2019年07月27日

懐メロ:ライフルと愛馬

ハイヌーンは「真昼の決闘」、ローハイドは「ローハイド」、それぞれ歌を聴けば映画のタイトルが分かる。しかし「ライフルと愛馬」を聴いてもバンバン撃ちまくる西部劇「リオ・ブラボー」を連想できない。この歌からは恋人を思いながらライフルと馬だけを頼りに、夕暮れの荒野を行くカウボーイの姿が見えるだけである。

60年も前のことだが「リオ・ブラボー」を観に行った。しかし、内容は全く覚えていない。もちろん「ライフルと愛馬」が歌われたことも忘れた。と言うか、最初から頭に入っていなかったのである。

切符売りの少女に観賞を妨げられたのだ。「リオ・ブラボー」が封切になったころは、家業の手伝いをしていたが、仕事がなくて列車の清掃に行ったりしていた。それも時々だから懐は寒い。その日はポケットに百円玉と50円玉を一つずつ持って家をでた。

薄汚れたジャンパーに作業ズボンと言う、貧乏丸出しの格好で渋谷駅近くの映画館に行った。百円の入場料を払って観客席に向かって歩いていたら、後ろから走ってくる気配を感じた。まさか私を追って来たとは思わない。映画は始まっているので自然に足早となる。ところが突然腕をとられた。切符売りの少女が料金不足の容疑で私を捕まえに来たのである。

突然のことでビックリした。少女は「50円しか払わなかったでしょ」と、血相変えて腕を取って離さない。驚きながらも、そうかな〜と思いながら確認のためポケットに手を入れて硬貨を出して見た。50円だから、百円払ったことに間違いない。

そのことを言う間もなく、少女は私の手から50円玉を取り上げた。余りにも手早かったので驚いた。呆気に取られているうちに去って行った。まるで強盗に遭ったような気分だ。先手必勝、理不尽にも私は「50円誤魔化し少年」になってしまった。

映画館の少女に、その日の全財産を取られた。悔しくてたまらない。せっかく楽しみにしていたリオ・ブラボーだが、椅子に座って悔しがっていただけだ。事件は私が50円取られた時点で終わっている。何も言えない状態に陥ったことに気づいた。

そんな古いことをよく覚えていると呆れているかもしれない。思い出すには訳がある。洋楽カラオケ会に参加したものの歌える曲がない。「ライフルと愛馬」を聞いたとき、これならユックリしていて歌えるかも知れないと思った。こんなことっが切っ掛けで、この歌が「リオ・ブラボー」の中で歌われていることを知ったのである。

タイトルだけしか記憶にない映画を今になって観たくなった。さっそくビデオレンタルで借りた。映画の中で印象的なシーンはディーン・マーチンが「ライフルと愛馬」を寝転んで歌う姿。そしてリッキー・ネルソンの軽やかな「お帰りシンディ」へと続く。

音痴だから真の歌好きにはなれないのかも知れない。そのせいか懐メロが大好きだ。歌っていると歌にまつわる色々なことを思い出す。不幸な出来事もあるが、決して嫌ではない。すべてが懐かしい。懐かしさでメロメロになるから懐メロと言うのかな。
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2019年07月20日

空気を読む

身も心もスッカラカンで頭も空っぽだ。新聞を読み、テレビやネットから情報を得ると、空っぽの頭の中にストンと落ちて来る。先日は珍しく本を読んだら空気という二文字が落ちて来た。

人は空気の支配下にある。もし空気が無ければ5分もすれば死ぬだろう。最近は食事中に飲み込み所を間違えて、呼吸が出来なくなることがある。1分くらいと思うが凄く長く感じる。以前は咽ても咳き込んでお仕舞だが、最近は息が詰まるのだ。空気はあっても肺に入らなければ無いのと同じだ。苦しいよ。

ところで本で読んだのは、空気のもう一つの意味だった。即ち「人々の気持を支配するようなその場の情況。雰囲気」である。空気は読まなければならないと思う。そして忖度する。そうすれば空気を吸い込んで楽しく生きることが出来る。社会的にね。

音痴なのにカラオケクラブで歌っている。字が読めないのに同人誌に投稿しているようなものだ。「同人誌とは、あらゆる人達の如何なる表現も許される、自費制作の雑誌」だそうだ。ここにも下手でも参加できるものがあった。私にとっては新発見である。

カラオケ会に参加するようになって14年もたった。しかし、自分が真の音痴と気づいたのは3年まえのことである。苦節3年と言うところだ。それまでは何も知らすに無邪気に楽しんでいた。これも老人の生き方の一つだから否定する気はない。しかし気づいた以上は、そのままでは詰まらない。

カラオケクラブの人たちには心から感謝している。実は自分の立場に気付いてから3年。常に空気を読むセンサーを働かしている。いくら読んでも、「お前は来るな」とは読めない。センサーが老朽化したようだ。言い換えれば老人力がついたのである。

何はともあれ、皆さんのお陰で喜んで参加して楽しんでいる。人間も動物だからピーチクパーチク鳴いている小鳥と一緒、歌うことを嫌う人は居ない。音痴の私が言うのだから本当だよ。だから私を楽しく歌わせてくれる皆さんに感謝している。

