2021年12月31日

更新停止のお知らせ

2021年12月31日 更新停止のお知らせ
音痴は音楽について語らないと言う常識を破るつもりで開設しましたが、やっぱりダメでした。最後までアクセスして頂いた方々に心からお礼申し上げます。
趣味のブログの今後は「空白の22年間」に集約します。
このブログの一部はこちらに転載します→空白の22年間

さっぱり話題が広がらない拙いブログを読んでくれてありがとうございました。このブログを読み続けてくれた方は少ないと思います。私にとっては、それ故に貴重です。勝手に停止して申し訳ありません。心からお詫び申し上げます。
このブログの管理人

以下は札幌市中島公園で撮った思い出の画像です。
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2021年1月7日撮影 マガモ

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2021年2月19日撮影 ダイサギ

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2021年5月10日撮影 キタキツネ

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2021年9月13日撮影 エゾリス
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posted by 中波三郎 at 00:00| カテゴリの説明

2021年11月30日

自由になったらカラオケ

定年後、半年して郊外の一戸建てから街中の共同住宅にに引っ越した。在職中は不便な所ばかりを転々としていた。その反動で、退職したら歩いて映画館に行けるような場所に住みたいと思っていた。自由になったし夢も叶ったが、二人暮らしは何かとギクシャクして楽しくなかった。反比例するように外での交流が次第に楽しくなってきた。

退職して3年後は札幌シニアネットのお陰で豊かで愉しいシニアライフを送っていた。この喜びを友人と分かち合いたいと思い、入会を勧めたら「仕事でもないのに人の中に入って気を使うのはゴメンだね」と断られてしまった。

しかし、このセリフはどこかで聞いたような気がする。そうだ! 3年ほど前に、私自身が言っていたことではないか。その頃は、せっかく仕事を辞めたのだから、家でノンビリ暮らそうと思っていた。しかし、そうは問屋が卸さなかった。

1年もしない内に、P子に邪魔にされ、無理やり「老人福祉センター」に連れて行かれた。「あんたは、何処に行っても三日坊主だね。今度は易しいところにしたから、1年間は止めたらダメだよ」ときつく言い渡された。家でゴロゴロしているのが気に入らないらしい。

今度こそは押し込んでやろうというP子の意気込みに、押されるようにして入ったのが「ヒヨコ英語教室」である。これが残りの人生を大きく変えることになろうとは、夢にも思わなかった。英語とは名ばかりで、歌ったり雑談したりしていた。しかし、ここでも私はお客さん。教室の片隅で暗い顔してじっと座っているだけだった。

話しかけられることもあるのだが、「旅行しない・山登れない、カラオケ・釣り・パークゴルフ・囲碁将棋出来ない」ことが分かると、それでお仕舞。仕事一筋の人ではないので、いろいろ手を付けたが、何一つモノには出来なかった。音痴で不器用でノロマ、おまけに虚弱体質ではどうしようもない。

まさに捨てる神あれば拾う神ありだ。さすがに勝ち負けがハッキリしているスポーツやゲームには手を出せないが、カラオケに誘ってくれる人が現れた。教室でいつも隣に座ってアレコレ世話を焼いてくれるAさんである。

初心者3人で練習のためのカラオケに行こうという誘いである。私が音痴であることを知っている人からの誘いだから、喜んで参加した。自由とは有り難いとつくづく思った。何事もやってもいいし、やらなくても好いのだ。世間様に感謝!
タグ:SSN
posted by 中波三郎 at 20:30| カラオケを楽しむ

2021年10月31日

懐かしい過去を歌う

子供の書いた文章を読むと、こんな考えもあったのかとハッとさせられることがある。それが楽しみで小中高生が書く北海道新聞の「ぶんぶんタイム」を好んで読んでいる。最近のビックリは高校三年生の投稿、タイトルは「若者言葉とてもすてき」だった。

高校3年といえば18歳くらい。そのころの私が全く考えられなかったことを書いている。世の中は確実に進化していると思った。それとも私が時代遅れ過ぎるのか。ともかく感心したので後段の部分を抜粋させてもらった。

「私は若者言葉を形のないアルバムのようだと思った。若者言葉の更新はとても早い。だから、はやった言葉は、その時に使った人だけが楽しみ、後から懐かしむことができる。私は10年後『ああ、こんな言葉使ったね』と友人と話せることを今から楽しみにしている」。(10月8日付け北海道新聞より)

時の流れとともに消え仲間内でしか通じない若者言葉を、「形のないアルバム」と表現していることに心惹かれた。しかも10年後も続く友情を信じて、共に懐かしむことを楽しみにしていると言う。とても素晴らしい!

