2019年09月21日

カラオケクラブに感謝

音痴なのに所属するシニア団体のカラオケクラブに参加している。ところで、前回のブログで小学生は唱歌より流行歌が好きと書いたが、中学に入ると、その傾向はますます強くなった。当時の中学は自習が多かった。先生も生活に追われて大変だから授業に出れないこともある。そんな時は自習だ。

クラスの学級委員が、「自習は何をやりますか?」とか聞く。皆口々にのど自慢とか言う。何回もやっているので、いつも同じだ、一人ずつ交代で教壇に立って歌う。まるでカラオケクラブのようだ。好んで歌うのが流行歌、「青い山脈」とか「湯の町エレジー」とかね。上手い人も下手な人も自分なりに楽しむ。

なぜか音痴などと言う言葉はなかった。そういう細かいことを気にしていなかったのだ。今の時代、表立っての差別が減った反面、小さな違いに敏感になっている。音痴がその対象になったのはカラオケ・マシンの普及のせいだと思っている。合唱の授業では重要なことも、自習時間ののど自慢では誰も気にしない。同じ歌でもそれぞれ違っている方が面白い。

誰の歌が上手いか覚えていないが、ユガワ君の落語とヒラタ君の浪曲は別格だった。ユガワ君は学校一の秀才で後に東大に入った。彼は全く勉強しないように見えるが試験をすれば何でも一番だ。家にもよく遊びに行ったが、本立で目立つのはズラリと並んだ落語全集、「無線と実験」「ラジオ技術」等、趣味の本。教科書は粗末に扱われているようだ。鞄に入れたままかな?

ヒラタ君は豪快な感じの男子で、広沢虎造の浪曲「清水次郎長伝」が得意だった。中学生なのにラジオで聴く虎造と同じような声だった。この二人だけが別格で、歌などは誰が上手かったか、ぜんぜん覚えていない。何分昔のことだからね。

音痴とは「先天的音楽機能不全」。不治の病みたいに扱われているが病ではない。背が高いか低いかと同じで、身体はちゃんと動いているし、頭だってそれなりに回っている。世の中が精密になって、小さな違いが大きく見えるようになっただけ。

だが歌が上手くなりたいなら自覚しなければならない。不治なんだから上手くはならないが、少しはマシになる。私自身10年間も何となく音痴と思っていただけで、気にしていなかった。4年前から「先天的音楽機能不全」と言うことを知り、気になった来た。

全く知る必要なかったのにね。それでも知って好かったと思っている。どんな時でも自分を嫌いになれない幸せ者である。だが、私は人間としての機能が全体的に劣っている人。何をやっても上手くできない。だから何をやっても恥ずかしい。

結局、趣味を続ける決め手は恥ずかしさと面白さをを天秤に掛け、面白さが重ければ続けている。もう一つ大切なのは趣味を続けられる環境である。だから、こんな私でも楽しく歌わせてくれる、カラオケクラブに感謝している。
タグ:SSN
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 音痴の気持ち

2019年09月14日

ガンバレ音痴!

ドラマが面白いのはあり得ない話を本当らしくみせるからだろう。音痴のドラマは可哀そうか邪魔者なのかは、その場の状況による。いっそ「ガンバレ音痴!」とか言われれば、やる気モリモリになるのだが、なりすぎても傍迷惑だ。悩みは尽きない。

いずれにしろドラマなら哀れな脇役だ。私の未来はどうだろう。果たして、人並みに歌うようになれるのだろうか。それを知るには過去を振り返る必要がある。過去から未来を占うのだ

小学校の学芸会では先生から口パクを強制された。その時は歌わないですむなら、練習もしなくていいと喜んだ。つまり音痴の自覚はなかった。授業は嫌いでも流行歌を子供どうしで歌って楽しんでいた。のど自慢全盛の時代で唱歌より流行歌だった。

カラオケなんかやったことないのに、40歳近くなって半強制的に舞台に引っ張り上げられた。その気になって歌ったら、酔っ払いに絡まれた。「お前は音痴だから頼まれても断れ。絶対に歌うな」と、同じことを3時間も言い続けた。へべれけになっているから、これを延々と繰り返すのだ。歌が大好きな私だが、ここまで言われれば歌う気がしなくなる。

ところが、65歳になったら偶然に導かれてカラオケを始めることになった。まさに意外な展開である。2005年の春だった。私は依然として音痴のままだが、まわりの雰囲気が温かかく、楽しいと感じた。自分が楽しければいいじゃない、と言われれば、そんな気がする。健康にいいと聞くと、それもそうだと思う

それから5年たち、70歳に近づいた頃、道新に「好きになったカラオケ」執筆、北海道新聞のコラム朝の食卓に、そのようなタイトルで書いた。音痴でカラオケについて書く人は居ないと思う。恥ずかしながらやってしまった。今考えると何となく音痴と思っていただけなのだ。幼児のように無邪気に歌っていた。年を重ねるだけでは人間が出来たりしない。馬鹿は死ななきゃ直らない。

更に5年、後期高齢者となる。事もあろうに洋楽カラオケ会に参加した。音痴で外国語も出来ないのにね。英語で歌うことは子供のころからの夢だった。夢だから実現はしないとは思うが、試してみたかった。やっぱりダメだったが、会の雰囲気がいいから、もう少し試そうと思っている。もう少し、もう少しでもう4年たった。

2018年4月1日、エイプリルフールにユニークなブログ、「オンチのカラオケ」を開設した。そして1年半になろうとしているが、「音痴なのにガンバってエライね」と褒められたことがない。

音痴は生まれつきだから直らないが、丸出しはいけない。「丸出しにして何が悪い」と胸を張って言えないものが他にもあるよね。その場合も隠そうとして見えてしまうのなら許される。隠してもあるモノはあるが、できるだけ隠すのがナマーと思う。
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 音痴の気持ち

2019年09月07日

「好きだった」かな?

