2019年05月25日

夢は夢のままがいい

3年半前から音痴改善を目指してきた。先ず「音痴とは何か」を調べたら、先天的機能障害だから直らないことが分かった。仕方がないので音痴を隠す方法のアレコレを考えた。普通は諦めるが、私は直らないならどうするかを考える。

ところで、片隅が大好きで競争が大嫌いだ。やれば必ず負けるからね。片隅には競争相手が居ないからいい。競争ならビリだが、片隅には0.1%にしろ可能性が残されている。一生懸命やった後は運を天に任せればよい。世の中や周囲の状況が変われば、小さな成功を得られるかも知れない。

背の低い老人は高くすることは出来ないが、曲がった腰を真っすぐにして、高く見せることは出来る。背の高低と同じように音痴は先天的だが、そうでないように見せかけることは可能だ。と言っても知っている人には通用しない。

だが来年は80歳になるから近いうちに周囲の状況も変わるだろう。サ高住、デイサービス、老人ホームとかも身近なものになって来た。時々テレビなどで見るがマージャンとかカラオケが盛んなようだ。

マージャンは忙しそうで楽しめそうもないが、カラオケとか音楽を聴くのは大丈夫かも知れない。それに加齢とともに身体機能が少しずつ壊れて行く。その中で壊れにくいのが口と耳だと思う。

3年前はのど自慢に出ようとか、文化祭のステージに立とうとかデカイことを考えていた。しかし、一生懸命やったら、自分の立ち位置が見えて来た。逆立ちしても不可能だ。そんな考えはアッサリと捨てた。古い夢を捨てれば新しい夢が見えて来る。

私の新しい夢は、「音痴のカラオケ」でブログ・デビュー。難しいけれど音痴を直すことと比べれば簡単だ。そんな夢を抱き始めている。何も考えないことが肝心だ。分かってしまえば、それでお仕舞いとなる。夢は夢のままがいい。知らぬが仏。
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2019年05月18日

有楽町で逢いましょう(インド通信)

私にとって歌は思い出、それぞれの土地に結びついている。17歳から22歳の間は東京から九州まで職を転々。金もないし、ラジオで音楽を聞くのが唯一の楽しみだった。「有楽町で逢いましょう」の思い出は、インド通信とホットケーキである。

その歌が出たのは1957年、私は広島県に居た。それから転々として21歳のころから新橋の森ビルにあるPTI通信(Press Trust of India)東京支局で働くことになった。仕事はテレタイプ情報の配達と留守番で凄く楽だった。支局長は日本に来たばかりで日本語が分からない。少しは英語も必要だった。

失業中、自衛隊に入り三ヶ月間の英語訓練を受けた。そして、米軍基地から来るフライトプランを電話で受けながらタイプする仕事に就いた。タイプも英会話も苦手なので落ちこぼれ、依願退職して東京に出た。インド通信はアルバイトだが楽な仕事だ。虚弱体質の私にとっては天の恵みだった。

フランク永井は米軍キャンプでジャズを歌って大好評、私は英語の分からない日本人として米兵に嫌われた。彼等は少しモタつくと他の人と代われと言う、英語でね。私にはギミィアナザと聞こえる。先輩も最初は変わってくれるけど、1ヶ月たったら誰も変わってくれない。その結果、またもや失業者となったのだ。

配達先の一つが当時有楽町にあった朝日新聞外報部、さっそく有楽町で昼食と洒落込んだ。一番安い組み合わせとしてホットケーキとミルクを頼んだ。「あなたと私の合言葉 有楽町で逢いましょう」とか思い出したがが、東京では完全に孤独だった。

インド通信では無保険だが病気に罹るような気もしなかった。そう思えるほど仕事が楽だった。オリンピックを1年後に控えた東京は空前の好景気。ここに居れば何か職が得られるだろうと楽観的になり、何の心配もしなかった。こんな私にも英国の大手通信社に入らないかとの誘いがあったのである。

「君は大学出てないだろう」
とインド通信情報配達先の通信社所長が言った。
「はい、出てませんが」
「英語とタイプが少しできればいいんだが、応募者が大卒ばかりなんだ。大卒の職じゃあないのにね。困ったもんだよ日本は」

私にも一流企業に就職の機会と、大喜びしたがぬか喜びだった。大卒はダメだが、中卒はもっとダメらしい。所長も私が高校も出てないと知ってガッカリ。オリンピックで景気が好かった頃なので、英語が出来て無職の高卒など滅多に居ないのだ。

その時は日本の国家公務員採用試験制度は世界一素晴らしいと思った。学歴の制限がないのだ。例えば、当時の上級試験は大卒程度で実施されるが、中卒でも受けられる。この制度は余り知られていない。私も初めて知ったのは21歳になってからである。何か受かりそうなのを見つけて受験することにした。

有楽町で逢いましょう 1957年7月に発表(私は17歳) 
吉田正 作曲 佐伯孝夫 作詞 フランク永井 歌
そごうデパートの東京店出店のイメージソングとして作られた。
フランク永井の歌声は「低音の魅力」と評され、大ヒット!
個人的思い出としてはホッとケーキとインド通信。

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2019年05月11日

音痴のまま楽しもう!

長い間、普通に歌の下手な人と思っていた。だが3年半前に音痴であることに気付いた。平凡社「音楽大辞典」によると「大脳の先天的音楽機能不全」だそぅだ。少しガッカリしたが、ホッとした気分の方が強かった。音楽機能不全なら仕方がない。音痴の生き甲斐に「パラオンチック」でもあればいいのにと勝手に考えた。

ところでブログのタイトルは「音痴のカラオケ そのまま楽しもう!」。音痴は背が低いのと同じように成長期を過ぎたら手の打ちようがない。歌を楽しみたければ、そのまま楽しむより他はない。そう出来ない人は他の趣味を楽しんだ方がいいと思う。

ところが私は、若い時からいろいろな趣味を次々に手を付けて、どれも出来ないまま老人になってしまった。そのような人ならカラオケが一番だ。なにしろ伴奏は物言わぬマシンなのだ。これはとても有り難いことである。将棋でも碁でも、テニスでも、自分よりも先に相手の方が嫌になるようだ。野球などの団体競技には入れてもらえないから試すチャンスさえない。

カラオケも一人でやるなら好き勝手に楽しめば良い。私も最終的にはそうするつもりだ。しかし、皆と一緒の方が楽しい。ならば仲間のことも考えなければいけない。人に好かれれば一番いいのだが、これもなかなか難しい。だから嫌われないように気をつけなければいけない。その気があれば誰でもできる。

