2019年11月16日

「ムーンリバー」は私の人生

ムーンリバーと言えば思い出すのが、オードリー・ヘプバーン主演の「ティファニーで朝食を」。宝石店の前でショウウインドウを見ながら、パンとコーヒーの朝食をとるシーンが印象的だった。美人は得だな、何をやっても様になると思った。もう一つは窓辺でギター抱えてムーンリバーを歌うシーンがとても好かった。

ところで、英語で歌って意味分かるのと聞かれると、胸にグサリと突き刺さる。実はよく分からないからだ。例えばムーンリバーの歌詞は馴染みのある単語ばかりが並んでいるのに、初めから終わりまで意味が分からない。

先ず、Moon Riverとは何だろう? ある人は作詞者の故郷、ジョージア州にある川のイメージだと言う。又、渡ることが出来ない憧れのような存在と言う人もいる。海のように幅の広い実在の川の愛称と言う説もある。まだまだ続く。

ムーンリバーは恋心で虹は幸せという説もあり、ますます分からなくなってきた。面白いのは、ムーンリバーとは大河ミシシッピのこと。筏で漂っているのはハックルベリーとトムソーヤという話。従ってマーク・トウェインの「ハックルベリー・フィンの冒険」を読まないと、この歌の本当の意味は分からないと言い切る。

音痴の私は、歌が下手なだけではない。頭も悪いし運動神経も鈍い。ムーンリバーとは自分の人生と思っている。私は人生と二人連れで、この世をを漂っている。夢を見るのも、心を打ち砕くのも私自身だ。今まさに人生と言う大きな川を渡っている最中と思っている。こんなことをノンビリ考える余裕があって幸せだ。

ひもじくもなく苛められてもいない。こんな暮らしが18年も続いている。これも奇跡の一つと思う。幸せはある日突然、棚からボタモチが落ちるようにやって来た。いつまでも居てほしい。

Moon River Lyric:Johnny Mercer 
                  Music: Henry Mancini.1961
Moon River, Wider than a mile:
I’m crossin’ you in style Some day.
Old dream maker,You heart breaker,
Wherever your goin’,I’m goin’ your way:
Two drifters,Off to see the world,
There’s such a lot of world To see.
We’re after the same Rainbow’s end,
Waitin’ round the bend,
My huckleberry friend,Moon River,and me.
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2019年11月09日

忘れられない「女を忘れろ」

かっての仕事の先輩から「女を忘れろ」は似合わないから歌うなと言われた。冷静に考えると居直るしかない。短足でハゲ、おまけに音痴の老人に似合う曲などあるのだろうか?

仕方がないから、何も考えずに好きな曲を歌うことにしている。「女をわすれろ:作詞:野村俊夫」のどこが好きかと言えば全てだが、あえて言えば歌詞が大好きだ。私の心の故郷である。

ダイス転がせ ドラムを叩け
やけにしんみり する夜だ
思い出すのは若いころ、港町のスタンドバーによく行ったこと。一緒に行くのは一つ年上のMさん。彼はダイスの名人、左手のジッポーのライターで、粋にくわえたピースに火を点ける。そして右手でダイスを振る。その仕草のカッコウいいこと、惚れ惚れする。

忘れろ 忘れろ 鼻で笑ってヨ
あきらめ切るのが 男だろ 
Mさんは「世の中半分は女だ。鼻で笑って諦めろ」と言うけれど、私の周りは男ばかりだ。お店に行かなければ女性と話すことさえ出来ない。デートする相手もいないのだから振られることもない。こんな状態は、男だからこそ諦めきれない!

呑んでくだ巻け グラスを砕け
男ごごろは 馬鹿なもの
歌詞には思い出がいっぱい詰まっている。米兵がバーで大暴れして巻き添えを食って米海軍憲兵に捕まった。米兵は歌詞のように呑んでくだを巻き、グラスを砕いた。

もちろん、それだけじゃない。店中メチャクチャにした。不思議なことに怖くはなかった。何だか映画のワンシーンを見ているような気がした。私も酔っぱらっていたからね。

忘れろ 忘れろ 女なんかはヨ
あの娘にゃあの娘の 恋がある
荒れてみたいぜ 荒れさせろ
米兵は振られて諦めきれないのだろう。一人でフラフラ歩いていたのを同行のMさんが声をかけたのだ。あんなに荒れたの初めて見たし、これからもないだろう。まさに歌詞のとおりだ。彼女には彼女の恋があるんだ。忘れなきゃあダメだよ。そのせいで私とMさんは米兵と一緒に憲兵に捕まった。歌うたびに思いだす。

闇を蹴とばせ 月みてわめけ
どうせあの娘にゃ 判らない
バーで大暴れなんかしないで、誰も居ない原っぱで月を見てわめけばいいのにね。日本人ならそうするよ。だからこの歌は好かれるのだ。アメリカでは絶対にヒットしないと思うよ。

忘れろ 忘れろ 何も言わずにヨ
夜通し歩いて あきらめろ
俺にゃあの娘は 用なしさ
私なら夜通し歩いて諦める。嫌われたのに好きにさせる方法なんか無い。来年で80歳にもなるのに、振ってくれる相手さえ出会ったことがない。淋しい人生だが、ドラマと空想で補ってきた。それでも生きることは素晴らしい。負け惜しみじゃあないよ。ほどほど健康で少しの金があればそれで十分である。
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | あの歌この歌

2019年11月02日

出来が好い私

こんな話を聞いたことがある。もし10人の社会なら、一人が出来る人で、一人が出来ない人、そして残りの8人は普通の人。ならば私は出来ない人。アート、ゲーム、スポーツ、何一つ出来ない。アートのセンスはないし、ゲームをやれば必ず負ける。

勝ち負けでケリをつけるゲームは、楽しみたくても楽しめない。その点カラオケは勝ち負けがないから有難い。しかし、何となく音痴と思っているから気後れがする。ところが、ある日突然、重症の音痴と分かってからは、やる気がモリモリ湧いて来た。

切っ掛けは自分の歌を録音して聴いたこと。凄く下手で、ただ事ではない。さっそくネットで調べると自分は「大脳の先天的音楽機能不全(平凡社『音楽大辞典』)」であることが分かった。何となく音痴とは思っていたが、これでスッキリした。10年以上もカラオケやってるのに何故進歩しないのか不思議でならなかったのだ。