遅まきながら私もやっている。共通の時代をを過ごした人たちと、形のないアルバムを懐かしむような気分で、カラオケを楽しんでいる。始めたのは15年前のことで、80歳になっていた。それ以来カラオケ初心者4人で懐メロを楽しんでいる。昔の暮らしは苦しかったので絶対に戻りたくないけれど懐かしい。昔の苦労は今の幸せ感の親かも知れない。

高3の投稿者が10年後に「ああ、こんな言葉使ったね」と友人と話して懐かしむように、高齢者4人でこんな曲もあったねと話しながら歌っている。10年と50年の違いはあるけれど過去は切り捨てるべきものではないと言う思いは一致している。私が80で気付いたことを18で予測できるとは素晴らしい。

歌も若者言葉の様にはやりすたりがある。その時はやった歌を聴いたり歌ったりした人たちだけが、後になっても楽しみを共有することができる。18歳当時の私は後になって、こんな楽しみ方があるとは夢にも思わなかった。今の若い人は私の知らないことを知っていて、私には考えられないことを考えている。 

ところで、若者言葉で「わかりみ」とは「とても分かるということ」だそうだ。これは私なりに分かるが、卍(まんじ)とは何だろう。ネット情報によると「意味がない若者言葉」と思えばいいそうだ。未熟ながらスマホについて考えてみた。話している人が怒ったり笑ったり表情が変わるように、スマホ上に表情を加えたようなものかな??
posted by 中波三郎 at 08:41| カラオケを楽しむ

2021年09月30日

情けないけど仕方がない

拙いブログだが未知の人にも読んで欲しいと願っている。無名だから書き手がどんな人か伝えなければいけないと思う。又リピーターになって欲しいという願いも抱いている。無理かも知れないが、発信すると言うことは宝くじを買ったようなもの。可能性さえあればいいのだ。

中島公園や夫婦喧嘩とか身近な話題を書くのが好きだ。今はカラオケについて書きたい。普通はその道の達人が書くが、私は音痴だから工夫が必要だ。音痴のままカラオケを楽しむ方法とか考えている。上手く歌う方法ならネット上にも山ほどあるからね。何でもいいから誰も手を付けてないことをしたい。運が良ければば当たるかも知れない?

ところで本庶佑さんのノーベル医学・生理学賞の受賞が決まった。頭の良い人は何をやっても上手い。本庶さんはゴルフもマージャンも得意だそうだ。一方私は何も出来ない人。考えてみれば素晴らしいことだ。得意なものは無いから私を縛るものもない。サーフィンでもカラオケでも好きなことを自由に選んで趣味とすればよい。と考え音痴なのにカラオケを趣味とした。

タイトルと中身が違うではないかと叱られるかもしれない。それを恐れて書き手が音痴であることをそれとなく知らせたつもりだ。毎回知らせるのも可笑しいので、タイトルを「音痴のカラオケ」としている。ちょっと情けないとは思っているが仕方がない。
posted by 中波三郎 at 18:55| 音痴の気持ち

2021年08月30日

働かないアリの意義

「働かないアリに意義がある」と言う本がある。働き者として知られる働きアリでも二割程度は働かないと書いてある。なぜか嬉しい。ちなみにアリの成虫は役割に応じて女王アリ、働きアリ、兵隊アリとか分かれているらしい。

ならば音痴のカラオケもアリかなと考えた。つまり歌う会の中にも二割程度なら、下手な人が居ることにも意義があるとか思えるのだ。いろいろな人が集まってカラオケ会は楽しくなるのだと思う。。

私は洋楽カラオケ会でただ一人の音痴だが嫌がられたり、疎んじられたりしているような気がしない。なぜか居心地が良い。得な性分と思う。1曲でもいいから普通に歌えるようになる、と言う目標もできた。

毎日が楽しく幸せに暮らしている。これを持続するためには工夫が必要だ。いろいろあるが、私の場合は書くことと歌うこと。両方とも認知症防止になると思っている。それにラジオ体操と散歩。これだけは毎日欠かさずやるつもりだ。

なぜ英語の歌かと言えば好きだからだが、他の理由もある。音痴だから普通の人の様に歌うことは凄く難しい。英語の歌は口が回っただけでも一歩踏み出せたような気がするから有難い。「働かないアリに意義がある」と言われている。これが歌えない私の意義。こじつけ(^-^;) ゴメン 

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posted by 中波三郎 at 15:36| カラオケを楽しむ

2021年07月30日

遺伝子になりたい

高齢になってからカラオケを始めた。そして、2018年4月、趣味のブログ「音痴のカラオケ」を開設した。今後は自分史としての「空白の22年」と二本立てで行くつもりだ。

タイトルは「趣味のカラオケ」としたかったが、オンチだから無理。低学力で低体力でノロマだからスポーツもゲームも出来ない。私が出来るのは空想だけ。好きなことに関していろいろな思いを巡らせている。カラオケが趣味だが普通のことは書けない。歌は下手だし知識もない。

出来ることは何もないから空想ばかりしている。今、私は人間ではなく遺伝子ではないかと空想してみた。人間という車に乗って地球上を何百万年も走り回っているところだ。車は古くなったらスクラップにして新車に乗り換える。遺伝子だから胎内から出たり入ったりして永遠に生きる。そう思えば何となく楽しい。

今乗ってる車は誕生して78年、ポンコツをとっくに過ぎている。何らかの方法で新車に乗り換えなければならない。乗り換えたら胎内温泉で一休みする。10ヵ月もすれば赤ちゃんと言う新車に乗って颯爽と世の中に出て行けるだろう。とか空想しながら歌って呑気に暮らしたい。
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posted by 中波三郎 at 15:55| 音痴の気持ち

2021年06月29日

二つの出来事

楽しむ為に頑張るなんて矛盾している。しかし頑張らなくては楽しめない。在職中はカラオケ嫌いと言うよりも、歌えない人として知られていた。長い間、自分でもそう思って来たが、二つの出来事がキッカケとなりカラオケを楽しむようになった。

