2020年09月05日

休憩のお知らせ

いつも「音痴のカラオケ」を読んで下さり有難うございます。とても少ない訪問者ですが、それ故に貴重です。私にとっては一人が千人ぐらいにも感じます。

残念ながら舌の手術をしたので、カラオケは当分の間無理なようです。しばらく、ブログの更新も休憩します。このブログは音痴でも歌いたい、私自身を励ます目的で開設しました。カラオケと二人連れなのです。休んで(^-^;) ゴメン

なお入院生活については、空白の22年間に書きました。読んで頂ければ嬉しく思います。申し訳ないのですが事実の記録ではありません。患者である私の気分を書いてみました。深海の夢の世界、竜宮病院で起きた出来事を、私の思い込みと想像で書いたフィクションです。
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2020年08月04日

舌切り雀は考える

音痴なのに、耳鼻科医師から補聴器装着を勧められる始末だ。それでも呑気にカラオケを続けている。今はコロナ禍で私の所属するカラオケクラブは休養中だ。

そして今度は舌の手術だ。活舌が悪くなるのは避けられないと、口腔内科医師に告げられている。カラオケをやるには最悪のコンデションだが実感はない。まだ入院前だから、何の心配もしていない。人間の身体は上手く出来ている。

今は退院後のことを考えて楽しんでいる。音痴で耳が悪くて、舌が不自由な人の歌唱法を考えている。本にもネットにも何処にも書いてないから、考え甲斐がある。実行は退院後なのに、考えはクルクルと変わる。だから今は書けない。

きっと、アッと驚くような方法があるはずだ。いろいろ考えるのは楽しい。課題を与えられて自由に考えるのは大好きだ。成果ゼロの無駄な研究は、意外に楽しい。考えるだけだから費用はゼロ円、いつでもどこでも出来るので、入院中でも問題ない。

事情があって8月の更新はお休みです。次の更新は9月以降の予定。またの訪問をお待ちします。
タグ:SSN
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2020年08月01日

港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ

「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」は阿木燿子作詞で1975年のヒット曲。ある男が好きな女を探して歩く、セリフだけの曲。探しに行く先々で話を聞くたびに、女の素性が浮かび上がってくる感じが面白い。状況を自分なりに考えてみた。事実無根、冗談半分をお許しください。茶色の文字は歌詞からの引用。

ワルイなあ 他をあたってくれよ
夜の街で働くオトコは意外に優しい。ここにゃ沢山いるからねエとは言ったものの、傷心の男を気遣っている。
…アンタ あの娘の何なのさ
そのオトコにしてみれば、決して無関心ではいられない。

マリのお客をとったってサ
仁義を欠いちゃ いられやしないよ
オンナの嫉妬がアリアリだ。多分、ヨーコは優しくて美しく、モテる女性。お客を取られては自尊心を傷つけられるし、収入にも影響する。怒る気持ちはよく分かる。そのオンナだって取られたのかも知れない。モテ過ぎるヨーコに罪があるのだろうか。

ハマから流れて来た娘だね 
ジルバがとっても上手くってよお
エイトビートで激しく踊る横浜ジルバ、通称ハマジル。横浜から横須賀、更に佐世保まで流れて来た港のヨーコ。ネイビーの街にはハマジルがよく似合う。上手に踊る娘も多い。港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ、そしてサセボ。

あんまり何も云わない娘だったけど 
仔猫と話していたっけねエ
ジルバを激しく踊る、無口なヨーコ。動と静、その振幅が大きいのがヨーコの魅力。港のヨーコは踊りまくって、孤独感を吹き飛ばす! 港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ〜♪♪

客がどこかをさわったって 店をとびだして いっちまった
ウブなネンネじゃあるまいし どうにかしてるよ あの娘

「おかしいのは、貴方です。酒場の女がアバズレばかりなら、誰も行きません。純情な娘も居るから店は繁盛するのです。それに、ヨーコは今時珍しい親孝行。兄が三人もいるのに、病に伏した両親の面倒を一人で見てるのです。分かりましたか!」
…アンタ あの娘の何なのさ
「お兄さんだ」
「しっかりせい! アホゥ」
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2020年07月25日

ブルーハワイ

私にとって歌は思い出、いつでもどこでも歌は思い出とともにある。Night and you and Blue Hawaii 夜ごと、君と ブルーハワイとでも言うのかな。とてもロマンチックだ。

だが、私が行ったのは老人福祉センター・ヒヨコ英語教室(仮称)御一行の団体旅行だ。あの頃、60代前半のメンバーは、若かった。その後の人生は、急坂を転げ落ちるように過ぎ去った。

2004年4月22日〜27日、ヒヨコ英語教室、恒例の修学研修旅行に参加した。場所は米国ハワイ州オアフ島。4月22日の午後、千歳空港に集合して、成田経由でホノルル空港には現地時間の9時ごろ到着した。先生を含め総勢16名の参加である。
  
ホノルル到着後、最初のイベントはホノルル市長室訪問。
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市長秘書と市の教育委員にご挨拶。そこで記念撮影。22日は時差もあり43時間に及ぶ、長い一日の最後は買物を楽しんだ。
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23日午前、訪れたホーリー・ネイティビィティ小中学校では、全校生徒による歌と踊りの歓迎を受けた。そして、南国風味のとても美味しいジュースを頂いた。思いもよらぬおもてなしに感動。
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午後はワイキキ公立小学校へ移動する。そこで授業参観させていただいた。研修旅行といっても内容は、観光旅行だろうと思って参加したので、心から感謝。二度と出来ない経験と思う。全員が学校からTシャツを頂き大喜び。女性たちはさっそく着こんだ。
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24日午前・午後オアフ島周遊観光、花木野鳥の多い島だ。夜はディナー・クルーズ、船上から見る夕陽がとても綺麗だった。
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このとき私は63歳、今年は80歳、時がたつのが早過ぎる。子供の頃、「憧れのハワイ航路」は叶わぬ夢だった。まさか自分が行くとは想像もしなかった。現在、世界中に行き渡る航空網は、温暖化の原因となり、コロナウイルスを世界中にばらまいている。海外旅行は「一生に一度の夢」の方が、環境にいいと思う。