先天的じゃあ仕方がない。生まれつきなんだから上手くなるはずがない。学齢前なら大変だが、既に退職、来年は80歳である。少しでも改善されれば奇跡だ。高齢者に関する音楽機能改善例として学術資料に載ってもいいかな、とか思ってしまった(笑)。

勉強から空想へと大きく脱線したが、私は低学歴、低体力、おまけに気も小さい、と何一つ好いところがない。一生懸命になると周りが見えなくなる欠点もある。これは性格だから自分の為になる場合がある。短所は長所とも言われている。

3年前は下手と言うよりもメチャクチャ歌って、カラオケ会の皆様に迷惑をかけたと思っている。その代わり自分が重症の音痴と知ると、皆さんの歌に敬意をもつようになった。それでは今はどうかと言うと、これから3年たたないと分からない。今も一生懸命、わき目もふらずに歌っている。相変わらず周りは見えていない。

私も人並みに恥を知る人間だが、恥ずかしい気持ちと、歌いたい気持ちのバランスをとりながら楽しんでいる。幸いなことに、一生懸命のときは恥をかく余裕がない。かくべき恥がぶっ飛んでしまうのだ。お陰でバランスは常に歌いたい方に傾いている。私って何と都合よく出来ているのだろう! 
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2019年10月26日

音痴なのに洋カラ

思い起こせば4年前、私は後期高齢者になった。この歳になって歌って踊って暮らせれば、これに勝る幸せはない。残念ながら、そうは出来ない事情がある。私だけじゃないけどね。

4年前の今頃、札幌シニアネットのカラオケクラブから全会員宛のメールが流れた。クラブ活動の一環として「洋楽カラオケ」例会を開くとの知らせである。「洋楽の好きな人なら誰でも歓迎」と書いてあった。大好きだから、歌えないのに参加してしまった。

洋楽好きは映画から始まった。10歳の時に洋画が好きになり毎週観に行った。そして「駅馬車」「黄色いリボン」「テキサスの黄色いバラ」などの映画音楽が好きになり、その後のテレビドラマでは、「ローハイド」と「ガンスモーク」の主題歌が好きになった。

初参加に備え、自分なりに練習して洋カラの会で歌ってみたら、ぜんぜん歌えないので戸惑った。伴奏に合わせることが出来ないのだ。止めればいいのに止められない。何とかして合わせようとするのだが、出来ないから焦る。そしてメチャクチャになった。こんな筈はないと思って、家で猛練習して、次回も参加した。

こんなことを繰り返して苦節3年、ようやくリズムと言うか、文字色の変化に合わせて口がまわるようになった。ようやく楽しくなりかけて来た。更なる上達のため自分の歌を録音して聴いたらビックリした。こんなはずじゃなかった! 穴があったら入りたい。そして、重い音痴と自覚した。直すにはどうしたらいいか? 先ず最初に音痴について勉強をした。

結論として私の音痴は直らないと理解した。音痴には運動性と感受性の2種類があり、運動性音痴の人は正常な音感があるので訓練すれば直ぐに歌えるようになる。一方、感受性音痴の場合は音程がずれていると判断できないので矯正は難しい。

しかし正しい音階を何度も聞くことにより改善できるそうだ。人並みは無理としても、繰り返せば自分なりの改善は望めそうだ。

洋カラに通って4年にもなるが、だんだん楽しくなって来た。一番好かったのは好い環境に恵まれたことである。日本には洋楽が大好きで歌いたい人は少なくない。しかし音痴では、いくら好きでも歌わせてもらえる場所がない。またもや幸運に恵まれた。

私を知っている人はアンタが洋カラをやるとは思わなかったという。当然である。私だってそう思わなかった。大袈裟に言えば針の穴を通過したたような気分だ。狭き門より入った程度かな? とにかく、休まず洋カラの会に参加している。思わぬことが起こるから人生は面白い。たとえ無理やり起こしてもね(笑)。
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2019年10月19日

私の音痴遍歴

振り返ってみると音痴な人生だったなぁと思う。歌が好きだから子供の時から歌っていた。大人は「サブちゃんは調子っぱずれ」と言って笑っていた。皆楽しそうだったから私も楽しかった。

中学では「のど自慢」を楽しんだ。一人ずつ教壇に上がって流行歌などを歌った。同じ歌でも人によって歌い方が違うから面白かった。皆が音痴とかには無関心だった。

中卒後職を転々とした9年間は、安定した職を得ることで頭がいっぱい。娯楽は映画と音楽鑑賞、それに読書。定職についてもその傾向は続き、歌おうとか考えたこともなかった。

40代の時、初めてカラオケで歌ったら、お前は歌うなと叱られた。かなりしつこくね。それ以来カラオケで歌わなくなった。65歳になって、偶然に導かれてカラオケを始めた。

何となく音痴と思っているだけだった。「好きになったカラオケ」とか道新コラムに書いたくらいだから、ぜんぜん気にはしていなかった。こんな時代が10年も続いた。

後期高齢者になって洋楽カラオケを始めた。初めての洋カラである。歌えなかったが、最初はこんなもんだろうと気にしていなかった。そして1年以上たってから初めて音痴と自覚した。薄々感づいていたのでショックはない。

音痴を自覚するとカラオケを止めるか続けるか決めなければならない。10年以上楽しんで来たことを止めるのは容易ではない。続けるなら音痴を直さなければならない。

調べてみたら、音痴には直る音痴と直らないのと2種類あることが分かった。簡単に言えば直る人は音楽脳はあるけど訓練しなかった人、私の様に生まれつきの人は直らないことが分かった。

背が低い人が高くなりたいと思ってもなれない。だからと言って解決法がないわけではない。例えばオランダ人は背が高いそうだ。オランダで背が低い人でも日本にくれば普通に見える。それと同じように下手同士でカラオケに行くと目立たない。これは80代の高齢者3人と10年以上もやっている。気楽で楽しい。

もう一つは正確に歌おうと心がけること。背の低い人でも姿勢を正しくすれば3センチくらいは高く見せられる。少しでも進歩すれば楽しい。3センチは、音痴という微妙な世界では大きい。
大きいよねっ! ウン、大きい。だから頑張り甲斐がある。
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 音痴とは

2019年10月12日

お前は歌うな(後編)

前編よりの続き
40代のころ初めてカラオケで歌ったが泥酔した同僚から絡まれた。「お前は下手だから歌えと言われても歌うな」としつこく言い続けるのだ。首を振るな、腰くねらすな、気分出すな、その他もろもろ、よくもこんなに覚えていたものだと呆れた。