第一のキッカケは親しくしているAさんに誘われたこと。下手同士でカラオケをやろうと言うのだ。もう一人の下手な人はお年寄りのBさんだが、しばらくして病気で亡くなられた。代わりに二人のお爺さんが仲間に加わった。4人グループだが私が一番若い。人は入れ替わったが12年も続いている。次は誰の番かなとか言いながら楽しんでいる。

Aさんは毎回、ジョッキ1杯のビールを御馳走してくれる。その上いろいろな割引サービスを利用して、当初は会費を150円ぐらいに抑えてくれた。歌が下手なお陰で大サービスを受けてしまった。まったく何が役に立つか分からない。

第二のキッカケは約10年前のこと。地元のコミュニティFMラジオ番組で中島公園の話をする機会があったが、放送時間が1時間もある。一人じゃもたないと思って元プロ歌手のCさんに応援を頼んだ。そして取材のつもりでCさんが主宰するカラオケ例会に参加した。

歌いたいから参加したと誤解されて半強制的にステージに立たされた。これが縁で例会にも参加するようになった。この二つの偶然がなければカラオケをやることはなかったと思う。チャンスに恵まれ老人力に背を押され、いつの間にかカラオケが趣味になっていた。

音痴だから練習しないと歌えない。せっかく練習をしたのだから、と言う気持ちに押されて歌いたくなるのだ。練習は動機づけとして何よりも大切である。決して上手くなるためではない。それよりもっと良いことがある。

例会で歌っていると緊張したり、楽しかったり恥ずかしかったりするから刺激になる。これが健康のために良い。毎日ノンビリ暮らしている私には適度なストレスが必要なのだ。
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タグ:SSN
posted by 中波三郎 at 14:10| カラオケを楽しむ

2021年05月31日

繰り返す癖

やってはいけない事をしてしまった。それは自分の歌を録音して聞くことである。12年前にカラオケを始めた時、これだけはやらないと決めていた。聞いたらガッカリして歌う気がしなくなると思ったからだ。やっぱりガッカリしたが止める気はしなかった。

12年とは途轍もなく長い時間だ。5歳でフィギュアスケートを始めた少女が世界の頂点に立つまでの時間である。それなのに私の時間は何も残さずにアッと思う間に過ぎ去った。馬齢を重ねるとは正にこのことだ。

ところで、65歳でカラオケを始めて10年たったとき、洋楽カラオケに手をつけた。そして2年たった。結果として好かったと思う。音痴は直らないが言葉は繰り返すことにより口が回るようになる。何となく進歩したような気分になるから有難い。

将棋も玉突きも繰り返して練習したが何の成果もなかった。英語の歌は意味が分からなくても口が回れば、歌えたような気がするから面白い。私にとっては気分が一番大切だ。周囲の人には申し訳ないが聴いてもらえるような歌ではない。それでも人前で歌えば百倍も楽しい。我ながら困った性格だ。自分がこんな人間とは知らなかった。

スポーツや芸能・ゲーム一切できない。いろいろやった結果、自分には生まれつき能力がないのだと諦めた。当然仕事も出来ない。曲がりなりにも英語を使う仕事だった。口が回らない私は繰り返し繰り返し一生懸命練習した。そのせいで本当は怠け者なのに真面目な努力家と誤解された。退職後は化けの皮も少しずつ剥がれ、今は完全脱皮状態である。

当時は仕事だから口が回るようになるまで繰り返すより仕方がなかった。お蔭で繰り返す癖がついた。私にとっては良い癖だ。同じことを何回繰り返しても厭きることがない。そういうものだと思っている。お金もかからないしね。おまけに健康にも良いのだから止められない。
posted by 中波三郎 at 14:51| 音痴の気持ち

2021年04月30日

UHB「トークDE北海道」でボート体験

中島公園の近所に転居して早くも16年たった。夏のレジャーとして人気の高いボートだが苦手なので乗ったことがない。ただテレビに出たときに1回だけ乗る機会があった。たった15分だが嬉しい体験だ。UHB「トークDE北海道」の「豊平川花火の穴場、中島公園」という番組を収録した時のことである。

よせばいいのに「花火を見るにはボートからが一番ですよ」とか言ってしまった。地元では新住民とか言われていたのに、突然中島公園の達人とか紹介されてテンションが上がってしまったのだ。案内人の立場もわきまえず、いつの間にか想像でものを言っていた。いつもボートに乗って花火を見る人を羨ましく思っていたからだと思う。

リポーターさんに「じゃあボートに乗りましょう」と言われて焦った。ボートに関しては恥ずかしい思い出がある。例の転覆事故以来ボートに乗ったことがないのだ。蚊の鳴くような声で「漕げないのですが」と言ったら、「いいですよ。私が漕ぎますから」と、あっさり言ってくれた。有難いけれど情けない。

たった15分だがボートに乗った。本来ならば中島公園の案内役である私が、ボートを漕いで花火鑑賞スポットを案内すべきである。「達人」としてはとても恥ずかしい。私が名乗った訳ではないがカメラの前では否定もできない。煮えきらないまま達人を演じた。人生は芝居のごとしと言う人もいるが。

「芝居をしています」
「アンタがねぇ。嘘だろう」
「三分間のステージです」
「なんだ、カラオケかぁ」
「私にとっては楽しい猿芝居です」
「主役、脇役、悪役、いろいろあるだろう。アンタの役は?」
「子役です」
「ずうずうしい奴だな。年寄のくせに」
「幼児と老人は下手でも許される。自慢じゃないけど老人中の老人、最高齢です」

伴奏を付け、拍手までしてくれるのだから有難い。オマケに金もかからない。みっともないから止めろと言われても止められる訳がない。代りがあれば話は別だ。何かあるかな?