音痴も直る余地はある。例えば背の低い老人は猫背を直せば少し高くなる。腰が曲がっているのを直せば相当高くなる。猫背や曲がった腰は、反対に反らすこと、あるいは正しい姿勢をとる訓練を繰り返せば少しは改善するかも知れない。音楽機能不全そのものは先天的だから直らないが、見かけは直せる。

CD等の正しい歌を聴いて真似をする。それを繰り返すだけでいい。頭を使う必要もないから楽だ。悩みの種は同じ歌手でも時代によって歌い方が違うこと。私にはカラオケの伴奏がどのバージョンか分からない。音痴はホントにつらいよ。

歌手の真似など出来るわけがないが、楽譜も読めないし他に方法がない。加齢により耳も目も悪くなってる。こう書くと人生真っ暗闇みたいだが、生活にゆとりが出来たから趣味のことも考えられるようになったのだ。長い人生で、こんなにゆったりした気分になれたのは初めてだ。

10歳からアルバイトをし、15歳からはフルタイムで働いた。そして、定年退職し仕事から解放されれた。楽をしたいと言う子供時代からの夢は叶い、現実となったのである。何だか昭和貴族になった気分だ。平成は無事にやり過ごしたが、令和は大丈夫だろうか。こればかりは運を天に任せるしかない。
あったかい気づいてみれば尻のした気持ち好すぎて出るに出られず -- 籠の鳥
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2019年05月04日

OK牧場の決闘(Gunfight at the O.K. Corral)

「霧笛が俺を呼んでいる」にしても「夜霧よ今夜も有難う」にしても、映画の筋書きと歌とは別物の感じだ。その点、「OK牧場の決闘」や「真昼の決闘」は違う。歌そのものがストーリーになっているから、歌っていると映画に登場するヒーローの気分になってしまう。ハゲで短足、自分勝手の弱虫なのに困ったものだ。

「OK牧場の決闘( Gunfight at the O.K. Corral)」は、1881年10月26日、かつては銀山の町として栄えたトゥームストーンのO.K. コラール付近の路上で起こった銃撃戦についての物語である。

コラールとは馬や牛などを入れる囲い場、牛や馬を一時的に預けたり繋いでおくために用いられる。私のイメージは駐車場である。映画のタイトルは直訳のまま「OKコラールの銃撃戦」がいいと思う。牧場ではないし決闘とも違うのだ。

保安官ワイアット・アープをヒーローとする映画として「荒野の決闘」「OK牧場の決闘」「ワイアット・アープ」の三本を観たが、銃撃戦シーンで一番リアルなのが「ワイアット・アープ」と思う。

と言うのは、実際の銃撃戦はコラール近くの路上で起こり、30秒で終わる。他の2作は銃撃戦場面が長い。娯楽映画として見せ場を作るために創作したのだと思う。実際の事件は保安官が武装解除を求めた際に偶発的に起きたのだと思う。もちろん、アープ家とクラントン家との確執があってのことだが。

この歌はワイアットの気持ちを歌っている。
……my back’s against the wall Have you no kind word to say before I ride away……
……If the Lord is my friend We’ll meet at the end of the gunfight at O.K.Corral……
この辺りがグッと来る、意味は分からないけれど何となく。

それなのに思わず力が入ってしまう。音痴だから変な力がね。普通の人の10倍は変に聞こえると思う。百倍かも知れない。誰も居ない所で一人で大声で歌ったら気持ちいいのに、人前で歌いたくなるから困ったものだ。か細い声で遠慮しながら歌っている。

銃撃戦の結果
ワイアット・アープ
ワイアット・アープ:保安官 無傷
ドク・ホリデイ:アープの友人 大腿部負傷
バージル・アープ:保安官で、アープの兄 右太腿負傷
モーガン・アープ:アープの弟 負傷

アイク・クラントン組
アイク・クラントン: 銃撃戦には不参加(逃走)
ビリー・クラントン:アイクの弟 死亡
フランク・マクローリー:アイクの友人 死亡
トム・マクローリー:フランクの弟 死亡
その他、銃撃戦中に逃走した者もいる。
(銃撃戦の結果はWikipedia情報の要約)
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2019年04月27日

夢のままがいい

カラオケ会で一番弱いのは音痴だから、虐げ・弾圧・迫害されるとか言って脅かす人がいる。それを信じた私は、本当は不真面目なのにマジメを盾にして身を守ることにした。真面目な社員、真面目な奥さん、真面目な子供、弱い立場の人たちは皆やっている。マジメは強者から弱者を守る最強の楯である。

「オンチー、引っ込め〜」と、まだ一度も言われていないから大成功! これに奢ることなく真面目に歌い続けたいと思っている。実際には迫害等の経験は全くない。正確には一度だけあるが37年前のこと。とっくの昔に、時の壁の向こう側になっている。記憶としては残るが心のダメージは完全に消えている。

一緒に歌うのは友好的で優しいシニアの仲間だから、常に人の気持ちを考えてくれる。楽しめば良い、健康に良いとか言って励ましてくれる。こんな快適な状況が10年も続けば、何となく音痴と思う程度で気にもしない。甘やかされると年甲斐もなく、自分のことが分からなくなってくるのだ。

3年半前に洋楽カラオケを始めた時に、初めて普通ではないと気がついた。何となくではなく、極めて重症であることが分かった。普通はここで諦めるのだが、逆にやる気がモリモリ湧いてきた。

一生懸命練習して今よりもマシになりたいと思っている。一方、重症だから止めた方が良いかなと思うこともある。何かを止めれば何かが見つかるからだ。止めれば他も見えて来る。何も出来ないから、何の初心者にもなれるのである。← 威張ってゴメン!

