2019年03月30日

私はイチロー

米大リーグ、マリナーズのイチロウ選手はこう言った「自分が夢中になれるものが見つかれば、立ちはだかる壁にも向かっていける」。なるほど、私も同じ思いだ。

「夢中になってあれだけかい?」ちょっと待った!それは言わないルール。壁の厚さに変わりはない。イチローが目指したのは世界一の野球選手、私が目指すのは普通に歌える人。彼は引退したが私は現在進行中である。

大きな壁に向かうには自分の立ち位置を把握しなければならない。イチローは走攻守に優れた選手、一方私は真面目なオンチ。カラオケ会では一生懸命歌う。そうすれば失笑を誘うことはあっても叱られることはない。歌は穏やかな気持ちで歌わなければ楽しくない。楽しくなければ続けられない。継続は力である。

歴史をひも解くと、人は成功体験にしがみついて国を滅ぼし、会社を倒産させ、自分の人生を破滅に導いた。私も細やかながら成功体験はある。余りにも平凡でワザワザ書くようなことではないが、これしかないないので何時も書いている。

歌と踊りとは関係のない仕事だが、どの職場でも仕事の出来る人は歌とスポーツが得意だった。音痴の私は運動音痴でもあった。そのため仕事も苦手だからクソ真面目に働いた。お陰で「仕事が出来ない人」というレッテルも張られずに、無事に定年退職まで勤め上げた。これが唯一の成功体験である。

「柳の下にいつも泥鰌はいない」とも言われている。成功体験に足を引っ張られ失敗することもある。一生懸命もいいけれど、その場その場で楽しむことも必要だ。カラオケ会を舞台と考え役を演じて楽しんでいる。そうは見えないかも知れないけどね。

舞台では主役、脇役とかいろいろあるけれど、私が選んだ役は真面目なオンチ役である。これなら魅力的でなくても、稽古をしなくても簡単に出来る。気軽なのがなによりだ。

ところでイチローはインタビューでこう言った「監督は絶対無理です。これには絶対が付きます。人望がない」。この発言といい、冒頭の発言といい、何てイチローと私はよく似ているのだろう。

だが待てよ。ひょっとして似ているのは「立ちはだかる壁」があることと「人望がない」ことだけかも知れない。イチローは苦労はしていない苦心はしているとも言っている。同感である。
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2019年03月23日

君はわが運命(You Are My Destiny)

ポール・アンカの「君はわが運命」は易しそうと思っていたが、歌ってみると難しかった。実は私って本当は凄いんだ。多くの成功体験を持っている。ただの音痴じゃないんだよ。

禁を破って自分の歌に関して初めて書いてみた。タイトルは「音痴のカラオケ」、そもそも書き手は音楽について書く資格がない。それなのに書く。自己評価はどうしても甘くなる。

先日、カラオケ会で「君はわが運命」を歌ったが、おおむね良好、苦手なサビの部分も無難にこなす。ところが、終わりのア〜〜〜と言う高い声を出すところで躓き、思わすエッヘヘ〜〜とか笑ってしまった。どんな状況でも笑うことは楽しい。

ところで、カラオケ画面では歌詞の文字色が歌の進行に応じて変化する。それで色の変化について行くことが最初の目標となった。日本語だと比較的早く慣れることが出来るが英語だと難しい。発音が苦手で口が回らないから特に難しく感じた。

苦節三年、ようやく色の変化に応じて歌える様になった。次の課題は音程である。練習方法はいろいろあるらしいが、私が得た情報の中で一番簡単そうなのは、自分の歌を録音して聴くこと。本当はこれだけはやりたくなかったけれど、仕方がなかった。

現実を知れば、人前で歌う気がしなくなるので自分の歌だけは聞かない方がいいと思っていた。しかしカラオケ会に入って3年たったから、如何に自分が下手かを再確認しても止める心配はなくなった。それで嫌々ながらだが、やってみることにした。

聴いてみて驚いた。ここまで下手とは知らなかった。オマケに声が悪いのだ。我々音痴を慰める言葉として「楽しければいいじゃない」と「いい声しているよ」と言うのがある。人の優しさには感謝するが、愚かな私はそのまま信じていたのだ。長いことね。