ところで半世紀ぶりにボートに乗る機会に恵まれた。乗ってみるとやっぱり楽しい。中島公園が違うアングルから見られるのだ。ボートを漕ぐ練習をして、ボート上から中島公園を撮ってみたい。そう思っても嫌な記憶が足を引っ張っぱり未だに実現していない。今年こそやるぞと思って8年たった。年を取ると年月が急速に過ぎて行くのに、私と言うボートはゆっくりと漂っている。進んでいるのか止まっているのかさえ分からない。
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posted by 中波三郎 at 20:51| その他

2021年03月31日

私の好きな曲

SSNカラオケクラブの洋楽カラオケがスタートして1年半たった頃、感じたことがある。最近参加する方々は凄く上手い。早く入っていて好かった。歌の方は相変わらずだが場慣れしたのが何よりだ。それに音痴は治らないけれど繰り返せば口は動くようになる。ささやかな一歩に過ぎないが、私の心の中では月面着陸の第一歩くらいに増幅される。

テレビで歌が上手いと言われている犬が歌っていた。ただウォーとかアォーとか長々と唸っているだけだ。それでも犬は得意顔だ。私も歌っているつもりだが、歌には聞こえないかも知れない。犬のふり見て我がふり直すべきとは思う。しかし、心とは裏腹に歌の解説を書きたくなってしまった。我ながら困った人だ。

<<QK牧場の決闘>>
好きな西部劇の主題歌を歌ってみたかった。しかし難しかった。楽譜が読めないのでCDでフランキー・レーンが歌っているのを聴いて真似しているつもり。真似できるはずがないのにそうしている。他に歌を覚える手段がないから仕方がない。
<思わず気分が出てしまうフレーズ>
Duty calls. My backs against the wall.
格好いいなぁと思う。歌っていると芝居をしているみたいな気分になる。実際には追いつめられる様な状況には陥りたくない。本音を言えば義務を負いたくないしドキドキもしたくない。のんびり寝ていたい。3分だけ西部劇にのヒーローになった気分。これでいいのだ!

<<16トン>>
意味は分からないが調子がいいから好きなのだ。アメリカの炭坑節かな? 毎日16トン積み込んで何になる。何年やっても借金がかさむばかりだと歌う。やるせないねぇ。数え切れないほど繰り返し口は動くようになったが、なかなか歌にはならない。難しいものだ。まったくやりきれないよ。
<しびれるフレーズ >
If you see me comin', better step aside.
歌手は、ここだけ特に小声で歌っている。何となく凄みを感じる。私を見かけた人たちがサーっと道を開けたとしたら、さぞかし気分がいいだろう。まるで西部劇のワンシーンのようだ。A lotta men didn't, a lotta men died.と続くのだ。凄いなぁ。

<<悲しき雨音>>
プランタン・デパートがあった頃の新札幌を歩いている時、ドラムの音で足を止めた。青空の下で演奏されていたのが「悲しき雨音」であることを後で知った。その時は軽快なリズムを刻むその曲が悲しい失恋の歌とは知らなかった。
<可哀そうと思ったフレーズ>
The only girl care about has gone away.
これなら私でも気持ちが分かる。ああ可哀想。
Looking for a brand-new start.
新しい人生を求めてか、いい気なもんだね。人の気も知らないで。
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タグ:SSN
posted by 中波三郎 at 14:18| 音痴の洋カラ

2021年02月28日

やっぱりカラオケ

遊びも運動も苦手な私は仕事も苦手だった。それでも何とか工夫して定年まで勤めて上げてハッピーリタイアメント。そして、始めたのがカラオケである。恐るおそるの挑戦だが、歌うなと言う人は居なかった。それどころか健康にいいからと励まされた。1年後には上手くなったね」と言ってくれる人さえ現れたのだ。これでは面白過ぎて止められない。

演歌がダメなら洋楽があるさという気分で、洋楽カラオケを始めたりした。何を歌ってもダメなことは横に置いて、目先の気分を変えて楽しむことにした。そもそも音痴と言うものは、背が高いとか足が短いとかと同じようなもの。私の個性だから直らない。しかし背が高くて足が長ければ速く走れるとは限らない。逆も真ならいいのだが。

スポーツ・ゲームがダメな私は勝ち負けのない趣味としてカラオケを選んだ。もちろん私の手の届かないところでの勝負はあると思う。しかしゲームなら最初から勝ち負けを争わなければならない。私にとっては余りにも厳しすぎる。

