私のカラオケ好きはノスタルジーから来ているようだ。ひたすら失われた過去に思いを馳せる。だから懐メロが大好きだ。自己満足は他人迷惑だが、思い出を胸に抱きしめて気分よく歌っている。「今は幸せかい」を歌うたびに7歳下の妹を思い出す。
先日、生まれて始めて妹からの電話があった。極めて疎遠で、既に思い出の人になっていた妹から、かかって来たのだ。「地震大丈夫だった?」と聞かれた。札幌の惨状が映像で流れたのを東京の自宅で見たという。最後に会ったのは妹の娘の結婚式だから20年以上前だと思う。声が変わったなと思った。
妹のことは気になっていた。終戦直後の混乱の中で夫に逃げられた母は、3人の子を連れて空襲で妻子を失った養父と再婚した。そして妹が生まれた。三人の兄弟は父の違う妹を可愛がり仲良く暮らしていた。しかし母とは馬が合わなかった。この辺りの事情は家を出るに書いたので、重複を避けるため省略する。
家業の経師屋を手伝っているとき、佐川ミツオ(後に佐川満男)の部屋に仕事で行った。彼がニール・セダカ作曲の「二人の並木道」でデビューした頃である。中学生の妹が珍しく仕事の現場に昼食を持ってやって来た。こんなことは初めてだ。妹はミツオのファンなので部屋を見たかったのだと思う。その部屋の様子はアイドル訪問の記事となり、芸能週刊誌に載った。
ところで、地震の話の後、妹は沈黙した。こちらは大丈夫だと言ったが電話を切ろうとはしない。元気がないし声も沈んでいる。何か変だと思った。何があったのか聞くと、兄に聞いてやっと私の電話番号を知ったとか、答えにならないことを言った。
私は78歳で妹は71歳だ。それなのに妹から電話があったのは初めてだ。私も妹に電話をかけたことがないからお互い様だ。番号も知らないが東京の兄に聞けば直ぐ分かることだ。お互いに電話をかける必要を感じていなかったのだ。
電話で1時間くらい話し、妹が重い病に罹ったことを知った。しかし何故か信じられない。「今は幸せかい」を聴くたびに妹の姿が浮かんでくる。中学生の妹が佐川ミツオ居住マンションの玄関で、目を輝かせて立っている。手には弁当を提げていて、とても可愛らしかった。そこは渋谷に建った日本で初めての分譲マンションだった。当時は「宮益坂アパート」と呼ばれていた。
その後、妹とは身内の結婚式等で何回か会っているが、途中の姿は印象が薄くて覚えていない。なぜか私の頭の中での妹は、中学生のままなのだ。それなのに電話の声は年寄りぽかった。相当悪いのかなと心配になって来た。
歌について個人的な思い出を書いたが、参考の為グーグル検索で佐川満男 今は幸せかい の結果を掲載した。リンクをクリックするといろいろ表示される。カツラを被った佐川満男もある。
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