25日午前はダイアモンドヘッド登山。
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午後はワイキキ・ビーチで海水浴を楽しんだ。
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そして自由行動、夜はフラダンスがあった。そこで聴くブルー・ハワイは格別だった。一度しか行ったことがないが、聴くごとに思い出している。私にとっては一生一度の夢。

26日(月)13時10分ホノルル空港出発、航空便のハワイ航路は満席だったので、16名はへとへとになって千歳に到着した。

ホーリー・ネイティビィティ小中学校で歓迎セレモニー、ワイキキ小学校での授業参観など、有意義な研修旅行だった。

今でもブルーハワイを聴くとき、そして歌うときも、楽しかったハワイ旅行を思い出す。16年前の私達は若かった。それがあっという間に80歳とは驚きだ。16年とは、生まれたばかりの赤ちゃんが高校に入るまでの時間だなんて、信じられない!

毎週土曜更新、またの訪問をお待ちしています!
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2020年07月18日

本心

長い間本心を隠していた。いきなりロック・アラウンド・ザ・クロックとブルー・スエード・シューズを歌いたいとか言っても、頭がおかしいんじゃないとか思われるだけ。間違っても本心など言えるわけがない。だから無趣味で真面目な人と思われていた。そして、私もそのように振舞ってきた。

本心を隠したまま人生の幕を閉じるつもりだった。ところが、仕事を離れてしがらみがなくなると、少しずつ本心を明かすようになってきた。徐々に本音で生きられるようになったのである。

顧みれば在職中は冠婚葬祭、日常的な付き合い、全て人並みにやっていたが、嫌々だった。仕事は苦手なので、せめて付き合いぐらいは人並み以上にと心がけていた。これは結構ストレスだ。

退職後は次第に本音で行動することが多くなった。先ず、自己流でやっていたパソコンの勉強をしたいと思った。2003年の春、札幌シニアネット(SSN)入会、さっそくホームページクラブに入り、初めて積極的に人との関りを持った。SSNの活動は「学び合い、教え合い」が基本なので、時には教える方になり、自分の意見を言ったりした。少しだけ本心を明かす習慣がついたのだ。

SSNでHP作成を習って作ったのがウェブサイト「中島パフェ」だった。一生懸命取り組んだので「中島公園の専門家」と間違われた。ラジオ、テレビ出演、新聞・情報誌取材、時には講師、パネラー等、頼まれれば何でも引き受けた。意外な反応に驚き、はしゃぎ過ぎてしまった。

もちろん、恥もいっぱいかいたが、全てはその場かぎりで収まり、後には引かない。ほとんどの場合二度と顔を合わせることもない。正体がバレたのかも知れない。ともかく、いろいろ動いていると隠していた本心が無意識に出てしまう。

職場は固定的社会だったが、退職後は流動的社会を生きているように感じた。家を出て、旅をしている感じだ。15年前からカラオケを始めた。これが私の本心、5年前から洋楽カラオケを始めた。これが本当の本心。今でもロック・アラウンド・ザ・クロックとブルー・スエード・シューズを歌いたいと思っている。

「出来もしないし、似合わないので止めろ。少なくとも俺の前では歌うな」と言う声が、わんさと聞こえるような気がする。でも、ダイジョブ。私は今、流動的社会に居る。旅の恥はかき捨てと言うでではないか。独りよがりが出来るから、人生が楽しいのだ。

ところが、天の声に止められた。3ヵ月くらい舌の痛みが止まらない。歌どころか、食事をするにも不自由だ。本当に世の中は上手く出来ている。無謀なことは、手が届かない何かが止めてくれる。
タグ:SSN
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2020年07月11日

文化祭で歌えない

「イヴ・モンタンの枯葉愛して三十年妻を愛して三十五年 岩田正『郷心譜』」。ラジオ深夜便で早朝に聴いた短歌は、とても良かった。心に響いたので、さっそく真似をしてみた。
「ペギー・リーのジャニーギター愛して六十五年洋カラ始めてまだ五年」。何もかもお粗末で(^-^;) ゴメン

振り返ってみれば、楽しむために頑張り、尚且つ実りの無い、寂しいばかりの人生だった。試行錯誤を重ね、やっとたどり着いた結論が「独りよがりで楽しもう」。結局これしかない。

簡単すぎてバカバカしいと思うかも知れないが、実行となると難しい。独りよがりは決して楽じゃない。恥をかきながら、生活の為に仕事を続けるのは苦しい。恥は一時だが、なが〜く尾を引く。

音痴だから歌えば恥をかく。それは一時だが、その影響は25年くらい続いた。恥ずかしくて歌えなくなったのだ。それでも歌は大好きなので聴いていた。音楽のない生活など考えたこともない。

在職中は様々な理由があって、恥と楽しさを天秤にかけると、恥の方が圧倒的に重かった。定年退職したら様々な理由がなくなり、恥への恐れが次第に軽くなり、自由になった。

天秤が楽しさの方に傾けば、恥は次第に軽くなる。そして、「独りよがり」になってくる。よそ様はともかく、自分だけは楽しいと言う状態だ。ブログの方は、たまに「面白い」と言ってくれる人もいるが、歌は「上手い」と言われたことは一度もない。当然だが。

自分を鼓舞するためにカラオケについての駄文「音痴のカラオケ」を書いている。音痴の私が日々、努力・精進し、ついに札幌シニアネット文化祭出演の栄誉を与えられる。という、楽しくて前向きなサクセス・ストーリーになる筈だった。

残念ながら、この夢は実現しない。最近3ヵ月間、舌の調子が良くない。右下が痛むので食べるのにも不自由している。口を動かしても痛むので、残念ながら歌えない状態だ。

こうして、楽しみにしていた「文化祭」出演の夢も、はかなく消えた。しかし、この終わり方は、返って良かったのではないか。独りよがりで、憧れの舞台で歌って恥をかくのに比べて、かなり良いと思う。口が痛くて歌えないのなら仕方ない。美空ひばりだって、そんなことがあったらしい??