ともかく、これからは音程に気をつけたい。何かを変えれば何かが変になるけれど、それは気にしないことにする。自分の歌を聴いて分かったけれど、元々変だから今更気にしても仕方がない。分かっただけでも収穫だ。耳は口ほど悪くはなかった。

来年80歳になる私は、書くことと歌うことは健康維持の二本の柱、決して疎かにはできない。音痴でも歌い、駄文でも書く、与えられた場所でも花を咲かすことは出来ないが、楽しむことは出来る。健康であれば気の持ちようは、好きなようにコントロール出来る。これが唯一の得意技。
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2019年03月16日

ジャニー・ギター(大砂塵)

「あの歌この歌」とか書いているが音痴だから無理だ。代りに好きな歌にまつわる思い出や映画などを書いている。自分のブログだから書き放題だがリスクもある。それは誰にも読まれないこと。危なくはないけれど、けっこう虚しいし寂しい。

映画を観て主題歌が好きになることが多いのだが、ペギー・リーの「ジャニー・ギター」の場合は逆だった。歌が好きなので映画を観たくなったのだ。原題は「ジャニー・ギター」だが内容が分かり難いと考えたのか、日本ではタイトルを「大砂塵」とした。この映画は1954年に公開されたが、当時は西部劇が大好きだったのに、なぜか観た記憶がない。

好きな歌が大砂塵の主題歌であることを知った時、ビデオレンタルに行ったが無かった。それが最近になって2回もテレビで放映された。両方観たが極めてユニークな映画だ。こんな西部劇は観たことない! これからもないだろう。

先ず、ネーミングが笑っちゃう。ジャニー・ギターとダンシング・キッドとはね。ギター弾きのジャニーがギターを背負った馬上姿はいいとしても、ダンシング・キッドって何だろう? 

ビリー・ザ・キッドは西部開拓時代の強盗、「駅馬車」のリンゴ・キッドは無法者。そして、この映画のダンシング・キッドは銀行強盗にしろ駅馬車強盗にしろダンスのイメージが湧いてこない。真面目なのかふざけているのかサッパリ分からない。

若い時、日本でも流行っていたペギー・リーの「ジャニー・ギター」が好きだった。彼女はソフト・アンド・クールな歌声で知られていた。「ゴールデン・イヤリングス」も好きだが、残念ながらカラオケ店にはなさそうだ。

「大砂塵」の音楽は洋画ファンなら誰もが知っているヴィクター・ヤングが担当。なんと「ジャニー・ギター」の作詞者はペギー・リーその人である。そんな訳で少年時代に観そこなった「大砂塵」をぜひ観たいと願っていたら、テレビが叶えてくれた。

ユニークその2は、決闘をする主役のガンファイターが二人とも女性であること。酒場の女主人ヴィエンナ(ジョーン・クロフォード)と駅馬車襲撃で殺された犠牲者の娘エマである。

逃げるウエディングドレスのような白い衣装のヴィエンナと、馬で追う黒ずくめのエマ&喪服集団が思いもよらぬ異様なシーンを展開している。この映画の男は添え物に過ぎないから名前もギターとダンスで好かったのかも知れない。

「大砂塵」はヴィクター・ヤングの音楽で始まり、ペギー・リーの歌で終わる異色の西部劇。美しいメロディーと女の闘いとのギャップが異様で興味深い。この時代の西部劇としては珍しく善玉と悪玉の区別がハッキリしない。マッカーシズムによる赤狩り旋風を暗に揶揄する内容との説もある。

小林旭の「渡り鳥シリーズ」も、この映画を引き継いだような感じがする。「小林旭 ジャニー・ギター」で検索するといろいろ出てきて面白い。やはりペギー・リーの歌が一番いいと思う。私も歌いたいのだが、音痴としては遠慮したい気分もある。少人数でやる友達同士のカラオケではコソコソ歌っているけどね(笑)。

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2019年03月09日

A子さんの思い出(越後獅子の唄)

歌はいろいろなことを思い出させてくれる。歌から連想されることも多い。前回のブログで、6畳一間に6人家族と言う超過密状態の我が家にA子さんが転がり込んだこと、そして三人で寝たことを書いた。それがA子さんと恋人、そして私と誤解を与えたような気がして気がかりだ。補足説明をしたいと思う。