ところで、カラオケマシンへの入力は曲の伴奏と私の声、出力はその二つが合成されたもの。ならばマシンの中で加工も出来る。私の歌を正常な音程に直すことが可能だ。人に心地よい声に直すこともできるだろう。もしそうなったら興味が薄れると思う。

若い時はアメリカに行きたかったが、月給が1万5千円なのに、旅行代金は最低30万円もした。40歳過ぎてアメリカに研修に行け、と言われた時は興味を失っていた。大好きなアメリカは昔の歌や古い映画の中にしかない。夢は夢のままがいい。
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2019年04月20日

「くちなしの花」と二人の人生

俺の言葉に泣いた奴が一人
俺を恨んでいる奴が一人
それでも本当に俺を忘れないでいてくれる奴が一人
俺が死んだらくちなしの花を飾ってくれる奴が一人
みんな併せてたった一人

宅島徳光が大学ノートに書きつづった恋人への切ない想いが「くちなしの花」。彼はこの花が好きだっただけでなく、戦争末期、口には出して言えない(口なし)の心の記憶としたかったらしい。冒頭の詩はその一節。

宅島徳光略歴:慶應大学卒業、第13期海軍飛行科予備学生、1945年4月9日、一式陸上攻撃機の機長として出撃、任務中殉職、享年24、海軍中尉。
以上は『遺稿くちなしの花 愛する祖国の人へ』宅島徳光著 大光社よりの引用。

大ヒットして1974年のNHK紅白でも歌われた「くちなしの花」の原点は、「遺稿くちなしの花 」にある。宅島中尉の詩に美空ひばりが補筆した「白い勲章 」もあるが、私は遺稿に思いを馳せながら渡哲也の「くちなしの花」を聴く方が好きだ。

映画「やくざの墓場 くちなしの花」では主役を演じた渡哲也の歌「くちなしの花」が要所で流された。渡の役は警察組織と反社会勢力の癒着の構造の中で、もだえ苦しみ暴発する刑事だった。この映画の上映前年には「仁義の墓場」が公開された。渡が演ずるヤクザは29歳の若さで壮絶な人生の幕を自ら閉じた。

戦争中、「遺稿くちなしの花 」を書いて大空に散った宅島中尉。一方は、戦後の破れかぶれの人生に自分で終止符を打った新宿のヤクザ。彼は反省することなく笑って死んだ。全く違う二人の人生を一つにしたのが渡哲也の「くちなしの花」と感じている。私は弱虫で利己主義者だが強い愛、強い心に惹かれる

実在のヤクザA夫の生涯を描いた「仁義の墓場」のキャッチコピーは「おれが死ぬ時は カラスだけが泣く! 仁義・組織・盃・掟に牙むいた戦後やくざの語り草」。A夫は29歳で刑務所の屋上から身を投げて死んだ。独房に残された遺書にはこう書いてあった「大笑い三十年のバカ騒ぎ」。

昭和29年1月29日、自ら幕を引いた破滅の人生を彼らしく結んだつもりだろう。くしくも昭和年号と同じ29年だった。この映画は渡哲也の病気療養後の第一作。「病み上がりで本調子ではなかったが、それがかえって幸いしてA夫の不気味な迫力をいやが上にも増大した(Wikipedia)」。

戦時だからこその深い愛、戦後の闇と裏切りの社会が育んだ底知れぬ虚無。戦争さえなければ宅島徳光は愛のままに生き、A夫は底なしの闇にハマり込むこともなく、人として立ち直る機会もあったと思う。歌と映画から口なしの声が聞こえて来る。

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ネットで購入した『遺稿くちなしの花 』。

なき吾子のこよなく愛すくちなしの雨にうたれて咲くぞ寂しき
昭和36年4月 宅島徳次郎(宅島徳光の父)

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2019年04月13日

カラオケと宇宙旅行

音痴なのに、よく13年も歌い続けたと、褒められたことはない。仕方がないから自分で褒めて喜んだ。先ず、何となく音痴から「真面目な音痴」へと進化したのが偉い。うん、とても嬉しい。

高齢になってカラオケを始めたが、何となく音痴と思っていた。しかし、楽しければいいんだよと言われれば素直にそう信じた。約3年前に重い音痴と自覚して落ち込んだ。人は落ちれば這い上がろうと努力する。そこに進化が生まれるのだ。そして「諦めない音痴」になった。しかし人間は諦めが肝心だ。

歌を楽しめるのはカラオケ専用装置のお蔭だ。マシンは感情がないから有り難い。歌が下手でも文句も言わずに淡々と伴奏を続けてくれる。人が弾くピアノ伴奏ならそうは行かない。

ところで、先日のカラオケ会で偶然耳にした会話。
「何処で練習するのですか?」
「何もしません。ここで歌うだけですよ」
と言った。う〜ん、歌の上手い人は練習などしないのだ。

そう思ったら凹んだ。一生懸命練習しても一番下手のままだ。それでも順番が来れば喜んで歌う。私は物事を遠い昔と比べて考えている。1950年代に伴奏付きで歌える人は上手い人に限られていた。私にとっては宇宙旅行と同じように叶わぬ夢だ。カラオケは存在しないのだかから想像さえ出来なかった。

今なら両方とも可能だが、宇宙旅行の値段は1050万円〜22億円だそうだ。それなのにカラオケ会は550円、それでも伴奏がありマイクがありバチバチと拍手まである。宇宙旅行もカラオケもコンピュータ無しでは不可能だから、1950年代では夢物語に過ぎなかった。当時私は中学生で「宇宙旅行協会」に入会、単なる夢で終わったが、カラオケは50年後に現実となった。

仮想現実とはコンピュータの中に作られた仮想的な世界を、現実のように体験させる技術だそうだ。実用化されたものとしてはフライトシミュレータがある。一方、ゲームセンターにもいろいろあるが、もっと大規模で全身で入って行けるものが欲しい。

もし仮想現実で私自身が映画のヒーローになれるマシンが出来たとする。しかも4時間550円で手軽に遊べるとしたら素晴らしい。アクションよりもラブロマンスの方がいい。「カサブランカ」のリックの役をやってみたい。状況は複雑だが現在の技術を発展させれば可能と思う。進歩のスピードが速くなっているので、値段はともかく案外早く実現されるかも知れない。楽しみである。
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2019年04月06日

夜霧よ今夜も有難う 

私にとって映画の旅は、「カラブランカ」方面から「夜霧よ今夜も有難う」方面への旅だった。10歳から15歳くらいまでは洋画しか観なかった。内容なんかどうでもよかった映画の中にある夢の世界が見たかったのだ。終戦直後、「灰燼に帰した東京に忽然と姿を現したワシントンハイツ」の影響を受けたのである。「 」内は秋尾沙戸子 新潮社発行の『ワシントンハイツ』より引用。

10歳から新聞配達のアルバイトを始めたが、賃金は1ヵ月1000円と、相場の半分以下だった。その内の700円を食い扶持として母に取られたが、残りで映画を観た。封切が100円以上の時、渋谷のテアトルSSでは古い洋画を40円でみせていた。「毒薬と老嬢」「夜も昼も」「われら自身のもの」等を、子供には難しいとか一切考えずに映画が替わる毎に観ていた。