「将棋だって自分なりに楽しむことができるだろう」
「そうでしょうか」
「違うというのか?」
「どうしても聞きたいと言うなら話しましょう。最初はね下手同士で楽しもうよとか言っている人がですよ。強くなると私との対戦を嫌がるようになるのです。誰もが同じです。そんなことを繰り返している内に、相手になってくれる人が誰も居なくなりました。一番下手とはそういうことです。まだ言いたいことの半分も言ってませんが、もっと聞きたいですか」
posted by 中波三郎 at 05:25| カラオケを楽しむ

2021年02月20日

カラオケで喧嘩

カラオケボックスに入ったトタンに楽しい気分も吹き飛ぶような「事件」が起こった。原因は1匹の小さなハエ。あちらこちらに飛んだあげく入口の近くにポッと止まった。

追い出してやろうと思ってドアを開け、止まっているハエを帽子であおった。ハエは出ないで飛び回った。そのとき「なんでぶっつぶさないのよ」と、険のある声がした。振り向くとAさんが目をつり上げて、私をにらんでいる。

ハエはAさん側の壁に止まった。情け容赦なく紙を丸めて思いっきり叩いた。少し外れたがハエは床に落ちてもがいていた。Aさんは「ぶっ殺してやる!」と言いながら思いっきり踏んづけた。

「殺さないで拾って外に出せばいいでしょ」
「なに言ってんのよ。手が汚れるじゃない」

こんな状況の中で私が歌う順番が来た。少し意地悪してやろうと思い、渡哲也の「あじさいの雨」を歌ってやった。

「弱いからだに〜 かさねた無理を〜♬」
と歌いだすと、とたんにAさんが横やりを入れた。
「弱い女がそんなに好きかい!」
実は次の歌詞を聞かせたいのだ。Aさんにピッタリだ。
「かくしていたのか 濃いめの化粧〜♬」
奇麗と思っていたが、ハエの一件で印象は変わった。
「強い女は嫌いかい!」

少しは静かにしてほしい。ハエを一匹殺したくらいでそんなに強がることはない。バカらしい。
「いくども色を変えながら枯れて淋しく散ってゆく〜♬」
私だって皮肉の一つも言ってやりたい。

帰りはAさんが最寄の地下鉄駅まで送ってくれるが。ハエの一件が尾を引いているようだ。いつもなら「乗って行かない」と声をかけてくれるのだが、この日は違った。  

「バス何時?」とAさん。
「まだ42分あります。乗せてくれない」
と、Aさんに頼んでみた。意外にもこころよく乗せてくれた。車の中でAさんがいった。

「歩くの嫌なの?」
「嫌じゃないけど、お名残惜しいでしょ」
「そう。私もお茶でも飲もうかと思ったのよ」
それでバスの時刻を聞いていたのだと分かった。

「ハエをぶっつぶせ」と怒ったのは本気だ。だから、それを引きずって帰りたくなかったのだと思う。長い付き合いだが、二人でお茶をと言われたのは初めてだ。

Aさんは決して謝らない。その代わり命令を下す。「いろいろありましたが、丸ごとひっくるめて付き合ってください」。後でメールにこう書いてきたので、思わず笑ってしまった。
(「空白の22年間」より転載)
posted by 中波三郎 at 11:06| その他

2020年09月05日

休憩のお知らせ

いつも「音痴のカラオケ」を読んで下さり有難うございます。とても少ない訪問者ですが、それ故に貴重です。私にとっては一人が千人ぐらいにも感じます。

残念ながら舌の手術をしたので、カラオケは当分の間無理なようです。しばらく、ブログの更新も休憩します。このブログは音痴でも歌いたい、私自身を励ます目的で開設しました。カラオケと二人連れなのです。休んで(^-^;) ゴメン

なお入院生活については、空白の22年間に書きました。読んで頂ければ嬉しく思います。申し訳ないのですが事実の記録ではありません。患者である私の気分を書いてみました。深海の夢の世界、竜宮病院で起きた出来事を、私の思い込みと想像で書いたフィクションです。
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | その他

2020年08月04日

舌切り雀は考える

音痴なのに、耳鼻科医師から補聴器装着を勧められる始末だ。それでも呑気にカラオケを続けている。今はコロナ禍で私の所属するカラオケクラブは休養中だ。

そして今度は舌の手術だ。活舌が悪くなるのは避けられないと、口腔内科医師に告げられている。カラオケをやるには最悪のコンデションだが実感はない。まだ入院前だから、何の心配もしていない。人間の身体は上手く出来ている。

今は退院後のことを考えて楽しんでいる。音痴で耳が悪くて、舌が不自由な人の歌唱法を考えている。本にもネットにも何処にも書いてないから、考え甲斐がある。実行は退院後なのに、考えはクルクルと変わる。だから今は書けない。

きっと、アッと驚くような方法があるはずだ。いろいろ考えるのは楽しい。課題を与えられて自由に考えるのは大好きだ。成果ゼロの無駄な研究は、意外に楽しい。考えるだけだから費用はゼロ円、いつでもどこでも出来るので、入院中でも問題ない。

事情があって8月の更新はお休みです。次の更新は9月以降の予定。またの訪問をお待ちします。
タグ:SSN
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | カラオケを楽しむ

2020年08月01日

港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ

「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」は阿木燿子作詞で1975年のヒット曲。ある男が好きな女を探して歩く、セリフだけの曲。探しに行く先々で話を聞くたびに、女の素性が浮かび上がってくる感じが面白い。状況を自分なりに考えてみた。事実無根、冗談半分をお許しください。茶色の文字は歌詞からの引用。

