2020年01月25日

羽田発7時50分 そして北へ!

意外にもこの歌は10代の女性に人気があるらしい。カラオケに詳しいAさんの情報によると、フランク永井の歌う「羽田発7時50分」をよく歌う人は60歳以上の高齢者。およそ70%はそうだが、細かく分けて女性だけに限ると20%が10代と言う。意外な結果に喜んだりビックリしたりした。ご自身が生まれた半世紀以上も前の歌が好きとは。まさに名曲扱いである。

ひょっとしてお爺ちゃん対策かもしれない。気分をよくさせてお年玉の増額を狙うとか。しかし、それだったら他にもっと簡単な方法がある筈だ。陳腐な例で恐縮だが肩を叩くとか揉むとかね。殆ど聴いたことのない歌を覚えるのは大変なことだ。好きでなければ出来ないことである。

そう思うのは私が音痴だからだろう。普通は2,3回聞けば覚えるそうだ。私の百分の1、か千分の1程度の労力で歌えるようになるらしい。普通の子供にとっては案外簡単なのかも知れない。いずれにしろ私の知らない世界のことである。

ところで羽田はとても懐かしい。中卒以来8年間も職を転々として漸く就いた定職だから思い入れも人一倍だ。そこには懐かしい思い出がある。航空管制官になるために運輸省航空保安職員訓練所に入所した。先ず、新規採用者の氏名を呼ばれたが、私は最後に呼ばれた。多分、採用したい順だと思う。それでも何とか採用されたのは運がついていたからだ。

研修が終わり終了式のときは、トップで呼ばれた。多分成績順と思う。私は暗記が得意だが、仕事やゲームや運動で大切な頭の回転が人並み外れて悪い。迅速確実に実行しなければならない仕事には向いていないノロマでなのだ。

コンピュータに例えると、演算機能が極めて悪く記憶機能だけの頭なのだ。だから、覚えるのも遅いし忘れるのも遅い。職を転々とした私は自分の弱点をよく知っている。下積みの仕事の訓練とはマニュアルを暗記すること。だから私は訓練中は出来る人だが、現場に行くと途端に出来ない人になってしまうのだ。

訓練所の寮には羽田の管制官も入っている。お風呂では一緒になるが、仲間同士で「出来ないヤツが来たら追い出してやる。訓練所の成績がよくても駄目なヤツが多いんだよ」とか、大声で話している。まるで自分が言われているような気がした。自信のない人は来ない方が良いと知らせてくれたのかも知れない。

この一言で目が覚めた。羽田とか忙しい空港には絶対に行ってはならないと考えた。やっとありついた定職だから定年まで勤めたい。どこの空港が一番私に優しいか調べたら、結論として新設して間もない帯広空港がいいと考えた。そして北へ!
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2020年01月18日

音痴のまま楽しもう!

先ず、短いエピソードを紹介する。ある日、P子はピアノとICレコーダーを買ってきた。そして、部屋を閉め切ってピアノに耳を押し付けて、ドレミファソラシドとか歌っている。何か録音しているようだ。真剣な面持ちだ。思い切って聞くと、音痴を直しているのだと言った。私は困ったことになったと思った。認知症!?

話は変わるが、音痴の克服法を勉強して1年と9ヶ月たった。やっぱり音痴を直すのは無理のようだ。復習すると、音痴には運動性(のど音痴)と感受性(耳音痴)の二種類がある。簡単にいうと、のど音痴は音感はあるので簡単に直るのに対し、耳音痴は先天的だから矯正は極めて困難。そして私は耳音痴なのだ。

のど音痴を直す方法はごまんとある。そして直した人もごまんといる。問題は耳音痴の場合である。苦節1年と9ヶ月、私はついに耳音痴克服法を発見した。これで全て解決と思ったが……。

頂上に登ったつもりが、そこは崖っぷちだった。克服法を見つけたものの実行は不可能! 今年80になる私が、落下傘で敵地に降りて戦う、空挺隊の猛訓練を受けるようなものだ。

耳音痴は音程が取れない。つまり、自分の歌う音を想像できないのだ。目をつぶって階段を上り下りするのと同じだから、階段を踏み外すように、音程を踏み外す。次の音が想像できないまま音を出すから音程を踏み外すのだそうだ。想像できないことを想像できるようにするのは、至難の業である。

自分の声を録音して聴くと違和感を覚える。人の声は気道音で耳に伝わり、自分の声は骨導音で聞こえる。易しく言うと、人の声は空気を介して伝わり、自分の声は骨から伝わってくるのかな。音痴の勉強もこの辺りから難しくなって来た。諦めようかな?

音痴を直すことは殆ど諦めた。冒頭のエピソードはP子と私と入れ替えて読めば、現実の私が見えてくる。凝り性の私もそこまでやりたいとは思わない。一日中、部屋にこもり、ピアノとICレコーダーの前で音比べをしている私を見たら、P子の我慢も限界を超えるだろう。長年の夢だったノンビリした静かな暮らしはお仕舞となる。それでは生きる楽しみがない。止めた止めた。

やはり「音痴のカラオケ そのまま楽しもう!」とのタイトルは、このブログにピッタリだ。考えてみれば音痴は楽しい、歌って楽しい、書いて愉しい。音楽のことは、その道の専門家か、音痴にしか書けないのである。威張ってヾ(^-^;) ゴメン
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2020年01月11日

啄木と「錆びたナイフ」

音痴だから音楽については語らない。毎回カラオケ会に出ている人が、音楽について語れば上手い人と思われるだろう。そして私の歌を聴きたくてカラオケ会に来るかもしれない。それが恐ろしいから語れない。黙っていて腹に溜まった、ホンの一部をここに書き出している。こっそりと屁をするようにねヾ(^-^;) ゴメン

音痴のオッサンが「錆びたナイフ」を歌うシーンが一種のギャグになっている時代があった。オッサンが抑揚のないのっぺりした感じで歌うのが何となく可笑しいので笑ってしまった。考えてみればよそ事ではない、そのオッサンの30年後の姿こそ私なのだ。「錆びたナイフ」は易しいようで難しい歌だ。