人は好きだが付き合いは苦手だ。思い返せば歌は人、必ず人との思い出と繋がっている。歌は世につれ世は人につれ。

大勢の少年が大きな部屋に住み込んで働いていた。白鳥春樹君は私と同じ18歳、就職して3年、ようやく遊ぶ余裕が出来た頃だ。プライバシーなど無い。やってることは皆分かる。春樹はダンスばかりしていた。歌って踊るのが大好きだ。彼が大勢の前で一人で歌うときは鶴田浩二の「好きだった」を歌う。

そして、私の顔を正面から見ながら「俺、いい男だろう。鶴田浩二にそっくりだろう」と言う。しかし全然似ていない。どちらかと言うとキリギリスかバッタに似ている。それがダンスホールに行くと、ビシッとお洒落して格好よく踊るから不思議だ。

春樹は朝は歯磨き貸してくれと言い、夕方は靴墨貸してくれと言うが返してくれたことはない。給料は皆同じようなものだが、遊ぶのに遣い過ぎて万年金欠病だ。ある日、「お前をイカス男にしたい。一緒に服を買いに行かないか」と誘われた。

18歳の私は春樹のように格好よくなりたいと思っていたので、渡りに船だ。洋服店でブレザーとズボンを選んでもらい、部屋に帰って着ると春樹は「オ〜!イカスイカス」と言った。

実は二人で部屋を借りていた。売春防止法の影響で廃業した元遊郭なので洒落ていて家賃が安かった。普通の人は敬遠しても私たちは気にしない。職場は間借りを禁止していた。どこを借りようと見つかってはいけない。むしろ隠れ家として最適だ。

新しい服を着て気分良くしていたら、春樹は「何か足りないな〜」と言った、今は秋、私もそんな気がした。春樹が格好良く着こなしている薄いブルーのトレンチコートが目に入った。「気に入ったんなら着ていいよ」と言ってくれた。

それを着て二人で街に行った。踊って飲んで部屋に帰ると。「コート気に入った?」と聞かれた。気に入ってはいたが後になって考えると、私には派手なような気がした。しかし、そのときは春樹のよううに格好よく見えるかなと錯覚していた。

「新しいコート買うから、それで好ければ安く譲ってやるよ」と言われ、喜んで買った。新品の半値くらいと思う。少し得した気分だ。ところが、ある日「デートするので、あのコート貸してくれ」と言われた。あれっ!新しいコート買ってないんだ?

そう言えば、歯磨粉も靴墨も、その他諸々、貸してくれと言われたが、持っていなかったのだろう。服を選んでくれてから、トレンチコートを売るまで、全ては彼が描いたシナリオかな? 疑惑だらけの春樹だが、何故か金魚の糞のように付いて歩いて遊んでいた。遊びたいのに遊べない。昔も今も変わらない。

鶴田浩二の「好きだった」を書くつもりだったが、何故か春樹の話になってしまった。好きだったのか、そうでもなかったのか、よく分からない不思議な人。性格の違いが魅力だったかもしれない。器用に遊べない自分はつまらない人と思っていたからね。

好きだった 作詞:宮川哲夫 作曲:吉田正
唄:鶴田浩二  1956年の発売
好きだった 好きだった
嘘じゃなかった 好きだった
で始まり、
せめて恨まず いておくれ
逢えるあしたは ないけれど
で終わる切ない歌。
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | あの歌この歌

2019年08月31日

勘違いのユード・ビー

音痴だから音楽については語れない。初めて読む方もおられるかも知れないので、繰り返し書いている。とにかく腹の中は音楽のことでいっぱいだ。漏れそうなので書いている。話すのは電車の中で漏らすようなものだが、書くのは太平洋の真ん中で漏らすのと同じ。だから話してはいけない、書くのはかろうじてセーフ。

1943年にコール・ポーターが作詞作曲した名曲、「You’d Be So Nice To Come Home To」はカタカナで書くと長すぎるので、ここではユード・ビーと省略して書くことにした。歌はハスキー・ヴォイスのヘレン・メリルだが、クリフォード・ブラウンのトランペット・ソロも素晴らしい。

ところで、小・中学生の頃は洋画が大好きで、渋谷のテアトルSSに通っていた。古い洋画を40円で観れるのだ。少なくとも百本以上は観た筈だが殆ど覚えていない。しかしユード・ビーのお陰でコール・ポーターの自伝映画「夜も昼も」を思い出した。なぜか戦地でピアノを演奏するシーンが浮かんできた。

真偽のほどは不明だが、映画でのコール・ポーターはフランス外人部隊として参戦したことになっている。これで何とか私の記憶と繋がった。私にとってはユード・ビーも懐メロだが、古い歌は忘れたことを思い出させてくれるので有難い。

ユード・ビーは第二次世界大戦という時代背景を抜きにしては語れない。私が特に好きなのは次のフレーズだ。
Under stars chilled by the winter
Under an August moon burnin'above

このフレーズを聴くたびに、戦場で戦う兵士の姿が目に浮かぶ。寒いだろう、暑いだろう、怖いだろう、故郷に帰りたいだろうとか考えてしまう。ところがこれが大間違い。音痴は歌だけでなく英語へと範囲は限りなく広がっている。

私の考えを確認するために、ネットで検索していたら、ユード・ビーの正確な和訳にたどりついた。以下は、"You'd be so nice to come home to 歌詞 正確な和訳 高知学芸塾"、ジャズの世界へご招待より引用。

『映画の中で男性がこの歌を歌いながら女性を口説いているシーンで使われたのをヘレンメリルが歌ってヒットしたのです。この詩はもとは男が、「君キャワイイねえ!君最高!君は理想の人だ!君は天国だ!」とべた褒めしている歌なんです』。女性を口説いている歌とは知らなかった。愚かにも勘違いして感動!

興味がございましたら、"You'd be so nice to come home to 歌詞 正確な和訳 高知学芸塾"で検索して、参照元にアクセスしてみてください。私には難しかった。

   <<お知らせ>>
道新「さっぽろ10区」に「中島公園便り」執筆
管理人は北海道新聞「さっぽろ10区(トーク)」に連載される、
「中島公園便り」を担当することになりました。
「さっぽろ10区」は毎週火・金に配達されます。
1ヶ月半に一度、1年で8回書く予定です。
初回掲載は9月3日(火)です。是非お読み下さい。sinnbunnmei2.jpg

posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | あの歌この歌

2019年08月24日

「悲しき雨音」に再会

私は音痴だから歌とか音楽そのものついては語れない。ただ、歌にまつわるいろいろな思い出がある。例えば、「あじさいの雨」を歌えば、大昔、こいさんと呼ばれた年上のAさんを思い出す。同じように「くちなしの花」なら"遺稿くちなしの花"の宅島徳光海軍中尉を思い出す。私にとって歌は思い出、懐メロが全てだ。

ザ・カスケーズの「悲しき雨音」を聴けば思い出すのはプランタンデパートである。プランタンは1980年代に副都心を目指す新さっぽろに華やかにオープンした。その近くを歩いていると、アップテンポな素晴らしい音楽が聞こえて来た。その頃私は40歳を過ぎた中年だったが、若者向きの曲が好きだった。

「悲しき雨音」が発売された頃、私は22歳だがタイトルもザ・カスケーズも知らなかった。流行った曲なのでメロディーは、どかかで耳に入っていたのだと思う。青空の下でのコンボバンドの演奏が凄く素晴らしく感じた。その曲のタイトルを知りたくなったが、そのことは直ぐに忘れてしまった。