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2020年07月04日

コロナ後の新世界

テレビで感染対策をしたカラオケボックスを見たら、何となく気が引けてしまった。その店では感染防止対策として、客席をアクリル板で仕切って、人と人との距離を取っていた。

そして、歌う場所と客席を透明なシートで遮り、飛まつの広がりを防いでいた。しかも従業員はマスクをして、更にフェイスシールドで身を固めている。ふと、戦争中の防空対策を思い出す。

爆風でガラスが割れるのを防ぐだめ、家のガラス戸の裏表に紙を貼っていた。母たちは防空頭巾を被りバケツ・リレーの消火訓練。無差別大空襲に遭う前は、これで空襲が来ても大丈夫と思っていたのだろうか、それとも気休め?

実際に大空襲に襲われると、訓練は犠牲者を増やしただけで、家は丸焼け。都民は逃げることが唯一最良の方法と悟った初めての下町大空襲の死者が10万に対し、2ヵ月後に襲った、更に規模が上回わる山の手大空襲の死者は4千人足らずである。

渋谷区は焼き尽くされ、被災者は焼け跡の廃材を利用してバラックを立てて暮らしていた。子供たちが集まるとよく空襲の話をした。逃げた逃げた、口々に自分がいかに勇敢に逃げたか自慢する。死線を越えた年上の子の話を聴いて凄いなと感心した。

話は戻るが、客席はアクリル板、ステージは透明シートで仕切り、マスクを付けて歌う。感染防止に必要だが、何となく不自然に見える。紙を貼ったガラス戸、座布団を被ったような防空頭巾とバケツを思い出してしまう。

いずれ終息すると期待しているが、新型コロナウイルスが、新種であることを考えると、別の新種が現れる可能性が高い。実は自然破壊でウイルスを攻めているのは人間だそうだ。

「原生林の破壊と乱開発を繰り返し、単一の家畜を過密状態で飼育する。ウイルスは新たな生息地を見つけ、伝染し、進化していく(東工大教授)」。なるほど辻褄があう。愚かな私は納得した。何分情報源はマスコミだけなので深いことは知らない。

「コロナウイルスは洞窟に居る三密が大好きなコウモリを宿としてヒッソリと暮らしていた。生物多様性の消滅、その一因となる地球温暖化などで棲み処を追われたウイルスが人間に近い動物を介して人間に、そして人間が飛行機に乗って世界中にばらまいた」。これは私の妄想。ともかく、コロナ後は元に戻すよりも、自然と共生できるような新しい地球を目指して欲しいと思う。

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2020年06月27日

風に吹かれて

半世紀前に流行ったクイズを紹介。豚と猿とお母さんが屁をたれた。どれが一番臭かったか三つの内のどれ? 答えは後段。

2017年、ボブ・ディランが、ノーベル賞を受賞した。何故か文学賞だった。音楽賞も歌唱賞もないからかな? 彼はノーベル賞の受賞講演を次のように締めくくった。「私は今一度、ホメロスに戻っていく。『ミューズ(芸術の女神)よ、私の中に入って、物語を語ってくれ』と言ったホメロスに」。

風に吹かれて、作詞・作曲・歌、ボブ・ディランの歌詞の中には、いろいろな問いかけがあるが答えはない。問いは英語で、答えは風の中では、さっぱり分からない。まるで、「オイラは知らないから風に聞いてくれ」と言われたような感じだ。知識もなく英語も出来ないけれど、この歌は大好きだから、いろいろ考えた。

How many times must the cannon balls fly. Before they're forever banned? と問われた私は真剣に考えた。(cannon ball:砲弾)

砲弾の飛ばし合いは製造した時に始まる。砲弾が何発必要と予算要求をする。認められて砲弾を受領すると、使わなければならない。年度末までに余すと、無駄遣いとして、次年度からは砲弾予算は削られる。軍隊も一つの役所である。

もっと恐ろしいのは軍需産業。真の民主主義国なら砲弾要求を国会で止められる。一つだけ条件がある。それは相手も民主主義国家であること。一生懸命考えたが相変わらず間が抜けている。そんな両国が戦争するはずがない。やっぱり風に聞こう。

How many times can a man turn his head. Pretending he just doesn't see? この問は私にとっては、とても厳しい。

顔をそむけないで、正面から見つめるばかりでは、のんびり静かに生きたいのに、戦いの人生になってしまう。大切なのは、自分と反対の意見、あるいは現実にも顔をそむけないことと思う。

「人はあと何回顔をそむけ、見ないフリをするのだろうか?」との問いと思うけれど、見ないふりだけは許して欲しい。トイレの電灯を点け放したからと言って、いちいち文句を言われちゃ、やりきれない。そんな時は、見てないふりをしてほしい。

How many deaths will it take till he knows. That too many people have died? どれだけ死んだら分かるんだ、との問いに対する答えは、映画「猿の惑星」の中にあった。冒頭のクイズの答えもここにある。それは映画が大ヒットした結果の一つである。(猿の惑星→さるのわくせい→猿のは臭せい)

人間が支配する地球は核戦争で消滅する。戦争後の地球は猿が支配している。チンパンジー、オランウータン、ゴリラ等だ。一部の生き残った人間は猿の奴隷になってしまった。

この映画が上映されて半世紀、核戦争の不安は未だに消えていない。最近では核軍縮の話題さえ聞こえてこない。依然として、答えは風の中で舞っている。

歌詞では、問いに対する答えとして次のように書かれている。The answer, my friend, is blowin' in the wind.The answer is blowin' in the wind.
訳はいろいろあるけれど、「友よ答えは風にふかれている。答えは風にふかれている」ぐらいの感じかなと思っている。