17歳の頃から邦画にも目を向けるようになった。時代は日活無国籍アクションの興隆期だった。その後全盛期を迎え、爛熟期に登場したのが「夜霧よ今夜も有難う」である。その頃には私は27歳にもなっていた。何と言ったって無国籍だから洋画のイイところ取り、ファッションとかジャズ、それに煙草の吸い方とかね。

「夜霧」は取りすぎで和製カサブランカと呼ぶ人もいる。リック(ハンフリーボガート)はカサブランカにある「リックス・カフェ・アメリケイン」の主人で、相良(石原裕次郎)は横浜のナイトクラブの経営者だが、それはそれぞれの表の仕事。イルザ(イングリッド・バーグマン)はレジスタンスのリーダーの妻、秋子(浅丘ルリ子)はアジア某国の高官の妻、これが主な登場人物である。

試みにリックと相良の人生を一つに纏めてみた。男の裏の仕事は密出国を援助する「逃がし屋」である。4年前のことだが将来を誓い合った女が突然訳も話さずに何処かに消え去った。それが今になって、前触れもなく突然に現れたと思ったら頼み事だ。それはあまりにも身勝手なことだった。夫が革命の大義を全うするには、出国しなければならないから助けてと言うのだ。

行方知らずの4年は長すぎる。オマケに他所の人の妻になっている。男は今も独身で女への愛も冷めてはいないから悶々とする。妻となった女も悶々、それなりの事情はあるからね。結局、男は夫婦一緒に密出国させる。

男のところを相良と変えてもリックと変えても大丈夫。「カサブランカ」と「夜霧よ今夜も有難う」のストーリーは本当によく似ているから。ところで、「遥かなるアラモ」「OK牧場の決闘」「ハイヌーン」は歌詞から映画が連想できるが、「夜霧」の歌詞からは映画の内容が少しも連想できない。歌は別物のような気がする。
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2019年03月30日

私はイチロー

米大リーグ、マリナーズのイチロウ選手はこう言った「自分が夢中になれるものが見つかれば、立ちはだかる壁にも向かっていける」。なるほど、私も同じ思いだ。

「夢中になってあれだけかい?」ちょっと待った!それは言わないルール。壁の厚さに変わりはない。イチローが目指したのは世界一の野球選手、私が目指すのは普通に歌える人。彼は引退したが私は現在進行中である。

大きな壁に向かうには自分の立ち位置を把握しなければならない。イチローは走攻守に優れた選手、一方私は真面目なオンチ。カラオケ会では一生懸命歌う。そうすれば失笑を誘うことはあっても叱られることはない。歌は穏やかな気持ちで歌わなければ楽しくない。楽しくなければ続けられない。継続は力である。

歴史をひも解くと、人は成功体験にしがみついて国を滅ぼし、会社を倒産させ、自分の人生を破滅に導いた。私も細やかながら成功体験はある。余りにも平凡でワザワザ書くようなことではないが、これしかないないので何時も書いている。

歌と踊りとは関係のない仕事だが、どの職場でも仕事の出来る人は歌とスポーツが得意だった。音痴の私は運動音痴でもあった。そのため仕事も苦手だからクソ真面目に働いた。お陰で「仕事が出来ない人」というレッテルも張られずに、無事に定年退職まで勤め上げた。これが唯一の成功体験である。

「柳の下にいつも泥鰌はいない」とも言われている。成功体験に足を引っ張られ失敗することもある。一生懸命もいいけれど、その場その場で楽しむことも必要だ。カラオケ会を舞台と考え役を演じて楽しんでいる。そうは見えないかも知れないけどね。

舞台では主役、脇役とかいろいろあるけれど、私が選んだ役は真面目なオンチ役である。これなら魅力的でなくても、稽古をしなくても簡単に出来る。気軽なのがなによりだ。

ところでイチローはインタビューでこう言った「監督は絶対無理です。これには絶対が付きます。人望がない」。この発言といい、冒頭の発言といい、何てイチローと私はよく似ているのだろう。

だが待てよ。ひょっとして似ているのは「立ちはだかる壁」があることと「人望がない」ことだけかも知れない。イチローは苦労はしていない苦心はしているとも言っている。同感である。
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2019年03月23日

君はわが運命(You Are My Destiny)

ポール・アンカの「君はわが運命」は易しそうと思っていたが、歌ってみると難しかった。実は私って本当は凄いんだ。多くの成功体験を持っている。ただの音痴じゃないんだよ。

禁を破って自分の歌に関して初めて書いてみた。タイトルは「音痴のカラオケ」、そもそも書き手は音楽について書く資格がない。それなのに書く。自己評価はどうしても甘くなる。

先日、カラオケ会で「君はわが運命」を歌ったが、おおむね良好、苦手なサビの部分も無難にこなす。ところが、終わりのア〜〜〜と言う高い声を出すところで躓き、思わすエッヘヘ〜〜とか笑ってしまった。どんな状況でも笑うことは楽しい。

ところで、カラオケ画面では歌詞の文字色が歌の進行に応じて変化する。それで色の変化について行くことが最初の目標となった。日本語だと比較的早く慣れることが出来るが英語だと難しい。発音が苦手で口が回らないから特に難しく感じた。

苦節三年、ようやく色の変化に応じて歌える様になった。次の課題は音程である。練習方法はいろいろあるらしいが、私が得た情報の中で一番簡単そうなのは、自分の歌を録音して聴くこと。本当はこれだけはやりたくなかったけれど、仕方がなかった。

現実を知れば、人前で歌う気がしなくなるので自分の歌だけは聞かない方がいいと思っていた。しかしカラオケ会に入って3年たったから、如何に自分が下手かを再確認しても止める心配はなくなった。それで嫌々ながらだが、やってみることにした。

聴いてみて驚いた。ここまで下手とは知らなかった。オマケに声が悪いのだ。我々音痴を慰める言葉として「楽しければいいじゃない」と「いい声しているよ」と言うのがある。人の優しさには感謝するが、愚かな私はそのまま信じていたのだ。長いことね。

ともかく、これからは音程に気をつけたい。何かを変えれば何かが変になるけれど、それは気にしないことにする。自分の歌を聴いて分かったけれど、元々変だから今更気にしても仕方がない。分かっただけでも収穫だ。耳は口ほど悪くはなかった。

来年80歳になる私は、書くことと歌うことは健康維持の二本の柱、決して疎かにはできない。音痴でも歌い、駄文でも書く、与えられた場所でも花を咲かすことは出来ないが、楽しむことは出来る。健康であれば気の持ちようは、好きなようにコントロール出来る。これが唯一の得意技。
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2019年03月16日

