で街に行った。踊って飲んで部屋に帰ると。「コート気に入った?」と聞かれた。気に入ってはいたが後になって考えると、私には派手なような気がした。しかし、そのときは春樹のよううに格好よく見えるかなと錯覚していた。

「新しいコート買うから、それで好ければ安く譲ってやるよ」と言われ、喜んで買った。新品の半値くらいと思う。少し得した気分だ。ところが、ある日「デートするので、あのコート貸してくれ」と言われた。あれっ!新しいコート買ってないんだ?

そう言えば、歯磨粉も靴墨も、その他諸々、貸してくれと言われたが、持っていなかったのだろう。服を選んでくれてから、トレンチコートを売るまで、全ては彼が描いたシナリオかな? 疑惑だらけの春樹だが、何故か金魚の糞のように付いて歩いて遊んでいた。遊びたいのに遊べない。昔も今も変わらない。

鶴田浩二の「好きだった」を書くつもりだったが、何故か春樹の話になってしまった。好きだったのか、そうでもなかったのか、よく分からない不思議な人。性格の違いが魅力だったかもしれない。器用に遊べない自分はつまらない人と思っていたからね。

好きだった 作詞:宮川哲夫 作曲:吉田正
唄:鶴田浩二  1956年の発売
好きだった 好きだった
嘘じゃなかった 好きだった
で始まり、
せめて恨まず いておくれ
逢えるあしたは ないけれど
で終わる切ない歌。
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | あの歌この歌