歌は下手だし英語は苦手だ。それなのに歌っている。今回のコロナ禍で受難のカラオケ界、私への懲罰かも知れない。巻き込んで(^-^;) ゴメン

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2020年06月20日

饅頭の皮

新型コロナ感染地帯は、東京の夜の街と札幌の昼カラが全国的に目立っている。東京では若者も多いいが、札幌の昼カラでは悲しいことに、高齢者が主役だ。

新宿や夜の街と聞くと他所事のような気がするが、札幌、昼カラ、高齢者と来ては、まさに自分事である。これを書こうと思い、関係資料を調べていると、看過できない記事に遭遇した。

2020年6月16日北海道新聞「新型コロナと文明」国際政治学者納谷正嗣氏によると、新型コロナウイルスと大不況で世界は一変するそうだ。凄く興味がある。巨額のカネが利ざやを求めて、ものすごい勢いで世界を駆け巡っている経済は、庶民に関係あるのか無いのか分からないけれど落ち着かない。

こんな世界は変わって欲しいと思っても、戦争は絶対に嫌だし、革命も大地震も怖い。もちろん、感染症も怖いけれど新型コロナとして既に来てしまった。そして世界経済を徹底的に破壊している。世界中が遮断した中ではグローバル経済は成り立たない。

饅頭の皮が薄くても、中身は濃くなければいけない。それが環境破壊等で薄くなって行くのが心配だ。そうなったのは経済だけでなく、社会も同様である。

今までの流れは自由経済、カネがカネを呼ぶ仕組みが進化し続けていた。それに連れて格差は広がる一方だが、コロナ禍が低所得者層を直撃、とどめを刺そうとしている。たとえコロナ禍が終息しても、元に戻してはいけない。

政府は自由放任を止めて中産階級を増やす政策と取らなければならない。所得分配を超高額所得者から貧乏人移せば、中産階級が増える。口で言うのは簡単だが実行となると極めて困難。超高額所得者が自ら収入を減らすことはあり得ない。たとえ本人にその気があるとしても、取り巻き連中が許さない。

カネ取集システムが進化してお金持ちと言うアンコは大きくなり過ぎた。庶民という皮はアンコを包む大切な役目を担っているのに、懐が薄くなるばかりだ。皮にも厚さを持たせる必要がある。そうしなければ美味しい饅頭にはならない。

記事の末尾はこう結ばれている。皮が薄くてあちこち破れては饅頭も台無しである。中産階級の増加が饅頭の皮に奥行きを与えると思う。もともと饅頭そのものには格差はない。アンコも皮も美味しくてこその饅頭である。

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2020年06月13日

聞いたが聴いてない

ある日、地下鉄に乗ってデパートに行った。車内はガラガラだし、デパートは臨時閉店、おまけに地下通路の人通りは疎らで行き交う人々は、皆、風邪をひいたのかマスクをしている。5月なのに変だ。まるでSFの世界である。この世の終わりかなと思った。

もし、去年のゴールデンウイーク(GW)から突然、1年後に瞬間移動したら、誰もがこう思うだろう。賑わいのGWが、突然、閑散としたGWになったのだから、戸惑い、ビックリする。

現実には4ヵ月かけて徐々に変化した。それでも、飛行機も飛ばない分断された世界に違和感を覚えている。しかし、密閉、密集、密着を禁止された状況には慣れてしまった。元々孤独だからね。変わったことと言えばカラオケに行かなくなっただけだ。

約15年前にカラオケを始めてから、こんなに長い間、カラオケに行かないのは初めてだ。月に2,3回は行っていたのに、ひと月もすると行かないことに慣れてしまった。あれほど好きで、このブログ「音痴のカラオケ」を開設したくらいなのに不思議だ。

歌いたいなら一人でも歌えるはずだが、2,3回、一人で歌ったら厭きてしまった。カラオケボックスに行かないと、歌う気がしないのだ。それでも聴くのは大好きだ。

音楽を毎日のように聞きだしたのは、自分専用のトランジスターラジオを持ったときからだ。あれから60年たった。それに比べるとカラオケはたった15年だ。カラオケに行かない生活には慣れたが、歌を聴かずにはいられない。

カラオケ無しの生活に慣れたことより、もっと不思議なことがある。60年間も聞いていたのに、何故まともに歌えないのだろう。多分、何となく聞いて、身を入れて聴いたことがないからだ。

カラオケをやって好かったことは、歌う気持ちになって、身を入れえて聴くようになったことだ。聴くことがいっそう楽しくなった。ちゃんと歌えるようにはならなかったけれど、収穫は充分あった。

毎週土曜更新、またの訪問をお待ちしています!
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2020年06月06日

お富さん

映画でもテレビでもドラマは大好きだ。つまらなくても最後まで観る。アッと言うような面白い結末があるかも知れない。お富さんと与三郎は、それぞれ日陰の身でありながら惹かれ合っている。死に苦しみに遭いながら、何故か気が合う。

春日八郎の歌う「お富さん」は、もともと歌舞伎から来ているので、短い歌詞に与三郎の気持ちが纏まれている。この歌は、アッと驚く場面から始まる。死に損ないの与三郎が、死んだはずのお富さんに、バッタリ会ってしまう。♪死んだ筈だよ お富さん 生きていたとは お釈迦さまでも 知らぬ仏の お富さん♪ 

大店のドラ息子与三郎(切られの与三)が、木更津でやくざの親分の妾である、お富さんと深い中になってしまう。それがバレて、与三郎は親分らに滅多切りにされ、簀巻きされて海に投げ込まれる。それを見たお富さんは海に身を投げるが、何処かの大番頭に助けられ、その男の妾となる。