酔っ払っているから、同じことをなんども繰り返えす。延々と何時間も続き、家に帰ったら午前2時を回っていた。絡んだ同僚は地元の合唱団で歌っていた。職場は全国各地から転勤して来た人ばかりなのに、彼一人が地元の人だった。近所の手前、私の様な非常識な同僚がいることが恥ずかしかったのかも知れない。

 酔って自分を失って無意識に出てきた言葉が「お前は歌うな」だ。世の中でこれほど真実な叫びはない。40前後の分別盛りだから自分を失った時以外本音は出さない。以後、私は二十数年間にわたり人前で歌ったことがない。彼は礼儀正しい、親切な人だ。転勤のときも最後まで面倒をみてくれた。別な土地で再会したときも、自宅に呼んで歓待してくれた。

彼は自分の言ったことを覚えているだろうか。これは永遠の謎と思っていた。お互いに触れたことがなかったのだ。私の歌が彼の心を深く傷つけたことを知ってから歌うのを止めた。

実は彼とは親しくなかった。他所から来た近所の人として、同僚二人を自宅に招いたのだ。この泥酔事件後から親しくなったような気がする。と言うよりも、私は敬遠してたのに彼の方が、なんやかやと親切になったのである。なぜだろう?

この謎は65歳になってカラオケを始めた時に解けた。再び歌うことになり、忌まわしいカラオケ禁止事件を思い出した。これが切っ掛けとなった。私の推測だが、泥酔した彼自身は何も覚えていないと思う。翌日奥さんに叱られたのだ。

彼は一言一句、正確に奥さんから聞かされた。夜中に2時間も同じことを繰り返せば、隣室でもはっきり聞こえて記憶にも残る。彼は自分が喋った一部始終を、素面になってから聞かされたのだ。多分、こんなところと思う。いずれにしろ今になれば懐かしい。
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 音痴の気持ち

2019年10月05日

お前は歌うな(前編)

今では考えられないことだが、少年時代はデタラメ歌って楽しんでいた。リズムとか音程は特に意識しなかった。それらは音楽を勉強する生徒が身に付けるものと思っていた。ところがカラオケ・マシンが出来てからは状況が変わった。昔は好かったなぁ。

カラオケ時代になって、私は歌を禁じられてしまった。酔っ払いの言うことだから理屈もへったくれもない。ただ「お前は歌うな」の繰り返しで禁止されてしまった。ことの起こりは、およそ35年前、地方都市のカラオケができる舞台もある店でのこと。酔いがまわった頃、誰が言うでもなく交代で歌おうということになった。
  
 私はカラオケなどやったことが無いので、嫌だといったら、お節介な同僚が出て来て「オレが一緒に歌ってあげる」とか言って、私をグイグイ舞台に引っ張り上げた。ところが、舞台に上がってみると、気が変わり、3番まで気持ちよく歌ってしまった。

実はこれが大失敗。私を連れて一緒に舞台に上がった同僚は、多分自分が歌いたかったのだ。私が歌い出して戸惑ったところで、代わるつもりだったのだろう。音痴でカラオケも初めてなので、どんな風に歌ったかも覚えていない。酔って気分が好かっただけ。これが後で問題を引き起こすとは夢にも思わなかった。

それから、およそ半年後、男3人で友人の家で飲んでいた。自宅に誘ってくれた友人が突然絡んできた。彼は飲み過ぎていて泥酔していた。いつもと違って蛇のようにしつこい。

 「お前はなぁ〜、下手なくせになぜ歌うんだ!」
 「順番だから歌えと言うから、仕方なく…」
 「お前はなっ!歌えと言われても歌ったらダメなんだ」

はじめは何を言ってるのかサッパリ分からなかった。ここに書いたのは、高齢になってカラオケをするようになってから思い出したこと。自分なりに思い出して、整理したつもりだ。 
愚痴は長々と続くので中断、後編に続く。
posted by 中波三郎 at 05:13| Comment(0) | 音痴の気持ち

2019年09月28日

無意味な課題

毎日書いて歌って、とても楽しい。イソップ寓話のキリギリスみたいに、厳しい冬がきたら生きて行けないかも知れない。それも他人事の様に感じてのんびり楽しく暮らしている。

洋楽が好きだが英語で歌う以上、避けて通れないのが発音である。しかし、それ以前の問題がある。正しい発音を知らなければ避けることも出来ないのだ。ところでカラオケでは、ほとんどの場合、英文の上にカタカナが書いてある。

書いてある以上、この通りに歌いなさいとの意味にもとれる。現にカタカナどおりに歌っているのを聞いたことがある。正直言って面白かった。私より年上の高齢者数人で初心者カラオケをしたときのことである。確か「きよしこの夜」だったと思う。

昔流行った「ジャンバラヤ」のこと。グッバイ・ジョーはともかく、この後に続くミー・ガッタ・ゴー(me gotta go)とカナが振ってある。しかし、ミー・ガッタ・ゴーと歌う人はいない。こんな例は数え切れないほどあるが、英語をカタカナに置き換えることは出来ないから仕方がない。外国でも似たようなことやってるだろうか。

音痴だから発音は苦手、活舌が悪く日本語も上手く話せないから英語については言うまでもない。ただ耳は口ほど悪くないと思っていたのに、聴力検査で異常と診断され、補聴器を使うように勧められた。何もかも滅茶苦茶だが割と楽しく歌っている。

発音とか一人前のこと言っているけれど、洋楽カラオケを始めて4年もたつのに、ようやくリズムというか、文字が緑色に変わることに合わせて歌える様になった程度だ。だけど文字色の変化に追いつけなかったり、追い越したりしていた時はつらかった。

伴奏に付いて行けるようになると凄く楽しい。あとは音程が好くなって伴奏に合わせて歌える様になれば更に楽しくなるだろう。私にとっては命尽きるまでの永遠の課題である。

皆さんが普通にやってることが、私にとっては課題となる。ある意味で有難い。優しくて無意味な課題が、現実にある厳しくて根本的な課題を押し退けてくれる。お陰でノンビリ生きられる。
posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 音痴の気持ち

2019年09月21日

中学では「のど自慢」(カラオケクラブに感謝)

音痴なのに所属するシニア団体のカラオケクラブに参加している。ところで、前回のブログで小学生は唱歌より流行歌が好きと書いたが、中学に入ると、その傾向はますます強くなった。当時の中学は自習が多かった。先生も生活に追われて大変だから授業に出れないこともある。そんな時は自習だ。