ワルイなあ 他をあたってくれよ
夜の街で働くオトコは意外に優しい。ここにゃ沢山いるからねエとは言ったものの、傷心の男を気遣っている。
…アンタ あの娘の何なのさ
そのオトコにしてみれば、決して無関心ではいられない。

マリのお客をとったってサ
仁義を欠いちゃ いられやしないよ
オンナの嫉妬がアリアリだ。多分、ヨーコは優しくて美しく、モテる女性。お客を取られては自尊心を傷つけられるし、収入にも影響する。怒る気持ちはよく分かる。そのオンナだって取られたのかも知れない。モテ過ぎるヨーコに罪があるのだろうか。

ハマから流れて来た娘だね 
ジルバがとっても上手くってよお
エイトビートで激しく踊る横浜ジルバ、通称ハマジル。横浜から横須賀、更に佐世保まで流れて来た港のヨーコ。ネイビーの街にはハマジルがよく似合う。上手に踊る娘も多い。港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ、そしてサセボ。

あんまり何も云わない娘だったけど 
仔猫と話していたっけねエ
ジルバを激しく踊る、無口なヨーコ。動と静、その振幅が大きいのがヨーコの魅力。港のヨーコは踊りまくって、孤独感を吹き飛ばす! 港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ〜♪♪

客がどこかをさわったって 店をとびだして いっちまった
ウブなネンネじゃあるまいし どうにかしてるよ あの娘

「おかしいのは、貴方です。酒場の女がアバズレばかりなら、誰も行きません。純情な娘も居るから店は繁盛するのです。それに、ヨーコは今時珍しい親孝行。兄が三人もいるのに、病に伏した両親の面倒を一人で見てるのです。分かりましたか!」
…アンタ あの娘の何なのさ
「お兄さんだ」
「しっかりせい! アホゥ」
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | あの歌この歌

2020年07月25日

ブルーハワイ

私にとって歌は思い出、いつでもどこでも歌は思い出とともにある。Night and you and Blue Hawaii 夜ごと、君と ブルーハワイとでも言うのかな。とてもロマンチックだ。

だが、私が行ったのは老人福祉センター・ヒヨコ英語教室(仮称)御一行の団体旅行だ。あの頃、60代前半のメンバーは、若かった。その後の人生は、急坂を転げ落ちるように過ぎ去った。

2004年4月22日〜27日、ヒヨコ英語教室、恒例の修学研修旅行に参加した。場所は米国ハワイ州オアフ島。4月22日の午後、千歳空港に集合して、成田経由でホノルル空港には現地時間の9時ごろ到着した。先生を含め総勢16名の参加である。
  
ホノルル到着後、最初のイベントはホノルル市長室訪問。
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市長秘書と市の教育委員にご挨拶。そこで記念撮影。22日は時差もあり43時間に及ぶ、長い一日の最後は買物を楽しんだ。
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23日午前、訪れたホーリー・ネイティビィティ小中学校では、全校生徒による歌と踊りの歓迎を受けた。そして、南国風味のとても美味しいジュースを頂いた。思いもよらぬおもてなしに感動。
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午後はワイキキ公立小学校へ移動する。そこで授業参観させていただいた。研修旅行といっても内容は、観光旅行だろうと思って参加したので、心から感謝。二度と出来ない経験と思う。全員が学校からTシャツを頂き大喜び。女性たちはさっそく着こんだ。
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24日午前・午後オアフ島周遊観光、花木野鳥の多い島だ。夜はディナー・クルーズ、船上から見る夕陽がとても綺麗だった。
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このとき私は63歳、今年は80歳、時がたつのが早過ぎる。子供の頃、「憧れのハワイ航路」は叶わぬ夢だった。まさか自分が行くとは想像もしなかった。現在、世界中に行き渡る航空網は、温暖化の原因となり、コロナウイルスを世界中にばらまいている。海外旅行は「一生に一度の夢」の方が、環境にいいと思う。

25日午前はダイアモンドヘッド登山。
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午後はワイキキ・ビーチで海水浴を楽しんだ。
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そして自由行動、夜はフラダンスがあった。そこで聴くブルー・ハワイは格別だった。一度しか行ったことがないが、聴くごとに思い出している。私にとっては一生一度の夢。

26日(月)13時10分ホノルル空港出発、航空便のハワイ航路は満席だったので、16名はへとへとになって千歳に到着した。

ホーリー・ネイティビィティ小中学校で歓迎セレモニー、ワイキキ小学校での授業参観など、有意義な研修旅行だった。

今でもブルーハワイを聴くとき、そして歌うときも、楽しかったハワイ旅行を思い出す。16年前の私達は若かった。それがあっという間に80歳とは驚きだ。16年とは、生まれたばかりの赤ちゃんが高校に入るまでの時間だなんて、信じられない!

