2019年02月23日

ストレスあって嬉しい

「好きこそ物の上手なれ」と言われているが、「下手の横好き」もある。カラオケ会の人はみんな凄く上手い。私はその中で唯一の音痴。考えようによってはこれは凄いことだ。ゾウの群の中に小さなネズミが一匹、紛れ込んだようなものだ。いつ踏み潰されても不思議でない状況の中で、生き続けているのである。

もう3年過ぎたがまだ大丈夫。それは何故か、ネズミの私には分からない。多分ゾウたちがネズミをを踏みつけないように気を付けているからだろう。音痴とか本当のことを言われれば、一回目はショック、2回目てショボクレて、3回目でノックアウトだ。

偶然にも優しい人達に囲まれているが、厳しくて正直な人が入ってきたらどうだろう。一人だけでも緊張するし、二人なら萎縮する。三人居たらもうお仕舞だ。もし仕事なら辞められないから地獄だね。テーマからは外れたが自由の身で本当に好かった。

例会は1ヵ月に一回だが、前の自分よりは進化したい。欲を言えば人にも分かるくらいにね。これは極めて困難なことは分かっている。下手な歌を身を入れて聴く人は居ないから、前との比較は不可能だ。しかし例外はある。人に好かれていれば話は別だ。私にとっては更に高いハードルだけど心しておきたい。

何故ならば、どんなに難しい課題でも音痴を直すことに比べれば簡単だ。とは言え、人に好かれるのも凄く難しい。特に私の場合はね。好かれるための努力は殆ど報われない。仕方がないから一生懸命嫌われないように心がけている。これはある程度の効果はある。だけど胸がドキドキときめいたりはしない。

子供の頃は毎日が苦しく、夢は楽をすることだった。その後は右肩上がりの人生で、夢は現実となった。唯一の希望はこの状態が少しでも長く続くことである。健康維持のためには適度のストレスが必要だから、わざわざ苦手なカラオケをやって悩んでいる。生存のためにはストレスは必須だからね。ストレスならこっちにもあるよとか誘われても行かない。楽しくなくちゃぁダメ!

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posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 音痴の気持ち

2019年02月16日

荒野の決闘(My Darling Clementine)

音痴なのに歌が大好きだ。背景にある思い出や、物語が好きだから懐メロばかり歌っている。歌が好きと言うよりも昔を懐かしんでいるのかも知れない。一人で歌えばいいのに人前で歌いたくなるから困ったものだ。長い人生で下手は歌うなと叱られたのは1回だけ。30年たったら、ショボンとした思いは忘れてしまった。

先ず『荒野の決闘(My Darling Clementine)』について簡単に説明。「1946年のアメリカ映画。ジョン・フォード監督による西部劇映画の古典的な作品である。主演はヘンリー・フォンダ。OK牧場の決闘を題材としている。詩情溢れる西部劇の傑作として名高い。……アクション映画というよりも、ドラマとしての色彩が強い(Wikipedia)」。

この映画の登場人物、ワイアット・アープと言えば西部劇の英雄である。時代劇の国定忠治や鯉名の銀平よりも名が知られたヒーローだ。そしてアープが淡い恋心を抱いたのが、クレメンタイン・カーターである。その役を演じるのはキャシー・ダウンズ。彼女はファッション雑誌、ヴォーグのカバーモデルとして活動した美貌の人、として当時は知られていた。

Oh, My Darling Clementineを歌う時は、いつも- いとしのクレメインタイン (荒野の決闘)の場面が心に浮かぶ。そこには西部開拓時代の様子が風情豊かに描かれている。特にラストシーンが素晴らしい。問題が解決し落ち着きを取り戻したアープは、クレメンタインの頬にキスをし、握手をして馬に乗る。「実にいい名前だ。クレメンタイン」と告げ、何処かに去って行く。

歌うごとにこの情景が目に浮かぶ。ところがその後、私が観た『OK牧場の決闘(1957年)』にも『ワイアット・アープ(1964年)』にもクレメンタインは出ていない。言うまでもなく両方ともアープをヒーローとした作品である。

最近になってクレメンタイン・カーターは架空の人物と知ってガッカリした。そもそも『荒野の決闘』は『Frontier Marshal』のリメイクだそうだ。クレメンタインも役名こそ違うが同様の人物も出ていると言う。1939年の作品で日本未公開だから邦題はない。

オリジナルの詩では黒人女性と思われる恋人が泥酔して溺死して幽霊となる、という内容のもあるそうだ。どれもこれも架空の話のような気がする。そんなことだから、私としては『荒野の決闘』のクレメンタイン・カーターも実在と思いたい。その方が歌っていて気持ちがいいのだ。

ワイアット・アープを扱った映画は数多くあるがクレメンタイン・カーターのような人物が出てくるのは、『Frontier Marshal』と、そのリメイクである『荒野の決闘』だけらしい。曲に対応する詩は「雪山賛歌」等、いろいろあるが、英語の歌はこんな感じが多い →  Oh My Darling, Clementine 、映画『荒野の決闘』とは雰囲気が余りにも違う。残念!
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | あの歌この歌

2019年02月09日

英語で歌って意味分かるの?