この歌は意外に奥が深いから大好きだ。第一に映画が好かった。若さ溢れる石原裕次郎と小林旭の共演。しかも原作は兄の石原慎太郎が、裕次郎の主演を前提に書いたものである。従って裕次郎の魅力がたっぷり味わえる映画になっている。

おまけに、裕次郎が歌った主題歌「錆びたナイフ」(作詞:萩原四朗、作曲:上原賢六)は、184万枚を売り上げる大ヒットとなってしまった。しかも歌詞は意外なことに、石川啄木の短歌を再構成したものと言われている。

ここにホンの一部分を紹介。
石原裕次郎「錆びたナイフ」では、
砂山の 砂を 指で掘ってたら まっかに錆びた 
ジャックナイフが 出て来たよ
となっている。

一方、石川啄木の「一握の砂」では、
いたく錆びし ピストル出でぬ 砂山の 砂を指もて 掘りてありしに
と歌っている。

これに続く十首の短歌が一連のドラマを構成している。作詞者が錆びたピストルを、錆びたナイフと言い換えたそうだ。

今考えると錆びたピストルはリアリティ欠けるかも知れないが、明治時代は現代ほど銃の管理が厳しいとも思えない。終戦直後も警察の目が届かない感じがあった。私も見知らぬ男に、珍しいものを見せてやると言われて、拳銃を見せられた記憶がある。念のため申し添えるが、その時代に精巧なモデルガンなどない。

B級映画と思われがちな日活無国籍アクションだが、「錆びたナイフ」はとても好かったし。歌詞も石川啄木の影響を受けてると知って興味津々、その主題歌をますます好きになってしまった。
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2020年01月04日

去年音痴と気づいた

自分が音痴と分かるのに70年以上ももかかってしまった。先ず幼児の時、歌うと大人が「調子はずれだね〜」と楽しそうに笑ったが、褒められたと思い調子に乗って歌い続けた。小学校の学芸会ではクラス別合唱の時には先生から口パクを要求されたが、大人の歌が好きで子供の歌などに興味なかったので、歌わなくてよいことを喜んだ。

中学では通知表の成績で音楽が最低評価の「1」だった。評価が最高から最低まであるのは、学校で私一人と聞いて得意になっていた。音楽の「1」を勲章のように感じていたのだ。

17歳のとき同じ年の友人がバイオリンを習うと言うので、ピアノを習うことにした。1年たったら友人は何とかなったが、私はバイエル(初心者教材)半ばだった。ピアノを持っていないからダメだったと思った。歌が下手なことは分かっているので楽器をいろいろ買ってやってみた。何一つモノにはならなかった。

40歳の時、カラオケで歌うように強要され、初めてのカラオケ体験をした。その後、酔っぱらった同僚に「お前は下手なくせにどうして歌うんだ」とシツコク絡まれてカラオケ嫌いになった。彼は人を苛めて喜ぶ人ではない。酔って理性を失い、心ならずも本当のことを口走ってしまったのだ。普段は親切で優しい人である。

65歳のとき偶然に導かれてカラオケを始めた。そのころのカラオケ会は酒を飲みながらだったので、酔った勢いで10年も歌い続けた。75歳で初めての洋楽カラオケに挑戦、散々だったが初めてだから当たり前と思っていた。それでも音痴とは何かを勉強したら、音痴かな? と自分を疑った。

それから3年、何とか伴奏に合わせてと言うか、色の変化について行けるようになった。さあ、これからは歌らしくしないとね、と思った。その第一歩として、自分の歌を録音して聴いてみた。

これだけは勧められてもやるまいと思っていた。言うまでもなく聴いたらガッカリして、カラオケを止めたくなるだろうと予想したからだ。予想をはるかに下回る結果に、ガッカリ以上のショックだったが、不思議なことに頑張ろうと思った。

音痴の勉強で分かったことは音痴には運動性と感受性の二種類がある。私は間違いなく感受性と判断した。つまり先天的だから直らないのだ。少しでも直れば大したものだと思うようになった。

新しい目標が出来た。1年前の自分より上手くなることである。ちなみに運動性音痴は音感はあるので、訓練すれば直ぐに歌えるようになる。羨ましいけど、私には困った時には、助けてくれる運がついている。こちらの方が有難い。
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2019年12月28日

ダイナマイトが150トン

小心者の私にとっては、意地と度胸の世界は夢。せめて3分間だけ現実を忘れたい。「ダイナマイトが150トン」の柄ではないが、歌えば楽しい。独りよがりで申し訳ないヾ(^-^;) ゴメン

12月18日はシニアネット・カラオケクラブの忘年会、いつもと違って酒が出た。その勢いで歌った。ダイナマイトがヨ〜、ダイナマイトが150トン、チクショウ、恥なんて、ぶっ飛ばせ!

1958年11月にダイナマイトが150トンが発表。それから20年以上たった1981年、甲斐バンドで歌われた。歌詞の一部は著作者の承諾を得て、ロックミュージシャン:甲斐よしひろにより改変。更に10年後、THE BLUE HARTSの真島昌利がカバーした。

小林旭:異色のロックは、今なお若い世代に受け継げられている。浮き沈みはあるが半世紀も人気を保っている。名曲中の迷曲なのに、なぜかカラオケクラブでは歌われてない。私の夢はカラオケクラブ全員で声をそろえて歌うこと。50歳は若返る!?

ダイナマイトの3番は次のように勇ましい。
命もかけりゃ 意地も張る 男と男の約束だ いくぜ兄弟 カンシャク玉だ ダイナマイトがヨー ダイナマイトが150トン…… …… 
  
ところで、ダイナマイト発売の2年前にアメリカで「16トン」が大ヒットした。この曲から着想を得てダイナマイトがが作詞されたと言われている。二つの曲に共通しているのは、虐げられた者の意地と度胸と思う。一寸の虫にも五分の魂。

If you see me comin', better step aside
A lotta men didn't, a lotta men died
One fist of iron, the other of steel
If the right one don't a-get you, then the left one will

英語はほとんど分からないが、次ような意味と思っている。「俺が行くのを見たら道を開けた方がいい。そうしない多くの奴が死んだ。片方の拳は鉄、もう一つは鋼のように出来ている。右手でダメなら左手でヤル」。こんな感じでいいのだろうか?