3年後、与三郎が訪れたのが大番頭だった男の妾宅。そこで死んだと思っていたお富さんに偶然の再会。歌はここから始まる。気になるのは、♪今じゃ呼び名も 切られの与三よ これで一分じゃ お富さん エーサオー すまされめえ♪ 

金一分は約2万円だそうだ。滅多切りにされ簀巻きにされて海に放り込まれた、お詫びにしては安過ぎる。この辺りの事情は歌舞伎になったのだから、知っている人は多いと思うが、私は知らないまま歌っている。

お富さんが流行った頃は中学生。体調を崩す前のことだった。つまり、元気だった時代だから、学校も、アルバイトも、友達と遊ぶことも、全てが懐かしくて楽しかった。

スマホもオンラインゲームない時代は、学校とアルバイトの掛け持ちでも、遊ぶ時間はたっぷりあった。中学では「のど自慢」をして楽しんだ。一番人気の歌は「お富さん」だった。

お富さん  昭和29年(1954年)
作詞:山崎正 作曲:渡久地政信   歌唱:春日八郎

粋な黒塀 見越しの松に
仇な姿の 洗い髪
死んだ筈だよ お富さん
生きていたとは お釈迦さまでも
知らぬ仏の お富さん
エーサオー 玄冶店(げんやだな)

過ぎた昔を 恨むじゃないが
風も沁みるよ 傷の跡
久しぶりだな お富さん
今じゃ呼び名も 切られの与三よ
これで一分じゃ お富さん
エーサオー すまされめえ

かけちゃいけない 他人の花に
情けかけたが 身のさだめ
愚痴はよそうぜ お富さん
せめて今夜は さしつさされつ
飲んで明かそよ お富さん
エーサオー 茶わん酒

逢えばなつかし 語るも夢さ
誰が弾くやら 明烏(あけがらす)
ついてくる気か お富さん
命みじかく 渡る浮世は
雨もつらいぜ お富さん
エーサオー 地獄雨
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2020年05月30日

歌えなくて幸い

口が痛くて歌えない。飯は食えるが、右側が痛いので、左だけで噛まなければならない。カラオケは出来ないし、美味しさが口いっぱいに広がる喜びも失った。でも生きることもノンビリ暮らすことも出来る。贅沢な機能の一部を失ったに過ぎない。

口腔内科で舌癌の疑いがあると言って、舌の組織を取って検査した。癌でないことが分かったが、舌が痛くて食事をするのも楽じゃない。固い肉でも左歯で噛めるが、ジュースを飲んでも、患部に染みて痛い。楽に飲食できる方法を探っている。

左側だけで食べるのは意外に難しい。左側の歯を使って噛んでも、口の中の食べ物が右側に広がり痛くなる。鼻をかんでも痛いし、話すときも痛い。なまじ食欲がある分しんどい。

もちろん、痛くて歌えない。幸か不幸かカラオケ会はコロナ禍で中止が続いている。自分本位の考えで恐縮だが、これは良いことと思っている。と言うのは、私は音痴のくせに自己流で練習している。もちろん、カラオケ会に備えてのことだ。

普通は練習して上手くなるが、私はならない。練習することにより悪い所が、悪いまま固まって行くような気がする。下手な横好きとは、そうものと思っているけど諦めない。余の辞書に不可能……。

口が痛くて歌えないから一生懸命聴いている。聴くのは元々好きだから楽しい。今では調子外れでで歌うよりも、歌手の歌を注意深く聴いている方が、良いのではないかと思っている。

痛いから薬を塗っているが治らない。良くなった気がしないけれど、以前に比べると楽そうに見えると言われた。食べ方が早くなったとも言われた。客観的評価では快復しつつあるようだ。

カラオケ会が再開される頃には治ると思う。一生懸命聴いていれば上手くなるような気がする。後になってコロナ禍のお陰で音痴が治っちゃった。と言うことになるかも知れない。歌っていない今はそう思っている。先のことは分からないから人生は面白い。とりあえず、口が痛くて歌えないのは良いことと思っている。
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2020年05月23日

さすらい

音痴だから音楽そのものから受ける感動は、普通の人と比べて少ないと思う。恥ずかしながら、コンサートホールで、交響曲の名演を聴いて涙が出たことがない。しかし、歌の場合は話は別、歌詞には人並み以上に感動する。

「さすらい」とはさすらうこと。故郷を出て他の土地をさまよい歩くことを言うそうだ。ならば、生まれてから定職に就くまでの23年間は、まさにさすらいの人生だった。暇に任せて思い出し、数えてみたら21か所をさまよっていた。

平均1年の滞在では友達も出来ない。そんな人生を23年も続けていると自分だけの世界に閉じこもるようになる。定職に就いた後も付き合いは苦手だ。遊んでくれる人も居ないので、映画を観たり本を読んだりして楽しみ、足りなければ空想で補った。

さすらいの旅人の私は、映画の小林旭のように強きをくじき弱きを助けながらの旅ではない。ただ、「さすらい」の歌詞にあるように、どうせ死ぬまで ひとりひとりぼっちさ♪ と思うだけ。そして、歌うたびに いつになったら この淋しさが♪  消える日があろ 今日も今日も旅ゆく♪ と、さすらいの旅人の気分で生きて来た。

この歌の持つ孤独感が好きだ。歌のルーツを探ってみると、「ギハロの浜辺」という題名で、敗戦後、フィリピンの捕虜収容所で歌われていたと言う。作詞者は第十六師団(京都)の将兵と書いてあったが、その中の何方かの作詞と思う。

第16師団は敗戦の色濃い絶望的な1944年8月、レイテ島に移駐。10月、圧倒的な兵力の米軍がレイテ島に上陸。その結果、第16師団は壊滅した。13,000名で臨んだレイテ決戦の生還者は僅か620名と悲惨な結末を残して終わった。