ジャニー・ギター(大砂塵)

「あの歌この歌」とか書いているが音痴だから無理だ。代りに好きな歌にまつわる思い出や映画などを書いている。自分のブログだから書き放題だがリスクもある。それは誰にも読まれないこと。危なくはないけれど、けっこう虚しいし寂しい。

映画を観て主題歌が好きになることが多いのだが、ペギー・リーの「ジャニー・ギター」の場合は逆だった。歌が好きなので映画を観たくなったのだ。原題は「ジャニー・ギター」だが内容が分かり難いと考えたのか、日本ではタイトルを「大砂塵」とした。この映画は1954年に公開されたが、当時は西部劇が大好きだったのに、なぜか観た記憶がない。

好きな歌が大砂塵の主題歌であることを知った時、ビデオレンタルに行ったが無かった。それが最近になって2回もテレビで放映された。両方観たが極めてユニークな映画だ。こんな西部劇は観たことない! これからもないだろう。

先ず、ネーミングが笑っちゃう。ジャニー・ギターとダンシング・キッドとはね。ギター弾きのジャニーがギターを背負った馬上姿はいいとしても、ダンシング・キッドって何だろう? 

ビリー・ザ・キッドは西部開拓時代の強盗、「駅馬車」のリンゴ・キッドは無法者。そして、この映画のダンシング・キッドは銀行強盗にしろ駅馬車強盗にしろダンスのイメージが湧いてこない。真面目なのかふざけているのかサッパリ分からない。

若い時、日本でも流行っていたペギー・リーの「ジャニー・ギター」が好きだった。彼女はソフト・アンド・クールな歌声で知られていた。「ゴールデン・イヤリングス」も好きだが、残念ながらカラオケ店にはなさそうだ。

「大砂塵」の音楽は洋画ファンなら誰もが知っているヴィクター・ヤングが担当。なんと「ジャニー・ギター」の作詞者はペギー・リーその人である。そんな訳で少年時代に観そこなった「大砂塵」をぜひ観たいと願っていたら、テレビが叶えてくれた。

ユニークその2は、決闘をする主役のガンファイターが二人とも女性であること。酒場の女主人ヴィエンナ(ジョーン・クロフォード)と駅馬車襲撃で殺された犠牲者の娘エマである。

逃げるウエディングドレスのような白い衣装のヴィエンナと、馬で追う黒ずくめのエマ&喪服集団が思いもよらぬ異様なシーンを展開している。この映画の男は添え物に過ぎないから名前もギターとダンスで好かったのかも知れない。

「大砂塵」はヴィクター・ヤングの音楽で始まり、ペギー・リーの歌で終わる異色の西部劇。美しいメロディーと女の闘いとのギャップが異様で興味深い。この時代の西部劇としては珍しく善玉と悪玉の区別がハッキリしない。マッカーシズムによる赤狩り旋風を暗に揶揄する内容との説もある。

小林旭の「渡り鳥シリーズ」も、この映画を引き継いだような感じがする。「小林旭 ジャニー・ギター」で検索するといろいろ出てきて面白い。やはりペギー・リーの歌が一番いいと思う。私も歌いたいのだが、音痴としては遠慮したい気分もある。少人数でやる友達同士のカラオケではコソコソ歌っているけどね(笑)。

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2019年03月09日

A子さんの思い出(越後獅子の唄)

歌はいろいろなことを思い出させてくれる。歌から連想されることも多い。前回のブログで、6畳一間に6人家族と言う超過密状態の我が家にA子さんが転がり込んだこと、そして三人で寝たことを書いた。それがA子さんと恋人、そして私と誤解を与えたような気がして気がかりだ。補足説明をしたいと思う。

結婚を反対されて家を出たが、恋人の学生さんは友人の部屋に身を寄せ、A子さんは親戚である我が家に来た。清い交際であることを御両親に知ってもらう為と思う。

話は戻るが、学生さんは書生としてA家に同居していた。A子さんの父親は強面の請負師だが、彼女も気の強い点では負けてはいない。父親に抗議して学生と一緒に家を出てしまった。

一方、我が家は一つの布団に二人ずつ寝ているのに三人目が来てしまったので大変だった。A子さんは学生の援助もするので昼も夜も働いて、帰って来るのは夜中だ。学生は書生の職を失ったが、彼女は彼が勉学に専念することを望んだ。

初めは夜中に帰ったら最短距離で寝れるように玄関に近い次兄側に寝た。狭くて足の踏み場もないからね。その頃、次兄は既に中学生、穏やかな気持ちではなかった思う。一つの布団に三人だからピッタリくっつかないと寝れないのだ。

結局、A子さんは私の横に移った。幼い子供と思い込んでるようだが、一緒に映画を観たときから2年もたっている。私だって意識する。しかし犬を腕力で引き離した一件を見て彼女の怖さを知っていた。自分を抑えることが出来たのは恐怖心からだと思う。

A子さんは私の横で寝たことは覚えていないと思う。あれから67年たっているのに私は覚えている。「越後獅子の歌」のせいだ。聴いたり歌ったりするごとに思い出す。彼女にとっては迷惑な歌だが、私にとっては懐かしい歌である。

音痴だから新しく歌を覚えるのが苦手だ。懐メロばかり歌ってたら思いもよらぬ収穫があった。歌にまつわる昔のことを次々と芋づる式に思い出すのだ。こうなったら止められない。在職中は過去を振り返るなんて、老人がすることだと忌み嫌っていた。考えはめまぐるしく変わり続ける。まだ若いのかな?