大好きなダイナマイトだが、違和感をもっている部分もある。カックン、ショックだダムの月、意味が分からないので文中では …… …… とした。ネットで調べると「特に意味はない」そうだ。「見当識障害」とか分からない言葉も出てきて益々分からなくなった。

後になって、甲斐よしひろ氏もカックン、ショックだダムの月の部分を改変していることを知った。私も彼と同じくらい若い感性を持っているのかも知れない。来年は80歳になるのに自惚れが強くて困る。だけど放っておいても大丈夫。お仕舞は近いから。

ダイナマイトが150トン 作詞:関沢新一
16トン 作詞作曲:マール・ロバート・トラヴィス
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2019年12月21日

俺は困ってるぜ〜

2018年4月1日「音痴のカラオケ」を開設した。そして来年は2年目を迎える。開設当時の心境は次のようなものだった。恥ずかしながら、ここに再掲。

「決してヒマつぶしではありません。書いてオンチを克服するつもりです。克服とは『努力をして悩みや解決が難しい状況を乗り越えること』。オンチの悩みは絶対に克服できると信じて、このブログを開設しました。2年計画の第一歩です。そして2年後に目出度く傘寿を迎えます。歌う傘寿の誕生!」

残念ながら訂正しなければならない。「歌う傘寿」の夢は打ち砕かれた。音痴とは何かを知ったのは、うかつにも開設した後だった。それに傘寿をすました方が、私の所属するカラオケクラブに入ってきてしまったのだ。もちろん洋楽カラオケの会にもね。その方はもの凄く上手くて、まるでプロのようだ。

音痴の正式名称は「先天的音楽機能不全」、先天的というところが少し気になったが、何とかなると思った。ネット上には「音痴をこうして直した」と言う話が五万とあるからだ。しかし、その殆どは音痴には2種類あることに触れていない。

 直るのは運動性が原因の「のど音痴」の場合である。もともと音感があるので訓練で比較的簡単に直すことが出来る。それに対して、感受性が原因の「耳音痴」はほとんど先天的なもので克服と言っても容易ではない。努力だけではどうにもならない。

今まで70年近くも、歌に限らず音楽が出来る人になりたかった。楽器は部屋に入り切れないほど買った。何も出来るようにならなかったから全部捨てた。そして、残ったのが肉体の一部であるノド。こればかりは捨てられない。たとえ、粗末なノドでも歌いたい。生きなければならないからね。

「何とか歌っているじゃない」と励ましてくれる気持ちは嬉しいが、私の望みは青空のように、限りなく高いのだ。何とか普通に歌える様になりたいと思っている。身の程知らずの高望みだが、運さえ好ければ大丈夫。

今までだって本当に困ったときは、そのたびに運が助けてくれた。問題は、直面していることが「本当に困った」と、運に判ってもらえるかどうかだ。もしそうでなければ、運は私を見放すだろう。
運よ、俺は困ってるぜ!
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2019年12月14日

「学生時代」の思い出

子供のころは献金用に十円玉を握ってキリスト教会に行った。そして、祈りを捧げ讃美歌を歌った。兄が信者だったせいだと思う。教会の人は親切だし居心地が良かった。信者でもないのに17歳くらいまでは、気が向いたら教会に行ったりしていた。

学生経験のない私には、この歌の歌詞は夢の世界であって現実ではない。恋や愛の歌もそうだが、浮世離れした夢の世界を歌うのは大好きだ。もう一つ「学生時代」が好きな理由は青山学院については思い出がいっぱいあるからだ。

子供時代に住んでいた渋谷区金王町は青山学院城下町と言ってもいいような町だった。終戦後のアオガクは子供の遊び場でもあった。巨大な敷地なので近道として通り抜ける人も多かった。

小学生のころは半ズボンの制服を着たアオガク初等部生徒とよく喧嘩した。中学生になると、カラフルなシャツにジーンズの私服姿で通学する中等部の生徒が格好良すぎて羨んだ。近所は商人と職人ばかりだが、多かれ少なかれアオガク関係の仕事をしていた。小金を持つ商人は子供をアオガクに入れたがっていた。

恥ずかしながら、私が一番好きな歌詞は、ローソの灯に輝く 十字架をみつめて 白い指をくみながら うつむいていた友 その美しい横顔 姉のように慕い いつまでも変らずにと 願った幸せ(作詞:平岡精二)の部分だ。その美しい横顔 姉のように慕いの部分が私が先輩を慕う気持ちに重なる。

先輩と出会ったのは、黒髪豊かな色白の少年のころだった。職場は霞が関ビルにあり、宿舎は皇居近くの竹橋にあった。ルームメイトは6人いたが、仕事は24時間交代制。勤務や外出で居ない人が多く、部屋が狭いとは感じなかった。

外出から帰ると室内は先輩一人だった。無口だが制服姿が凛々しい憧れの先輩だ。「只今帰りました」と挨拶をすると、セーラー服を着た先輩は静かに近づいて来た。そしてオデコにキス。最初はドッキリ、次にジワジワと喜びが込み上げてきた。

あのとき先輩は18歳、海へ! 憧れの艦隊勤務を命ぜられた。私は17歳、東京通信隊で地味な陸上勤務。無口な先輩の別れの挨拶は、私にとっては青春時代の淡い想い出として心に残る。あれから62年たった。
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2019年12月07日

カレンダー

早いもので、同世代の3人でカラオケに行くようになって10年以上たった。共通点と言えば、いつまでたっても、そのまんまということだ。上手くはならないが楽しい。1ヶ月に1回、キチンと行っていたが、12月は3人の都合がつかず中止になってしまった。

カラオケは3人で休みなしの3時間だから相当なものだ。私の身体の中に月に1回、歌いまくるリズムが出来上がっていて、脳に染み付いているのだ。この欲求は簡単には収まらない。

ダメ元でP子に「カラオケ行く?」と聞いてみると、意外にもあっさりとOKした。実は二人で行ったことはない。この時は気軽にOKは、気軽にNOに通ずるとは思っていなかった。

「この日がいいね」と言うので、予定表を兼ねているカレンダーの12月7日欄にフタカラと書き込んだ。お互いにカレンダーを見ながら、それぞれの予定をたてる習慣になっている。