それから35年後に後期高齢者になった。所属のシニア団体に洋楽のカラオケ会ができた。何も歌えないのに参加したくなった。ともかく歌える歌が無いのでCDやネットで探していたら、プランタンの前で聞いた、あのメロディーに出会った。そして、青空の下で聞いた素晴らしい曲が「悲しき雨音」とのタイトルであることを初めて知ったのだ。青空の様な明るい歌と思っていたが雨だった。

洋楽を歌うのは初めて、しかも音痴で英語も苦手、音感が鈍いから発音も悪い。なんとか私でも歌えそうな易しい曲はないかと、一生懸命探したが見つからなかった。それなら好きな曲でも歌うかと思い、「悲しき雨音」がその一つとなった。その他「ローハイド」「16トン」「ロック・アラウンド・ザ・クロック」。並べてみると自分でも変だと思う、似合わない曲ばかりだ。

私は「心身異質障害者」、性同一性障害と同様に世間では理解されにくい。ハゲの短足老人という外見なのに、心の中はロマンチックな想いで溢れている。歌えば本人は幸せでも周囲を不快にする困り者。しかし、不治の病なので治せない。結局、周りに慣れてもらうのが唯一の解決策である。こんな調子では知らぬ場所では歌えないので、慣れた場所で歌わせてもらっている。

私にとって「悲しき雨音」は珍しい歌。チョコっと聞いてタイトルも分からないのに好きになった。街中で出会って一目惚れ、それから35年もたって曲名を知った。長い間の潜在的願いが突然叶ったのである。ところで"心身異質障害"とは、自分を正当化するための造語だからGoogleで検索すると次のように表示される。
"心身異質障害"との一致はありません。
タグ:SSN
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | あの歌この歌

2019年08月17日

恥は無限の資源

私は人間だから人間とは何だろうと考える。日本人だから日本人とは何だろうとも考える。ここまでは当然だが、音痴とは何かについても考えている。ここが少しおかしいかも知れない。

人間も日本人も簡単には辞められないが、音痴はカラオケ止めれば済むことだ。悩むことも考える必要もない。だけど悩み考えながら楽しんでいる。ところで新婚のインタビューで奥さんのどこが好きですかとか聞かれて、全てですとか答える夫がいる。

カラオケのどこが好きだか誰も聞いてくれないが、もし聞かれれば「全てです」としか言いようがない。音痴だから何処が好きだか分からないのだ。それなのに面白がってやっている。私の人生、全てそうだった。出来ないくせに、いろいろ手を付けた。

何十年前か忘れたが、パチンコばかりしている時期もあった。玉を一つずつ入れる時代だった。不器用だから素早く入れることはできないが一生懸命やっていた。必勝法を自分なりに研究して実行した。確か1台に付き定量が4千円の時代だったと思う。

1台で儲けられる限度が定量だが、それで満足し二台目に挑戦したことがない。定量まで玉が出なければ閉店までねばった。「蛍の光」の曲が店内に流れると、店中回って玉を多く出している台を探してメモした。翌朝は開店と同時に入って、作成した「出玉メモ」を参考にして実績のある台を選んだ。こんな方法では損はしないが、時間ばかり食われる。バカバカしくなって止めた。

パチンコより株の方が面白いと思った。しかし私のやり方では損はしないけれど、儲かりもしない。安く買って高くなったら売る、それの繰り返しだから単純でいい。しかし高くならない株は持っているより仕方がない。当然塩漬け状態の手持ち株が増える。全ての塩漬け株を損切という形で処分したら、小遣い銭程度のプラスにしかならなかった。労多くして益少ない。結論として私には向かないと思った。

パチンコ3年、株8年、一生懸命のときは何故か楽しい。損することを恐れてビクビクやるようになると、次第に厭きてきた。何をやっても一か八かの勝負を避けて、単なる時間つぶしにしてしまう。我ながらつまらない性格である。

カラオケは損する恐れがないから、恥ずかしながら楽しんでいる。恥はかき捨てで無限の資源かも知れない。プラスチックみたいに環境を破壊したりしない。知らずに迷惑をかけてるかなと、振り返っても、そこにはただ風が吹いているだけである。
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | その他

2019年08月10日

誰か「波止場のママ」を知らないか

1958年、私が18歳のとき、音痴は大したことではなかった。カラオケがないから、庶民は自分流で勝手に歌うことが許されていた。よく友人同士で気晴らしに歌った。上手な人は感心されるが、下手でも気にすることもなく一緒に楽しんだ。それぞれが勝手に歌って何の問題もなかった。楽しかったなぁ。

私たち10代の有職少年は、自由時間に友達同士で同じ歌を歌って楽しんだ。その時の一番人気は「波止場のママ」、”こんな酒場の片隅で♪”で始まる曲だった。少年たちの憧れは外国に繋がる海、そして波止場のママ、そんな時代があったのだ。

職場は男ばかりで女性との接点は食堂とか売店でしかない。とても愛想の好い売店の少女をデートに誘ったら断られた。こんな状況では女性と話したければ酒場に行くしかない。そこには「男でしょ貴方は海の男でしょ」と励ましてくれるママが居る。酒場では海の男の気分になって、景気よく飲んで売店の少女を忘れた。懐は寒くなったけれど、酔って心は温かくなる。

次に洗濯屋の少女に思いを寄せたが振り向いてもくれなかった。こんな時は酒場のママに会いたくなる。「うぶなのね貴方はわりとうぶなのね」と、優しい言葉をかけてくれる。そして雪国と言う素敵なカクテルを作るから飲んで忘れなさいと言ってくれた。カクテルは高かった、何時も飲んでいるトリスの十倍もした。

退屈したのでママの顔を見に行った。今度は振られた話はしない。ジッとママの顔を見つめていたら、ママはつぶやいた「つもる苦労を白粉に 隠す私じゃもう駄目ね」。海の男の気分でママを励ました。「生きなくちゃ貴方は強く生きなくちゃ」。

その夜、ママは珍しく酔っていいた。「アタシのどこが嫌なんだ。生きようと死のうとアタシの勝手だ」とか何回も同じことを言っては絡んできた。酔っていても勘定は正確、トリスのストレート、シングル1杯とハイボール2杯で340円。今までで一番安かった。

波止場のママ 唄:鶴美幸 作詞:森くにのり 作曲:下川博省 
1957年4月発売
1. こんな酒場の片隅で 寝てるふりして泣くなんて 男でしょ貴方は海の男でしょ 浮気な女の名なりとも波止場のママに聞かせてね
2. 捨てて気取ったその手紙 しわを伸ばしてどうするの うぶなのね貴方はわりとうぶなのね 昔の誰かを見るようで 波止場のママも泣けてきた
3. つもる苦労を白粉に 隠す私じゃもう駄目ね 生きなくちゃ貴方は強く生きなくちゃ 呑むのはいいけどぐれるのが 波止場のママはこわいのよ