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2019年03月02日

越後獅子の唄 美空ひばり

生まれてから22歳までの間、私の存在を示す物証は戸籍謄本と1枚の写真しかない。だから記憶をたどって一生懸命に思い出している。歌はその手掛かりになるので大好きだ。古い歌を歌うと面白いように記憶が蘇えって来る。

1951年、話題の正月公開映画は「とんぼ返り道中」だった。私にとっては思い出深い映画である。7歳年上のA子さんに連れて行ってもらったのだ。多分私は小学4年くらいだった。映画の内容は覚えていないが、A子さんのことは鮮明に覚えている。

従姉妹のA子さんは母子4人で満州から引き揚げて来て隣に住んでいた。父親はシベリヤに抑留されていた。母親は優しすぎるので長女のA子さんが父親代わりをしていた。気の強いしっかりした人だった。彼女は家の前の道路で犬が交尾をしているのを見ると、怒ってバケツの水をぶっ掛けた。それでも止めないと二匹の犬を腕力で引き離した。見ていた私はビックリした。

そんなA子さんが大好きだったので、映画に誘われると喜んでついて行った。「とんぼ返り道中」の内容は忘れたが、主題歌の「越後獅子の唄 美空ひばり」については、よく覚えている。流行っていたからだと思う。A子さん一家は父親がシベリヤから帰って、しばらくすると大田区に家を新築して引っ越して行った。

越後獅子の唄を聴いても歌っても必ずA子さんを思い出す。彼女と最後に会ったのは55年前のことだった。喧嘩していた親子は仲直りしたようだ。結婚して実家の一隅に家を建て、夫となった元学生さんと暮らしていた。

話しは戻るが、A子さんは年下の学生さんと恋仲になり、親に結婚を反対されて家出した。そして狭い我が家に来た。今では考えられないが、親子6人が6畳一間に重なる様にして寝ていて、そこにA子さんが来たのだ。私は一つの布団に三人で寝ることになってしまった。住宅難の当時としても異常な状態だった。

ところで、ライブダム・カラオケの映像だが、越後獅子のでんぐり返しが下手過ぎる。幼い子供の練習とは言え、もうちょっと上手くないとね、プロなんだから。私は音痴で音楽については語れない。それで動画について、ちょっと触れてみた。歌詞に「芸がまずいと叱られて〜♪」とあるが当然のお叱りである。
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2019年02月23日

ストレスあって嬉しい

「好きこそ物の上手なれ」と言われているが、「下手の横好き」もある。カラオケ会の人はみんな凄く上手い。私はその中で唯一の音痴。考えようによってはこれは凄いことだ。ゾウの群の中に小さなネズミが一匹、紛れ込んだようなものだ。いつ踏み潰されても不思議でない状況の中で、生き続けているのである。

もう3年過ぎたがまだ大丈夫。それは何故か、ネズミの私には分からない。多分ゾウたちがネズミをを踏みつけないように気を付けているからだろう。音痴とか本当のことを言われれば、一回目はショック、2回目てショボクレて、3回目でノックアウトだ。

偶然にも優しい人達に囲まれているが、厳しくて正直な人が入ってきたらどうだろう。一人だけでも緊張するし、二人なら萎縮する。三人居たらもうお仕舞だ。もし仕事なら辞められないから地獄だね。テーマからは外れたが自由の身で本当に好かった。

例会は1ヵ月に一回だが、前の自分よりは進化したい。欲を言えば人にも分かるくらいにね。これは極めて困難なことは分かっている。下手な歌を身を入れて聴く人は居ないから、前との比較は不可能だ。しかし例外はある。人に好かれていれば話は別だ。私にとっては更に高いハードルだけど心しておきたい。

何故ならば、どんなに難しい課題でも音痴を直すことに比べれば簡単だ。とは言え、人に好かれるのも凄く難しい。特に私の場合はね。好かれるための努力は殆ど報われない。仕方がないから一生懸命嫌われないように心がけている。これはある程度の効果はある。だけど胸がドキドキときめいたりはしない。

子供の頃は毎日が苦しく、夢は楽をすることだった。その後は右肩上がりの人生で、夢は現実となった。唯一の希望はこの状態が少しでも長く続くことである。健康維持のためには適度のストレスが必要だから、わざわざ苦手なカラオケをやって悩んでいる。生存のためにはストレスは必須だからね。ストレスならこっちにもあるよとか誘われても行かない。楽しくなくちゃぁダメ!

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2019年02月16日

荒野の決闘(My Darling Clementine)

音痴なのに歌が大好きだ。背景にある思い出や、物語が好きだから懐メロばかり歌っている。歌が好きと言うよりも昔を懐かしんでいるのかも知れない。一人で歌えばいいのに人前で歌いたくなるから困ったものだ。長い人生で下手は歌うなと叱られたのは1回だけ。30年たったら、ショボンとした思いは忘れてしまった。

先ず『荒野の決闘(My Darling Clementine)』について簡単に説明。「1946年のアメリカ映画。ジョン・フォード監督による西部劇映画の古典的な作品である。主演はヘンリー・フォンダ。OK牧場の決闘を題材としている。詩情溢れる西部劇の傑作として名高い。……アクション映画というよりも、ドラマとしての色彩が強い(Wikipedia)」。

この映画の登場人物、ワイアット・アープと言えば西部劇の英雄である。時代劇の国定忠治や鯉名の銀平よりも名が知られたヒーローだ。そしてアープが淡い恋心を抱いたのが、クレメンタイン・カーターである。その役を演じるのはキャシー・ダウンズ。彼女はファッション雑誌、ヴォーグのカバーモデルとして活動した美貌の人、として当時は知られていた。

Oh, My Darling Clementineを歌う時は、いつも- いとしのクレメインタイン (荒野の決闘)の場面が心に浮かぶ。そこには西部開拓時代の様子が風情豊かに描かれている。特にラストシーンが素晴らしい。問題が解決し落ち着きを取り戻したアープは、クレメンタインの頬にキスをし、握手をして馬に乗る。「実にいい名前だ。クレメンタイン」と告げ、何処かに去って行く。

歌うごとにこの情景が目に浮かぶ。ところがその後、私が観た『OK牧場の決闘(1957年)』にも『ワイアット・アープ(1964年)』にもクレメンタインは出ていない。言うまでもなく両方ともアープをヒーローとした作品である。

最近になってクレメンタイン・カーターは架空の人物と知ってガッカリした。そもそも『荒野の決闘』は『Frontier Marshal』のリメイクだそうだ。クレメンタインも役名こそ違うが同様の人物も出ていると言う。1939年の作品で日本未公開だから邦題はない。

オリジナルの詩では黒人女性と思われる恋人が泥酔して溺死して幽霊となる、という内容のもあるそうだ。どれもこれも架空の話のような気がする。そんなことだから、私としては『荒野の決闘』のクレメンタイン・カーターも実在と思いたい。その方が歌っていて気持ちがいいのだ。

ワイアット・アープを扱った映画は数多くあるがクレメンタイン・カーターのような人物が出てくるのは、『Frontier Marshal』と、そのリメイクである『荒野の決闘』だけらしい。曲に対応する詩は「雪山賛歌」等、いろいろあるが、英語の歌はこんな感じが多い →  Oh My Darling, Clementine 、映画『荒野の決闘』とは雰囲気が余りにも違う。残念!
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2019年02月09日

英語で歌って意味分かるの?

