2019年06月29日

こいさんのラブコール

「英語で歌って意味わかる」と聞かれて狼狽えた。しかし、もう困らない。「こいさんのラブコール」があるではないか。なんで泣きはるのかサッパリ分からない。大阪のこいさんと思っていたのに「さいなら東京の町」と言う。幸せの町とは一体どこか? 

分からないことばかりなのに大好きな曲だ。英語の歌だって同じと思ったらスッキリした。それより音痴なのに洋楽カラオケをやることこそ問題だ。洋楽をやる人は歌の上手い人に限られる。このことに気づくのが遅すぎた。オシッコはすでに出ちゃっているので、途中では止められない。心に在る本当の気持ちを伝えたいのに、上品に書くことが出来なくてゴメン。

ところで上品な船場言葉は大阪の商人達の間で広まり、独自の穏やかな言葉として発展したそうだ。今は使われないが歌にはよく出て来る。例えば「こいさん」。因みに4人姉妹の場合、長女いとさん、次女なかいとさん、三女こいさん、四女こいこいさん、なんとなく響きがいい。歌の意味は分からないけど、こいさんが美しいメロディーにのって泣いてはる感じがする。

話は変わるが、15年以上続いている4人カラオケ会では、歌ってない三人は大抵雑談をしている。
「Aさんは、こいさんと呼ばれていたんですね」
「そうよ。三人姉妹の一番下だからね」
「モテたでしょう」
「板前なんかにモテたってしょうがないじゃない」

何ちゅうことを言うんだろう。腕のいい板さんがそろっているから料亭は大繁盛。だから学生のこいさんでも車を買ってもらえたのだ。大衆車として知られるパブリカが発売されたのが1961年。それ以前の話だから、買えるのは外車しかなかったそうだ。

60年も前のことだから、二十歳の娘さんが免許を取って運転するのは珍しかった。Aさんが「女性ドライバー誕生」との見出しで地元の新聞に写真とともに載ったという話も頷ける。

こいさんのラブ・コール 唄:フランク永井
作詞:石浜恒夫 作曲:大野正雄 1958年7月ビクター発売
フランク永井の代表曲のひとつで、その頃私は西日本方面をうろうろしていた。田舎のダンスホールでブルースを踊るとき、流行っていた「こいさんのラブコール」がよくかかった。
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | あの歌この歌

2019年06月22日

バーベキュー・パーティー

音痴なので歌えないし、学が無いから文章も書けない。それなのに、この二つを趣味にしている。その理由は他にもいろいろやってみたが、何も身に付けることできなかったから。

これが最大の理由だが、歌と文章は一人遊びが出来るところがいい。それなのに人前で歌うし、書けばブログで公開する。我ながら困った性格だが直すことは諦めた。愚か者は愚かな暮らしが楽しいんだ。人と交わってこその人生である。歌って書くぞ!

バーベキュー楽しかったなぁ。キャンプやアウトドアもやらないので、70年ぶりに炭とご対面して懐かしかった。子供の頃は寒い冬に火鉢の炭を、口でフーフー吹いて、小さな火を少しずつ大きくするのが好きだった。

こんなことを思い出しながら、やってみたら顔が焼けそうなほど熱い、炭の量が格段に違うのだ。しかも夏、冬には暖かいと感じても、夏には暑苦しいだけだ。何をやってもダメ、だけど楽しい。カラオケと同じようにダメが嫌と結びつかないのだ。あらゆる場所でギリギリのところで楽しんでいる。

いろいろの方と話ができて楽しかった。カラオケ会では、皆さまの歌声に酔いしれているので話は出来ない。実はそれだけではない。最近聴力検査を受けて分かったのだが、片方の耳が普通の人の半分しか聞こえない。

子供の頃中耳炎に罹っていると言われたが、そんな覚えはない。考えてみれば病気になっても医者には診てもらった記憶はない。国民健康保険のない社会だから、都会に居ても金がなければ無医村に住んでいるのと同じだった。

バーベキューの後でカラオケの呼びかけがあったが、残念ながら行けなかった。缶ビール二つで酔っぱらっちゃった。これが私の限界、後は家に帰って寝るだけだ。ひと眠りしたら、ウェブサイトにアップしたい記事がある。実はバーベキュー前に中島公園で「札幌まつり」初日の様子を撮って置いたのだ。