クラスの学級委員が、「自習は何をやりますか?」とか聞く。皆口々にのど自慢とか言う。何回もやっているので、いつも同じだ、一人ずつ交代で教壇に立って歌う。まるでカラオケクラブのようだ。好んで歌うのが流行歌、「青い山脈」とか「湯の町エレジー」とかね。上手い人も下手な人も自分なりに楽しむ。

なぜか音痴などと言う言葉はなかった。そういう細かいことを気にしていなかったのだ。今の時代、表立っての差別が減った反面、小さな違いに敏感になっている。音痴がその対象になったのはカラオケ・マシンの普及のせいだと思っている。合唱の授業では重要なことも、自習時間ののど自慢では誰も気にしない。同じ歌でもそれぞれ違っている方が面白い。

誰の歌が上手いか覚えていないが、ユガワ君の落語とヒラタ君の浪曲は別格だった。ユガワ君は学校一の秀才で後に東大に入った。彼は全く勉強しないように見えるが試験をすれば何でも一番だ。家にもよく遊びに行ったが、本立で目立つのはズラリと並んだ落語全集、「無線と実験」「ラジオ技術」等、趣味の本。教科書は粗末に扱われているようだ。鞄に入れたままかな?

ヒラタ君は豪快な感じの男子で、広沢虎造の浪曲「清水次郎長伝」が得意だった。中学生なのにラジオで聴く虎造と同じような声だった。この二人だけが別格で、歌などは誰が上手かったか、ぜんぜん覚えていない。何分昔のことだからね。

音痴とは「先天的音楽機能不全」。不治の病みたいに扱われているが病ではない。背が高いか低いかと同じで、身体はちゃんと動いているし、頭だってそれなりに回っている。世の中が精密になって、小さな違いが大きく見えるようになっただけ。

だが歌が上手くなりたいなら自覚しなければならない。不治なんだから上手くはならないが、少しはマシになる。私自身10年間も何となく音痴と思っていただけで、気にしていなかった。4年前から「先天的音楽機能不全」と言うことを知り、気になった来た。

全く知る必要なかったのにね。それでも知って好かったと思っている。どんな時でも自分を嫌いになれない幸せ者である。だが、私は人間としての機能が全体的に劣っている人。何をやっても上手くできない。だから何をやっても恥ずかしい。

結局、趣味を続ける決め手は恥ずかしさと面白さをを天秤に掛け、面白さが重ければ続けている。もう一つ大切なのは趣味を続けられる環境である。だから、こんな私でも楽しく歌わせてくれる、カラオケクラブに感謝している。
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posted by 中波三郎 at 00:00| Comment(0) | 音痴の気持ち

2019年09月14日

ガンバレ音痴!

ドラマが面白いのはあり得ない話を本当らしくみせるからだろう。音痴のドラマは可哀そうか邪魔者なのかは、その場の状況による。いっそ「ガンバレ音痴!」とか言われれば、やる気モリモリになるのだが、なりすぎても傍迷惑だ。悩みは尽きない。

いずれにしろドラマなら哀れな脇役だ。私の未来はどうだろう。果たして、人並みに歌うようになれるのだろうか。それを知るには過去を振り返る必要がある。過去から未来を占うのだ

小学校の学芸会では先生から口パクを強制された。その時は歌わないですむなら、練習もしなくていいと喜んだ。つまり音痴の自覚はなかった。授業は嫌いでも流行歌を子供どうしで歌って楽しんでいた。のど自慢全盛の時代で唱歌より流行歌だった。

カラオケなんかやったことないのに、40歳近くなって半強制的に舞台に引っ張り上げられた。その気になって歌ったら、酔っ払いに絡まれた。「お前は音痴だから頼まれても断れ。絶対に歌うな」と、同じことを3時間も言い続けた。へべれけになっているから、これを延々と繰り返すのだ。歌が大好きな私だが、ここまで言われれば歌う気がしなくなる。

ところが、65歳になったら偶然に導かれてカラオケを始めることになった。まさに意外な展開である。2005年の春だった。私は依然として音痴のままだが、まわりの雰囲気が温かかく、楽しいと感じた。自分が楽しければいいじゃない、と言われれば、そんな気がする。健康にいいと聞くと、それもそうだと思う

それから5年たち、70歳に近づいた頃、道新に「好きになったカラオケ」執筆、北海道新聞のコラム朝の食卓に、そのようなタイトルで書いた。音痴でカラオケについて書く人は居ないと思う。恥ずかしながらやってしまった。今考えると何となく音痴と思っていただけなのだ。幼児のように無邪気に歌っていた。年を重ねるだけでは人間が出来たりしない。馬鹿は死ななきゃ直らない。

更に5年、後期高齢者となる。事もあろうに洋楽カラオケ会に参加した。音痴で外国語も出来ないのにね。英語で歌うことは子供のころからの夢だった。夢だから実現はしないとは思うが、試してみたかった。やっぱりダメだったが、会の雰囲気がいいから、もう少し試そうと思っている。もう少し、もう少しでもう4年たった。

2018年4月1日、エイプリルフールにユニークなブログ、「オンチのカラオケ」を開設した。そして1年半になろうとしているが、「音痴なのにガンバってエライね」と褒められたことがない。

音痴は生まれつきだから直らないが、丸出しはいけない。「丸出しにして何が悪い」と胸を張って言えないものが他にもあるよね。その場合も隠そうとして見えてしまうのなら許される。隠してもあるモノはあるが、できるだけ隠すのがナマーと思う。
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2019年09月07日

「好きだった」かな?

