2019年03月23日

君はわが運命(You Are My Destiny)

ポール・アンカの「君はわが運命」は易しそうと思っていたが、歌ってみると難しかった。実は私って本当は凄いんだ。多くの成功体験を持っている。ただの音痴じゃないんだよ。

禁を破って自分の歌に関して初めて書いてみた。タイトルは「音痴のカラオケ」、そもそも書き手は音楽について書く資格がない。それなのに書く。自己評価はどうしても甘くなる。

先日、カラオケ会で「君はわが運命」を歌ったが、おおむね良好、苦手なサビの部分も無難にこなす。ところが、終わりのア〜〜〜と言う高い声を出すところで躓き、思わすエッヘヘ〜〜とか笑ってしまった。どんな状況でも笑うことは楽しい。

ところで、カラオケ画面では歌詞の文字色が歌の進行に応じて変化する。それで色の変化について行くことが最初の目標となった。日本語だと比較的早く慣れることが出来るが英語だと難しい。発音が苦手で口が回らないから特に難しく感じた。

苦節三年、ようやく色の変化に応じて歌える様になった。次の課題は音程である。練習方法はいろいろあるらしいが、私が得た情報の中で一番簡単そうなのは、自分の歌を録音して聴くこと。本当はこれだけはやりたくなかったけれど、仕方がなかった。

現実を知れば、人前で歌う気がしなくなるので自分の歌だけは聞かない方がいいと思っていた。しかしカラオケ会に入って3年たったから、如何に自分が下手かを再確認しても止める心配はなくなった。それで嫌々ながらだが、やってみることにした。

聴いてみて驚いた。ここまで下手とは知らなかった。オマケに声が悪いのだ。我々音痴を慰める言葉として「楽しければいいじゃない」と「いい声しているよ」と言うのがある。人の優しさには感謝するが、愚かな私はそのまま信じていたのだ。長いことね。

ともかく、これからは音程に気をつけたい。何かを変えれば何かが変になるけれど、それは気にしないことにする。自分の歌を聴いて分かったけれど、元々変だから今更気にしても仕方がない。分かっただけでも収穫だ。耳は口ほど悪くはなかった。

来年80歳になる私は、書くことと歌うことは健康維持の二本の柱、決して疎かにはできない。音痴でも歌い、駄文でも書く、与えられた場所でも花を咲かすことは出来ないが、楽しむことは出来る。健康であれば気の持ちようは、好きなようにコントロール出来る。これが唯一の得意技。
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2019年03月16日

ジャニー・ギター(大砂塵)

「あの歌この歌」とか書いているが音痴だから無理だ。代りに好きな歌にまつわる思い出や映画などを書いている。自分のブログだから書き放題だがリスクもある。それは誰にも読まれないこと。危なくはないけれど、けっこう虚しいし寂しい。

映画を観て主題歌が好きになることが多いのだが、ペギー・リーの「ジャニー・ギター」の場合は逆だった。歌が好きなので映画を観たくなったのだ。原題は「ジャニー・ギター」だが内容が分かり難いと考えたのか、日本ではタイトルを「大砂塵」とした。この映画は1954年に公開されたが、当時は西部劇が大好きだったのに、なぜか観た記憶がない。

好きな歌が大砂塵の主題歌であることを知った時、ビデオレンタルに行ったが無かった。それが最近になって2回もテレビで放映された。両方観たが極めてユニークな映画だ。こんな西部劇は観たことない! これからもないだろう。

先ず、ネーミングが笑っちゃう。ジャニー・ギターとダンシング・キッドとはね。ギター弾きのジャニーがギターを背負った馬上姿はいいとしても、ダンシング・キッドって何だろう? 

ビリー・ザ・キッドは西部開拓時代の強盗、「駅馬車」のリンゴ・キッドは無法者。そして、この映画のダンシング・キッドは銀行強盗にしろ駅馬車強盗にしろダンスのイメージが湧いてこない。真面目なのかふざけているのかサッパリ分からない。

若い時、日本でも流行っていたペギー・リーの「ジャニー・ギター」が好きだった。彼女はソフト・アンド・クールな歌声で知られていた。「ゴールデン・イヤリングス」も好きだが、残念ながらカラオケ店にはなさそうだ。

「大砂塵」の音楽は洋画ファンなら誰もが知っているヴィクター・ヤングが担当。なんと「ジャニー・ギター」の作詞者はペギー・リーその人である。そんな訳で少年時代に観そこなった「大砂塵」をぜひ観たいと願っていたら、テレビが叶えてくれた。