毎週土曜更新、またの訪問をお待ちしています!
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | あの歌この歌

2020年07月18日

本心

長い間本心を隠していた。いきなりロック・アラウンド・ザ・クロックとブルー・スエード・シューズを歌いたいとか言っても、頭がおかしいんじゃないとか思われるだけ。間違っても本心など言えるわけがない。だから無趣味で真面目な人と思われていた。そして、私もそのように振舞ってきた。

本心を隠したまま人生の幕を閉じるつもりだった。ところが、仕事を離れてしがらみがなくなると、少しずつ本心を明かすようになってきた。徐々に本音で生きられるようになったのである。

顧みれば在職中は冠婚葬祭、日常的な付き合い、全て人並みにやっていたが、嫌々だった。仕事は苦手なので、せめて付き合いぐらいは人並み以上にと心がけていた。これは結構ストレスだ。

退職後は次第に本音で行動することが多くなった。先ず、自己流でやっていたパソコンの勉強をしたいと思った。2003年の春、札幌シニアネット(SSN)入会、さっそくホームページクラブに入り、初めて積極的に人との関りを持った。SSNの活動は「学び合い、教え合い」が基本なので、時には教える方になり、自分の意見を言ったりした。少しだけ本心を明かす習慣がついたのだ。

SSNでHP作成を習って作ったのがウェブサイト「中島パフェ」だった。一生懸命取り組んだので「中島公園の専門家」と間違われた。ラジオ、テレビ出演、新聞・情報誌取材、時には講師、パネラー等、頼まれれば何でも引き受けた。意外な反応に驚き、はしゃぎ過ぎてしまった。

もちろん、恥もいっぱいかいたが、全てはその場かぎりで収まり、後には引かない。ほとんどの場合二度と顔を合わせることもない。正体がバレたのかも知れない。ともかく、いろいろ動いていると隠していた本心が無意識に出てしまう。

職場は固定的社会だったが、退職後は流動的社会を生きているように感じた。家を出て、旅をしている感じだ。15年前からカラオケを始めた。これが私の本心、5年前から洋楽カラオケを始めた。これが本当の本心。今でもロック・アラウンド・ザ・クロックとブルー・スエード・シューズを歌いたいと思っている。

「出来もしないし、似合わないので止めろ。少なくとも俺の前では歌うな」と言う声が、わんさと聞こえるような気がする。でも、ダイジョブ。私は今、流動的社会に居る。旅の恥はかき捨てと言うでではないか。独りよがりが出来るから、人生が楽しいのだ。

ところが、天の声に止められた。3ヵ月くらい舌の痛みが止まらない。歌どころか、食事をするにも不自由だ。本当に世の中は上手く出来ている。無謀なことは、手が届かない何かが止めてくれる。
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2020年07月11日

文化祭で歌えない

「イヴ・モンタンの枯葉愛して三十年妻を愛して三十五年 岩田正『郷心譜』」。ラジオ深夜便で早朝に聴いた短歌は、とても良かった。心に響いたので、さっそく真似をしてみた。
「ペギー・リーのジャニーギター愛して六十五年洋カラ始めてまだ五年」。何もかもお粗末で(^-^;) ゴメン

振り返ってみれば、楽しむために頑張り、尚且つ実りの無い、寂しいばかりの人生だった。試行錯誤を重ね、やっとたどり着いた結論が「独りよがりで楽しもう」。結局これしかない。

簡単すぎてバカバカしいと思うかも知れないが、実行となると難しい。独りよがりは決して楽じゃない。恥をかきながら、生活の為に仕事を続けるのは苦しい。恥は一時だが、なが〜く尾を引く。

音痴だから歌えば恥をかく。それは一時だが、その影響は25年くらい続いた。恥ずかしくて歌えなくなったのだ。それでも歌は大好きなので聴いていた。音楽のない生活など考えたこともない。

在職中は様々な理由があって、恥と楽しさを天秤にかけると、恥の方が圧倒的に重かった。定年退職したら様々な理由がなくなり、恥への恐れが次第に軽くなり、自由になった。

天秤が楽しさの方に傾けば、恥は次第に軽くなる。そして、「独りよがり」になってくる。よそ様はともかく、自分だけは楽しいと言う状態だ。ブログの方は、たまに「面白い」と言ってくれる人もいるが、歌は「上手い」と言われたことは一度もない。当然だが。

自分を鼓舞するためにカラオケについての駄文「音痴のカラオケ」を書いている。音痴の私が日々、努力・精進し、ついに札幌シニアネット文化祭出演の栄誉を与えられる。という、楽しくて前向きなサクセス・ストーリーになる筈だった。

残念ながら、この夢は実現しない。最近3ヵ月間、舌の調子が良くない。右下が痛むので食べるのにも不自由している。口を動かしても痛むので、残念ながら歌えない状態だ。

こうして、楽しみにしていた「文化祭」出演の夢も、はかなく消えた。しかし、この終わり方は、返って良かったのではないか。独りよがりで、憧れの舞台で歌って恥をかくのに比べて、かなり良いと思う。口が痛くて歌えないのなら仕方ない。美空ひばりだって、そんなことがあったらしい??

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2020年07月04日

コロナ後の新世界

テレビで感染対策をしたカラオケボックスを見たら、何となく気が引けてしまった。その店では感染防止対策として、客席をアクリル板で仕切って、人と人との距離を取っていた。

そして、歌う場所と客席を透明なシートで遮り、飛まつの広がりを防いでいた。しかも従業員はマスクをして、更にフェイスシールドで身を固めている。ふと、戦争中の防空対策を思い出す。

爆風でガラスが割れるのを防ぐだめ、家のガラス戸の裏表に紙を貼っていた。母たちは防空頭巾を被りバケツ・リレーの消火訓練。無差別大空襲に遭う前は、これで空襲が来ても大丈夫と思っていたのだろうか、それとも気休め?