人は好きだが付き合いは苦手だ。思い返せば歌は人、必ず人との思い出と繋がっている。歌は世につれ世は人につれ。

大勢の少年が大きな部屋に住み込んで働いていた。白鳥春樹君は私と同じ18歳、就職して3年、ようやく遊ぶ余裕が出来た頃だ。プライバシーなど無い。やってることは皆分かる。春樹はダンスばかりしていた。歌って踊るのが大好きだ。彼が大勢の前で一人で歌うときは鶴田浩二の「好きだった」を歌う。

そして、私の顔を正面から見ながら「俺、いい男だろう。鶴田浩二にそっくりだろう」と言う。しかし全然似ていない。どちらかと言うとキリギリスかバッタに似ている。それがダンスホールに行くと、ビシッとお洒落して格好よく踊るから不思議だ。

春樹は朝は歯磨き貸してくれと言い、夕方は靴墨貸してくれと言うが返してくれたことはない。給料は皆同じようなものだが、遊ぶのに遣い過ぎて万年金欠病だ。ある日、「お前をイカス男にしたい。一緒に服を買いに行かないか」と誘われた。

18歳の私は春樹のように格好よくなりたいと思っていたので、渡りに船だ。洋服店でブレザーとズボンを選んでもらい、部屋に帰って着ると春樹は「オ〜!イカスイカス」と言った。

実は二人で部屋を借りていた。売春防止法の影響で廃業した元遊郭なので洒落ていて家賃が安かった。普通の人は敬遠しても私たちは気にしない。職場は間借りを禁止していた。どこを借りようと見つかってはいけない。むしろ隠れ家として最適だ。

新しい服を着て気分良くしていたら、春樹は「何か足りないな〜」と言った、今は秋、私もそんな気がした。春樹が格好良く着こなしている薄いブルーのトレンチコートが目に入った。「気に入ったんなら着ていいよ」と言ってくれた。

それを着て二人で街に行った。踊って飲んで部屋に帰ると。「コート気に入った?」と聞かれた。気に入ってはいたが後になって考えると、私には派手なような気がした。しかし、そのときは春樹のよううに格好よく見えるかなと錯覚していた。

「新しいコート買うから、それで好ければ安く譲ってやるよ」と言われ、喜んで買った。新品の半値くらいと思う。少し得した気分だ。ところが、ある日「デートするので、あのコート貸してくれ」と言われた。あれっ!新しいコート買ってないんだ?

そう言えば、歯磨粉も靴墨も、その他諸々、貸してくれと言われたが、持っていなかったのだろう。服を選んでくれてから、トレンチコートを売るまで、全ては彼が描いたシナリオかな? 疑惑だらけの春樹だが、何故か金魚の糞のように付いて歩いて遊んでいた。遊びたいのに遊べない。昔も今も変わらない。

鶴田浩二の「好きだった」を書くつもりだったが、何故か春樹の話になってしまった。好きだったのか、そうでもなかったのか、よく分からない不思議な人。性格の違いが魅力だったかもしれない。器用に遊べない自分はつまらない人と思っていたからね。

好きだった 作詞:宮川哲夫 作曲:吉田正
唄:鶴田浩二  1956年の発売
好きだった 好きだった
嘘じゃなかった 好きだった
で始まり、
せめて恨まず いておくれ
逢えるあしたは ないけれど
で終わる切ない歌。
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2019年08月31日

勘違いのユード・ビー

音痴だから音楽については語れない。初めて読む方もおられるかも知れないので、繰り返し書いている。とにかく腹の中は音楽のことでいっぱいだ。漏れそうなので書いている。話すのは電車の中で漏らすようなものだが、書くのは太平洋の真ん中で漏らすのと同じ。だから話してはいけない、書くのはかろうじてセーフ。

1943年にコール・ポーターが作詞作曲した名曲、「You’d Be So Nice To Come Home To」はカタカナで書くと長すぎるので、ここではユード・ビーと省略して書くことにした。歌はハスキー・ヴォイスのヘレン・メリルだが、クリフォード・ブラウンのトランペット・ソロも素晴らしい。

ところで、小・中学生の頃は洋画が大好きで、渋谷のテアトルSSに通っていた。古い洋画を40円で観れるのだ。少なくとも百本以上は観た筈だが殆ど覚えていない。しかしユード・ビーのお陰でコール・ポーターの自伝映画「夜も昼も」を思い出した。なぜか戦地でピアノを演奏するシーンが浮かんできた。

真偽のほどは不明だが、映画でのコール・ポーターはフランス外人部隊として参戦したことになっている。これで何とか私の記憶と繋がった。私にとってはユード・ビーも懐メロだが、古い歌は忘れたことを思い出させてくれるので有難い。

ユード・ビーは第二次世界大戦という時代背景を抜きにしては語れない。私が特に好きなのは次のフレーズだ。
Under stars chilled by the winter
Under an August moon burnin'above

このフレーズを聴くたびに、戦場で戦う兵士の姿が目に浮かぶ。寒いだろう、暑いだろう、怖いだろう、故郷に帰りたいだろうとか考えてしまう。ところがこれが大間違い。音痴は歌だけでなく英語へと範囲は限りなく広がっている。

私の考えを確認するために、ネットで検索していたら、ユード・ビーの正確な和訳にたどりついた。以下は、"You'd be so nice to come home to 歌詞 正確な和訳 高知学芸塾"、ジャズの世界へご招待より引用。

『映画の中で男性がこの歌を歌いながら女性を口説いているシーンで使われたのをヘレンメリルが歌ってヒットしたのです。この詩はもとは男が、「君キャワイイねえ!君最高!君は理想の人だ!君は天国だ!」とべた褒めしている歌なんです』。女性を口説いている歌とは知らなかった。愚かにも勘違いして感動!

興味がございましたら、"You'd be so nice to come home to 歌詞 正確な和訳 高知学芸塾"で検索して、参照元にアクセスしてみてください。私には難しかった。

   <<お知らせ>>
道新「さっぽろ10区」に「中島公園便り」執筆
管理人は北海道新聞「さっぽろ10区(トーク)」に連載される、
「中島公園便り」を担当することになりました。
「さっぽろ10区」は毎週火・金に配達されます。
1ヶ月半に一度、1年で8回書く予定です。
初回掲載は9月3日(火)です。是非お読み下さい。sinnbunnmei2.jpg

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2019年08月24日

「悲しき雨音」に再会

私は音痴だから歌とか音楽そのものついては語れない。ただ、歌にまつわるいろいろな思い出がある。例えば、「あじさいの雨」を歌えば、大昔、こいさんと呼ばれた年上のAさんを思い出す。同じように「くちなしの花」なら"遺稿くちなしの花"の宅島徳光海軍中尉を思い出す。私にとって歌は思い出、懐メロが全てだ。

ザ・カスケーズの「悲しき雨音」を聴けば思い出すのはプランタンデパートである。プランタンは1980年代に副都心を目指す新さっぽろに華やかにオープンした。その近くを歩いていると、アップテンポな素晴らしい音楽が聞こえて来た。その頃私は40歳を過ぎた中年だったが、若者向きの曲が好きだった。

「悲しき雨音」が発売された頃、私は22歳だがタイトルもザ・カスケーズも知らなかった。流行った曲なのでメロディーは、どかかで耳に入っていたのだと思う。青空の下でのコンボバンドの演奏が凄く素晴らしく感じた。その曲のタイトルを知りたくなったが、そのことは直ぐに忘れてしまった。