「ギハロの浜辺」は、奇跡的に生き延びたフィリピン抑留の兵士たちの間で歌われていた。それを持ち帰った復員兵から、いくつかの変遷を経て、大ヒットした小林旭が歌う「さすらい」へと育って行った。原曲は異国情緒豊かでロマンチックな歌詞だった。戦争が激化する前に作られたと推測する。

作詞:西沢爽 補作曲:狛林正一 採譜:植内要
夜がまた来る 思い出つれて
おれを泣かせに 足音もなく
なにをいまさら つらくはないが
旅の灯りが 遠く遠くうるむよ

知らぬ他国を 流れながれて
過ぎてゆくのさ 夜風のように
恋に生きたら 楽しかろうが
どうせ死ぬまで ひとりひとりぼっちさ

あとをふりむきゃ こころ細いよ
それでなくとも 遙かな旅路
いつになったら この淋しさが
消える日があろ 今日も今日も旅ゆく
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2020年05月16日

夜霧に消えたチャコ

キリコとかサチコとか女性の名の付く歌は多い。どれを歌っても私には似合わない。ただし、チャコだけは別だ。「夜霧に消えたチャコ」は大好きだ。これだけは似合わなくても歌いたい。

カラオケ(ライブダム)の画面を見ているだけでも懐かしい。映画の一部を使用したものと思うが、シーンが変わるごとに1950年代の東京の風景が映っているように見えて、とても懐かしい。ガード下とか省線の線路とか女給さん募集の張り紙とか、一つ一つが昔なじみの風景で、今は無い故郷の思い出と重なる。

チャコも思い出の人。本名は知らないので歌に合わせてチャコとする。掘っ立て小屋の様なスタンドバーをマスターと二人でやっていた。歌にあるような可憐な人ではなかった。意地と度胸で生きている不良っぽい人だが、それが魅力になっていた。なぜか、私に会うのを楽しみにしてくれた。

いつも開店したばかりの6時頃行くので誰もいない。マスターも居ないのでチャコと二人になれた。冷房もないので暑い日は、外で夕涼みしながら話した。チャコは余り笑わないで喧嘩の話をするのが好きだった。ビール瓶叩き割って一喝したら逃げてったとか、聞いていても面白い。

たまたま8時ごろに行ったことがある。チャコは珍しく酔っぱらっていた。アンタ、おどおどしてるからイラつくんだよと、絡んで来た。繰り返し同じことを言っている。悩みがあるらしい。ギターを持った流しがくると、頼まなくていいからねと大きな声で私に言った。

遅くなるとチャコにも流しにも迷惑かなと思って夕方に行くことにした。それで六時の人になってしまった。私は失業中で家の仕事を手伝っている有様だから貧乏丸出しだ。

だからチャコは金を使わないように、気配りをしてくれた。どう考えても客ではなく友達あつかいだった。金も無い、職もないから夢もない。こんなことがなければ淋しいばかりの20歳だった。

だから60年もたった今でも覚えている。私がどん底にいた時に、もう一つのどん底を教えてくれた人。私の知らない厳しくて暴力的な人生を語ってくれた人。ホントかウソかなど問題でない。話していてとても楽しくて慰められた。

これが私の「夜霧に消えたチャコ」の思い出。人には親切にするものだと、つくづく思う出来事だった。された人は何十年も覚えている。私は職を得て遠くに行った。夜霧に消えたような別れだった。会ってお礼をいいたくてもチャコだけじゃあ探しようもない。
チャコチャコ 忘れはしないいつまでも♪ 
あの日の悲しい悲しいまなざしを♪

夜霧に消えたチャコ
宮川哲夫作詞、渡久地政信作曲

俺のこころを知りながら なんでだまって消えたんだ。
チャコチャコ 酒場に咲いた花だけど
あの娘は可憐な可憐な娘だったよ

夢がないのが淋しいと 霧にぬらした白い頬
チャコチャコ 忘れはしないいつまでも
あの日の悲しい悲しいまなざしを

青いネオンが泣いている 紅いネオンも涙ぐむ
チャコチャコ 返っておくれもう一度
俺の切ないせつないこの胸に
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2020年05月09日

役に立つゴロテレ

ゴロテレ、こんな言葉が流行っていた時代もあった。昔だからテレビは高く、買うだけで精いっぱい。買ったら遊びに行く金もない。仕方がないからごろ寝しながらテレビを観ていたのだ。

何もやる気が出なくてゴロテレしていることもあった。とにかく褒められたことではない。しかし、環境が変われば、常識は一変する。最近はステイホームでゴロテレしていれば褒められる。

一時的とは言え、ゴロテレが勧められる世の中に変わった。誰もが経験したことのないコロナ緊急事態に遭遇し、有効な対抗策として認められたのである。ゴロテレで家に閉じこもっていても、社会の為になると言うのだから、こんな嬉しいことはない。

コロナ禍が起こるまでは「グローバル化」という言葉で溢れていた。それが一変して鎖国と似たような状態になった。空港が駐機している旅客機でいっぱだ。それをテレビで見てビックリした。空運業も観光業も成り立たなくなって3ヵ月たった。このまま1年もすれば、未曾有の経済危機が訪れることは確実だ。

スポーツ、音楽、映画、そしてお祭り、いずれも賑わってナンボの世界だ。それが全て出来なくなった。もちろんカラオケ、パチンコもダメ、こんな世の中が現実にやってくるとは想定外だ。パチンコはともかくカラオケだけは永遠と思っていた。

全てが真逆の世界になって3ヵ月たった。今年で80歳になるが、このような状況に遭遇したのは初めてだ。新型コロナウイルスは船や飛行機を利用する人に乗ってやってきた。観光、商売、スポーツ、芸能等、全てウェルカムと迎えていたが、手のひら返すように来るな! お互い様だけどね。