さて、今日はいよいよ初めてのフタカラだなと思って、カレンダーを見ると、フタカラの字に重ねて、二本の線が引いてあることに気が付いた。

「何ですか。この二本線は?」
「Yさんから電話があって食事に誘われたので、消したの」
「約束破るなら、ひと言いって下さい」
「あら! アンタが黙って書いたんじゃない」
「予定を書き入れるのはいいけれど、消すときはひと言断るのが普通でしょう」
「書くのも、消すのも同じじゃない!」

一度「同じ」と言ったら、いくら説明しても、決してひっくり返ることは無い。不本意ながら、黙ってしまった。

「アンタこの人、知ってる。落語家なのよ」とテレビを見ながら。
「………」
「手が震える病気になったんだって、鳩に豆やろうとして、手のひらに豆のっけたら、手が震えて豆が左右に動くもんだから、鳩が困ってしまったんだって、アハハハハ〜」
「………」
「面白いよね。アハハハハ〜」
仕方がないから私もアッハッハ。いつもこの手で騙されている。
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2019年11月30日

SSNカラオケクラブで

今の世の中、誰もが伴奏つきで歌を楽しめるようになった。私は札幌シニアネット(SSN)のカラオケクラブに参加している。上手な人ばかりだが、音痴の私も臆することなく歌うことを楽しんでいる。とても有難いことと感謝している。

カラオケ会には15年くらいは通っていたが、何となく音痴かなとは思っていた。1年前くらいのことだが、自分の歌を録音して聴いてビックリした。音痴と思っていたが、これほど酷いとは思わなかった。まさに青天の霹靂である!

さっそく対策を考えた。その時参考になったのが、小学校時代、同級だった二人の知恵遅れの生徒、カワムラ君とハラ君である。性格は正反対だが、二人ともクラスの皆から愛されていた。音痴が直らないなら、彼らのように好かれる音痴になろうと考えた。

カワムラ君は授業中でも教室の中を歩き回り、愛嬌を振りまいている。一方ハラ君は椅子に座りっぱなし、休み時間でも座って字を書いている。細かい字でノートにビッシリと書く。「勉強してるの」と声をかけると、こちらを向いてニコッとするだけ、一言も発しない。その仕草がとても可愛かったことが忘れられない。

上手い人の中でただ一人の音痴である私は、普通学級に通う障がい者のようなものだ。しかし、カワムラ君の様に愛想を振りまくことは苦手だ。ハラ君のように行動しようと決心した。人生はドラマで私は俳優と仮定した。役は真面目な音痴、舞台はカラオケ会とすれば、ハラ君ならどうするだろう? 

ハラ君なら真面目に一生懸命歌うだろう。彼はいつも知っている限りの文字を丁寧に書いていた。人様の歌は静かに聴くだろう。何も言わないが話しかけられればニッコリ笑顔を見せるだろう。だけどハラ君は独自の世界を持っている。遅まきながら70年後に気が付いた。誰もが自分しか感じない世界を持っている。

私は元々話好きだが、聴力が衰えて医師から補聴器の装着を勧められている。静かな環境ならともかく、カラオケ店のような場所での会話は成り立たなくなっている。半分くらいしか聞き取れないのだ。話しかけてもらうのは嬉しいけれど、ニッコリ笑って「ええそうですね」と言うことしか出来ない。本当は話したいのにね。

まともな会話は出来ないが話しかけてもらうと嬉しい。だけど私に同情して「俺も音痴だよ」とか言わないでね。答えは「ええそうですね」としか言えないのだから(笑)。
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2019年11月23日

音痴の洋カラ講座?

私って何てパかなんだろう。実は音痴による音痴のための洋カラ講座を書こうと思っていた。ありふれたことを書いても誰も読んでくれないが、誰も書かないことなら、僅かながら読んでもらえることがある。そうなれば書くことが楽しくなってくると考えた。

音痴が直った話はよく聞くが、のど音痴(運動性音痴)の場合が殆どだ。のど音痴とは音程を正しく聞き取れるが、正しい音程を出すことができない人。例えて言えば、泳げない五体満足の人が、水泳訓練を受けて泳げるようになった話である。

一方、片足なくても泳げるかと聞かれれば、現に泳げる人も少なくないから、答えはイエスである。音楽でも同じようなことが言える。感受性が原因の「耳音痴」とは音感に障害を持っている人である。人並みに歌うには大きなハンディキャップを持っている。音程を取ることが極めて苦手な人、これが真の音痴、正式名称は「先天的音楽機能不全」と言う。

自慢じゃないけれど、私は耳音痴。70年以上歌っているのに、人並みにはなれなかったから間違いない。ところで、耳音痴が書いた「カラオケ講座」は読んだことも聞いたこともない。洋楽カラオケなら絶対に無い! と信じている。だから「音痴の洋カラ講座」を書きたいと思い、モジモジしている。

対象は言うまでもなく耳音痴の人、書く為には成功談を語らなければならない。改善方法をネットで調べたら、答えがあった。音感が乏しい人でも普通に歌えるようになれる、トレーニング方法を見つけた。でも、何だか金もかかりそうだし詰まらなそうだ。

その方法とは次のとおり。
@「直接耳にピアノを当てて、ドレミファソラシドを聞いてみる。そのボイスレコーダーをナンタラカンタラして」とか書いてある。
A歌をドレミファソラシドで歌うこと。

結局自分一人では出来ないことが分かった。ピアノはないし、楽譜には馴染めない。と言う次第で、正しい方法で耳音痴を克服することは諦めた。だからと言って全てを諦めた訳ではない。

独自に開発する手がある。ナポレオンは「余の辞書に不可能という文字はない」と言ったが、私の辞書にも不可能はない。そこにはただ、出来ることと挑戦することがあるだけ。今までだって、諦めずにいろいろやって、周囲の人々に笑ってもらったもんだ。

新しい目標が出来て喜んでいる。初めて成功の果実を味わえるかも知れない。まず自分で克服して、最終的には全ての耳音痴に克服法を伝授したい。歌って暮せばラッキーカムカム。
「音痴の洋カラ講座」只今準備中!?
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2019年11月16日