英語で歌って意味わかるのと聞かれた。う〜ん、ショックだ、狼狽えた。しかし考えてみれば日本語の歌だって愛とか恋ばかりだな。私に分かるはずがない。それでも歌えば楽しい。何もかも想像と空想で補っているだけだ。私の場合はね。

元旦早々風邪をひいて熱が出たり、頭痛がしたりで散々だった。体調を崩すとやたらに眠い、昼も寝るし夜も寝る。何も出来ないが空想だけはできた。そして、快復したら眠れなくなった。健康で眠れれば一番いいのだが、全てが元に戻ってしまった。

ところで、私には夢がある。まったく似合わないメチャクチャな夢だ。それについては既に自分の殻を破りたいに書いたので、ここでは多くを語らない。誤解を恐れずに短く書いてみた。その夢とは「青春時代に大ヒットしたロック・アランド・ザ・クロックを歌っても違和感をもたれない人になること」である。

これは凄く高いハードルだ。高所恐怖症の人が落下傘降下をするようなものである。私は真面目で退屈な爺さんに見えるらしい。確かに上辺はそうだが、私自身は玉葱の芯。涙を流しながら一枚ずつむいて最後に見えるのが芯。それが私の真の姿である。

玉葱が花のようにパッと開くと、芯の位置に丘珠の玉葱王子が登場する。ギターを抱えてロック・アランド・ザ・クロック。畑の玉葱たちが一斉に踊りだす。言うまでもなく空想だが、口にするのも恥ずかしい。だけど書くだけなら大丈夫。

英語で歌って意味分かるのと聞かれてドッキッとした。殆ど分からないが、何か感じるものがある。ときには理解できるような気もする。だけど日本語でも分からないことは多い。歌手なしのコンボやビッグバンドでも感動できる。結局自分の感じかな。分かるのかと聞かれれば全ては闇の中。音の世界だからね。

月に1回洋カラの例会があるが、12月は用事で出れなかった。1月こそはと思ったが風邪をひいて欠席した。滅多に休まないから2回続けて休むのは珍しい。毎回参加できることが健康のバロメーターと考えている。その意味では残念だが、歌うためには良いかも知れない。

と言うのは、例会に備えて練習するのだが、音痴にとっては悪い影響もある。自己流の一人練習だから悪い癖のまま固まることがある。2ヵ月の休養で少しはほぐれたかも知れない。

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2019年02月02日

ハイヌーン(真昼の決闘)

私は音痴だから音楽を語れない。ただそれにまつわる思い出はある。映画「真昼の決闘」のテーマソングはハイヌーン。この映画は主役より脇役の悪玉の方が格好いい。最初に観たのは中学生の時、その後の再上映、最近はビデオで観た。

小学高学年の頃から映画は観ていたので、中学に入ったら豆評論家みたいな気分になっていた。洋画専門で邦画は観ない。愚かな私は邦画は貧乏くさいと思っていた。新聞配達で稼いだ貴重な金だから外国の夢のような世界を見たかった。それに邦画は夜の校庭で開催される無料映画会でも観れたのだ。

同じクラスに洋画の大好きなY君が転校してきた。彼はパリッとした歯医者の息子で、私は薄汚れた貧乏人だが直ぐに仲良くなった。と言うか他に洋画を日常的に観ている生徒などいなかったのだ。年を取って3秒前のことも忘れるようになったが、洋画のことは今でも覚えている。多分、Y君も同様と思う。

さっそく、二人で観にいったのは異色の西部劇として話題になった「真昼の決闘」である。異色とはありふれたものと違うこと。中学生の私はもの凄く迫力のある決闘シーンを期待した。しかし決闘は最後にちょっとあっただけだ。私たちは「大したことなかったね」とか言いながら映写室を出たところで警察に捕まった。

ロビーで中年男二人に声を掛けられた。「お前ら中学生じゃないか?」と威圧的だ。頷くと「学校さぼったのか」と畳みかけて来た。私服警官の職務質問と分かり怯えてしまった。Y君は黙って下を向いている。蚊の鳴くような声で「日曜が運動会だったので代休です」と答えた。学校はどこだ、住所氏名はと聞かれた。

帰りは黙り勝ちでとぼとぼ歩き、映画の話どころではなかった。Y君は家に電話を掛けられて両親に知られることを凄く心配していた。遊びに行ったことがあるが、子供部屋を与えられ裕福な暮らしをしていた。一方、私は6畳大のバラックに親子6人だ。職務質問は二人の家庭環境の違いを思い知るできごとだった。

私はひたすら学校のことを心配していた。今までだって叱られてばかりだったのに、警察沙汰を起こせば先生に目を付けられる。先生には絶対に知られたくなかった。それなのに、嘘ついてバレることを恐れて住所氏名学校名をあっさりと言ってしまった。

凄く心配したが、学校では朝礼で一般的な注意があっただけで済んでしまった。当事者である私たちには、何のお咎めも無かった。多分警官は事実関係を確認しただけで氏名は知らさなかったのだと思う。その後、Y君とは疎遠になってしまった。

大人になってから観ると確かに異色の西部劇だ。保安官が年寄り臭くて悪玉の方が若くて格好いい。悪玉が復習に来るから助けてくれと多くの市民に頼んでも誰も助けてくれない。結局、一人で4人と戦う羽目になる。最後は悪玉4人を夫婦でやっつける。そして新婚旅行に行く。現実から始まり非現実で終わる。これがリアリティのある大人向きの作品に仕上がっているから面白い。

ハイヌーンと言えば「真昼の決闘」、それに関する個人的な思い出を書いてみた。参考の為、フランキー・レインのハイヌーン、及び映画「真昼の決闘」リンクを下に掲載。

フランキー・レイン情報 → High Noon - Frankie Laine


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2019年01月26日

「今は幸せかい」妹の思い出

私のカラオケ好きはノスタルジーから来ているようだ。ひたすら失われた過去に思いを馳せる。だから懐メロが大好きだ。自己満足は他人迷惑だが、思い出を胸に抱きしめて気分よく歌っている。「今は幸せかい」を歌うたびに7歳下の妹を思い出す。 
  
先日、生まれて始めて妹からの電話があった。極めて疎遠で、既に思い出の人になっていた妹から、かかって来たのだ。「地震大丈夫だった?」と聞かれた。札幌の惨状が映像で流れたのを東京の自宅で見たという。最後に会ったのは妹の娘の結婚式だから20年以上前だと思う。声が変わったなと思った。