結婚を反対されて家を出たが、恋人の学生さんは友人の部屋に身を寄せ、A子さんは親戚である我が家に来た。清い交際であることを御両親に知ってもらう為と思う。

話は戻るが、学生さんは書生としてA家に同居していた。A子さんの父親は強面の請負師だが、彼女も気の強い点では負けてはいない。父親に抗議して学生と一緒に家を出てしまった。

一方、我が家は一つの布団に二人ずつ寝ているのに三人目が来てしまったので大変だった。A子さんは学生の援助もするので昼も夜も働いて、帰って来るのは夜中だ。学生は書生の職を失ったが、彼女は彼が勉学に専念することを望んだ。

初めは夜中に帰ったら最短距離で寝れるように玄関に近い次兄側に寝た。狭くて足の踏み場もないからね。その頃、次兄は既に中学生、穏やかな気持ちではなかった思う。一つの布団に三人だからピッタリくっつかないと寝れないのだ。

結局、A子さんは私の横に移った。幼い子供と思い込んでるようだが、一緒に映画を観たときから2年もたっている。私だって意識する。しかし犬を腕力で引き離した一件を見て彼女の怖さを知っていた。自分を抑えることが出来たのは恐怖心からだと思う。

A子さんは私の横で寝たことは覚えていないと思う。あれから67年たっているのに私は覚えている。「越後獅子の歌」のせいだ。聴いたり歌ったりするごとに思い出す。彼女にとっては迷惑な歌だが、私にとっては懐かしい歌である。

音痴だから新しく歌を覚えるのが苦手だ。懐メロばかり歌ってたら思いもよらぬ収穫があった。歌にまつわる昔のことを次々と芋づる式に思い出すのだ。こうなったら止められない。在職中は過去を振り返るなんて、老人がすることだと忌み嫌っていた。考えはめまぐるしく変わり続ける。まだ若いのかな?

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2019年03月02日

越後獅子の唄 美空ひばり

生まれてから22歳までの間、私の存在を示す物証は戸籍謄本と1枚の写真しかない。だから記憶をたどって一生懸命に思い出している。歌はその手掛かりになるので大好きだ。古い歌を歌うと面白いように記憶が蘇えって来る。

1951年、話題の正月公開映画は「とんぼ返り道中」だった。私にとっては思い出深い映画である。7歳年上のA子さんに連れて行ってもらったのだ。多分私は小学4年くらいだった。映画の内容は覚えていないが、A子さんのことは鮮明に覚えている。

従姉妹のA子さんは母子4人で満州から引き揚げて来て隣に住んでいた。父親はシベリヤに抑留されていた。母親は優しすぎるので長女のA子さんが父親代わりをしていた。気の強いしっかりした人だった。彼女は家の前の道路で犬が交尾をしているのを見ると、怒ってバケツの水をぶっ掛けた。それでも止めないと二匹の犬を腕力で引き離した。見ていた私はビックリした。

そんなA子さんが大好きだったので、映画に誘われると喜んでついて行った。「とんぼ返り道中」の内容は忘れたが、主題歌の「越後獅子の唄 美空ひばり」については、よく覚えている。流行っていたからだと思う。A子さん一家は父親がシベリヤから帰って、しばらくすると大田区に家を新築して引っ越して行った。

越後獅子の唄を聴いても歌っても必ずA子さんを思い出す。彼女と最後に会ったのは55年前のことだった。喧嘩していた親子は仲直りしたようだ。結婚して実家の一隅に家を建て、夫となった元学生さんと暮らしていた。

話しは戻るが、A子さんは年下の学生さんと恋仲になり、親に結婚を反対されて家出した。そして狭い我が家に来た。今では考えられないが、親子6人が6畳一間に重なる様にして寝ていて、そこにA子さんが来たのだ。私は一つの布団に三人で寝ることになってしまった。住宅難の当時としても異常な状態だった。

ところで、ライブダム・カラオケの映像だが、越後獅子のでんぐり返しが下手過ぎる。幼い子供の練習とは言え、もうちょっと上手くないとね、プロなんだから。私は音痴で音楽については語れない。それで動画について、ちょっと触れてみた。歌詞に「芸がまずいと叱られて〜♪」とあるが当然のお叱りである。
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