音痴は人並みに歌えるようにはなれないが、幸い来年には80歳になれる。気分的にハードルが一段下がった感じだ。80歳で人並み歌えるようになるつもりだ。もちろん80代としてね。
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posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 音痴の気持ち

2019年07月13日

悲しき少年兵

英語の苦手な私でも歌いながら情景が浮かんでくることもある。それはジョニー・ディアフィールドが歌う「悲しき少年兵」。もちろん自分なりに分かるだけ。ひょっとして誤解しているかも知れない。それなのに書きたくなるから困ったものだ。

ジャックは17歳になったら海兵隊を志願することに決め、同級生たちの前で決意表明をした。
「お前たちは学校で歴史を学べ。俺は海兵隊で歴史を作る」
「V国の自由と民主主義を守るために行くのね。素敵だわ」
とベティイはつぶやいた。歌詞にはないが、命を賭けた仕事に就く以上、それなりの動機付けが必要と思う。それで勝手に付け加えさせてもらった。

歌詞の1番、アメリカ西海岸の軍港
海には航空母艦、巡洋艦、駆逐艦が浮かぶ。しかし、この日の主役は戦地V国に向かう海兵隊である。軍楽隊が演奏する「海兵隊賛歌」をバックに行進する隊員の中には胸を張って歩く、あの少年がいた。肩をいからす海兵隊式である。誇り高きマリンコ(Marine Corps)になったのだ。

見送りの人々の歓声の中から、あの少女の声が聞こえてきた。「愛しい人よ、さようなら」。少年に聞こえるささやくような少女の声。軍楽隊の演奏は「錨を上げて」に変わり、船は出航した。

歌詞の2番、太平洋
出航して1時間たった。一人でデッキに出てみると、空は青く雲は白く海は静かだ。ふと我に返ると、少女のことが心配になってきた。離れていたら心変わりをするのではないか?

少女の写真を見ながら涙がホロリ、一人で泣いていた。何故か、港で聞いたささやく様な少女の声が聞こえて来る。「愛しい人よ、さようなら」。繰り返し聞こえて来る。

歌詞の3番 帰港
戦場に正義はなく、ただ破壊するだけだけだった。国に帰ったら、奨学金をもらって大学に行き、卒業したら職を得て、あの少女と結婚すると言う夢を描いていた。アメリカでは若者が軍に志願する理由のトップは「奨学金」と「医療保険」だそうだ。

船は入港し、港は出迎えの人々で溢れていた。群衆の中に少女が居ないか一生懸命探したが見つからない。夢は夢、やっぱりそうかと思った。戦地では裏切りと混乱は嫌と言うほど見て来た。少年の心は既に中年男の様になっていた。心変わりなんて、あって当たり前と諦めていたのである。

「さて、衣納を担いで田舎に帰るか。大学は止めてカウボーイになろう」。このまま書き続けていると三千頭の牛を連れてミズーリまで行く話になりそうだ。切りがないので、これでお仕舞。

書いているうちに空想の部分が次第に大きく膨らんできた。空想をしていると楽しいし、金もかからない。しかも私は時間のブルジョア、時間なんか使いきれないほど持っている。今はね。

Lonely Soldier Boy 歌:Johnny Deerfiled
1961年日本で大ヒット、アメリカでは話題にもならなかったそうだ。ストーリーが分かり易く、歌っていると英語が分かるような気がしてくるので有難い。錯覚とは思うけど……。
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | あの歌この歌

2019年07月06日

ビミョーに楽しい

運の悪い人が、たまたま上手く行くと、それが成功体験として心に深く刻み込まれる。例えば、パチンコで大儲けする。それがキッカケとなり、のめり込んで全財産を失ったりする。当てた体験が、負けが込んでも次こそ当たると思わせるのだ。

うだつの上がらない人でも、長く生きていると一つぐらいは成功体験がある。私にとっては北海道新聞コラム「朝の食卓」の執筆依頼がそんな感じだ。20人の執筆者の一人として2年間書かせてもらった。ろくな文章も書けないウェブサイト管理人としては、パチンコの大当たり以上に感じる成功体験となった。

こんな幸運は一生に一回つけば充分なのに欲が出た。愚かな私は何かありそうな予感がしたのである。ユニークな人として推薦されたのだから2回目がある筈がないのにね。

いろいろやってみたが全て失敗した。しかしパチンコの大当たりでなくて好かった。ただ駄文を書いてはアップしているだけだから貯金を失うこともない。と言っても、世間を賑わせている2千万円には足りないから、老後(中)の不安に少しだけ怯えている。

10年間に渡る試みは全て失敗した。そして最後の賭けに出たのが、この「音痴のカラオケ」である。自己満足の暇つぶしとして、未だに続いている。少数でも読んでくれる人がいる限り、やる気満々。情け深い読者に感謝している。

私は極めて性能の悪い車みたいなものだ。ガソリンがないと動けない。誰かが読んでくれるかも知れない、と言う思いを燃料にしてノロノロ動く車なのだ。はたから見れば止まっているように見えても、私には微妙な動きが分かるから楽しめる。

書くことはビミョー、物足りなくもなくビミョーに楽しい。充実感さえ、あるような気もする。ワクワクもしないし、ドキドキもしないけれど面白い。ゆっくりとした静かな暮らしがとても心地よい。
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | その他