ユニークその2は、決闘をする主役のガンファイターが二人とも女性であること。酒場の女主人ヴィエンナ(ジョーン・クロフォード)と駅馬車襲撃で殺された犠牲者の娘エマである。

逃げるウエディングドレスのような白い衣装のヴィエンナと、馬で追う黒ずくめのエマ&喪服集団が思いもよらぬ異様なシーンを展開している。この映画の男は添え物に過ぎないから名前もギターとダンスで好かったのかも知れない。

「大砂塵」はヴィクター・ヤングの音楽で始まり、ペギー・リーの歌で終わる異色の西部劇。美しいメロディーと女の闘いとのギャップが異様で興味深い。この時代の西部劇としては珍しく善玉と悪玉の区別がハッキリしない。マッカーシズムによる赤狩り旋風を暗に揶揄する内容との説もある。

小林旭の「渡り鳥シリーズ」も、この映画を引き継いだような感じがする。「小林旭 ジャニー・ギター」で検索するといろいろ出てきて面白い。やはりペギー・リーの歌が一番いいと思う。私も歌いたいのだが、音痴としては遠慮したい気分もある。少人数でやる友達同士のカラオケではコソコソ歌っているけどね(笑)。

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2019年03月09日

A子さんの思い出(越後獅子の唄)

歌はいろいろなことを思い出させてくれる。歌から連想されることも多い。前回のブログで、6畳一間に6人家族と言う超過密状態の我が家にA子さんが転がり込んだこと、そして三人で寝たことを書いた。それがA子さんと恋人、そして私と誤解を与えたような気がして気がかりだ。補足説明をしたいと思う。

結婚を反対されて家を出たが、恋人の学生さんは友人の部屋に身を寄せ、A子さんは親戚である我が家に来た。清い交際であることを御両親に知ってもらう為と思う。

話は戻るが、学生さんは書生としてA家に同居していた。A子さんの父親は強面の請負師だが、彼女も気の強い点では負けてはいない。父親に抗議して学生と一緒に家を出てしまった。

一方、我が家は一つの布団に二人ずつ寝ているのに三人目が来てしまったので大変だった。A子さんは学生の援助もするので昼も夜も働いて、帰って来るのは夜中だ。学生は書生の職を失ったが、彼女は彼が勉学に専念することを望んだ。

初めは夜中に帰ったら最短距離で寝れるように玄関に近い次兄側に寝た。狭くて足の踏み場もないからね。その頃、次兄は既に中学生、穏やかな気持ちではなかった思う。一つの布団に三人だからピッタリくっつかないと寝れないのだ。

結局、A子さんは私の横に移った。幼い子供と思い込んでるようだが、一緒に映画を観たときから2年もたっている。私だって意識する。しかし犬を腕力で引き離した一件を見て彼女の怖さを知っていた。自分を抑えることが出来たのは恐怖心からだと思う。

A子さんは私の横で寝たことは覚えていないと思う。あれから67年たっているのに私は覚えている。「越後獅子の歌」のせいだ。聴いたり歌ったりするごとに思い出す。彼女にとっては迷惑な歌だが、私にとっては懐かしい歌である。

音痴だから新しく歌を覚えるのが苦手だ。懐メロばかり歌ってたら思いもよらぬ収穫があった。歌にまつわる昔のことを次々と芋づる式に思い出すのだ。こうなったら止められない。在職中は過去を振り返るなんて、老人がすることだと忌み嫌っていた。考えはめまぐるしく変わり続ける。まだ若いのかな?

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2019年03月02日

越後獅子の唄 美空ひばり

生まれてから22歳までの間、私の存在を示す物証は戸籍謄本と1枚の写真しかない。だから記憶をたどって一生懸命に思い出している。歌はその手掛かりになるので大好きだ。古い歌を歌うと面白いように記憶が蘇えって来る。

1951年、話題の正月公開映画は「とんぼ返り道中」だった。私にとっては思い出深い映画である。7歳年上のA子さんに連れて行ってもらったのだ。多分私は小学4年くらいだった。映画の内容は覚えていないが、A子さんのことは鮮明に覚えている。