実際に大空襲に襲われると、訓練は犠牲者を増やしただけで、家は丸焼け。都民は逃げることが唯一最良の方法と悟った初めての下町大空襲の死者が10万に対し、2ヵ月後に襲った、更に規模が上回わる山の手大空襲の死者は4千人足らずである。

渋谷区は焼き尽くされ、被災者は焼け跡の廃材を利用してバラックを立てて暮らしていた。子供たちが集まるとよく空襲の話をした。逃げた逃げた、口々に自分がいかに勇敢に逃げたか自慢する。死線を越えた年上の子の話を聴いて凄いなと感心した。

話は戻るが、客席はアクリル板、ステージは透明シートで仕切り、マスクを付けて歌う。感染防止に必要だが、何となく不自然に見える。紙を貼ったガラス戸、座布団を被ったような防空頭巾とバケツを思い出してしまう。

いずれ終息すると期待しているが、新型コロナウイルスが、新種であることを考えると、別の新種が現れる可能性が高い。実は自然破壊でウイルスを攻めているのは人間だそうだ。

「原生林の破壊と乱開発を繰り返し、単一の家畜を過密状態で飼育する。ウイルスは新たな生息地を見つけ、伝染し、進化していく(東工大教授)」。なるほど辻褄があう。愚かな私は納得した。何分情報源はマスコミだけなので深いことは知らない。

「コロナウイルスは洞窟に居る三密が大好きなコウモリを宿としてヒッソリと暮らしていた。生物多様性の消滅、その一因となる地球温暖化などで棲み処を追われたウイルスが人間に近い動物を介して人間に、そして人間が飛行機に乗って世界中にばらまいた」。これは私の妄想。ともかく、コロナ後は元に戻すよりも、自然と共生できるような新しい地球を目指して欲しいと思う。

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2020年06月27日

風に吹かれて

半世紀前に流行ったクイズを紹介。豚と猿とお母さんが屁をたれた。どれが一番臭かったか三つの内のどれ? 答えは後段。

2017年、ボブ・ディランが、ノーベル賞を受賞した。何故か文学賞だった。音楽賞も歌唱賞もないからかな? 彼はノーベル賞の受賞講演を次のように締めくくった。「私は今一度、ホメロスに戻っていく。『ミューズ(芸術の女神)よ、私の中に入って、物語を語ってくれ』と言ったホメロスに」。

風に吹かれて、作詞・作曲・歌、ボブ・ディランの歌詞の中には、いろいろな問いかけがあるが答えはない。問いは英語で、答えは風の中では、さっぱり分からない。まるで、「オイラは知らないから風に聞いてくれ」と言われたような感じだ。知識もなく英語も出来ないけれど、この歌は大好きだから、いろいろ考えた。

How many times must the cannon balls fly. Before they're forever banned? と問われた私は真剣に考えた。(cannon ball:砲弾)

砲弾の飛ばし合いは製造した時に始まる。砲弾が何発必要と予算要求をする。認められて砲弾を受領すると、使わなければならない。年度末までに余すと、無駄遣いとして、次年度からは砲弾予算は削られる。軍隊も一つの役所である。

もっと恐ろしいのは軍需産業。真の民主主義国なら砲弾要求を国会で止められる。一つだけ条件がある。それは相手も民主主義国家であること。一生懸命考えたが相変わらず間が抜けている。そんな両国が戦争するはずがない。やっぱり風に聞こう。

How many times can a man turn his head. Pretending he just doesn't see? この問は私にとっては、とても厳しい。

顔をそむけないで、正面から見つめるばかりでは、のんびり静かに生きたいのに、戦いの人生になってしまう。大切なのは、自分と反対の意見、あるいは現実にも顔をそむけないことと思う。

「人はあと何回顔をそむけ、見ないフリをするのだろうか?」との問いと思うけれど、見ないふりだけは許して欲しい。トイレの電灯を点け放したからと言って、いちいち文句を言われちゃ、やりきれない。そんな時は、見てないふりをしてほしい。

How many deaths will it take till he knows. That too many people have died? どれだけ死んだら分かるんだ、との問いに対する答えは、映画「猿の惑星」の中にあった。冒頭のクイズの答えもここにある。それは映画が大ヒットした結果の一つである。(猿の惑星→さるのわくせい→猿のは臭せい)

人間が支配する地球は核戦争で消滅する。戦争後の地球は猿が支配している。チンパンジー、オランウータン、ゴリラ等だ。一部の生き残った人間は猿の奴隷になってしまった。

この映画が上映されて半世紀、核戦争の不安は未だに消えていない。最近では核軍縮の話題さえ聞こえてこない。依然として、答えは風の中で舞っている。

歌詞では、問いに対する答えとして次のように書かれている。The answer, my friend, is blowin' in the wind.The answer is blowin' in the wind.
訳はいろいろあるけれど、「友よ答えは風にふかれている。答えは風にふかれている」ぐらいの感じかなと思っている。

歌は下手だし英語は苦手だ。それなのに歌っている。今回のコロナ禍で受難のカラオケ界、私への懲罰かも知れない。巻き込んで(^-^;) ゴメン

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