医療従事者や生活を支える為に働いている皆様の苦労は並大抵のものではないと思う。しかし、一方で80%の動かない人も必要とされている。動かないでゴロテレでは申し訳ないが、不要不急の用事で動き回れば、働かなければならない20%に人たちに多大な迷惑をかける。

この状態が長く続けば続くほど、世界が大きく変わる。かって人類が経験したことのない状況。コロナ後の世界がどう変わるかは、コロナ終息までの期間に比例すると思うが、どうだろうか?
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2020年05月02日

「OK牧場の決闘」の英語

札幌のコロナ感染者数が増えると何となく気になって来る。ステイホームが一番良いと言われると、引きこもっていても「やってる感」を覚えるから有難い。闘っている感じがするのだ。

去年までは人の輪に入りなさい。用事を作りなさい。行く所を持ちなさい。とか言われていたが、コロナ禍で逆になってしまった。ジッとして家に居るのが社会の為と言われている。

音痴なのにカラオケが趣味だ。暇なんだから歌の練習でもしたら良さそうなものだが、そうも行かない。つい、録画してある映画を観てしまう。「ハスラー2」「誰も知らない」「アラモ」等。そして、知りもしないことをブログに書いて楽しんでいる。

OK牧場の決闘(作詞:ネッド・ワシントン、作曲:ディミトリ・ティオムキン)について気になるところがあるのだ。カラオケクラブ例会ではライブダムでやっているが、歌詞の表示が気になっている。

There the outlaw bannd Made their final standのMadeについて歌手はMakeと歌っているし、歌詞もMakeになっている。しかし、カラオケ画面はMadeと過去形になっている。これから決闘をやろうというのにMadeでは勢いがない。英語も殆ど知らないのに、気分だけは西部劇のヒーローになり切っている。

私自身はMadeについてはカラオケ画面を作った人の間違いだと思っている。だから歌手の真似をしてMakeで歌いたい。それなのに目の前の画面がMadeになっていると凄く戸惑う。これには参った。画面表示にmade来ると目をつぶったりして、慣れるのに3年かかった。

Oh my dearest one musut I  lay down my gun or takeも同様、「I」については歌手も歌詞もdieになっているから、dieが正しいと思っている。私は凄く歌が下手なのに、この2ヵ所については、歌うごとにカラオケ画面の文字に足を引っ張られて悔しい思いをしていた。そもそも音痴で英語もよく分からないのに、洋楽カラオケをやっているのが間違い、と言われれば返す言葉もない。仕方がないんだ、私にもいろいろ事情がある。
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2020年04月25日

ソーシャル・ディスタンス

終わりが分からないコロナ問題だが、医療従事者その他、困難を抱えて社会を支えている人たちには、心から感謝しなければならない。私自身は喘息・肺炎持ちなので感染すれば、数少ない人工呼吸器のお世話になる身だから外出自粛中。

家にこもって、2ヶ月を超えたが意外にスムーズに順応している。変わったことと言えばカラオケに行けなくなったことくらいだ。毎日、歌を聴いて楽しんでいることには変わりはない。実は歌の練習をしようと思ったが、何となく気分が乗らない。昔はよくBGMとして音楽を聴いていたが、今はベッドの上と歩いている時しか聴かない。つまり他のことをやる時は聴かないのだ。

近所の中島公園を散歩するときは、鳥の鳴き声を聴きたいとか明確な目的が無い限り、歌を聴きながら歩いている。ある日、イヤフォンで聴きながら歌ったらとても気分が好かった。

公園の散歩もいいけれど、人との距離は2メートル取る必要がある。これをソーシャル・ディスタンスと言うそうだ。小さな声で歌うのはいいが人に聞かれたら恥ずかしい。人との距離を取る手段として、小声で歌うことにした。聞かれまいと思えば、自然に2メートルの間隔を取れる。楽しみと予防の一石二鳥である。

歌いながら歩いていると5,6メートル前方を横切る人が見えた。何故か、こっちを向いて「俺、呼んだ」という風な顔をした。最初は何だろう? と不審に思ったが、どうも聞こえているらしい。歌でもない意味不明の音声としてね。

自分はイヤフォンで聞いているので、小さい声のつもりでも、人が聞けばかなり大きいのだ。そうでなければ5メートル先には届かない。仕方がないので左右前方10メートルに間隔を広げることにした。歌うのは楽しいけれど、聞かれたら恥ずかしい。

以前、ある人が「公園に変な人が居るんだよ。歌いながら散歩してるんだ」と言ったことを思い出した。一人で散歩するのは健康に良いとしても、変な人と思われたら楽しくない。

やはり、カラオケボックスで歌うのが一番だ。だけど音が外に漏れてはいけないので密閉、大勢で行けば密集の密着だ。これでは好みが、コロナウイルスと全く一緒ではないか。嫌になっちゃうね。密閉密集密着とは、相当前から無縁と思っていたが、それでは生きて行けないことが分かった。
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2020年04月18日

最後のカラオケ?