「ムーンリバー」は私の人生

ムーンリバーと言えば思い出すのが、オードリー・ヘプバーン主演の「ティファニーで朝食を」。宝石店の前でショウウインドウを見ながら、パンとコーヒーの朝食をとるシーンが印象的だった。美人は得だな、何をやっても様になると思った。もう一つは窓辺でギター抱えてムーンリバーを歌うシーンがとても好かった。

ところで、英語で歌って意味分かるのと聞かれると、胸にグサリと突き刺さる。実はよく分からないからだ。例えばムーンリバーの歌詞は馴染みのある単語ばかりが並んでいるのに、初めから終わりまで意味が分からない。

先ず、Moon Riverとは何だろう? ある人は作詞者の故郷、ジョージア州にある川のイメージだと言う。又、渡ることが出来ない憧れのような存在と言う人もいる。海のように幅の広い実在の川の愛称と言う説もある。まだまだ続く。

ムーンリバーは恋心で虹は幸せという説もあり、ますます分からなくなってきた。面白いのは、ムーンリバーとは大河ミシシッピのこと。筏で漂っているのはハックルベリーとトムソーヤという話。従ってマーク・トウェインの「ハックルベリー・フィンの冒険」を読まないと、この歌の本当の意味は分からないと言い切る。

音痴の私は、歌が下手なだけではない。頭も悪いし運動神経も鈍い。ムーンリバーとは自分の人生と思っている。私は人生と二人連れで、この世をを漂っている。夢を見るのも、心を打ち砕くのも私自身だ。今まさに人生と言う大きな川を渡っている最中と思っている。こんなことをノンビリ考える余裕があって幸せだ。

ひもじくもなく苛められてもいない。こんな暮らしが18年も続いている。これも奇跡の一つと思う。幸せはある日突然、棚からボタモチが落ちるようにやって来た。いつまでも居てほしい。

Moon River Lyric:Johnny Mercer 
                  Music: Henry Mancini.1961
Moon River, Wider than a mile:
I’m crossin’ you in style Some day.
Old dream maker,You heart breaker,
Wherever your goin’,I’m goin’ your way:
Two drifters,Off to see the world,
There’s such a lot of world To see.
We’re after the same Rainbow’s end,
Waitin’ round the bend,
My huckleberry friend,Moon River,and me.
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2019年11月09日

忘れられない「女を忘れろ」

かっての仕事の先輩から「女を忘れろ」は似合わないから歌うなと言われた。冷静に考えると居直るしかない。短足でハゲ、おまけに音痴の老人に似合う曲などあるのだろうか?

仕方がないから、何も考えずに好きな曲を歌うことにしている。「女をわすれろ:作詞:野村俊夫」のどこが好きかと言えば全てだが、あえて言えば歌詞が大好きだ。私の心の故郷である。

ダイス転がせ ドラムを叩け
やけにしんみり する夜だ
思い出すのは若いころ、港町のスタンドバーによく行ったこと。一緒に行くのは一つ年上のMさん。彼はダイスの名人、左手のジッポーのライターで、粋にくわえたピースに火を点ける。そして右手でダイスを振る。その仕草のカッコウいいこと、惚れ惚れする。

忘れろ 忘れろ 鼻で笑ってヨ
あきらめ切るのが 男だろ 
Mさんは「世の中半分は女だ。鼻で笑って諦めろ」と言うけれど、私の周りは男ばかりだ。お店に行かなければ女性と話すことさえ出来ない。デートする相手もいないのだから振られることもない。こんな状態は、男だからこそ諦めきれない!

呑んでくだ巻け グラスを砕け
男ごごろは 馬鹿なもの
歌詞には思い出がいっぱい詰まっている。米兵がバーで大暴れして巻き添えを食って米海軍憲兵に捕まった。米兵は歌詞のように呑んでくだを巻き、グラスを砕いた。

もちろん、それだけじゃない。店中メチャクチャにした。不思議なことに怖くはなかった。何だか映画のワンシーンを見ているような気がした。私も酔っぱらっていたからね。

忘れろ 忘れろ 女なんかはヨ
あの娘にゃあの娘の 恋がある
荒れてみたいぜ 荒れさせろ
米兵は振られて諦めきれないのだろう。一人でフラフラ歩いていたのを同行のMさんが声をかけたのだ。あんなに荒れたの初めて見たし、これからもないだろう。まさに歌詞のとおりだ。彼女には彼女の恋があるんだ。忘れなきゃあダメだよ。そのせいで私とMさんは米兵と一緒に憲兵に捕まった。歌うたびに思いだす。

闇を蹴とばせ 月みてわめけ
どうせあの娘にゃ 判らない
バーで大暴れなんかしないで、誰も居ない原っぱで月を見てわめけばいいのにね。日本人ならそうするよ。だからこの歌は好かれるのだ。アメリカでは絶対にヒットしないと思うよ。

忘れろ 忘れろ 何も言わずにヨ
夜通し歩いて あきらめろ
俺にゃあの娘は 用なしさ
私なら夜通し歩いて諦める。嫌われたのに好きにさせる方法なんか無い。来年で80歳にもなるのに、振ってくれる相手さえ出会ったことがない。淋しい人生だが、ドラマと空想で補ってきた。それでも生きることは素晴らしい。負け惜しみじゃあないよ。ほどほど健康で少しの金があればそれで十分である。
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2019年11月02日

出来が好い私

こんな話を聞いたことがある。もし10人の社会なら、一人が出来る人で、一人が出来ない人、そして残りの8人は普通の人。ならば私は出来ない人。アート、ゲーム、スポーツ、何一つ出来ない。アートのセンスはないし、ゲームをやれば必ず負ける。

勝ち負けでケリをつけるゲームは、楽しみたくても楽しめない。その点カラオケは勝ち負けがないから有難い。しかし、何となく音痴と思っているから気後れがする。ところが、ある日突然、重症の音痴と分かってからは、やる気がモリモリ湧いて来た。