どこのカラオケ店にもない。探し探し続けても未だに見つからない「波止場のママ」。誰か波止場のママを知らないか。
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | あの歌この歌

2019年08月03日

同じくらい楽しい

人間の身体能力は人体の設計図と言われているDNAで決まっているそうだ。なるほど、私が音痴なのも遠い昔、未知の誰かさんが書いた設計図のせいなのだ。

人間の持つ潜在能力はとてつもなく大きいそうだ。ならば何をやっても人並みに出来ない私は、潜在能力が隠れたまま出てこないのだ。なるほど、奥ゆかしい性格が邪魔しているのだな。結構じゃあないか。図々しいのはのは大嫌いだ。

遺伝子の機能は、電灯のスイッチのように、点けたり消したり出来るそうだ。なるほど、生きる為の最低限の機能が全部オンになっているので78歳まで生きてこれたのだ。音楽機能がオフになっていたからと言ってモンクを言えた義理ではない。私の知らない遠い昔の設計者に感謝すべきである。

私は何もかも最低限のことしか出来ないヒトとして設計され、造られている。スポーツ、ゲーム、音楽を含むアートのスイッチが、全てオフになっているのだ。生かしてはくれるが、楽しめないように設計されているのである。ならば意地でも楽しんでやろう。

なんて思う訳がない。そういう類のスイッチは全てオフなのだ。ひたすら生きるように設計されている。この年になってみると、とても有り難い。これからも書いて歌って、無理して楽しむつもりだ。

書くは文学、歌うは音楽、アートのスイッチは全てオフ、私は無理して楽しまなければ楽しめない人間なのだ。こんなことは意識しないで無邪気に楽しめればいいのだが、そうは行かない。私は自分を外から見れるように設計されているからである。

自分を客観的に観察するスイッチは全てオンになっている。書いている自分が、書かれている自分を笑っている。こんな人生も味があり面白い。究極の自己満足だが、それだけではない。いつか花開くことを夢見ている。宝くじで三億円当たるくらいの確率で実現できる夢、宝くじと同じくらい楽しいよ。
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | その他

2019年07月27日

懐メロ:ライフルと愛馬

ハイヌーンは「真昼の決闘」、ローハイドは「ローハイド」、それぞれ歌を聴けば映画のタイトルが分かる。しかし「ライフルと愛馬」を聴いてもバンバン撃ちまくる西部劇「リオ・ブラボー」を連想できない。この歌からは恋人を思いながらライフルと馬だけを頼りに、夕暮れの荒野を行くカウボーイの姿が見えるだけである。

60年も前のことだが「リオ・ブラボー」を観に行った。しかし、内容は全く覚えていない。もちろん「ライフルと愛馬」が歌われたことも忘れた。と言うか、最初から頭に入っていなかったのである。

切符売りの少女に観賞を妨げられたのだ。「リオ・ブラボー」が封切になったころは、家業の手伝いをしていたが、仕事がなくて列車の清掃に行ったりしていた。それも時々だから懐は寒い。その日はポケットに百円玉と50円玉を一つずつ持って家をでた。

薄汚れたジャンパーに作業ズボンと言う、貧乏丸出しの格好で渋谷駅近くの映画館に行った。百円の入場料を払って観客席に向かって歩いていたら、後ろから走ってくる気配を感じた。まさか私を追って来たとは思わない。映画は始まっているので自然に足早となる。ところが突然腕をとられた。切符売りの少女が料金不足の容疑で私を捕まえに来たのである。

突然のことでビックリした。少女は「50円しか払わなかったでしょ」と、血相変えて腕を取って離さない。驚きながらも、そうかな〜と思いながら確認のためポケットに手を入れて硬貨を出して見た。50円だから、百円払ったことに間違いない。

そのことを言う間もなく、少女は私の手から50円玉を取り上げた。余りにも手早かったので驚いた。呆気に取られているうちに去って行った。まるで強盗に遭ったような気分だ。先手必勝、理不尽にも私は「50円誤魔化し少年」になってしまった。

映画館の少女に、その日の全財産を取られた。悔しくてたまらない。せっかく楽しみにしていたリオ・ブラボーだが、椅子に座って悔しがっていただけだ。事件は私が50円取られた時点で終わっている。何も言えない状態に陥ったことに気づいた。

そんな古いことをよく覚えていると呆れているかもしれない。思い出すには訳がある。洋楽カラオケ会に参加したものの歌える曲がない。「ライフルと愛馬」を聞いたとき、これならユックリしていて歌えるかも知れないと思った。こんなことっが切っ掛けで、この歌が「リオ・ブラボー」の中で歌われていることを知ったのである。

タイトルだけしか記憶にない映画を今になって観たくなった。さっそくビデオレンタルで借りた。映画の中で印象的なシーンはディーン・マーチンが「ライフルと愛馬」を寝転んで歌う姿。そしてリッキー・ネルソンの軽やかな「お帰りシンディ」へと続く。

音痴だから真の歌好きにはなれないのかも知れない。そのせいか懐メロが大好きだ。歌っていると歌にまつわる色々なことを思い出す。不幸な出来事もあるが、決して嫌ではない。すべてが懐かしい。懐かしさでメロメロになるから懐メロと言うのかな。
タグ:SSN
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | あの歌この歌

2019年07月20日

空気を読む

身も心もスッカラカンで頭も空っぽだ。新聞を読み、テレビやネットから情報を得ると、空っぽの頭の中にストンと落ちて来る。先日は珍しく本を読んだら空気という二文字が落ちて来た。

人は空気の支配下にある。もし空気が無ければ5分もすれば死ぬだろう。最近は食事中に飲み込み所を間違えて、呼吸が出来なくなることがある。1分くらいと思うが凄く長く感じる。以前は咽ても咳き込んでお仕舞だが、最近は息が詰まるのだ。空気はあっても肺に入らなければ無いのと同じだ。苦しいよ。

ところで本で読んだのは、空気のもう一つの意味だった。即ち「人々の気持を支配するようなその場の情況。雰囲気」である。空気は読まなければならないと思う。そして忖度する。そうすれば空気を吸い込んで楽しく生きることが出来る。社会的にね。

音痴なのにカラオケクラブで歌っている。字が読めないのに同人誌に投稿しているようなものだ。「同人誌とは、あらゆる人達の如何なる表現も許される、自費制作の雑誌」だそうだ。ここにも下手でも参加できるものがあった。私にとっては新発見である。

カラオケ会に参加するようになって14年もたった。しかし、自分が真の音痴と気づいたのは3年まえのことである。苦節3年と言うところだ。それまでは何も知らすに無邪気に楽しんでいた。これも老人の生き方の一つだから否定する気はない。しかし気づいた以上は、そのままでは詰まらない。