それから35年後に後期高齢者になった。所属のシニア団体に洋楽のカラオケ会ができた。何も歌えないのに参加したくなった。ともかく歌える歌が無いのでCDやネットで探していたら、プランタンの前で聞いた、あのメロディーに出会った。そして、青空の下で聞いた素晴らしい曲が「悲しき雨音」とのタイトルであることを初めて知ったのだ。青空の様な明るい歌と思っていたが雨だった。

洋楽を歌うのは初めて、しかも音痴で英語も苦手、音感が鈍いから発音も悪い。なんとか私でも歌えそうな易しい曲はないかと、一生懸命探したが見つからなかった。それなら好きな曲でも歌うかと思い、「悲しき雨音」がその一つとなった。その他「ローハイド」「16トン」「ロック・アラウンド・ザ・クロック」。並べてみると自分でも変だと思う、似合わない曲ばかりだ。

私は「心身異質障害者」、性同一性障害と同様に世間では理解されにくい。ハゲの短足老人という外見なのに、心の中はロマンチックな想いで溢れている。歌えば本人は幸せでも周囲を不快にする困り者。しかし、不治の病なので治せない。結局、周りに慣れてもらうのが唯一の解決策である。こんな調子では知らぬ場所では歌えないので、慣れた場所で歌わせてもらっている。

私にとって「悲しき雨音」は珍しい歌。チョコっと聞いてタイトルも分からないのに好きになった。街中で出会って一目惚れ、それから35年もたって曲名を知った。長い間の潜在的願いが突然叶ったのである。ところで"心身異質障害"とは、自分を正当化するための造語だからGoogleで検索すると次のように表示される。
"心身異質障害"との一致はありません。
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2019年08月17日

恥は無限の資源

私は人間だから人間とは何だろうと考える。日本人だから日本人とは何だろうとも考える。ここまでは当然だが、音痴とは何かについても考えている。ここが少しおかしいかも知れない。

人間も日本人も簡単には辞められないが、音痴はカラオケ止めれば済むことだ。悩むことも考える必要もない。だけど悩み考えながら楽しんでいる。ところで新婚のインタビューで奥さんのどこが好きですかとか聞かれて、全てですとか答える夫がいる。

カラオケのどこが好きだか誰も聞いてくれないが、もし聞かれれば「全てです」としか言いようがない。音痴だから何処が好きだか分からないのだ。それなのに面白がってやっている。私の人生、全てそうだった。出来ないくせに、いろいろ手を付けた。

何十年前か忘れたが、パチンコばかりしている時期もあった。玉を一つずつ入れる時代だった。不器用だから素早く入れることはできないが一生懸命やっていた。必勝法を自分なりに研究して実行した。確か1台に付き定量が4千円の時代だったと思う。

1台で儲けられる限度が定量だが、それで満足し二台目に挑戦したことがない。定量まで玉が出なければ閉店までねばった。「蛍の光」の曲が店内に流れると、店中回って玉を多く出している台を探してメモした。翌朝は開店と同時に入って、作成した「出玉メモ」を参考にして実績のある台を選んだ。こんな方法では損はしないが、時間ばかり食われる。バカバカしくなって止めた。

パチンコより株の方が面白いと思った。しかし私のやり方では損はしないけれど、儲かりもしない。安く買って高くなったら売る、それの繰り返しだから単純でいい。しかし高くならない株は持っているより仕方がない。当然塩漬け状態の手持ち株が増える。全ての塩漬け株を損切という形で処分したら、小遣い銭程度のプラスにしかならなかった。労多くして益少ない。結論として私には向かないと思った。

パチンコ3年、株8年、一生懸命のときは何故か楽しい。損することを恐れてビクビクやるようになると、次第に厭きてきた。何をやっても一か八かの勝負を避けて、単なる時間つぶしにしてしまう。我ながらつまらない性格である。

カラオケは損する恐れがないから、恥ずかしながら楽しんでいる。恥はかき捨てで無限の資源かも知れない。プラスチックみたいに環境を破壊したりしない。知らずに迷惑をかけてるかなと、振り返っても、そこにはただ風が吹いているだけである。
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2019年08月10日

誰か「波止場のママ」を知らないか

1958年、私が18歳のとき、音痴は大したことではなかった。カラオケがないから、庶民は自分流で勝手に歌うことが許されていた。よく友人同士で気晴らしに歌った。上手な人は感心されるが、下手でも気にすることもなく一緒に楽しんだ。それぞれが勝手に歌って何の問題もなかった。楽しかったなぁ。

私たち10代の有職少年は、自由時間に友達同士で同じ歌を歌って楽しんだ。その時の一番人気は「波止場のママ」、”こんな酒場の片隅で♪”で始まる曲だった。少年たちの憧れは外国に繋がる海、そして波止場のママ、そんな時代があったのだ。

職場は男ばかりで女性との接点は食堂とか売店でしかない。とても愛想の好い売店の少女をデートに誘ったら断られた。こんな状況では女性と話したければ酒場に行くしかない。そこには「男でしょ貴方は海の男でしょ」と励ましてくれるママが居る。酒場では海の男の気分になって、景気よく飲んで売店の少女を忘れた。懐は寒くなったけれど、酔って心は温かくなる。

次に洗濯屋の少女に思いを寄せたが振り向いてもくれなかった。こんな時は酒場のママに会いたくなる。「うぶなのね貴方はわりとうぶなのね」と、優しい言葉をかけてくれる。そして雪国と言う素敵なカクテルを作るから飲んで忘れなさいと言ってくれた。カクテルは高かった、何時も飲んでいるトリスの十倍もした。

退屈したのでママの顔を見に行った。今度は振られた話はしない。ジッとママの顔を見つめていたら、ママはつぶやいた「つもる苦労を白粉に 隠す私じゃもう駄目ね」。海の男の気分でママを励ました。「生きなくちゃ貴方は強く生きなくちゃ」。

その夜、ママは珍しく酔っていいた。「アタシのどこが嫌なんだ。生きようと死のうとアタシの勝手だ」とか何回も同じことを言っては絡んできた。酔っていても勘定は正確、トリスのストレート、シングル1杯とハイボール2杯で340円。今までで一番安かった。