2月12日の洋楽カラオケ会が私の最後のカラオケになるかも知れない。顧みれば、音痴なのに無理を重ねて歌って来たたものだ。コロナ感染が収束しない限り、間違いなく最後となるだろう。ところで、私はコロナ収束後の世界を、ぜひ見たいと思っている。

世界中が鎖国のような状態になり、駐機している旅客機が空港にズラリと並んでいる。テレビでは閑散とした新宿・渋谷・銀座が放映されている。そして「皆さん外に出ないでください。人と距離を取ってください」と訴えている。

安いマスクは中国製であることが分かった。設置するトイレも中国製。それが無いから家を建てられないそうだ。トイレがあるから家を建てられるなんて、世の中逆転だ。世界は航空機で頻繁に繋がり、多くの人々が接触し、世界中が分担して部品を作り、製品化していることも分かった。

こんなことも知らないで、ひたすらカラオケを楽しみ、「音痴のカラオケ」を書いていた。私が、こんなにバカだとは79歳になるまで知らなかった。こうなったら何とかして、コロナ収束後まで生き延びたい。各国が鎖国して、市民がソーシャル・ディスタンスをとって、家に閉じこもった結果が、どうなるか見届けたいのである。

世の中がまるで修道院のようになってしまった。それでも、コロナ収束という目標を皆で共有できると思えば良いと思う。二人ぐらしだが、お母さんも愉しそうだ。政府の目標は今から1ヶ月の実施で収束だが難しそうだ。しかし、永遠と言うことでもない。聞いた話では人間の6割が免疫を持つと収束するそうだ。

これは凄く賢いウイルスだと思った。エサである人間を根絶やしにしないで取って置く。このようなズル賢いウイルスには絶対に負けたくない。三密(密閉、密集、密着)は千三つとは違う。80%の確率で成功する。根拠は無いけれど、そう思うとやる気が出る。家にこもってジッとするにもやる気は必要だ。

現代社会はいろいろな意味で行き詰まっている。事態が後一ヶ月で収束すれば、元に戻れると思う。長引けば、世界は変わるかも知れない。政治経済のような高いレベルについては、エライ人たちの議論に委ねるとして、遊興施設で残るのはどれだろう?

キャバレー、ナイトクラブ、ダンスホール、バー、個室付浴場業に係る公衆浴場、ヌードスタジオ、のぞき劇場、ストリップ劇場、個室ビデオ店、ネットカフェ、漫画喫茶、カラオケボックス、射的場、競馬投票券発売所、場外車券売り場、ライブハウス。よくもこんなにあるものだ。果たして何が残るのか?
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2020年04月11日

静かな生活

4月7日、ついに首相が緊急事態宣言。感染爆発か、収束に向かうかの瀬戸際状態が続いている。働いている人は大変だと思う。こんな時こそ気晴らしが必要である。しかし、ライブバーとカラオケはご法度。私は無職で地下鉄に乗る必要さえない、恵まれた人。万が一にも感染して、人様に迷惑をかけてはいけない。この2ヶ月間は引きこもり、静かな暮らしをしている。

ところで、カラオケほど、安くて気軽に楽しめるものはない。特に昼間はね。しかし、音痴がカラオケに行くのは、決して気軽ではない。それどころか、相当な覚悟が必要である。音痴はカラオケに行かないのが普通なのだ。

65歳からカラオケを始めた言うと、「ああそうかい」と軽く受け流される。まだ一度も「なぜ65歳までやらなかったの?」と聞かれたことがない。説明しなくても分かるようだ。ところで、月3回、15年間カラオケ会に通ったら習慣になってしまった。

残念ながら、新型コロナのせいで2ヶ月半で7回のカラオケ会が中止になった。こんなことは15年間で初めてだ。不本意ながら、カラオケの習慣は崩れてしまった。歌いたくてウズウズしていれば、カラオケ会が再会されたら直ぐに行くだろう。ところが新しい習慣が出来てしまったら、それを壊すのは容易ではない。

2月19日が最後の外出となり、その後は家の中と周辺の暮らしとなった。これが新しい習慣である。家に居るのが更に好きになってしまった。安心で静かでノンビリする。しかも楽しい。

何の苦労もないのだから楽しくて当たり前。音痴など全く気にしなくてもいい世界がここにある。出かけるのは中島公園と周辺の散歩だけ。これだけの暮らしだが何故か楽しい。私も今年で80歳、唯一の社会貢献は感染しないこと。そうすれば人様に感染させることもないし、医療を崩壊から守る一助になるかも知れない。
タグ:SSN
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 音痴の気持ち

2020年04月04日

信じたくない!

2月13日から4月30日まではカラオケには行かない予定だ。所属する札幌シニアネット(SSN)のクラブ活動が3月に引き続き4月も自粛することになった。世界中に蔓延している。新コロナウイルスの感染が収まりそうもないのだ。

今年で80歳になるが、喘息・肺炎・痛風持ちだから罹ればイチコロである。今年の誕生日はとても楽しみにしていた。若いころは80まで生きられるとは夢にも思わなかった。それが実現しそうなのだから、こんな嬉しいことはない。

歌は苦手なのでカラオケを始めたのは65歳になってからだった。年を取ったら上手いか下手かより、楽しいかメンドクサイかで物事を決めるようになった。2ヶ月間もカラオケに行かないのは初めてだ。最初は家で歌の練習をしようと思ったが、三日と続かなかった。65歳になるまで歌う習慣がなかったからだと思う。

その代わり、毎日、歌いたい歌を聴いている。長い間、あらゆるジャンルの歌を聴き続けて来たので、聴く習慣はできていたのだ。変わったことは歌いたい歌を繰り返して聴くようになったことである。聴き方が丁寧になったと思う。この点がカラオケを趣味としてから、大きく違ったことである。

バックグランドミュージックとして聞くことがなくなった。何十年と長い間、そんな風に聞いていたが、いざ歌ってみると何も歌えなかった。そんなことに70歳くらいで、やっと気が付いた。沢山聞いて好かった点は好きな歌がいっぱいあること。歌えたらいいな、と思うようになった。

最近ガックリきたことは、室内で合唱をやったらコロナウイルスが感染し易いとか聞いたことである。ハーモニーのある合唱は、自分が出来ないだけに素晴らしいと思っていた。美しい人が綺麗な声で歌う合唱ほど素晴らしいものはないと思っていた。唾がバンバン飛んで感染の元などと信じたくない!

ところで、このブログは開設して2年たってしまった。あまり読まれていない感じだが、後1年は続けたいと思う。運を天に任せてもう一年。石の上にも三年居れば暖まる。
タグ:SSN
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(1) | カラオケを楽しむ