従姉妹のA子さんは母子4人で満州から引き揚げて来て隣に住んでいた。父親はシベリヤに抑留されていた。母親は優しすぎるので長女のA子さんが父親代わりをしていた。気の強いしっかりした人だった。彼女は家の前の道路で犬が交尾をしているのを見ると、怒ってバケツの水をぶっ掛けた。それでも止めないと二匹の犬を腕力で引き離した。見ていた私はビックリした。

そんなA子さんが大好きだったので、映画に誘われると喜んでついて行った。「とんぼ返り道中」の内容は忘れたが、主題歌の「越後獅子の唄 美空ひばり」については、よく覚えている。流行っていたからだと思う。A子さん一家は父親がシベリヤから帰って、しばらくすると大田区に家を新築して引っ越して行った。

越後獅子の唄を聴いても歌っても必ずA子さんを思い出す。彼女と最後に会ったのは55年前のことだった。喧嘩していた親子は仲直りしたようだ。結婚して実家の一隅に家を建て、夫となった元学生さんと暮らしていた。

話しは戻るが、A子さんは年下の学生さんと恋仲になり、親に結婚を反対されて家出した。そして狭い我が家に来た。今では考えられないが、親子6人が6畳一間に重なる様にして寝ていて、そこにA子さんが来たのだ。私は一つの布団に三人で寝ることになってしまった。住宅難の当時としても異常な状態だった。

ところで、ライブダム・カラオケの映像だが、越後獅子のでんぐり返しが下手過ぎる。幼い子供の練習とは言え、もうちょっと上手くないとね、プロなんだから。私は音痴で音楽については語れない。それで動画について、ちょっと触れてみた。歌詞に「芸がまずいと叱られて〜♪」とあるが当然のお叱りである。
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2019年02月23日

ストレスあって嬉しい

「好きこそ物の上手なれ」と言われているが、「下手の横好き」もある。カラオケ会の人はみんな凄く上手い。私はその中で唯一の音痴。考えようによってはこれは凄いことだ。ゾウの群の中に小さなネズミが一匹、紛れ込んだようなものだ。いつ踏み潰されても不思議でない状況の中で、生き続けているのである。

もう3年過ぎたがまだ大丈夫。それは何故か、ネズミの私には分からない。多分ゾウたちがネズミをを踏みつけないように気を付けているからだろう。音痴とか本当のことを言われれば、一回目はショック、2回目てショボクレて、3回目でノックアウトだ。

偶然にも優しい人達に囲まれているが、厳しくて正直な人が入ってきたらどうだろう。一人だけでも緊張するし、二人なら萎縮する。三人居たらもうお仕舞だ。もし仕事なら辞められないから地獄だね。テーマからは外れたが自由の身で本当に好かった。

例会は1ヵ月に一回だが、前の自分よりは進化したい。欲を言えば人にも分かるくらいにね。これは極めて困難なことは分かっている。下手な歌を身を入れて聴く人は居ないから、前との比較は不可能だ。しかし例外はある。人に好かれていれば話は別だ。私にとっては更に高いハードルだけど心しておきたい。

何故ならば、どんなに難しい課題でも音痴を直すことに比べれば簡単だ。とは言え、人に好かれるのも凄く難しい。特に私の場合はね。好かれるための努力は殆ど報われない。仕方がないから一生懸命嫌われないように心がけている。これはある程度の効果はある。だけど胸がドキドキときめいたりはしない。

子供の頃は毎日が苦しく、夢は楽をすることだった。その後は右肩上がりの人生で、夢は現実となった。唯一の希望はこの状態が少しでも長く続くことである。健康維持のためには適度のストレスが必要だから、わざわざ苦手なカラオケをやって悩んでいる。生存のためにはストレスは必須だからね。ストレスならこっちにもあるよとか誘われても行かない。楽しくなくちゃぁダメ!

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2019年02月16日

荒野の決闘(My Darling Clementine)

音痴なのに歌が大好きだ。背景にある思い出や、物語が好きだから懐メロばかり歌っている。歌が好きと言うよりも昔を懐かしんでいるのかも知れない。一人で歌えばいいのに人前で歌いたくなるから困ったものだ。長い人生で下手は歌うなと叱られたのは1回だけ。30年たったら、ショボンとした思いは忘れてしまった。

先ず『荒野の決闘(My Darling Clementine)』について簡単に説明。「1946年のアメリカ映画。ジョン・フォード監督による西部劇映画の古典的な作品である。主演はヘンリー・フォンダ。OK牧場の決闘を題材としている。詩情溢れる西部劇の傑作として名高い。……アクション映画というよりも、ドラマとしての色彩が強い(Wikipedia)」。