「本日の日課、予定表どおり」。これで良しとすべきだが、振り返ってみればチョット悔しい。飲んで歌って踊ると言う、人生最大の喜びのチャンスを失ってしまったかも知れない。

話は戻るがバーベキューに使った焼け残しの炭は燃えたまま消し壺に入れた。子供の頃は火鉢の灰になるまで使っていたので、気がついたら炭の再利用のつもりでやっていた。「三つ子の魂百まで」と言われているがホントだ。

ところで、あれは本当に消し壺だろうか。それともバーベキューの飾り物か。心配になったので係りの店員さんに報告した。「消し壺と思って燃え残りの炭を入れました。まだ火は消えていないので気を付けてください」。「大丈夫です」と簡単に応えた。ダブルチェックのつもりだが、余計なお世話?
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2019年06月15日

前向きに「ローハイド」

音痴で英語も出来ない。それなのに洋カラをやってるの? 無駄じゃない。試しに、無駄の代わりに「ガンパっている」を入れてみた。音痴で英語も出来ない。それなのに洋カラをやってるの? ガンパっているじゃない。これで良しシッカリ前を向いている。

ローハイドが初めてテレビ放映されたのは、私が19歳の頃だ。家業の経師屋が忙しくなったので、退職して家の仕事を手伝っていた。ところが直ぐに仕事は減り、生活は苦しくなった。娯楽はテレビだけと言うありさまだ。その後さらに運に見放され、1年くらいで再び家を出た。何時ものように働いて食うためにね。

生活苦当時、欠かさず観たのが「ガンスモーク」と「ローハイド」。ガンマンよりも、まともな職であるカウボーイの方が好きだ。ズボンの上から着用する革製のズボンカバー姿が格好いい。馬上で鞭を打ち、約3000頭の牛を運ぶのだから凄いと思う。

鞭は生皮(きかわ)で出来ている。英語で言えばローハイド、そこから転じてズボンカバーを指す言葉になったそうだ。私の印象ではローハイド=カウボーイである。ドラマでは隊長を補佐する若者ロディを、クリント・イーストウッドが演じていた。ご存じのように、彼はアメリカを代表する映画スターになった。

何を歌っても似合わない私だが、ローハイドは滅茶苦茶似合わないと思う。難し過ぎて歌えないのに歌いたがるから困る。とにかくカウボーイの雰囲気が大好きなのだ。

馬にも乗れないし、鞭も投げ縄も使えない。銃も撃てないし、度胸も力もない。それでも雰囲気だけでも味わいたい。それにはローハイドを歌うのが一番いいと思う。

歌詞にはカウボーイの仕事が織り込まれている。「追い立てろ、先頭に立て、切り離せ、割り込ませ」と言う、英語の掛け声が繰り返される。牛の大群を運ぶ勇壮なカウボーイの姿が目に浮かぶ。イメージはいいのだが私が歌えば不本意ながらぶち壊し。

馬に乗って、牛の群れの中に割り込み、切り離しては追い立てて牛の群れを運ぶ。悪天もスタンピード(牛の大群大暴走)の恐れもある。カウボーイの仕事は波乱・困難に満ちている。ともかくテキサス州のサンアントニオからミズーリ州のセデリアまで3000頭の牛を運ぶのは大変な仕事だ。

そんな思いでローハイドの主題歌が好きになった。下手なんだから一人で歌って楽しめば好いのに、カラオケ会でも歌いたくなるから困ったものだ。恥ずかしながら年に一度は歌いたい。そろそろ好いかなと楽しみににしている。気持ちだけは何時も前向き。
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2019年06月08日

分かり易い方がいい

テレビを観ていたら私の知らない話をしていた。命の設計図と言われる遺伝子には、スイッチの様なものがあり、そのオンとオフを切り替えれば、幾らでも働きを変えられると言うのだ。音楽などの能力に関わる遺伝子まで、全てにスイッチがあり、コントロールできる可能性があることが分かったと言う。

と言うことは、私の音楽遺伝子はオフになっている。科学技術の力で何とかしてオンにすれば、たちまちフランク永井やフランキー・レーンの様になれるのだ。残念ながら半世紀ばかり生まれるのが早すぎた。20年後に実用化できるとして、私は98歳になる。遺伝子を組み替えるには遅いような気がする。