英語で歌って意味わかるのと聞かれた。う〜ん、ショックだ、狼狽えた。しかし考えてみれば日本語の歌だって愛とか恋ばかりだな。私に分かるはずがない。それでも歌えば楽しい。何もかも想像と空想で補っているだけだ。私の場合はね。

元旦早々風邪をひいて熱が出たり、頭痛がしたりで散々だった。体調を崩すとやたらに眠い、昼も寝るし夜も寝る。何も出来ないが空想だけはできた。そして、快復したら眠れなくなった。健康で眠れれば一番いいのだが、全てが元に戻ってしまった。

ところで、私には夢がある。まったく似合わないメチャクチャな夢だ。それについては既に自分の殻を破りたいに書いたので、ここでは多くを語らない。誤解を恐れずに短く書いてみた。その夢とは「青春時代に大ヒットしたロック・アランド・ザ・クロックを歌っても違和感をもたれない人になること」である。

これは凄く高いハードルだ。高所恐怖症の人が落下傘降下をするようなものである。私は真面目で退屈な爺さんに見えるらしい。確かに上辺はそうだが、私自身は玉葱の芯。涙を流しながら一枚ずつむいて最後に見えるのが芯。それが私の真の姿である。

玉葱が花のようにパッと開くと、芯の位置に丘珠の玉葱王子が登場する。ギターを抱えてロック・アランド・ザ・クロック。畑の玉葱たちが一斉に踊りだす。言うまでもなく空想だが、口にするのも恥ずかしい。だけど書くだけなら大丈夫。

英語で歌って意味分かるのと聞かれてドッキッとした。殆ど分からないが、何か感じるものがある。ときには理解できるような気もする。だけど日本語でも分からないことは多い。歌手なしのコンボやビッグバンドでも感動できる。結局自分の感じかな。分かるのかと聞かれれば全ては闇の中。音の世界だからね。

月に1回洋カラの例会があるが、12月は用事で出れなかった。1月こそはと思ったが風邪をひいて欠席した。滅多に休まないから2回続けて休むのは珍しい。毎回参加できることが健康のバロメーターと考えている。その意味では残念だが、歌うためには良いかも知れない。

と言うのは、例会に備えて練習するのだが、音痴にとっては悪い影響もある。自己流の一人練習だから悪い癖のまま固まることがある。2ヵ月の休養で少しはほぐれたかも知れない。

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posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 音痴の洋カラ

2019年02月02日

ハイヌーン(真昼の決闘)

私は音痴だから音楽を語れない。ただそれにまつわる思い出はある。映画「真昼の決闘」のテーマソングはハイヌーン。この映画は主役より脇役の悪玉の方が格好いい。最初に観たのは中学生の時、その後の再上映、最近はビデオで観た。

小学高学年の頃から映画は観ていたので、中学に入ったら豆評論家みたいな気分になっていた。洋画専門で邦画は観ない。愚かな私は邦画は貧乏くさいと思っていた。新聞配達で稼いだ貴重な金だから外国の夢のような世界を見たかった。それに邦画は夜の校庭で開催される無料映画会でも観れたのだ。

同じクラスに洋画の大好きなY君が転校してきた。彼はパリッとした歯医者の息子で、私は薄汚れた貧乏人だが直ぐに仲良くなった。と言うか他に洋画を日常的に観ている生徒などいなかったのだ。年を取って3秒前のことも忘れるようになったが、洋画のことは今でも覚えている。多分、Y君も同様と思う。

さっそく、二人で観にいったのは異色の西部劇として話題になった「真昼の決闘」である。異色とはありふれたものと違うこと。中学生の私はもの凄く迫力のある決闘シーンを期待した。しかし決闘は最後にちょっとあっただけだ。私たちは「大したことなかったね」とか言いながら映写室を出たところで警察に捕まった。

ロビーで中年男二人に声を掛けられた。「お前ら中学生じゃないか?」と威圧的だ。頷くと「学校さぼったのか」と畳みかけて来た。私服警官の職務質問と分かり怯えてしまった。Y君は黙って下を向いている。蚊の鳴くような声で「日曜が運動会だったので代休です」と答えた。学校はどこだ、住所氏名はと聞かれた。

帰りは黙り勝ちでとぼとぼ歩き、映画の話どころではなかった。Y君は家に電話を掛けられて両親に知られることを凄く心配していた。遊びに行ったことがあるが、子供部屋を与えられ裕福な暮らしをしていた。一方、私は6畳大のバラックに親子6人だ。職務質問は二人の家庭環境の違いを思い知るできごとだった。

私はひたすら学校のことを心配していた。今までだって叱られてばかりだったのに、警察沙汰を起こせば先生に目を付けられる。先生には絶対に知られたくなかった。それなのに、嘘ついてバレることを恐れて住所氏名学校名をあっさりと言ってしまった。

凄く心配したが、学校では朝礼で一般的な注意があっただけで済んでしまった。当事者である私たちには、何のお咎めも無かった。多分警官は事実関係を確認しただけで氏名は知らさなかったのだと思う。その後、Y君とは疎遠になってしまった。

大人になってから観ると確かに異色の西部劇だ。保安官が年寄り臭くて悪玉の方が若くて格好いい。悪玉が復習に来るから助けてくれと多くの市民に頼んでも誰も助けてくれない。結局、一人で4人と戦う羽目になる。最後は悪玉4人を夫婦でやっつける。そして新婚旅行に行く。現実から始まり非現実で終わる。これがリアリティのある大人向きの作品に仕上がっているから面白い。

ハイヌーンと言えば「真昼の決闘」、それに関する個人的な思い出を書いてみた。参考の為、フランキー・レインのハイヌーン、及び映画「真昼の決闘」リンクを下に掲載。

フランキー・レイン情報 → High Noon - Frankie Laine


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