この映画の登場人物、ワイアット・アープと言えば西部劇の英雄である。時代劇の国定忠治や鯉名の銀平よりも名が知られたヒーローだ。そしてアープが淡い恋心を抱いたのが、クレメンタイン・カーターである。その役を演じるのはキャシー・ダウンズ。彼女はファッション雑誌、ヴォーグのカバーモデルとして活動した美貌の人、として当時は知られていた。

Oh, My Darling Clementineを歌う時は、いつも- いとしのクレメインタイン (荒野の決闘)の場面が心に浮かぶ。そこには西部開拓時代の様子が風情豊かに描かれている。特にラストシーンが素晴らしい。問題が解決し落ち着きを取り戻したアープは、クレメンタインの頬にキスをし、握手をして馬に乗る。「実にいい名前だ。クレメンタイン」と告げ、何処かに去って行く。

歌うごとにこの情景が目に浮かぶ。ところがその後、私が観た『OK牧場の決闘(1957年)』にも『ワイアット・アープ(1964年)』にもクレメンタインは出ていない。言うまでもなく両方ともアープをヒーローとした作品である。

最近になってクレメンタイン・カーターは架空の人物と知ってガッカリした。そもそも『荒野の決闘』は『Frontier Marshal』のリメイクだそうだ。クレメンタインも役名こそ違うが同様の人物も出ていると言う。1939年の作品で日本未公開だから邦題はない。

オリジナルの詩では黒人女性と思われる恋人が泥酔して溺死して幽霊となる、という内容のもあるそうだ。どれもこれも架空の話のような気がする。そんなことだから、私としては『荒野の決闘』のクレメンタイン・カーターも実在と思いたい。その方が歌っていて気持ちがいいのだ。

ワイアット・アープを扱った映画は数多くあるがクレメンタイン・カーターのような人物が出てくるのは、『Frontier Marshal』と、そのリメイクである『荒野の決闘』だけらしい。曲に対応する詩は「雪山賛歌」等、いろいろあるが、英語の歌はこんな感じが多い →  Oh My Darling, Clementine 、映画『荒野の決闘』とは雰囲気が余りにも違う。残念!
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2019年02月09日

英語で歌って意味分かるの?

英語で歌って意味わかるのと聞かれた。う〜ん、ショックだ、狼狽えた。しかし考えてみれば日本語の歌だって愛とか恋ばかりだな。私に分かるはずがない。それでも歌えば楽しい。何もかも想像と空想で補っているだけだ。私の場合はね。

元旦早々風邪をひいて熱が出たり、頭痛がしたりで散々だった。体調を崩すとやたらに眠い、昼も寝るし夜も寝る。何も出来ないが空想だけはできた。そして、快復したら眠れなくなった。健康で眠れれば一番いいのだが、全てが元に戻ってしまった。

ところで、私には夢がある。まったく似合わないメチャクチャな夢だ。それについては既に自分の殻を破りたいに書いたので、ここでは多くを語らない。誤解を恐れずに短く書いてみた。その夢とは「青春時代に大ヒットしたロック・アランド・ザ・クロックを歌っても違和感をもたれない人になること」である。

これは凄く高いハードルだ。高所恐怖症の人が落下傘降下をするようなものである。私は真面目で退屈な爺さんに見えるらしい。確かに上辺はそうだが、私自身は玉葱の芯。涙を流しながら一枚ずつむいて最後に見えるのが芯。それが私の真の姿である。

玉葱が花のようにパッと開くと、芯の位置に丘珠の玉葱王子が登場する。ギターを抱えてロック・アランド・ザ・クロック。畑の玉葱たちが一斉に踊りだす。言うまでもなく空想だが、口にするのも恥ずかしい。だけど書くだけなら大丈夫。

英語で歌って意味分かるのと聞かれてドッキッとした。殆ど分からないが、何か感じるものがある。ときには理解できるような気もする。だけど日本語でも分からないことは多い。歌手なしのコンボやビッグバンドでも感動できる。結局自分の感じかな。分かるのかと聞かれれば全ては闇の中。音の世界だからね。

月に1回洋カラの例会があるが、12月は用事で出れなかった。1月こそはと思ったが風邪をひいて欠席した。滅多に休まないから2回続けて休むのは珍しい。毎回参加できることが健康のバロメーターと考えている。その意味では残念だが、歌うためには良いかも知れない。