生まれつきだから仕方がないと、全てを忘れて自分なりに楽しもうと思っていた。それなのに遺伝子だってコントロールできると言う。何とも人騒がせな世の中になったものだ。もし、そうならばハゲの遺伝子はオフにできる筈だ。私は人類最後の音痴でハゲの人になるのだろうか? ついてないね。

以上はテレビでチョコっと観ただけで、遺伝子に関しては何の知識もない頭で考えたこと。人間には無限の可能性があると聞いてワクワクしてしまったのだ。テレビ放送のタイトルは「DNAスイッチが運命を変える」だった。

約20年前、ネットが普及し始めた頃もワクワクしていた。個人でも世界に向けて情報発信できる。情報の民主化が進むと思っていた。ところが、「GAFA」と呼ばれるグーグル、アップル、フェイスブック、アマゾンに独占的に世界市場を支配された。庶民のウェブサイトはネットのゴミとなり、深いところに埋まっている。

世の中がどう変わっても、一部の人たちに富が集中し、全体を支配する構図は変わらない。それでも選挙の一票を持っているから民主主義だ。しかも家の中では自由を満喫している。

人工知能(AI)とか遺伝子組み換えに手を付けて大丈夫なのだろうか。難しすぎて分からない。最近は分からないことがドンドン増えて行き、手のつけようがない。結局、家族仲良く健康に気をつけて楽しく過ごそうと言うことになる。分かり易いからね。
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 音痴の気持ち

2019年06月01日

俺は淋しいんだ(渋谷の思い出)

信じてもらえないと思うが、私はモテたことがある。60年くらい前まで遡るが渋谷の片隅でモテちゃった。多分、多分、多分。

1959年にはフランク永井のヒット・メロディを背景にした映画「俺は淋しいんだ」が公開された。その頃私は19歳、淋しい日々を送っていた。何処も務まらず職を転々としていたが、またもや失業して家族が住む渋谷に帰って来た。

アルバイトの身で将来が心配になったが、夕方になると僅かな小遣いを持って飲みに行った。渋谷駅から青山方面に向けて凄く幅の広い道路が造られていた。不思議なことに工事中の道路の真ん中に飲み屋街が出来ている。

道路が完成する前に立ち退かなければならないから安っぽい仮小屋だ。私が通っていたのはスタンドバーJUN、マスターと女給さん、二人で営業している。

女給さんは「岡田英子です」と言った。フルネームで自己紹介をする人は初めてなので好ましく感じ、また行きたいと思った。様子見だからハイボール1杯飲んで300円払って帰った。この次は、もうちょっとお金を持って来ようと考えながら。

次に行ったとき、追加注文をすると、岡田さんは「300円以上飲むと税金が1割取られるから損よ。アイスクリーム食べに行きません」と言った。二人で近くのうどん屋でアイスクリームを買って、外で食べた。二つで60円、懐の寂しい私にとっては有難かった。

岡田さんは私の淋しさと懐具合を知ってるようだった。いつ行っても300円しか遣わせない。訳は分からないが嬉しかった。夕方に行くとマスターは来ていないし、客も居ない。

いつも二人で話をしたり、店を空けて、近くを散歩したりした。私にとっては至福のひと時だ。こんなことが6ヵ月くらい続いたが、ますます生活は苦しくなって来た。岡田さんに「仕事無いから自衛隊に行くんだ」と言ったら「そう」と言っただけだった。

入隊早々家に用事があって電話を掛けたら、母が「岡田さんと言う人から電話来てたよ」と言った。遠く離れていて会いには行けないが嬉しかった。体調を崩し、1年半で自衛隊を依願退職して家に帰った。何をやっても続かないのだ。

岡田さんに会いに行ったが、飲み屋街は撤去され、辺り一帯は幹線道路に変わっていた。私も21歳、何とかして定職に就かなければと頑張っていたら、岡田さんのことは忘れてしまった。

自分史のつもりでブログを書いているが、過去の記憶が芋づる式に蘇ってくる。「俺は淋しいんだ」を聴くと思い出すのは、スタンドバーJUNと岡田さんのこと。彼女は80歳を過ぎた筈だが記憶の中では若いままだ。気の強い人だったが私には優しかった。

俺は淋しいんだ フランク永井、
作詞:佐伯孝夫,作曲:渡久地政信
渡久地政信が西部劇「真昼の決闘」の主題曲、ハイヌーンからインスピレーションを得て作曲したと言われている。そう言えばダダダン、ダダダンという感じのリズムがそっくりだ。
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | あの歌この歌