カラオケクラブの人たちには心から感謝している。実は自分の立場に気付いてから3年。常に空気を読むセンサーを働かしている。いくら読んでも、「お前は来るな」とは読めない。センサーが老朽化したようだ。言い換えれば老人力がついたのである。

何はともあれ、皆さんのお陰で喜んで参加して楽しんでいる。人間も動物だからピーチクパーチク鳴いている小鳥と一緒、歌うことを嫌う人は居ない。音痴の私が言うのだから本当だよ。だから私を楽しく歌わせてくれる皆さんに感謝している。

音痴は人並みに歌えるようにはなれないが、幸い来年には80歳になれる。気分的にハードルが一段下がった感じだ。80歳で人並み歌えるようになるつもりだ。もちろん80代としてね。
タグ:SSN
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 音痴の気持ち

2019年07月13日

悲しき少年兵

英語の苦手な私でも歌いながら情景が浮かんでくることもある。それはジョニー・ディアフィールドが歌う「悲しき少年兵」。もちろん自分なりに分かるだけ。ひょっとして誤解しているかも知れない。それなのに書きたくなるから困ったものだ。

ジャックは17歳になったら海兵隊を志願することに決め、同級生たちの前で決意表明をした。
「お前たちは学校で歴史を学べ。俺は海兵隊で歴史を作る」
「V国の自由と民主主義を守るために行くのね。素敵だわ」
とベティイはつぶやいた。歌詞にはないが、命を賭けた仕事に就く以上、それなりの動機付けが必要と思う。それで勝手に付け加えさせてもらった。

歌詞の1番、アメリカ西海岸の軍港
海には航空母艦、巡洋艦、駆逐艦が浮かぶ。しかし、この日の主役は戦地V国に向かう海兵隊である。軍楽隊が演奏する「海兵隊賛歌」をバックに行進する隊員の中には胸を張って歩く、あの少年がいた。肩をいからす海兵隊式である。誇り高きマリンコ(Marine Corps)になったのだ。

見送りの人々の歓声の中から、あの少女の声が聞こえてきた。「愛しい人よ、さようなら」。少年に聞こえるささやくような少女の声。軍楽隊の演奏は「錨を上げて」に変わり、船は出航した。

歌詞の2番、太平洋
出航して1時間たった。一人でデッキに出てみると、空は青く雲は白く海は静かだ。ふと我に返ると、少女のことが心配になってきた。離れていたら心変わりをするのではないか?

少女の写真を見ながら涙がホロリ、一人で泣いていた。何故か、港で聞いたささやく様な少女の声が聞こえて来る。「愛しい人よ、さようなら」。繰り返し聞こえて来る。

歌詞の3番 帰港
戦場に正義はなく、ただ破壊するだけだけだった。国に帰ったら、奨学金をもらって大学に行き、卒業したら職を得て、あの少女と結婚すると言う夢を描いていた。アメリカでは若者が軍に志願する理由のトップは「奨学金」と「医療保険」だそうだ。

船は入港し、港は出迎えの人々で溢れていた。群衆の中に少女が居ないか一生懸命探したが見つからない。夢は夢、やっぱりそうかと思った。戦地では裏切りと混乱は嫌と言うほど見て来た。少年の心は既に中年男の様になっていた。心変わりなんて、あって当たり前と諦めていたのである。

「さて、衣納を担いで田舎に帰るか。大学は止めてカウボーイになろう」。このまま書き続けていると三千頭の牛を連れてミズーリまで行く話になりそうだ。切りがないので、これでお仕舞。

書いているうちに空想の部分が次第に大きく膨らんできた。空想をしていると楽しいし、金もかからない。しかも私は時間のブルジョア、時間なんか使いきれないほど持っている。今はね。

Lonely Soldier Boy 歌:Johnny Deerfiled
1961年日本で大ヒット、アメリカでは話題にもならなかったそうだ。ストーリーが分かり易く、歌っていると英語が分かるような気がしてくるので有難い。錯覚とは思うけど……。
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | あの歌この歌

2019年07月06日

ビミョーに楽しい

運の悪い人が、たまたま上手く行くと、それが成功体験として心に深く刻み込まれる。例えば、パチンコで大儲けする。それがキッカケとなり、のめり込んで全財産を失ったりする。当てた体験が、負けが込んでも次こそ当たると思わせるのだ。

うだつの上がらない人でも、長く生きていると一つぐらいは成功体験がある。私にとっては北海道新聞コラム「朝の食卓」の執筆依頼がそんな感じだ。20人の執筆者の一人として2年間書かせてもらった。ろくな文章も書けないウェブサイト管理人としては、パチンコの大当たり以上に感じる成功体験となった。

こんな幸運は一生に一回つけば充分なのに欲が出た。愚かな私は何かありそうな予感がしたのである。ユニークな人として推薦されたのだから2回目がある筈がないのにね。

いろいろやってみたが全て失敗した。しかしパチンコの大当たりでなくて好かった。ただ駄文を書いてはアップしているだけだから貯金を失うこともない。と言っても、世間を賑わせている2千万円には足りないから、老後(中)の不安に少しだけ怯えている。

10年間に渡る試みは全て失敗した。そして最後の賭けに出たのが、この「音痴のカラオケ」である。自己満足の暇つぶしとして、未だに続いている。少数でも読んでくれる人がいる限り、やる気満々。情け深い読者に感謝している。

私は極めて性能の悪い車みたいなものだ。ガソリンがないと動けない。誰かが読んでくれるかも知れない、と言う思いを燃料にしてノロノロ動く車なのだ。はたから見れば止まっているように見えても、私には微妙な動きが分かるから楽しめる。

書くことはビミョー、物足りなくもなくビミョーに楽しい。充実感さえ、あるような気もする。ワクワクもしないし、ドキドキもしないけれど面白い。ゆっくりとした静かな暮らしがとても心地よい。
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | その他

2019年06月29日

こいさんのラブコール

「英語で歌って意味わかる」と聞かれて狼狽えた。しかし、もう困らない。「こいさんのラブコール」があるではないか。なんで泣きはるのかサッパリ分からない。大阪のこいさんと思っていたのに「さいなら東京の町」と言う。幸せの町とは一体どこか? 