切っ掛けは自分の歌を録音して聴いたこと。凄く下手で、ただ事ではない。さっそくネットで調べると自分は「大脳の先天的音楽機能不全(平凡社『音楽大辞典』)」であることが分かった。何となく音痴とは思っていたが、これでスッキリした。10年以上もカラオケやってるのに何故進歩しないのか不思議でならなかったのだ。

先天的じゃあ仕方がない。生まれつきなんだから上手くなるはずがない。学齢前なら大変だが、既に退職、来年は80歳である。少しでも改善されれば奇跡だ。高齢者に関する音楽機能改善例として学術資料に載ってもいいかな、とか思ってしまった(笑)。

勉強から空想へと大きく脱線したが、私は低学歴、低体力、おまけに気も小さい、と何一つ好いところがない。一生懸命になると周りが見えなくなる欠点もある。これは性格だから自分の為になる場合がある。短所は長所とも言われている。

3年前は下手と言うよりもメチャクチャ歌って、カラオケ会の皆様に迷惑をかけたと思っている。その代わり自分が重症の音痴と知ると、皆さんの歌に敬意をもつようになった。それでは今はどうかと言うと、これから3年たたないと分からない。今も一生懸命、わき目もふらずに歌っている。相変わらず周りは見えていない。

私も人並みに恥を知る人間だが、恥ずかしい気持ちと、歌いたい気持ちのバランスをとりながら楽しんでいる。幸いなことに、一生懸命のときは恥をかく余裕がない。かくべき恥がぶっ飛んでしまうのだ。お陰でバランスは常に歌いたい方に傾いている。私って何と都合よく出来ているのだろう! 
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2019年10月26日

音痴なのに洋カラ

思い起こせば4年前、私は後期高齢者になった。この歳になって歌って踊って暮らせれば、これに勝る幸せはない。残念ながら、そうは出来ない事情がある。私だけじゃないけどね。

4年前の今頃、札幌シニアネットのカラオケクラブから全会員宛のメールが流れた。クラブ活動の一環として「洋楽カラオケ」例会を開くとの知らせである。「洋楽の好きな人なら誰でも歓迎」と書いてあった。大好きだから、歌えないのに参加してしまった。

洋楽好きは映画から始まった。10歳の時に洋画が好きになり毎週観に行った。そして「駅馬車」「黄色いリボン」「テキサスの黄色いバラ」などの映画音楽が好きになり、その後のテレビドラマでは、「ローハイド」と「ガンスモーク」の主題歌が好きになった。

初参加に備え、自分なりに練習して洋カラの会で歌ってみたら、ぜんぜん歌えないので戸惑った。伴奏に合わせることが出来ないのだ。止めればいいのに止められない。何とかして合わせようとするのだが、出来ないから焦る。そしてメチャクチャになった。こんな筈はないと思って、家で猛練習して、次回も参加した。

こんなことを繰り返して苦節3年、ようやくリズムと言うか、文字色の変化に合わせて口がまわるようになった。ようやく楽しくなりかけて来た。更なる上達のため自分の歌を録音して聴いたらビックリした。こんなはずじゃなかった! 穴があったら入りたい。そして、重い音痴と自覚した。直すにはどうしたらいいか? 先ず最初に音痴について勉強をした。

結論として私の音痴は直らないと理解した。音痴には運動性と感受性の2種類があり、運動性音痴の人は正常な音感があるので訓練すれば直ぐに歌えるようになる。一方、感受性音痴の場合は音程がずれていると判断できないので矯正は難しい。

しかし正しい音階を何度も聞くことにより改善できるそうだ。人並みは無理としても、繰り返せば自分なりの改善は望めそうだ。

洋カラに通って4年にもなるが、だんだん楽しくなって来た。一番好かったのは好い環境に恵まれたことである。日本には洋楽が大好きで歌いたい人は少なくない。しかし音痴では、いくら好きでも歌わせてもらえる場所がない。またもや幸運に恵まれた。

私を知っている人はアンタが洋カラをやるとは思わなかったという。当然である。私だってそう思わなかった。大袈裟に言えば針の穴を通過したたような気分だ。狭き門より入った程度かな? とにかく、休まず洋カラの会に参加している。思わぬことが起こるから人生は面白い。たとえ無理やり起こしてもね(笑)。
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2019年10月19日

私の音痴遍歴

振り返ってみると音痴な人生だったなぁと思う。歌が好きだから子供の時から歌っていた。大人は「サブちゃんは調子っぱずれ」と言って笑っていた。皆楽しそうだったから私も楽しかった。

中学では「のど自慢」を楽しんだ。一人ずつ教壇に上がって流行歌などを歌った。同じ歌でも人によって歌い方が違うから面白かった。皆が音痴とかには無関心だった。

中卒後職を転々とした9年間は、安定した職を得ることで頭がいっぱい。娯楽は映画と音楽鑑賞、それに読書。定職についてもその傾向は続き、歌おうとか考えたこともなかった。

40代の時、初めてカラオケで歌ったら、お前は歌うなと叱られた。かなりしつこくね。それ以来カラオケで歌わなくなった。65歳になって、偶然に導かれてカラオケを始めた。

何となく音痴と思っているだけだった。「好きになったカラオケ」とか道新コラムに書いたくらいだから、ぜんぜん気にはしていなかった。こんな時代が10年も続いた。

後期高齢者になって洋楽カラオケを始めた。初めての洋カラである。歌えなかったが、最初はこんなもんだろうと気にしていなかった。そして1年以上たってから初めて音痴と自覚した。薄々感づいていたのでショックはない。

音痴を自覚するとカラオケを止めるか続けるか決めなければならない。10年以上楽しんで来たことを止めるのは容易ではない。続けるなら音痴を直さなければならない。

調べてみたら、音痴には直る音痴と直らないのと2種類あることが分かった。簡単に言えば直る人は音楽脳はあるけど訓練しなかった人、私の様に生まれつきの人は直らないことが分かった。

背が低い人が高くなりたいと思ってもなれない。だからと言って解決法がないわけではない。例えばオランダ人は背が高いそうだ。オランダで背が低い人でも日本にくれば普通に見える。それと同じように下手同士でカラオケに行くと目立たない。これは80代の高齢者3人と10年以上もやっている。気楽で楽しい。