と言うのは、例会に備えて練習するのだが、音痴にとっては悪い影響もある。自己流の一人練習だから悪い癖のまま固まることがある。2ヵ月の休養で少しはほぐれたかも知れない。

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2019年02月02日

ハイヌーン(真昼の決闘)

私は音痴だから音楽を語れない。ただそれにまつわる思い出はある。映画「真昼の決闘」のテーマソングはハイヌーン。この映画は主役より脇役の悪玉の方が格好いい。最初に観たのは中学生の時、その後の再上映、最近はビデオで観た。

小学高学年の頃から映画は観ていたので、中学に入ったら豆評論家みたいな気分になっていた。洋画専門で邦画は観ない。愚かな私は邦画は貧乏くさいと思っていた。新聞配達で稼いだ貴重な金だから外国の夢のような世界を見たかった。それに邦画は夜の校庭で開催される無料映画会でも観れたのだ。

同じクラスに洋画の大好きなY君が転校してきた。彼はパリッとした歯医者の息子で、私は薄汚れた貧乏人だが直ぐに仲良くなった。と言うか他に洋画を日常的に観ている生徒などいなかったのだ。年を取って3秒前のことも忘れるようになったが、洋画のことは今でも覚えている。多分、Y君も同様と思う。

さっそく、二人で観にいったのは異色の西部劇として話題になった「真昼の決闘」である。異色とはありふれたものと違うこと。中学生の私はもの凄く迫力のある決闘シーンを期待した。しかし決闘は最後にちょっとあっただけだ。私たちは「大したことなかったね」とか言いながら映写室を出たところで警察に捕まった。

ロビーで中年男二人に声を掛けられた。「お前ら中学生じゃないか?」と威圧的だ。頷くと「学校さぼったのか」と畳みかけて来た。私服警官の職務質問と分かり怯えてしまった。Y君は黙って下を向いている。蚊の鳴くような声で「日曜が運動会だったので代休です」と答えた。学校はどこだ、住所氏名はと聞かれた。

帰りは黙り勝ちでとぼとぼ歩き、映画の話どころではなかった。Y君は家に電話を掛けられて両親に知られることを凄く心配していた。遊びに行ったことがあるが、子供部屋を与えられ裕福な暮らしをしていた。一方、私は6畳大のバラックに親子6人だ。職務質問は二人の家庭環境の違いを思い知るできごとだった。

私はひたすら学校のことを心配していた。今までだって叱られてばかりだったのに、警察沙汰を起こせば先生に目を付けられる。先生には絶対に知られたくなかった。それなのに、嘘ついてバレることを恐れて住所氏名学校名をあっさりと言ってしまった。

凄く心配したが、学校では朝礼で一般的な注意があっただけで済んでしまった。当事者である私たちには、何のお咎めも無かった。多分警官は事実関係を確認しただけで氏名は知らさなかったのだと思う。その後、Y君とは疎遠になってしまった。

大人になってから観ると確かに異色の西部劇だ。保安官が年寄り臭くて悪玉の方が若くて格好いい。悪玉が復習に来るから助けてくれと多くの市民に頼んでも誰も助けてくれない。結局、一人で4人と戦う羽目になる。最後は悪玉4人を夫婦でやっつける。そして新婚旅行に行く。現実から始まり非現実で終わる。これがリアリティのある大人向きの作品に仕上がっているから面白い。

ハイヌーンと言えば「真昼の決闘」、それに関する個人的な思い出を書いてみた。参考の為、フランキー・レインのハイヌーン、及び映画「真昼の決闘」リンクを下に掲載。

フランキー・レイン情報 → High Noon - Frankie Laine


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2019年01月26日

「今は幸せかい」妹の思い出

私のカラオケ好きはノスタルジーから来ているようだ。ひたすら失われた過去に思いを馳せる。だから懐メロが大好きだ。自己満足は他人迷惑だが、思い出を胸に抱きしめて気分よく歌っている。「今は幸せかい」を歌うたびに7歳下の妹を思い出す。 
  
先日、生まれて始めて妹からの電話があった。極めて疎遠で、既に思い出の人になっていた妹から、かかって来たのだ。「地震大丈夫だった?」と聞かれた。札幌の惨状が映像で流れたのを東京の自宅で見たという。最後に会ったのは妹の娘の結婚式だから20年以上前だと思う。声が変わったなと思った。