分からないことばかりなのに大好きな曲だ。英語の歌だって同じと思ったらスッキリした。それより音痴なのに洋楽カラオケをやることこそ問題だ。洋楽をやる人は歌の上手い人に限られる。このことに気づくのが遅すぎた。オシッコはすでに出ちゃっているので、途中では止められない。心に在る本当の気持ちを伝えたいのに、上品に書くことが出来なくてゴメン。

ところで上品な船場言葉は大阪の商人達の間で広まり、独自の穏やかな言葉として発展したそうだ。今は使われないが歌にはよく出て来る。例えば「こいさん」。因みに4人姉妹の場合、長女いとさん、次女なかいとさん、三女こいさん、四女こいこいさん、なんとなく響きがいい。歌の意味は分からないけど、こいさんが美しいメロディーにのって泣いてはる感じがする。

話は変わるが、15年以上続いている4人カラオケ会では、歌ってない三人は大抵雑談をしている。
「Aさんは、こいさんと呼ばれていたんですね」
「そうよ。三人姉妹の一番下だからね」
「モテたでしょう」
「板前なんかにモテたってしょうがないじゃない」

何ちゅうことを言うんだろう。腕のいい板さんがそろっているから料亭は大繁盛。だから学生のこいさんでも車を買ってもらえたのだ。大衆車として知られるパブリカが発売されたのが1961年。それ以前の話だから、買えるのは外車しかなかったそうだ。

60年も前のことだから、二十歳の娘さんが免許を取って運転するのは珍しかった。Aさんが「女性ドライバー誕生」との見出しで地元の新聞に写真とともに載ったという話も頷ける。

こいさんのラブ・コール 唄:フランク永井
作詞:石浜恒夫 作曲:大野正雄 1958年7月ビクター発売
フランク永井の代表曲のひとつで、その頃私は西日本方面をうろうろしていた。田舎のダンスホールでブルースを踊るとき、流行っていた「こいさんのラブコール」がよくかかった。
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | あの歌この歌

2019年06月22日

バーベキュー・パーティー

音痴なので歌えないし、学が無いから文章も書けない。それなのに、この二つを趣味にしている。その理由は他にもいろいろやってみたが、何も身に付けることできなかったから。

これが最大の理由だが、歌と文章は一人遊びが出来るところがいい。それなのに人前で歌うし、書けばブログで公開する。我ながら困った性格だが直すことは諦めた。愚か者は愚かな暮らしが楽しいんだ。人と交わってこその人生である。歌って書くぞ!

バーベキュー楽しかったなぁ。キャンプやアウトドアもやらないので、70年ぶりに炭とご対面して懐かしかった。子供の頃は寒い冬に火鉢の炭を、口でフーフー吹いて、小さな火を少しずつ大きくするのが好きだった。

こんなことを思い出しながら、やってみたら顔が焼けそうなほど熱い、炭の量が格段に違うのだ。しかも夏、冬には暖かいと感じても、夏には暑苦しいだけだ。何をやってもダメ、だけど楽しい。カラオケと同じようにダメが嫌と結びつかないのだ。あらゆる場所でギリギリのところで楽しんでいる。

いろいろの方と話ができて楽しかった。カラオケ会では、皆さまの歌声に酔いしれているので話は出来ない。実はそれだけではない。最近聴力検査を受けて分かったのだが、片方の耳が普通の人の半分しか聞こえない。

子供の頃中耳炎に罹っていると言われたが、そんな覚えはない。考えてみれば病気になっても医者には診てもらった記憶はない。国民健康保険のない社会だから、都会に居ても金がなければ無医村に住んでいるのと同じだった。

バーベキューの後でカラオケの呼びかけがあったが、残念ながら行けなかった。缶ビール二つで酔っぱらっちゃった。これが私の限界、後は家に帰って寝るだけだ。ひと眠りしたら、ウェブサイトにアップしたい記事がある。実はバーベキュー前に中島公園で「札幌まつり」初日の様子を撮って置いたのだ。

「本日の日課、予定表どおり」。これで良しとすべきだが、振り返ってみればチョット悔しい。飲んで歌って踊ると言う、人生最大の喜びのチャンスを失ってしまったかも知れない。

話は戻るがバーベキューに使った焼け残しの炭は燃えたまま消し壺に入れた。子供の頃は火鉢の灰になるまで使っていたので、気がついたら炭の再利用のつもりでやっていた。「三つ子の魂百まで」と言われているがホントだ。

ところで、あれは本当に消し壺だろうか。それともバーベキューの飾り物か。心配になったので係りの店員さんに報告した。「消し壺と思って燃え残りの炭を入れました。まだ火は消えていないので気を付けてください」。「大丈夫です」と簡単に応えた。ダブルチェックのつもりだが、余計なお世話?
タグ:SSN
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 音痴の洋カラ

2019年06月15日

前向きに「ローハイド」

音痴で英語も出来ない。それなのに洋カラをやってるの? 無駄じゃない。試しに、無駄の代わりに「ガンパっている」を入れてみた。音痴で英語も出来ない。それなのに洋カラをやってるの? ガンパっているじゃない。これで良しシッカリ前を向いている。

ローハイドが初めてテレビ放映されたのは、私が19歳の頃だ。家業の経師屋が忙しくなったので、退職して家の仕事を手伝っていた。ところが直ぐに仕事は減り、生活は苦しくなった。娯楽はテレビだけと言うありさまだ。その後さらに運に見放され、1年くらいで再び家を出た。何時ものように働いて食うためにね。

生活苦当時、欠かさず観たのが「ガンスモーク」と「ローハイド」。ガンマンよりも、まともな職であるカウボーイの方が好きだ。ズボンの上から着用する革製のズボンカバー姿が格好いい。馬上で鞭を打ち、約3000頭の牛を運ぶのだから凄いと思う。

鞭は生皮(きかわ)で出来ている。英語で言えばローハイド、そこから転じてズボンカバーを指す言葉になったそうだ。私の印象ではローハイド=カウボーイである。ドラマでは隊長を補佐する若者ロディを、クリント・イーストウッドが演じていた。ご存じのように、彼はアメリカを代表する映画スターになった。

何を歌っても似合わない私だが、ローハイドは滅茶苦茶似合わないと思う。難し過ぎて歌えないのに歌いたがるから困る。とにかくカウボーイの雰囲気が大好きなのだ。

馬にも乗れないし、鞭も投げ縄も使えない。銃も撃てないし、度胸も力もない。それでも雰囲気だけでも味わいたい。それにはローハイドを歌うのが一番いいと思う。

歌詞にはカウボーイの仕事が織り込まれている。「追い立てろ、先頭に立て、切り離せ、割り込ませ」と言う、英語の掛け声が繰り返される。牛の大群を運ぶ勇壮なカウボーイの姿が目に浮かぶ。イメージはいいのだが私が歌えば不本意ながらぶち壊し。

馬に乗って、牛の群れの中に割り込み、切り離しては追い立てて牛の群れを運ぶ。悪天もスタンピード(牛の大群大暴走)の恐れもある。カウボーイの仕事は波乱・困難に満ちている。ともかくテキサス州のサンアントニオからミズーリ州のセデリアまで3000頭の牛を運ぶのは大変な仕事だ。