妹のことは気になっていた。終戦直後の混乱の中で夫に逃げられた母は、3人の子を連れて空襲で妻子を失った養父と再婚した。そして妹が生まれた。三人の兄弟は父の違う妹を可愛がり仲良く暮らしていた。しかし母とは馬が合わなかった。この辺りの事情は家を出るに書いたので、重複を避けるため省略する。

家業の経師屋を手伝っているとき、佐川ミツオ(後に佐川満男)の部屋に仕事で行った。彼がニール・セダカ作曲の「二人の並木道」でデビューした頃である。中学生の妹が珍しく仕事の現場に昼食を持ってやって来た。こんなことは初めてだ。妹はミツオのファンなので部屋を見たかったのだと思う。その部屋の様子はアイドル訪問の記事となり、芸能週刊誌に載った。

ところで、地震の話の後、妹は沈黙した。こちらは大丈夫だと言ったが電話を切ろうとはしない。元気がないし声も沈んでいる。何か変だと思った。何があったのか聞くと、兄に聞いてやっと私の電話番号を知ったとか、答えにならないことを言った。

私は78歳で妹は71歳だ。それなのに妹から電話があったのは初めてだ。私も妹に電話をかけたことがないからお互い様だ。番号も知らないが東京の兄に聞けば直ぐ分かることだ。お互いに電話をかける必要を感じていなかったのだ。

電話で1時間くらい話し、妹が重い病に罹ったことを知った。しかし何故か信じられない。「今は幸せかい」を聴くたびに妹の姿が浮かんでくる。中学生の妹が佐川ミツオ居住マンションの玄関で、目を輝かせて立っている。手には弁当を提げていて、とても可愛らしかった。そこは渋谷に建った日本で初めての分譲マンションだった。当時は「宮益坂アパート」と呼ばれていた。

その後、妹とは身内の結婚式等で何回か会っているが、途中の姿は印象が薄くて覚えていない。なぜか私の頭の中での妹は、中学生のままなのだ。それなのに電話の声は年寄りぽかった。相当悪いのかなと心配になって来た。

歌について個人的な思い出を書いたが、参考の為グーグル検索で佐川満男 今は幸せかい の結果を掲載した。リンクをクリックするといろいろ表示される。カツラを被った佐川満男もある。

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2019年01月19日

自分の殻を破りたい

私には夢がある。それは青春時代に大ヒットしたロック・アランド・ザ・クロックを歌っても違和感をもたれない人になることである。あまりにもイメージとかけ離れていて申し訳ない。変身して別人になれれば一番いいんだけどね。

かような訳で、苦肉の策として変人である私に慣れてもらうことにした。その為の綿密なアクションプログラムを立てて実行中。何よりも違和感をもたれないことが肝心だ。そうでなければ楽しくない。何事も難しいほど面白い。

洋楽カラオケを始めた頃には後期高齢者になっていた。それから3年たったが、未だにちゃんと歌える曲はない。1年目はその内なんとかなるだろうと思い、2年目はこんな筈ではないとガッカリしていた。3年過ぎるとダメかもしれないと悲観する。しかし諦めない。そもそも人間は「全てを諦める」ようには造られていない。空想でもいいから夢は持ち続けたい。

カラオケはダメでも将棋でも出来ればいいのだが、過去に一生懸命やって出来なかった記憶がある、ビリヤードにしてもボーリングにしても同じことだ。そういえばスケートもかなり熱心にやった。何をやってもダメなら自分が楽しくなることをやりたい。

そんな訳で趣味はカラオケとなった。そして諦めていた洋カラにも手を出した。何も出来ないと、何か出来るようになったら幸せと思ったりする。ところが出来る人は出来て当たり前、そんなことで幸せになったりはしない。かって同じ職場で碁の達人と言われた人が自殺した。ショックだったが不思議でならなかった。

長い間仮面をつけて生きて来たような気がする。しかし、仕事から解放され自由になった私には夢がある。それは何かは冒頭に書いたので省略する。繰り返すのは私だって恥ずかしいのだ。

退職して自由になったからと言って、いきなり仮面を脱げば違和感をもたれる。そのたびに「らしくない」とか「似合わない」とか言われたら楽じゃない。自分のイメージを変えるのはカラオケ会が一番いいと思っている。時間をかけて工夫すれば少しずつ慣れてもらえる。「あの人はああなんだから仕方ない」とかね(笑)。
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2019年01月12日

得意になると笑われる

私の身近では音痴で、しかも同類同士で愚痴りたいと言う人は居ない。仕方がないのでネットで探すことにした。ネット上には有名な「ハゲの会」があるから「音痴の会」もあると思ったのだ。それをキーワードにしてグーグル検索をしたら、私の「音痴のカラオケ そのまま楽しもう!」がトップで表示された。

ただし私のパソコンではね。パーソナライズド検索というらしい。情報の受け手にとっては便利だが、発信者としては迷惑千番な機能である。今までぬか喜びさせられていたことが分かってガッカリした。全く罪作りな新機能である。

結局、「音痴の会」の様なものは見つからなかった。ハゲ同士は語り合えるのに音痴には語り合うチャンスもない。人種差別からハゲ差別に至るまで、いろいろな場面で話し合いが行われ、表立った差別は減る傾向にある。しかし音痴は公の場所で議論されることも無いから、見えない差別が生き続けている。

音痴との闘いは自分との闘いである。一方、相手のある闘いには必勝法がある。例えば私はQPとの闘いに、この必勝法を駆使し大勝利を得た。そして憧れのノンビリ生活を手に入れた。必勝法と言っても大したことではない「挨拶・お世辞・絶対服従」の励行である。しかし勝利への道のりは長い。3年もかかった。

長い付き合いの同居人QPは分かり易い人だ。「ダメダメ、あんたが悪い」の一点張りだから、闘いは「僕が悪かった」の一言で、好きな時に止められる。おまけに騙しやすい。3年たったある日突然、私が主人でQPは奴隷になっていることに気がついた。

QPが進んで挨拶をして、お世辞を言うようになった。私の態度が好くなったので真似しているつもりかも知れない。服従についてはサービスを受ける一方だから、確認するチャンスがない。三度の食事から掃除、洗濯とか何でも進んでやってくれるのだ。

一方、音痴との闘いを始めて3年たったが、目に見える進歩はない。自分との闘いはまるでコンニャクと豆腐の叩き合いみたいで、歯ごたえも手応えもない。一見、泥沼状態で動けないように見えるが、薄日は射している。それは何かと言うには、ちょっと早すぎる。ここは我慢だ。この程度で得意になると笑われる。
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