もう一つは正確に歌おうと心がけること。背の低い人でも姿勢を正しくすれば3センチくらいは高く見せられる。少しでも進歩すれば楽しい。3センチは、音痴という微妙な世界では大きい。
大きいよねっ! ウン、大きい。だから頑張り甲斐がある。
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2019年10月12日

お前は歌うな(後編)

前編よりの続き
40代のころ初めてカラオケで歌ったが泥酔した同僚から絡まれた。「お前は下手だから歌えと言われても歌うな」としつこく言い続けるのだ。首を振るな、腰くねらすな、気分出すな、その他もろもろ、よくもこんなに覚えていたものだと呆れた。

酔っ払っているから、同じことをなんども繰り返えす。延々と何時間も続き、家に帰ったら午前2時を回っていた。絡んだ同僚は地元の合唱団で歌っていた。職場は全国各地から転勤して来た人ばかりなのに、彼一人が地元の人だった。近所の手前、私の様な非常識な同僚がいることが恥ずかしかったのかも知れない。

 酔って自分を失って無意識に出てきた言葉が「お前は歌うな」だ。世の中でこれほど真実な叫びはない。40前後の分別盛りだから自分を失った時以外本音は出さない。以後、私は二十数年間にわたり人前で歌ったことがない。彼は礼儀正しい、親切な人だ。転勤のときも最後まで面倒をみてくれた。別な土地で再会したときも、自宅に呼んで歓待してくれた。

彼は自分の言ったことを覚えているだろうか。これは永遠の謎と思っていた。お互いに触れたことがなかったのだ。私の歌が彼の心を深く傷つけたことを知ってから歌うのを止めた。

実は彼とは親しくなかった。他所から来た近所の人として、同僚二人を自宅に招いたのだ。この泥酔事件後から親しくなったような気がする。と言うよりも、私は敬遠してたのに彼の方が、なんやかやと親切になったのである。なぜだろう?

この謎は65歳になってカラオケを始めた時に解けた。再び歌うことになり、忌まわしいカラオケ禁止事件を思い出した。これが切っ掛けとなった。私の推測だが、泥酔した彼自身は何も覚えていないと思う。翌日奥さんに叱られたのだ。

彼は一言一句、正確に奥さんから聞かされた。夜中に2時間も同じことを繰り返せば、隣室でもはっきり聞こえて記憶にも残る。彼は自分が喋った一部始終を、素面になってから聞かされたのだ。多分、こんなところと思う。いずれにしろ今になれば懐かしい。
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2019年10月05日

お前は歌うな(前編)

今では考えられないことだが、少年時代はデタラメ歌って楽しんでいた。リズムとか音程は特に意識しなかった。それらは音楽を勉強する生徒が身に付けるものと思っていた。ところがカラオケ・マシンが出来てからは状況が変わった。昔は好かったなぁ。

カラオケ時代になって、私は歌を禁じられてしまった。酔っ払いの言うことだから理屈もへったくれもない。ただ「お前は歌うな」の繰り返しで禁止されてしまった。ことの起こりは、およそ35年前、地方都市のカラオケができる舞台もある店でのこと。酔いがまわった頃、誰が言うでもなく交代で歌おうということになった。
  
 私はカラオケなどやったことが無いので、嫌だといったら、お節介な同僚が出て来て「オレが一緒に歌ってあげる」とか言って、私をグイグイ舞台に引っ張り上げた。ところが、舞台に上がってみると、気が変わり、3番まで気持ちよく歌ってしまった。

実はこれが大失敗。私を連れて一緒に舞台に上がった同僚は、多分自分が歌いたかったのだ。私が歌い出して戸惑ったところで、代わるつもりだったのだろう。音痴でカラオケも初めてなので、どんな風に歌ったかも覚えていない。酔って気分が好かっただけ。これが後で問題を引き起こすとは夢にも思わなかった。

それから、およそ半年後、男3人で友人の家で飲んでいた。自宅に誘ってくれた友人が突然絡んできた。彼は飲み過ぎていて泥酔していた。いつもと違って蛇のようにしつこい。

 「お前はなぁ〜、下手なくせになぜ歌うんだ!」
 「順番だから歌えと言うから、仕方なく…」
 「お前はなっ!歌えと言われても歌ったらダメなんだ」

はじめは何を言ってるのかサッパリ分からなかった。ここに書いたのは、高齢になってカラオケをするようになってから思い出したこと。自分なりに思い出して、整理したつもりだ。 
愚痴は長々と続くので中断、後編に続く。
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2019年09月28日

無意味な課題

毎日書いて歌って、とても楽しい。イソップ寓話のキリギリスみたいに、厳しい冬がきたら生きて行けないかも知れない。それも他人事の様に感じてのんびり楽しく暮らしている。

洋楽が好きだが英語で歌う以上、避けて通れないのが発音である。しかし、それ以前の問題がある。正しい発音を知らなければ避けることも出来ないのだ。ところでカラオケでは、ほとんどの場合、英文の上にカタカナが書いてある。

書いてある以上、この通りに歌いなさいとの意味にもとれる。現にカタカナどおりに歌っているのを聞いたことがある。正直言って面白かった。私より年上の高齢者数人で初心者カラオケをしたときのことである。確か「きよしこの夜」だったと思う。

昔流行った「ジャンバラヤ」のこと。グッバイ・ジョーはともかく、この後に続くミー・ガッタ・ゴー(me gotta go)とカナが振ってある。しかし、ミー・ガッタ・ゴーと歌う人はいない。こんな例は数え切れないほどあるが、英語をカタカナに置き換えることは出来ないから仕方がない。外国でも似たようなことやってるだろうか。

音痴だから発音は苦手、活舌が悪く日本語も上手く話せないから英語については言うまでもない。ただ耳は口ほど悪くないと思っていたのに、聴力検査で異常と診断され、補聴器を使うように勧められた。何もかも滅茶苦茶だが割と楽しく歌っている。

発音とか一人前のこと言っているけれど、洋楽カラオケを始めて4年もたつのに、ようやくリズムというか、文字が緑色に変わることに合わせて歌える様になった程度だ。だけど文字色の変化に追いつけなかったり、追い越したりしていた時はつらかった。