そんな思いでローハイドの主題歌が好きになった。下手なんだから一人で歌って楽しめば好いのに、カラオケ会でも歌いたくなるから困ったものだ。恥ずかしながら年に一度は歌いたい。そろそろ好いかなと楽しみににしている。気持ちだけは何時も前向き。
タグ:SSN
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | あの歌この歌

2019年06月08日

分かり易い方がいい

テレビを観ていたら私の知らない話をしていた。命の設計図と言われる遺伝子には、スイッチの様なものがあり、そのオンとオフを切り替えれば、幾らでも働きを変えられると言うのだ。音楽などの能力に関わる遺伝子まで、全てにスイッチがあり、コントロールできる可能性があることが分かったと言う。

と言うことは、私の音楽遺伝子はオフになっている。科学技術の力で何とかしてオンにすれば、たちまちフランク永井やフランキー・レーンの様になれるのだ。残念ながら半世紀ばかり生まれるのが早すぎた。20年後に実用化できるとして、私は98歳になる。遺伝子を組み替えるには遅いような気がする。

生まれつきだから仕方がないと、全てを忘れて自分なりに楽しもうと思っていた。それなのに遺伝子だってコントロールできると言う。何とも人騒がせな世の中になったものだ。もし、そうならばハゲの遺伝子はオフにできる筈だ。私は人類最後の音痴でハゲの人になるのだろうか? ついてないね。

以上はテレビでチョコっと観ただけで、遺伝子に関しては何の知識もない頭で考えたこと。人間には無限の可能性があると聞いてワクワクしてしまったのだ。テレビ放送のタイトルは「DNAスイッチが運命を変える」だった。

約20年前、ネットが普及し始めた頃もワクワクしていた。個人でも世界に向けて情報発信できる。情報の民主化が進むと思っていた。ところが、「GAFA」と呼ばれるグーグル、アップル、フェイスブック、アマゾンに独占的に世界市場を支配された。庶民のウェブサイトはネットのゴミとなり、深いところに埋まっている。

世の中がどう変わっても、一部の人たちに富が集中し、全体を支配する構図は変わらない。それでも選挙の一票を持っているから民主主義だ。しかも家の中では自由を満喫している。

人工知能(AI)とか遺伝子組み換えに手を付けて大丈夫なのだろうか。難しすぎて分からない。最近は分からないことがドンドン増えて行き、手のつけようがない。結局、家族仲良く健康に気をつけて楽しく過ごそうと言うことになる。分かり易いからね。
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 音痴の気持ち

2019年06月01日

俺は淋しいんだ(渋谷の思い出)

信じてもらえないと思うが、私はモテたことがある。60年くらい前まで遡るが渋谷の片隅でモテちゃった。多分、多分、多分。

1959年にはフランク永井のヒット・メロディを背景にした映画「俺は淋しいんだ」が公開された。その頃私は19歳、淋しい日々を送っていた。何処も務まらず職を転々としていたが、またもや失業して家族が住む渋谷に帰って来た。

アルバイトの身で将来が心配になったが、夕方になると僅かな小遣いを持って飲みに行った。渋谷駅から青山方面に向けて凄く幅の広い道路が造られていた。不思議なことに工事中の道路の真ん中に飲み屋街が出来ている。

道路が完成する前に立ち退かなければならないから安っぽい仮小屋だ。私が通っていたのはスタンドバーJUN、マスターと女給さん、二人で営業している。

女給さんは「岡田英子です」と言った。フルネームで自己紹介をする人は初めてなので好ましく感じ、また行きたいと思った。様子見だからハイボール1杯飲んで300円払って帰った。この次は、もうちょっとお金を持って来ようと考えながら。

次に行ったとき、追加注文をすると、岡田さんは「300円以上飲むと税金が1割取られるから損よ。アイスクリーム食べに行きません」と言った。二人で近くのうどん屋でアイスクリームを買って、外で食べた。二つで60円、懐の寂しい私にとっては有難かった。

岡田さんは私の淋しさと懐具合を知ってるようだった。いつ行っても300円しか遣わせない。訳は分からないが嬉しかった。夕方に行くとマスターは来ていないし、客も居ない。

いつも二人で話をしたり、店を空けて、近くを散歩したりした。私にとっては至福のひと時だ。こんなことが6ヵ月くらい続いたが、ますます生活は苦しくなって来た。岡田さんに「仕事無いから自衛隊に行くんだ」と言ったら「そう」と言っただけだった。

入隊早々家に用事があって電話を掛けたら、母が「岡田さんと言う人から電話来てたよ」と言った。遠く離れていて会いには行けないが嬉しかった。体調を崩し、1年半で自衛隊を依願退職して家に帰った。何をやっても続かないのだ。

岡田さんに会いに行ったが、飲み屋街は撤去され、辺り一帯は幹線道路に変わっていた。私も21歳、何とかして定職に就かなければと頑張っていたら、岡田さんのことは忘れてしまった。

自分史のつもりでブログを書いているが、過去の記憶が芋づる式に蘇ってくる。「俺は淋しいんだ」を聴くと思い出すのは、スタンドバーJUNと岡田さんのこと。彼女は80歳を過ぎた筈だが記憶の中では若いままだ。気の強い人だったが私には優しかった。

俺は淋しいんだ フランク永井、
作詞:佐伯孝夫,作曲:渡久地政信
渡久地政信が西部劇「真昼の決闘」の主題曲、ハイヌーンからインスピレーションを得て作曲したと言われている。そう言えばダダダン、ダダダンという感じのリズムがそっくりだ。
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | あの歌この歌

2019年05月25日

夢は夢のままがいい

3年半前から音痴改善を目指してきた。先ず「音痴とは何か」を調べたら、先天的機能障害だから直らないことが分かった。仕方がないので音痴を隠す方法のアレコレを考えた。普通は諦めるが、私は直らないならどうするかを考える。

ところで、片隅が大好きで競争が大嫌いだ。やれば必ず負けるからね。片隅には競争相手が居ないからいい。競争ならビリだが、片隅には0.1%にしろ可能性が残されている。一生懸命やった後は運を天に任せればよい。世の中や周囲の状況が変われば、小さな成功を得られるかも知れない。

背の低い老人は高くすることは出来ないが、曲がった腰を真っすぐにして、高く見せることは出来る。背の高低と同じように音痴は先天的だが、そうでないように見せかけることは可能だ。と言っても知っている人には通用しない。

だが来年は80歳になるから近いうちに周囲の状況も変わるだろう。サ高住、デイサービス、老人ホームとかも身近なものになって来た。時々テレビなどで見るがマージャンとかカラオケが盛んなようだ。

マージャンは忙しそうで楽しめそうもないが、カラオケとか音楽を聴くのは大丈夫かも知れない。それに加齢とともに身体機能が少しずつ壊れて行く。その中で壊れにくいのが口と耳だと思う。