波止場のママ 唄:鶴美幸 作詞:森くにのり 作曲:下川博省 
1957年4月発売
1. こんな酒場の片隅で 寝てるふりして泣くなんて 男でしょ貴方は海の男でしょ 浮気な女の名なりとも波止場のママに聞かせてね
2. 捨てて気取ったその手紙 しわを伸ばしてどうするの うぶなのね貴方はわりとうぶなのね 昔の誰かを見るようで 波止場のママも泣けてきた
3. つもる苦労を白粉に 隠す私じゃもう駄目ね 生きなくちゃ貴方は強く生きなくちゃ 呑むのはいいけどぐれるのが 波止場のママはこわいのよ

どこのカラオケ店にもない。探し探し続けても未だに見つからない「波止場のママ」。誰か波止場のママを知らないか。
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2019年08月03日

同じくらい楽しい

人間の身体能力は人体の設計図と言われているDNAで決まっているそうだ。なるほど、私が音痴なのも遠い昔、未知の誰かさんが書いた設計図のせいなのだ。

人間の持つ潜在能力はとてつもなく大きいそうだ。ならば何をやっても人並みに出来ない私は、潜在能力が隠れたまま出てこないのだ。なるほど、奥ゆかしい性格が邪魔しているのだな。結構じゃあないか。図々しいのはのは大嫌いだ。

遺伝子の機能は、電灯のスイッチのように、点けたり消したり出来るそうだ。なるほど、生きる為の最低限の機能が全部オンになっているので78歳まで生きてこれたのだ。音楽機能がオフになっていたからと言ってモンクを言えた義理ではない。私の知らない遠い昔の設計者に感謝すべきである。

私は何もかも最低限のことしか出来ないヒトとして設計され、造られている。スポーツ、ゲーム、音楽を含むアートのスイッチが、全てオフになっているのだ。生かしてはくれるが、楽しめないように設計されているのである。ならば意地でも楽しんでやろう。

なんて思う訳がない。そういう類のスイッチは全てオフなのだ。ひたすら生きるように設計されている。この年になってみると、とても有り難い。これからも書いて歌って、無理して楽しむつもりだ。

書くは文学、歌うは音楽、アートのスイッチは全てオフ、私は無理して楽しまなければ楽しめない人間なのだ。こんなことは意識しないで無邪気に楽しめればいいのだが、そうは行かない。私は自分を外から見れるように設計されているからである。

自分を客観的に観察するスイッチは全てオンになっている。書いている自分が、書かれている自分を笑っている。こんな人生も味があり面白い。究極の自己満足だが、それだけではない。いつか花開くことを夢見ている。宝くじで三億円当たるくらいの確率で実現できる夢、宝くじと同じくらい楽しいよ。
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2019年07月27日

懐メロ:ライフルと愛馬

ハイヌーンは「真昼の決闘」、ローハイドは「ローハイド」、それぞれ歌を聴けば映画のタイトルが分かる。しかし「ライフルと愛馬」を聴いてもバンバン撃ちまくる西部劇「リオ・ブラボー」を連想できない。この歌からは恋人を思いながらライフルと馬だけを頼りに、夕暮れの荒野を行くカウボーイの姿が見えるだけである。

60年も前のことだが「リオ・ブラボー」を観に行った。しかし、内容は全く覚えていない。もちろん「ライフルと愛馬」が歌われたことも忘れた。と言うか、最初から頭に入っていなかったのである。

切符売りの少女に観賞を妨げられたのだ。「リオ・ブラボー」が封切になったころは、家業の手伝いをしていたが、仕事がなくて列車の清掃に行ったりしていた。それも時々だから懐は寒い。その日はポケットに百円玉と50円玉を一つずつ持って家をでた。

薄汚れたジャンパーに作業ズボンと言う、貧乏丸出しの格好で渋谷駅近くの映画館に行った。百円の入場料を払って観客席に向かって歩いていたら、後ろから走ってくる気配を感じた。まさか私を追って来たとは思わない。映画は始まっているので自然に足早となる。ところが突然腕をとられた。切符売りの少女が料金不足の容疑で私を捕まえに来たのである。

突然のことでビックリした。少女は「50円しか払わなかったでしょ」と、血相変えて腕を取って離さない。驚きながらも、そうかな〜と思いながら確認のためポケットに手を入れて硬貨を出して見た。50円だから、百円払ったことに間違いない。

そのことを言う間もなく、少女は私の手から50円玉を取り上げた。余りにも手早かったので驚いた。呆気に取られているうちに去って行った。まるで強盗に遭ったような気分だ。先手必勝、理不尽にも私は「50円誤魔化し少年」になってしまった。

映画館の少女に、その日の全財産を取られた。悔しくてたまらない。せっかく楽しみにしていたリオ・ブラボーだが、椅子に座って悔しがっていただけだ。事件は私が50円取られた時点で終わっている。何も言えない状態に陥ったことに気づいた。

そんな古いことをよく覚えていると呆れているかもしれない。思い出すには訳がある。洋楽カラオケ会に参加したものの歌える曲がない。「ライフルと愛馬」を聞いたとき、これならユックリしていて歌えるかも知れないと思った。こんなことっが切っ掛けで、この歌が「リオ・ブラボー」の中で歌われていることを知ったのである。

タイトルだけしか記憶にない映画を今になって観たくなった。さっそくビデオレンタルで借りた。映画の中で印象的なシーンはディーン・マーチンが「ライフルと愛馬」を寝転んで歌う姿。そしてリッキー・ネルソンの軽やかな「お帰りシンディ」へと続く。

音痴だから真の歌好きにはなれないのかも知れない。そのせいか懐メロが大好きだ。歌っていると歌にまつわる色々なことを思い出す。不幸な出来事もあるが、決して嫌ではない。すべてが懐かしい。懐かしさでメロメロになるから懐メロと言うのかな。
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2019年07月20日

空気を読む

身も心もスッカラカンで頭も空っぽだ。新聞を読み、テレビやネットから情報を得ると、空っぽの頭の中にストンと落ちて来る。先日は珍しく本を読んだら空気という二文字が落ちて来た。

人は空気の支配下にある。もし空気が無ければ5分もすれば死ぬだろう。最近は食事中に飲み込み所を間違えて、呼吸が出来なくなることがある。1分くらいと思うが凄く長く感じる。以前は咽ても咳き込んでお仕舞だが、最近は息が詰まるのだ。空気はあっても肺に入らなければ無いのと同じだ。苦しいよ。

ところで本で読んだのは、空気のもう一つの意味だった。即ち「人々の気持を支配するようなその場の情況。雰囲気」である。空気は読まなければならないと思う。そして忖度する。そうすれば空気を吸い込んで楽しく生きることが出来る。社会的にね。