伴奏に付いて行けるようになると凄く楽しい。あとは音程が好くなって伴奏に合わせて歌える様になれば更に楽しくなるだろう。私にとっては命尽きるまでの永遠の課題である。

皆さんが普通にやってることが、私にとっては課題となる。ある意味で有難い。優しくて無意味な課題が、現実にある厳しくて根本的な課題を押し退けてくれる。お陰でノンビリ生きられる。
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2019年09月21日

中学では「のど自慢」(カラオケクラブに感謝)

音痴なのに所属するシニア団体のカラオケクラブに参加している。ところで、前回のブログで小学生は唱歌より流行歌が好きと書いたが、中学に入ると、その傾向はますます強くなった。当時の中学は自習が多かった。先生も生活に追われて大変だから授業に出れないこともある。そんな時は自習だ。

クラスの学級委員が、「自習は何をやりますか?」とか聞く。皆口々にのど自慢とか言う。何回もやっているので、いつも同じだ、一人ずつ交代で教壇に立って歌う。まるでカラオケクラブのようだ。好んで歌うのが流行歌、「青い山脈」とか「湯の町エレジー」とかね。上手い人も下手な人も自分なりに楽しむ。

なぜか音痴などと言う言葉はなかった。そういう細かいことを気にしていなかったのだ。今の時代、表立っての差別が減った反面、小さな違いに敏感になっている。音痴がその対象になったのはカラオケ・マシンの普及のせいだと思っている。合唱の授業では重要なことも、自習時間ののど自慢では誰も気にしない。同じ歌でもそれぞれ違っている方が面白い。

誰の歌が上手いか覚えていないが、ユガワ君の落語とヒラタ君の浪曲は別格だった。ユガワ君は学校一の秀才で後に東大に入った。彼は全く勉強しないように見えるが試験をすれば何でも一番だ。家にもよく遊びに行ったが、本立で目立つのはズラリと並んだ落語全集、「無線と実験」「ラジオ技術」等、趣味の本。教科書は粗末に扱われているようだ。鞄に入れたままかな?

ヒラタ君は豪快な感じの男子で、広沢虎造の浪曲「清水次郎長伝」が得意だった。中学生なのにラジオで聴く虎造と同じような声だった。この二人だけが別格で、歌などは誰が上手かったか、ぜんぜん覚えていない。何分昔のことだからね。

音痴とは「先天的音楽機能不全」。不治の病みたいに扱われているが病ではない。背が高いか低いかと同じで、身体はちゃんと動いているし、頭だってそれなりに回っている。世の中が精密になって、小さな違いが大きく見えるようになっただけ。

だが歌が上手くなりたいなら自覚しなければならない。不治なんだから上手くはならないが、少しはマシになる。私自身10年間も何となく音痴と思っていただけで、気にしていなかった。4年前から「先天的音楽機能不全」と言うことを知り、気になった来た。

全く知る必要なかったのにね。それでも知って好かったと思っている。どんな時でも自分を嫌いになれない幸せ者である。だが、私は人間としての機能が全体的に劣っている人。何をやっても上手くできない。だから何をやっても恥ずかしい。

結局、趣味を続ける決め手は恥ずかしさと面白さをを天秤に掛け、面白さが重ければ続けている。もう一つ大切なのは趣味を続けられる環境である。だから、こんな私でも楽しく歌わせてくれる、カラオケクラブに感謝している。
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2019年09月14日

ガンバレ音痴!

ドラマが面白いのはあり得ない話を本当らしくみせるからだろう。音痴のドラマは可哀そうか邪魔者なのかは、その場の状況による。いっそ「ガンバレ音痴!」とか言われれば、やる気モリモリになるのだが、なりすぎても傍迷惑だ。悩みは尽きない。

いずれにしろドラマなら哀れな脇役だ。私の未来はどうだろう。果たして、人並みに歌うようになれるのだろうか。それを知るには過去を振り返る必要がある。過去から未来を占うのだ

小学校の学芸会では先生から口パクを強制された。その時は歌わないですむなら、練習もしなくていいと喜んだ。つまり音痴の自覚はなかった。授業は嫌いでも流行歌を子供どうしで歌って楽しんでいた。のど自慢全盛の時代で唱歌より流行歌だった。

カラオケなんかやったことないのに、40歳近くなって半強制的に舞台に引っ張り上げられた。その気になって歌ったら、酔っ払いに絡まれた。「お前は音痴だから頼まれても断れ。絶対に歌うな」と、同じことを3時間も言い続けた。へべれけになっているから、これを延々と繰り返すのだ。歌が大好きな私だが、ここまで言われれば歌う気がしなくなる。

ところが、65歳になったら偶然に導かれてカラオケを始めることになった。まさに意外な展開である。2005年の春だった。私は依然として音痴のままだが、まわりの雰囲気が温かかく、楽しいと感じた。自分が楽しければいいじゃない、と言われれば、そんな気がする。健康にいいと聞くと、それもそうだと思う

それから5年たち、70歳に近づいた頃、道新に「好きになったカラオケ」執筆、北海道新聞のコラム朝の食卓に、そのようなタイトルで書いた。音痴でカラオケについて書く人は居ないと思う。恥ずかしながらやってしまった。今考えると何となく音痴と思っていただけなのだ。幼児のように無邪気に歌っていた。年を重ねるだけでは人間が出来たりしない。馬鹿は死ななきゃ直らない。

更に5年、後期高齢者となる。事もあろうに洋楽カラオケ会に参加した。音痴で外国語も出来ないのにね。英語で歌うことは子供のころからの夢だった。夢だから実現はしないとは思うが、試してみたかった。やっぱりダメだったが、会の雰囲気がいいから、もう少し試そうと思っている。もう少し、もう少しでもう4年たった。

2018年4月1日、エイプリルフールにユニークなブログ、「オンチのカラオケ」を開設した。そして1年半になろうとしているが、「音痴なのにガンバってエライね」と褒められたことがない。

音痴は生まれつきだから直らないが、丸出しはいけない。「丸出しにして何が悪い」と胸を張って言えないものが他にもあるよね。その場合も隠そうとして見えてしまうのなら許される。隠してもあるモノはあるが、できるだけ隠すのがナマーと思う。
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