3年前はのど自慢に出ようとか、文化祭のステージに立とうとかデカイことを考えていた。しかし、一生懸命やったら、自分の立ち位置が見えて来た。逆立ちしても不可能だ。そんな考えはアッサリと捨てた。古い夢を捨てれば新しい夢が見えて来る。

私の新しい夢は、「音痴のカラオケ」でブログ・デビュー。難しいけれど音痴を直すことと比べれば簡単だ。そんな夢を抱き始めている。何も考えないことが肝心だ。分かってしまえば、それでお仕舞いとなる。夢は夢のままがいい。知らぬが仏。
続きを読む
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | カラオケを楽しむ

2019年05月18日

有楽町で逢いましょう(インド通信)

私にとって歌は思い出、それぞれの土地に結びついている。17歳から22歳の間は東京から九州まで職を転々。金もないし、ラジオで音楽を聞くのが唯一の楽しみだった。「有楽町で逢いましょう」の思い出は、インド通信とホットケーキである。

その歌が出たのは1957年、私は広島県に居た。それから転々として21歳のころから新橋の森ビルにあるPTI通信(Press Trust of India)東京支局で働くことになった。仕事はテレタイプ情報の配達と留守番で凄く楽だった。支局長は日本に来たばかりで日本語が分からない。少しは英語も必要だった。

失業中、自衛隊に入り三ヶ月間の英語訓練を受けた。そして、米軍基地から来るフライトプランを電話で受けながらタイプする仕事に就いた。タイプも英会話も苦手なので落ちこぼれ、依願退職して東京に出た。インド通信はアルバイトだが楽な仕事だ。虚弱体質の私にとっては天の恵みだった。

フランク永井は米軍キャンプでジャズを歌って大好評、私は英語の分からない日本人として米兵に嫌われた。彼等は少しモタつくと他の人と代われと言う、英語でね。私にはギミィアナザと聞こえる。先輩も最初は代わってくれるけど、1ヶ月たったら誰も代わってくれない。その結果、またもや失業者となったのだ。

配達先の一つが当時有楽町にあった朝日新聞外報部、さっそく有楽町で昼食と洒落込んだ。一番安い組み合わせとしてホットケーキとミルクを頼んだ。「あなたと私の合言葉 有楽町で逢いましょう」とか思い出したがが、東京では完全に孤独だった。

インド通信では無保険だが病気に罹るような気もしなかった。そう思えるほど仕事が楽だった。オリンピックを1年後に控えた東京は空前の好景気。ここに居れば何か職が得られるだろうと楽観的になり、何の心配もしなかった。こんな私にも英国の大手通信社に入らないかとの誘いがあったのである。

「君は大学出てないだろう」
とインド通信情報配達先の通信社所長が言った。
「はい、出てませんが」
「英語とタイプが少しできればいいんだが、応募者が大卒ばかりなんだ。大卒の職じゃあないのにね。困ったもんだよ日本は」

私にも一流企業に就職の機会と、大喜びしたがぬか喜びだった。大卒はダメだが、中卒はもっとダメらしい。所長も私が高校も出てないと知ってガッカリ。オリンピックで景気が好かった頃なので、英語が出来て無職の高卒など滅多に居ないのだ。

その時は日本の国家公務員採用試験制度は世界一素晴らしいと思った。学歴の制限がないのだ。例えば、当時の上級試験は大卒程度で実施されるが、中卒でも受けられる。この制度は余り知られていない。私も初めて知ったのは21歳になってからである。何か受かりそうなのを見つけて受験することにした。

有楽町で逢いましょう 1957年7月に発表(私は17歳) 
吉田正 作曲 佐伯孝夫 作詞 フランク永井 歌
そごうデパートの東京店出店のイメージソングとして作られた。
フランク永井の歌声は「低音の魅力」と評され、大ヒット!
個人的思い出としてはホッとケーキとインド通信。

毎週土曜更新、またの訪問をお待ちしています!
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | あの歌この歌

2019年05月11日

音痴のまま楽しもう!

長い間、普通に歌の下手な人と思っていた。だが3年半前に音痴であることに気付いた。平凡社「音楽大辞典」によると「大脳の先天的音楽機能不全」だそぅだ。少しガッカリしたが、ホッとした気分の方が強かった。音楽機能不全なら仕方がない。音痴の生き甲斐に「パラオンチック」でもあればいいのにと勝手に考えた。

ところでブログのタイトルは「音痴のカラオケ そのまま楽しもう!」。音痴は背が低いのと同じように成長期を過ぎたら手の打ちようがない。歌を楽しみたければ、そのまま楽しむより他はない。そう出来ない人は他の趣味を楽しんだ方がいいと思う。

ところが私は、若い時からいろいろな趣味を次々に手を付けて、どれも出来ないまま老人になってしまった。そのような人ならカラオケが一番だ。なにしろ伴奏は物言わぬマシンなのだ。これはとても有り難いことである。将棋でも碁でも、テニスでも、自分よりも先に相手の方が嫌になるようだ。野球などの団体競技には入れてもらえないから試すチャンスさえない。

カラオケも一人でやるなら好き勝手に楽しめば良い。私も最終的にはそうするつもりだ。しかし、皆と一緒の方が楽しい。ならば仲間のことも考えなければいけない。人に好かれれば一番いいのだが、これもなかなか難しい。だから嫌われないように気をつけなければいけない。その気があれば誰でもできる。

音痴も直る余地はある。例えば背の低い老人は猫背を直せば少し高くなる。腰が曲がっているのを直せば相当高くなる。猫背や曲がった腰は、反対に反らすこと、あるいは正しい姿勢をとる訓練を繰り返せば少しは改善するかも知れない。音楽機能不全そのものは先天的だから直らないが、見かけは直せる。

CD等の正しい歌を聴いて真似をする。それを繰り返すだけでいい。頭を使う必要もないから楽だ。悩みの種は同じ歌手でも時代によって歌い方が違うこと。私にはカラオケの伴奏がどのバージョンか分からない。音痴はホントにつらいよ。

歌手の真似など出来るわけがないが、楽譜も読めないし他に方法がない。加齢により耳も目も悪くなってる。こう書くと人生真っ暗闇みたいだが、生活にゆとりが出来たから趣味のことも考えられるようになったのだ。長い人生で、こんなにゆったりした気分になれたのは初めてだ。

10歳からアルバイトをし、15歳からはフルタイムで働いた。そして、定年退職し仕事から解放されれた。楽をしたいと言う子供時代からの夢は叶い、現実となったのである。何だか昭和貴族になった気分だ。平成は無事にやり過ごしたが、令和は大丈夫だろうか。こればかりは運を天に任せるしかない。
あったかい気づいてみれば尻のした気持ち好すぎて出るに出られず -- 籠の鳥
タグ:SSN
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | カラオケを楽しむ