音痴なのにカラオケクラブで歌っている。字が読めないのに同人誌に投稿しているようなものだ。「同人誌とは、あらゆる人達の如何なる表現も許される、自費制作の雑誌」だそうだ。ここにも下手でも参加できるものがあった。私にとっては新発見である。

カラオケ会に参加するようになって14年もたった。しかし、自分が真の音痴と気づいたのは3年まえのことである。苦節3年と言うところだ。それまでは何も知らすに無邪気に楽しんでいた。これも老人の生き方の一つだから否定する気はない。しかし気づいた以上は、そのままでは詰まらない。

カラオケクラブの人たちには心から感謝している。実は自分の立場に気付いてから3年。常に空気を読むセンサーを働かしている。いくら読んでも、「お前は来るな」とは読めない。センサーが老朽化したようだ。言い換えれば老人力がついたのである。

何はともあれ、皆さんのお陰で喜んで参加して楽しんでいる。人間も動物だからピーチクパーチク鳴いている小鳥と一緒、歌うことを嫌う人は居ない。音痴の私が言うのだから本当だよ。だから私を楽しく歌わせてくれる皆さんに感謝している。

音痴は人並みに歌えるようにはなれないが、幸い来年には80歳になれる。気分的にハードルが一段下がった感じだ。80歳で人並み歌えるようになるつもりだ。もちろん80代としてね。
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2019年07月13日

悲しき少年兵

英語の苦手な私でも歌いながら情景が浮かんでくることもある。それはジョニー・ディアフィールドが歌う「悲しき少年兵」。もちろん自分なりに分かるだけ。ひょっとして誤解しているかも知れない。それなのに書きたくなるから困ったものだ。

ジャックは17歳になったら海兵隊を志願することに決め、同級生たちの前で決意表明をした。
「お前たちは学校で歴史を学べ。俺は海兵隊で歴史を作る」
「V国の自由と民主主義を守るために行くのね。素敵だわ」
とベティイはつぶやいた。歌詞にはないが、命を賭けた仕事に就く以上、それなりの動機付けが必要と思う。それで勝手に付け加えさせてもらった。

歌詞の1番、アメリカ西海岸の軍港
海には航空母艦、巡洋艦、駆逐艦が浮かぶ。しかし、この日の主役は戦地V国に向かう海兵隊である。軍楽隊が演奏する「海兵隊賛歌」をバックに行進する隊員の中には胸を張って歩く、あの少年がいた。肩をいからす海兵隊式である。誇り高きマリンコ(Marine Corps)になったのだ。

見送りの人々の歓声の中から、あの少女の声が聞こえてきた。「愛しい人よ、さようなら」。少年に聞こえるささやくような少女の声。軍楽隊の演奏は「錨を上げて」に変わり、船は出航した。

歌詞の2番、太平洋
出航して1時間たった。一人でデッキに出てみると、空は青く雲は白く海は静かだ。ふと我に返ると、少女のことが心配になってきた。離れていたら心変わりをするのではないか?

少女の写真を見ながら涙がホロリ、一人で泣いていた。何故か、港で聞いたささやく様な少女の声が聞こえて来る。「愛しい人よ、さようなら」。繰り返し聞こえて来る。

歌詞の3番 帰港
戦場に正義はなく、ただ破壊するだけだけだった。国に帰ったら、奨学金をもらって大学に行き、卒業したら職を得て、あの少女と結婚すると言う夢を描いていた。アメリカでは若者が軍に志願する理由のトップは「奨学金」と「医療保険」だそうだ。

船は入港し、港は出迎えの人々で溢れていた。群衆の中に少女が居ないか一生懸命探したが見つからない。夢は夢、やっぱりそうかと思った。戦地では裏切りと混乱は嫌と言うほど見て来た。少年の心は既に中年男の様になっていた。心変わりなんて、あって当たり前と諦めていたのである。

「さて、衣納を担いで田舎に帰るか。大学は止めてカウボーイになろう」。このまま書き続けていると三千頭の牛を連れてミズーリまで行く話になりそうだ。切りがないので、これでお仕舞。

書いているうちに空想の部分が次第に大きく膨らんできた。空想をしていると楽しいし、金もかからない。しかも私は時間のブルジョア、時間なんか使いきれないほど持っている。今はね。

Lonely Soldier Boy 歌:Johnny Deerfiled
1961年日本で大ヒット、アメリカでは話題にもならなかったそうだ。ストーリーが分かり易く、歌っていると英語が分かるような気がしてくるので有難い。錯覚とは思うけど……。
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2019年07月06日

ビミョーに楽しい

運の悪い人が、たまたま上手く行くと、それが成功体験として心に深く刻み込まれる。例えば、パチンコで大儲けする。それがキッカケとなり、のめり込んで全財産を失ったりする。当てた体験が、負けが込んでも次こそ当たると思わせるのだ。

うだつの上がらない人でも、長く生きていると一つぐらいは成功体験がある。私にとっては北海道新聞コラム「朝の食卓」の執筆依頼がそんな感じだ。20人の執筆者の一人として2年間書かせてもらった。ろくな文章も書けないウェブサイト管理人としては、パチンコの大当たり以上に感じる成功体験となった。

こんな幸運は一生に一回つけば充分なのに欲が出た。愚かな私は何かありそうな予感がしたのである。ユニークな人として推薦されたのだから2回目がある筈がないのにね。

いろいろやってみたが全て失敗した。しかしパチンコの大当たりでなくて好かった。ただ駄文を書いてはアップしているだけだから貯金を失うこともない。と言っても、世間を賑わせている2千万円には足りないから、老後(中)の不安に少しだけ怯えている。

10年間に渡る試みは全て失敗した。そして最後の賭けに出たのが、この「音痴のカラオケ」である。自己満足の暇つぶしとして、未だに続いている。少数でも読んでくれる人がいる限り、やる気満々。情け深い読者に感謝している。

私は極めて性能の悪い車みたいなものだ。ガソリンがないと動けない。誰かが読んでくれるかも知れない、と言う思いを燃料にしてノロノロ動く車なのだ。はたから見れば止まっているように見えても、私には微妙な動きが分かるから楽しめる。

書くことはビミョー、物足りなくもなくビミョーに楽しい。充実感さえ、あるような気もする。ワクワクもしないし、ドキドキもしないけれど面白い。ゆっくりとした静かな暮らしがとても心地よい。
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