妹のことは気になっていた。終戦直後の混乱の中で夫に逃げられた母は、3人の子を連れて空襲で妻子を失った養父と再婚した。そして妹が生まれた。三人の兄弟は父の違う妹を可愛がり仲良く暮らしていた。しかし母とは馬が合わなかった。この辺りの事情は家を出るに書いたので、重複を避けるため省略する。

家業の経師屋を手伝っているとき、佐川ミツオ(後に佐川満男)の部屋に仕事で行った。彼がニール・セダカ作曲の「二人の並木道」でデビューした頃である。中学生の妹が珍しく仕事の現場に昼食を持ってやって来た。こんなことは初めてだ。妹はミツオのファンなので部屋を見たかったのだと思う。その部屋の様子はアイドル訪問の記事となり、芸能週刊誌に載った。

ところで、地震の話の後、妹は沈黙した。こちらは大丈夫だと言ったが電話を切ろうとはしない。元気がないし声も沈んでいる。何か変だと思った。何があったのか聞くと、兄に聞いてやっと私の電話番号を知ったとか、答えにならないことを言った。

私は78歳で妹は71歳だ。それなのに妹から電話があったのは初めてだ。私も妹に電話をかけたことがないからお互い様だ。番号も知らないが東京の兄に聞けば直ぐ分かることだ。お互いに電話をかける必要を感じていなかったのだ。

電話で1時間くらい話し、妹が重い病に罹ったことを知った。しかし何故か信じられない。「今は幸せかい」を聴くたびに妹の姿が浮かんでくる。中学生の妹が佐川ミツオ居住マンションの玄関で、目を輝かせて立っている。手には弁当を提げていて、とても可愛らしかった。そこは渋谷に建った日本で初めての分譲マンションだった。当時は「宮益坂アパート」と呼ばれていた。

その後、妹とは身内の結婚式等で何回か会っているが、途中の姿は印象が薄くて覚えていない。なぜか私の頭の中での妹は、中学生のままなのだ。それなのに電話の声は年寄りぽかった。相当悪いのかなと心配になって来た。

歌について個人的な思い出を書いたが、参考の為グーグル検索で佐川満男 今は幸せかい の結果を掲載した。リンクをクリックするといろいろ表示される。カツラを被った佐川満男もある。

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2019年01月19日

自分の殻を破りたい

私には夢がある。それは青春時代に大ヒットしたロック・アランド・ザ・クロックを歌っても違和感をもたれない人になることである。あまりにもイメージとかけ離れていて申し訳ない。変身して別人になれれば一番いいんだけどね。

かような訳で、苦肉の策として変人である私に慣れてもらうことにした。その為の綿密なアクションプログラムを立てて実行中。何よりも違和感をもたれないことが肝心だ。そうでなければ楽しくない。何事も難しいほど面白い。

洋楽カラオケを始めた頃には後期高齢者になっていた。それから3年たったが、未だにちゃんと歌える曲はない。1年目はその内なんとかなるだろうと思い、2年目はこんな筈ではないとガッカリしていた。3年過ぎるとダメかもしれないと悲観する。しかし諦めない。そもそも人間は「全てを諦める」ようには造られていない。空想でもいいから夢は持ち続けたい。

カラオケはダメでも将棋でも出来ればいいのだが、過去に一生懸命やって出来なかった記憶がある、ビリヤードにしてもボーリングにしても同じことだ。そういえばスケートもかなり熱心にやった。何をやってもダメなら自分が楽しくなることをやりたい。

そんな訳で趣味はカラオケとなった。そして諦めていた洋カラにも手を出した。何も出来ないと、何か出来るようになったら幸せと思ったりする。ところが出来る人は出来て当たり前、そんなことで幸せになったりはしない。かって同じ職場で碁の達人と言われた人が自殺した。ショックだったが不思議でならなかった。

長い間仮面をつけて生きて来たような気がする。しかし、仕事から解放され自由になった私には夢がある。それは何かは冒頭に書いたので省略する。繰り返すのは私だって恥ずかしいのだ。

退職して自由になったからと言って、いきなり仮面を脱げば違和感をもたれる。そのたびに「らしくない」とか「似合わない」とか言われたら楽じゃない。自分のイメージを変えるのはカラオケ会が一番いいと思っている。時間をかけて工夫すれば少しずつ慣れてもらえる。「あの人はああなんだから仕方ない」とかね(笑)。
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